毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1997年6月-7月のアメリカ行き-行き (2)

2018-10-15 19:32:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-行き (2)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/6/29(日) 大阪→Monterey

2、関西空港駅に着いた。

ユナイテッド航空 大阪関西発-サンフランシスコ行に乗るために、関西空港に着いた。

駅から空港施設に入る渡り廊下の前で、航空会社によってチェックインカウンターが2方向に分かれる。ユナイテッドの表示を見て、そちら側に行く。エスカレーターを上がったところにユナイテッドのカウンターが見えた。既に40人ぐらいの列ができていた。それはエコノミークラスの列だった。ビジネスクラスの列は10人ぐらいで、ファーストクラスは列ができていなかった。仕方がないので長い列に並んだ。並んでいる人は、なぜか若い女性のグループが多い。

この列は16:55発のロスアンジェルス行きと17:30発のサンフランシスコ行きだ。カウンター上の掲示によると、口スアンジェルス行きは18:30発に遅れる。あとから出るサンフランシスコ行きが先になってしまうとは、ひどい遅れようだ。

なかなか進まない。国際線のチェクインは時間がかかるのだろう。やっと手荷物のX線検査を通った。カウンターまでにはさらに列が続いている。となりのビジネスクラスの列は1/3ぐらいの短い列。そこには新大阪駅のエスカレーターでバイバイをやっていた親子が並んでいた。

列の途中でユナイテッドの職員のおばさんが、パスポートとチケットのチェックをしていた。口スアンジェルス行きのチケットを見る毎に「遅れています、すみません」と謝っていた。私はサンフランシスコ行きなので「定刻です」と言った。

やっと次はチェックインの番が来た。すぐ目の前のカウンターでは客のおばさんとユナイテッドの係員とが何かもめていた。どうやら、そのおばさんが別のところで聞いてきたこととこのカウンターで言われたことが食い違っているようだ。

自分の番が来た。もめている隣のカウンターだった。そこの係員のおねえさんも隣のもめごとが気になるらしく、私の手続きをする間も隣をちらちら見ていた。

もめている係員「それは米国航空法によってできません。」米国航空法というところが異様にお役所的な口調である。
もめているおばさん「なんでやの!話が違うやないの!」
係員「それでは、そのカウンターに行ってみましよう。日本語ができる者がいますから。」
おばさん「何言ってんの!私は向こうで25年間暮らしてたんやから英語はバリバリやで!」
25年間外国で暮らしていても、その口調はまぎれもない大阪のオバチャンである。

さて、もめているところは放っておいて、チェックインが終ったので出た。出口でユナイテッドの人が印刷物をくれた。何か重要な連絡事項だろうかと思って見たら、「0CAT(大阪シティーエアターミナルのこと 。難波にある。)でユナイテッドのチェックインをしたらポイントが貯まってプレゼントがもらえる」そうである。確かに、OCATでチェックインした方が混まないかもしれない。

(注: 1997年時点ではOCATでチェックインできましたが、2018年現在、OCATではチェックインできません。)