毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1997年6月-7月のアメリカ行き-行き (5)

2018-10-18 18:57:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-行き (5)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/6/29(日) 大阪→Monterey

5、ユナイテッド航空のB747-400はサンフランシスコ国際空港にやっと着陸した。

何かの本でうまく着陸したら客室内に拍手が起こると書いてあったが、この飛行機では拍手はパラパラだった。日本発の便ではこのような習慣はないのだろうか。

飛行機が止まったとたんに荷物を出して通路に並びはじめるのは日本の国内線だけかと思ったらこの便でもそうだった。どうせこのあと荷物の受け取りと入国審査で時間がかかるのだから、ここで少しだけ早く出ても意味が無いと思うのだが。

空港の建物に入ると、まず手荷物受け取りを待った。英語と日本語の両方でアナウンスがあるので荷物が出てくる場所を間違えることはなかった。日本だとベルトコンベアの上にどの便の荷物か表示があるのだが、サンフランシスコ空港にはなかった。全体の情報を表示する画面に、何便の荷物はどこという案内が出るだけだった。かなり待って、終わりのほうになってやっと自分のスーツケースが出てきた。

次は入国検査だ。6列ぐらいあるうちの、最も流れていそうな列についた。2~3人はすぐに動いた。しかしそこで審査官が交替した。とたんに流れが悪くなった。隣の列は今までなかなか進んでいなかったが進みだした。これは不運だ。

館内放送で「Chinese speakerは〇番へ」、「Korean speakerは〇番へ」、というアナウンスが何度も流れた。中国や韓国の人で英語ができない人が多くいるようだ。

30分ぐらい待ってやっと自分の番が来た。パスポートと帰りのチケットと入国カードを出した。審査官は30台後半ぐらいの女性だった。何か書き込んでホッチキスでとめた。「カンコーデスカ、シゴトデスカ?」と日本語で聞いた。「カンコーです」と答えておいた。空港を出るまでほとんど日本語でOKなのだ。

自分の番はすぐに終わった。今までなぜこんなに時間がかかっていたかは全くわからなかった。それから税関があったが、申告するものがないので、申告する物が空欄の税関のカードを渡しただけで通った。空港を出るまで日本語だけで問題はなかった。