毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1992年4月26日-5月1日の北海道旅行の記録 [終]

2024-04-16 18:56:09 | 日記

[6] 1992年5月1日 函館から東京に戻る

快速ミッドナイト函館行きの車内で目が覚めた。朝の5時過ぎだ。すでに外は明るい。列車は止まっていた。貨物列車が追い越していった。札幌とは函館の間をわざわざ7時間かけて走るのだから、ところどころでこのように止まって時間を調整しているのだろう。

窓の外はあまり変わらない北海道の風景だ。大沼付近の湖は美しい。

トイレに行く。途中に飲料の自動販売機が置いてあるロビーのような区画がある。なかなかしゃれた車両だ。トイレの中には手洗いの蛇口がない。通路の反対側にある洗面所で手を洗わなければならない。洗面所はおじさんが占拠していて朝の洗面道具をあれこれ並べて使っていた。洗面所の入口に立っていると気づいて手を洗わせてくれた。このおじさんはどこに行っても朝の習慣を変えられないタイプの人だろう。

やっと函館に着いた。6:30。出口に向かう客は中年以上の人が多いように思える。この列車はそういう列車なのだろう。


函館でラーメンを食べる。

次に乗る予定の特急はつかりまで1時間ほど時間がある。朝市に行ってラーメンを食べることにする。朝市ラーメンはカニ丸ごと一杯入りで1800円。朝からカニを丸ごと食べる気にはなれないがせっかく来たのだから食べてみるか。店内にはかなりの数の客がいた。朝市ラーメンにしようかどうしようかと迷いながら入ると、あごが三重ぐらいに弛んだ太った若者が朝市ラーメンのカニにかぶりついていた。それを見て朝市ラーメンはやめて北海ラーメンという普通のラーメンを食べた。


特急はつかり10号 函館7:42発 盛岡11:52着で盛岡に行く

函館駅で牛乳を買って飲んだ。うまい。ホームに行って自由席の禁煙車の所に並んだ。指定券を持っているが、指定席の禁煙車がとれなかったので、自由席の禁煙車に座れたらそうするつもりである。

電車がホームに入ってきた。自由席に並んでいる人数を見ると、余裕で座れる。車内に入った。余裕で座れたのでこのまま自由席にいることにした。出発までに乗客が少しずつ増えてきたが、まだ大丈夫である。

走り出した。海岸線を行く。朝日が海面を照らしていた。

知内駅を通過した。もうすぐ青函トンネルである。青函トンネルについて出発から3回ぐらい案内のアナウンスがあった。しかしアナウンスの内容は以前に通った時よりも簡単になっている。青函トンネルもそのうち普通のトンネルになるのだろうか。

青函トンネルを抜けて本州側に出てきた。この辺の風景は北海道の風景とあまり変わらない。しかし青森の方が山が近い。平原はやはり北海道の方が広い。

トンネルを出て最初に停まるのが蟹田駅である。ここがJR北海道とJR東日本の境界なので、乗務員の交代のために停まると思ったら、かなりの人数の乗客が乗ってきた。このへんにこんなに人がいたのか。

青森に着いた。9:37。8割ぐらいの人が降りた。青森が大きい街なのか、それとも弘前方面に行く人が多いのか。

青森から列車の進行方向が変わる。座席の方向転換をどうしようかと思っていたら、後ろの席の人(これからは前の席になる)が座席を回転させた。そこで自分が座っている席も回転させた。すると、目の前に窓枠がきた。窓の間隔と座席の間隔が一致していないのだ。この車両を製造したときは窓と座席の間隔は一致していただろうが、おそらくそれだと席が狭いので、後から座席の間隔を少し広げたのだろう。そうすると、窓の間隔と座席の間隔がずれてくる。目の前に窓枠があるとうっとうしいので、後ろの席も回転させて後ろの席に移動した。車内を見ると、他の座席もほとんど回転していた。こんな感じで自然に方向転換するのだろう。

