毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (2)

2018-10-25 19:16:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (2)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/7/9 Santa Clala→大阪


2、ユナイテッド航空 サンフランシスコ発大阪関西着のチェックイン

サンフランシスコ空港のAVISレンタカー会社の送迎バスに乗ると、運転手がどの航空機に乗るか聞いた。隣にいた人がアメリカンと言った。私はユナイテッドと言った。しばらくしてバスが出た。空港の出発ロビーのある建物まで行った。2階だった。下の1階は来た時に迎えの車を待っていた場所だ。

バスが止まって運転手が航空会社の名前をずらずらと言った。ユナイテッドとは言わなかったような気がしたが、なんとなく降りてしまった。入り口に航空会社の名前が掲示されていたが、ユナイテッドはなかった。どうやら一番端で降りてしまったようだ。しかたがないのでスーツケースをひいて歩いた。しばらくしてようやくUnited(International)の表示が見えた。

ユナイテッドのカウンターは2つだけ開いていて、5、6人が列を作っていた。とりあえず並んだ。非常に早く着きすぎた。8時30分だ。関空行きは13時発だ。開いているカウンターの上の表示がLondonと出た。隣がNaritaでその向こうがOsakaだ。Osakaのところに行ったが、係員は誰もいない。確かに早すぎる。しばらく待っていると、東洋人の女性が「Can I help you?」と言ってきたので、大阪行きのチェックインをしたいと英語で言った。すると、成田行きのところに来るように言われた。成田行きのカウンターでチケットとパスポートを出すと、「おひとりですか?」と日本語で聞かれた。なんだ、日本語ができるのか、と思っていたら、横にいた東洋系のおばさんと日本語で世間話を始めた。日系人だったのだ。

荷物を預けるときに、荷物はずっと自分で管理していたか、誰かから預かっているものはないか、と聞かれた。最初は何のことかわからなかったが、麻薬などの密輸に利用されていないかどうかの確認の意味なのだろう。

チェックインを済ませて荷物も預けたので、搭乗時刻まで暇になった。免税店に行ってお土産を見た。免税店は4つあった。1番大きくて品揃えが豊富な店は、店内に入っただけで、ここは免税店だから搭乗券を見せろと言ってきた。感じ悪いのでそのまま出て、他の店に行った。他の店は搭乗券を見せるのは金を払うときだけだ。それが当然だ。さっきの店は東洋人だと思ってバカにしていたのだろうか。

サンフランシスコなのでケーブルカーのおもちゃを買おうかと思ったが、ここでもおもちゃはMade in Chinaだった。サンノゼのショッピングモールの中のおもちゃ屋でもほとんど中国製だった。中国製品は世界を支配している。

朝日新聞が売っていたので買った。新聞は日本の駅で買うと120円だが、サンフランシスコ空港で買うと3ドルだった。非常に高い。

セキュリティーチェックを通った。4つのチェックゲートがV字型にならんでいたので、荷物を通したところと別のところに入りそうになった。