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2/18第7回ジュゴンオンラインセミナー「佐喜眞美術館より ~沖縄戦の図と普天間基地~」報告

2024年03月24日 | 活動報告
たいへん遅くなりましたが、2月18日のジュゴンオンラインセミナー
「佐喜眞美術館より ~沖縄戦の図と普天間基地~」の報告です。

沖縄県宜野湾市にある佐喜眞美術館は館長の佐喜眞道夫さんが
「心静かに“もの想う場”をつくりたい」と、普天間基地に接収されていた
先祖代々の土地を取り戻して1994年に建てた美術館です。


かつて、普天間から首里に続く街道沿いには、見事な松林が続いていたのですが、
沖縄戦でほとんどの松の木が鉄の暴風で吹き飛び、残った木も米兵がすべて切り倒してしまいました。


米軍は戦争しながら、基地建設を進めていきます。
家も墓地も木も、米軍によって引きならされフェンスに囲まれてしまいます。
写真は、フェンスの外から地域の拝所(うがんじゅ)を拝んでいるところです。


佐喜眞さんは接収されていた先祖代々の土地を取り戻すため、那覇防衛施設局(当時)に
3年以上通い詰めますが、なしのつぶて。
そこで地元宜野湾市の桃原正賢市長や比嘉盛光企画部長に協力を求めると
在沖米海兵隊の不動産管理事務所長ポール・ギノザさんを紹介してくれました。
沖縄系移民3世のポール・ギノザさんは「美術館が出来たら宜野湾はよくなる」と
1回の会談で土地の返還をOKしてくれたのです。
「あんなところ(日本政府)に話をしたってだめだよ」とポール・ギノザさん。
日米安保条約は対等の関係ではなく、従属の関係であることが
ありありとわかった出来事でした。


佐喜眞さんと、地元の市長さんたち、沖縄にルーツのあるポール・ギノザさん。
佐喜眞美術館は、沖縄を思う3つの心が奇跡の化学変化を起こして出来たのです。
上の写真は、基地に食い込むように建てられた佐喜眞美術館(赤線が基地の境界)。


佐喜眞美術館は、「原爆の図」でも知られる丸木位里、丸木俊夫妻の
「沖縄戦の図」を展示するために設計されました。


6月23日の慰霊の、祈りの日。その日にちなみ、6段と23段でつくられた屋上の階段。
夏至の日には夕日が窓に一直線に差し込みます。



「沖縄戦の図」を描くために沖縄にやってきた丸木夫妻のもとには、
多くの人が集まってきて沖縄戦の体験談を語ったそうです。
またその方たちがモデルになって、沖縄戦の図が描き上げられました。
島ごとに異なる着物の柄も忠実に再現した細かい描写に
「沖縄の人にしか書けない絵だ」と言われるほどです。
“戦争をみんなで記憶し、描いた「沖縄戦の図」は、「命どぅ宝」の思いを可視化したもの。
沖縄の思いが世界に通ずる言葉になった”と佐喜眞さん。


「沖縄戦の図」を全国の人に知ってもらいたいという思いで
昨年、映画『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』が作られ、
2023年キネマ旬報の第3位に入り、全国で上映されました。
ミュージアムショップで、DVDを購入することもできます。

佐喜眞美術館での沖縄戦の図全14部の展示は、3月24日に終わりましたが、
いつも何作かは常設展示されています。
沖縄島を訪問される際は、ぜひお立ち寄りください。

ZAN

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