そういえば、行きのはまなすの時は、函館で方向転換していたはずである。どうしていたのか、思い出せない。

このはつかりは函館発で走行距離が長いので途中停車駅が他の青森発のはつかりよりも少ない。乗客の出入りも少なくなるのは、騒がしくならないので良い。それでも、八戸と二戸からはかなりの人が乗ってきた。青森を出る時は4割ぐらいの乗車率だったが、盛岡に着くときには8割程度まで増えていた。


東北新幹線 やまびこ4号 盛岡12:00発 東京14:36着で東京に戻る

函館発盛岡行きはつかりが盛岡に着く時刻は11:52、東北新幹線やまびこが盛岡を出る時刻は12:00である。8分間で地上の在来線ホームから高架の新幹線ホームまで行かなければならない。

はつかりは1両に1か所しか出入口がないので、当然混む。階段を上がり、新幹線ホームに上がるエスカレーターに乗った。エスカレーターから下を見ると弁当屋で弁当を売っている。弁当を買う時間ぐらいはあったが、エスカレーターに乗ってしまったらもう遅い。新幹線ホームに着いた。8号車を探す。すぐに見つかった。席に着く。間に合ってほっとした。弁当を買う時間はあるか、と考えているうちにタイミングを逃した。

車内は空席が多い。この列車は途中に仙台しか停まらない。次の仙台でかなり乗ってくるだろう。

弁当の車内販売が来た。弁当は1種類しかない。いまいちなので見送った。しばらく考えてから車内のカフェテリアに弁当を買いに行った。誰もいない2階建て車両の1階を通り、次の2階建て車両の1階が売店だ。わかっていたが、メニューはいまひとつで値段が高い。今は軽く食べておいて、東京に着いてからちゃんと食べることにして、山菜弁当を買った。あまり期待していなかったが、悪くなかった。

しばらくすると、少し気分が悪くなってきた。乗り物酔いなど久しぶりだ。昨日の14:52に根室駅を出てから列車を乗り継いで、東京に着いたら約24時間乗っていたことになる。気分も悪くなるだろう。
仙台に着いた。やはり多くの人が入ってきて、席がほぼ埋まった。

盛岡から東京は長い。しかし2時間半の乗車時間は、昨日から乗った列車の中で一番短い。しかし東北新幹線は揺れるし騒音が大きい。ジェットコースターのような揺れと風切音だ。今まで乗ってきた列車に比べて段違いに速度が速いのだからしかたがない。それと、北海道に比べて本州の方が線路のカーブが多いのだろう。

14:36。やっと東京に着いた。東京は人が多い。

--- おわり ---

 


1992年4月26日-5月1日の北海道旅行の記録 [5]

2024-04-15 18:39:10 | 日記

[5] 1992年4月30日 釧路から根室に行って札幌まで戻る


普通列車 釧路9:41発 根室11:59着で根室に行く

ホテルを出た。

駅のコインロッカーに荷物を入れる。100円玉が2つなかったので、千円札が使える自動販売機で缶コーヒーを買ってお釣りの100円玉を得る。銀行ATMで現金をおろす。朝食を食べる。おにぎりセット350円。みどりの窓口で帰りのはつかりとやまびこの切符を買う。便所に行く。

そんなことをしているうちに根室行き普通列車の改札がはじまっていた。座れないこともないが、ボックス席のいい場所がとれなかったのでベンチ席に座る。

釧路発根室行きの普通列車は、1両編成のワンマンカーだった。根室は大きい街だと思っていたが、そこへ行く列車がこんな列車で良いのだろうか。しかし、この車内の状況は混雑とは程遠い。ということは良いのだろう。

釧路と根室の間は普通列車と1日2往復の快速だけ。特急も急行も走らない。しかも本数が少ない。その程度の重要度なのだろう。

天気が良い。ところどころに低木がある、ただ広い草原が広がるだけの景色。

浜中駅で6~7人降りた。空いたボックス席に移った。

こう変化がないと、昨夜はホテルでゆっくり眠ったのもかかわらず、眠くなる。しばらく寝た。起きても景色はほとんど変化ない。こんな列車に2時間以上も乗り続けるのはつらい。

半分ぐらい行ったあたりから、まわりが草原から湿原になってきた。水鳥もいる。きれいな景色だ。しかしこの景色もあと1時間見続けなければならない。

各駅停車なのだが、駅と駅との間が非常に長い。都市近郊だと7~8駅入りそうな長さだ。集落があるのもそれぐらいの間隔だからだろう。

やっと根室の街中に入ってきた。結構大きい街だ。しかし根室駅は小さい。

根室駅から赤いラインのバスに乗って、納沙布岬まで行く。約45分の道のりだ。駅から乗ったのは数人。駅を出て市街地を走ると、乗客は十数人になった。

バスはのんびりしていた。道路の周りも広い。途中に集落が2つほどあり、地元の人たちがそこで降りて行った。

納沙布岬は鋭角的になっておらず岬という感じがあまりしない。バスの到着が12:50ごろだが、13:30のバスに乗って根室駅に戻って釧路行きの列車に乗らなければならない。急いでまわる。

とりあえず納沙布岬にある展望台に入った。入場料金は900円。エレベーターで4階まで上がった。歯舞群島の貝殻島が目の前に見える。水晶島も良く見える。国後島の島影もはっきりと見える。

入場料900円がもったいなかったが時間がないのですぐに展望台から降りた。すると、また観光バスがやってきて停まり、おばさんの観光客を大量に吐き出した。観光バスのおばさんたちは、どこにでも現れるのだ。

岬にあるものを見て回ってから、帰りのバスに乗った。


普通列車 根室14:52発 釧路17:14着で釧路に戻る

この列車に乗ろうとする人が、かなりの人数で根室駅にいた。しかし列車はあいかわらず1両編成である。不安を感じたが、1両で十分収容できた。

出発した。さっき来た長い行程をたどるのかと思うと気が滅入るが耐えるしかない。

途中のどこかの駅で、今この列車が着いている短いホームのとなりに、レールがない長いプラットフォームがあった。昔はそのホームが使われていて、今よりも長い編成の列車が発着していたのだろう。廃線にならなかっただけでも、たいしたものなのか。


特急おおぞら12号 釧路17:46発 札幌22:32着で札幌に行く

再び釧路駅。改札を出てコインロッカーにカバンを取りに行く。改札口にはすでに列ができていたので、小走りに行って返る。

特急の改札を始める時刻についてアナウンスがあった。まだ時間があるので小走りにトイレに行き、売店で弁当を買う。駅弁はどれも500円前後で、駅弁としては安くて結構なのだが、どれも目を引かない。それでも比較的おいしそうなおにぎり弁当とお茶を買った。そして列に並ぶ。

改札がはじまった。自由席禁煙車の位置を確認しておいて、改札口を通過するとその方向に急いだ。同じように自由席に向かう人数を見て、この人数では余裕で座れると思いながらも急いで車内に入って席を確保した。

出発した。ディーゼルカー独特の騒音を発しながら加速した。

釧路まで来たときの行程の長さを思ったら少し気が重くなった。納沙布岬では陽が高かったが、すでに木の上あたりまで下りてきていた。おにぎり弁当を食べ終えるともう暗い。
暗い中をひたすら走り、十勝平野を通り、トンネル地帯を抜けて、やっと石狩平野に出た。次は千歳空港駅である。22:01千歳空港駅着。乗降客が多い駅だがこの時間ではどうだろうか。降りる客は少ない。代わって10人ぐらいのスーツ姿の男たちが車内に入ってきた。東京かどこかに出張してこの時間に飛行機で戻ってきたのだろう。ご苦労なことである。

22:32にやっと札幌に着く。次の列車まで時間があるので、何か食べられないかと駅構内をうろついたが、この遅い時間にやっている店はなかった。

次の列車は指定席券を持っているので、並ばなくてよい。待合室でしばらくテレビのニュースを見た。北海道の天気予報をやっていた。これから東京に戻るので、北海道の天気はもう関係ない。


快速ミッドナイト 札幌23:30発 函館6:30着で函館に行く

駅の待合コーナーは少し寒かったので、列車に乗ることにする。

快速ミッドナイトはホームにもう来ていた。連休中は特別に自由席が2両後ろにつながる。前の3両はいつも運行されているものだ。車両の色が違う。後ろの2両はいかにもくっつけたような感じがする。

自由席は垂直ボックスシートだった。一方指定席の前2両はカーペット車である。フェリーの2等客室の雑魚寝フロアみたいなものか。その中の三分の一あたりに間仕切りがついている。三分の一のエリアが女性専用席のようだ。中間の3号車がドリームカーと呼ばれる車両だ。

指定席券の番号を見て自分の席に着いた。昔のグリーン車を使っているので、前後の席間が広く、大きくリクライニングするシートである。シート自体も良い。これは楽である。指定券は300円である。300円でさっきの自由席とこれだけ違う。指定席を取っておいて良かった。

リクライニングシートのおかげで楽に寝られる。これまでのはまなすや利尻の窮屈さとは大違いだ。満席だが広い。昼間の列車でだいぶ寝たにもかかわらず、良く眠れた。

 


1992年4月26日-5月1日の北海道旅行の記録 [4]

2024-04-14 19:06:33 | 日記


[4] 1992年4月29日 札幌から釧路に行く

朝の5時ごろに明るくなってきた。急行利尻の中で目が覚めた。雨が降っていた。今日はこの後、釧路まで行く予定なので雨は困る。

急行利尻は6:00に札幌に着いた。再び早朝の札幌駅である。またハンバーガー屋で朝食をとる。寒い。雨はやんでいたが曇っている。


特急おおぞら1号 札幌7:30発 釧路12:24着で釧路に行く

ディーゼルカーだ。ディーゼルカーはうるさい。8両編成中自由席は2両で禁煙車はそのうちの1両だけである。けっこう乗客が入った。7割ぐらいか。

ディスクマンをかけた。電池が切れた。予備の電池はもうない。カメラのフィルムもなくなった。釧路に着いたら買い物だ。

札幌を出発した。千歳空港駅でだいぶ降りて行った。車内が4割ぐらいに減った。千歳空港駅を通る特急や快速は他にたくさんあるのに、釧路行きの特急で札幌から千歳空港まで行く人がこんなに多いとは思わなかった。やはり北海道に出入りする人は千歳空港で飛行機を利用するのだ。

千歳空港駅からしばらくの間、山の中を走った。トンネルが断続的にある。

平地に出てきたら、その後は延々と同じような風景が続いた。広い草原、遠くに山脈。一度眠った。寝て起きても、窓の外は同じような景色だった。

そして帯広に着いた。10:24。かなりの人が降りた。釧路まではさらにあと2時間である。晴れてきた。

のどが渇いてきたので、車内販売のワゴンでペプシコーラを買った。110円。車内販売にしては良心的な値段だ。


釧路湿原に行く。

約5時間かかってやっと釧路に着いた。12:24。

雨がぱらついていた。札幌で見た天気予報では午後から回復だったので、傘もカバンと一緒に駅のコインロッカーに入れて駅構内を出た。

釧路湿原展望台方面行きのバスに乗った。展望台に着くとかなり雨が強くなっていた。傘を持って来るべきだった。雨のせいで湿原の様子がよくわからない。

釧路駅に戻った。今日の宿はサンルート釧路である。駅のすぐそばであるが、繁華街からは離れている。駅前の長崎屋の1階で、おこわが600円のところ夕方なので400円に値引きされていたので買った。

夕食を食べに行くのに、寒い釧路市街を歩いた。

かに飯、かにサラダ、かに甲羅揚げ、酒で合計2500円。

ホテルの部屋の中は暑かった。

 


1992年4月26日-5月1日の北海道旅行の記録 [3]

2024-04-13 15:35:30 | 日記

[3] 1992年4月28日 旭川から稚内に行く

朝、ホテルから旭川駅に向かう途中にミスタードーナツとマクドナルドがあった。どちらにするか迷って、ミスタードーナツにした。


急行礼文 旭川8:49発 稚内12:45着で稚内に行く

旭川駅の改札口にはすでに十数人の列ができていた。この人たちまさか全員稚内行きに乗るわけではないだろう、と思っていると、「ただいまより、網走行き特急オホーツクの改札を行います」というアナウンスがあった。それで半分ぐらいの人が改札を通って行った。

しばらくして稚内行き急行礼文の改札がはじまった。改札を通ってホームに上がると、列車はすでに来ていた。2両編成のディーゼルカーだった。禁煙車の方に入り、席をとった。この車両には指定席か自由席かの表示がない。この車両は自由席だろうな、と考えていたらわかった。この列車は自由席しかない。

出発までにかなり乗ってきた。7割ぐらいの埋まりようだった。

窓際の席にはテーブルもポケットもなかったので、ディスクマンは隣の席に置いた。ディーゼルカーはうるさい。それに良く揺れる。やはり客車が良い。

北海道の列車らしく窓は二重窓になっている。窓から駅弁を買うのは面倒そうだ。


稚内駅から宗谷岬に行く

12:45に稚内駅に着いた。もう少し大きいターミナル駅を想像していたが、線路1本だけの小さい駅だった。ホームのすぐ先でレールが終わっている。

駅舎を出ようとしたら、初老のおじさんが立っていて、観光案内をするからわからないことは聞いてくれと言っていた。そこで、宗谷岬ヘはどうやって行けばよいか聞いてみた。今は観光シーズンではないので宗谷岬に行くバスの本数が少なく、次のバスは16時とのことだった。それまで市内を見て回ったらどうか、とのことだった。バスの本数が増えるのは5月1日からそうだ。

タクシーで宗谷岬まで行くとどうか、と聞いてみると、タクシーだと往復で12000円ぐらいかかるそうだ。そんなにかかるとは。

そこで、レンタカーを借りたらどうかという提案があった。ちょうど近くにいたおじさんがレンタカー屋の人だった。ところが、そのおじさんの店もレンタカーは5月1日から営業だそうだ。ここでちょうど良いところに日産レンタカーのお兄さんが通りがかった。

「おまえさんのところの小さい車、空いてるか?」とおじさんが聞いた。「パルサーですか、空いてますよ」とお兄さんが答えて、日産レンタカーでパルサーを借りることになった。7200円である。12000円に比べてずいぶん安くなった。

観光案内のおじさんが、「宗谷岬はここより北だから寒いよ」と言った。そんなに違うわけないだろうと思っていたが、宗谷岬まで来ると本当に稚内市街よりも寒かった。

宗谷岬までの道の横に線路があったが、その上を小学生が歩いていた。何かと思って後で調べたら、天北線の廃線跡だった。

宗谷岬は気温が低いうえに風が強くて寒い。

宗谷岬付近の店で北海ラーメンを食べている間に観光バスが2台やってきて、おばさんの観光客を大量に吐き出した。日本最北端の碑の所に列を作り、順番にその前に立って写真を撮った。観光地では観光客はみな同じことをする。

観光バスのおばさんたちは、土産物屋や軽食の屋台をひととおりまわったあと、観光バスに乗り込んで去って行った。屋台の食べ物がほぼなくなっていた。イナゴの大群のようだ。

稚内市街に戻り、レンタカーを返した。定食屋で夕食をとった。うに・いくら丼、2500円。高いが美味かった。


急行利尻 稚内22:03発 札幌6:00着で札幌に戻る

稚内駅の待合室で油断していたら、改札口にすでに長い列ができていた。すぐにその後ろに並んだ。改札がはじまって列車に乗った。座れないことはなかったが、自由席禁煙車のドア近くの席になってしまった。特急だと自動ドアなので良いのだが、急行の古い車両は自動ドアではない。ドアを通る乗客の約半分はドアを閉めずに過ぎて行く。ドアが開いていると騒音が入ってくるし、この時期でもまだ外の冷気が入ってくる。結局ドアに一番近い席の人がドアを閉める役になっていた。

明日は休日だからだろう、学生らしい乗客が多かった。

今朝の稚内行き急行礼文は垂直ボックス席ではなかったがリクライニングしないシートだった。この利尻はディーゼルカーだったが客車のはまなすとおなじような、リクライニングするシートだった。少し快適だった。

23時になったら車内の照明が半分ぐらい消えて暗くなった。寝ろということか。

 


1992年4月26日-5月1日の北海道旅行の記録 [2]

2024-04-12 19:33:54 | 日記

[2] 1992年4月27日 札幌市内をまわてから小樽に行って旭川まで移動する

朝の6:18に札幌駅に着いた。とりあえず駅構内のハンバーガー屋で朝食をとった。

とりあえず時計塔を見に行った。まだ朝早いのに他にも観光客がいた。一組が時計塔の前でポーズをとって記念写真を撮った。次に来た別の一組が時計塔の前で同じポーズをとって記念写真を撮った。有名な観光地では、観光客はみな同じことをするのだ。

藻岩山ロープウェイの営業開始時刻まで、大通公園などをぶらついて時間をつぶした。それから市電に乗って藻岩山ロープウェイの乗り場の最寄り駅まで行った。市電はのんびりしていてとても良い。

藻岩山ロープウェイの乗り場は、かなり急な上り坂の上にある。その横の売店では、「雪印特殊アイスクリーム 当店だけで販売」という看板があった。「特殊アイスクリーム」とはどういうものか食べてみたかったが、寒いのでやめた。

ロープウェイの往復切符は1400円。

山頂展望台までは、ロープウェイからリフトに乗り継がなければならない。スキー場などでリフトに乗りなれている人は大丈夫だろうが、リフトに乗ったことがない人は怖いと思うのではないだろうか。

山頂展望台の望遠鏡は無料であるが、古いものはレンズの中にカビが生えていた。


快速いしかりライナーで札幌から小樽に行く

札幌から小樽行き快速いしかりライナーに乗った。

旧式の車両だ。車内の半分がボックス席で残り半分がベンチ席だ。ボックス席はやはり埋まっていて、ベンチ席が空いていたので座る。出発時刻までにかなり混んできた。

手稲から小樽の手前まで眠った。やはり座席の夜行列車では寝不足だった。

小樽駅構内のそば屋のおすすめ品は「うにそば」だった。他の一般的なそばとうどんは300円前後だが、うにそばは500円である。せっかく来たのだから注文した。ふつうのそばの上にうにが乗っただけのものだった。食べているうちにうにが汁の中に分散していった。
小樽から快速マリンライナーで札幌に戻った。マリンライナーは新しい車両だった。良いシートで配置も全然違っていた。乗り心地も静かさも行きの旧式電車と全然違って快適だった。


特急スーパーホワイトアロー15号 札幌15:00発 旭川16:20着で旭川に行く

札幌駅で一旦改札を出て、コインロッカーから荷物を取り出し、再び駅のホームに向かった。

改札口前のコンコースにCDの安売りワゴンが出ていた。わざわざ旅先で買うこともないと思いながら、ビートルズのCD3枚組を買った。

ホームに上がると、自由席禁煙車のところに7、8人の列ができていた。この数だと余裕で座れる。その後ろに並んだ。

特急列車が来た。派手な電車だ。先頭の列車名の表示が電光掲示板になっていた。

車内に入った。シートがゆったりしていてきれいで大変快適だった。窓も大きくて気分がいい。新幹線の車両のように、車両端の通路のドアの上に掲示器があって、発車時刻や途中停車駅などを表示していた。それによると、この車両はグッドデザイン賞をもらったそうだ。

4列席の窓がわ両端にひとりずつ座るぐらいの乗車率だった。席で文庫本とディスクマンとさっき買ったCDを出してくつろぐ。靴を脱いでくつ下で足かけに足をかけた。すると足が臭かった。思えば昨日の朝に家を出てから夜行列車も含めて乗り継いできたので、服もくつ下も替えていない。足を出しておくと臭いので靴を履いた。

「滝川」は「たきがわ」でなく「たきかわ」だった。

旭川で、旭川東急インに泊まった。駅からかなり遠かった。

今夜の夕食は、道産牛ステーキのコースで3500円だった。うまかったが量が少ない、