3年前の2004年8月13日、沖縄国際大学に普天間基地所属のヘリコプターが
墜落しました。大学の校舎の壁が焼け焦げ、付近の民家にヘリのローター
部分が落下するなど、大惨事になりかねない事故でした。
現場はすぐに米軍に閉鎖され地元の警察さえ入れず、現場検証することが
出来ませんでした。この事故は普天間飛行場は欠陥基地であること、
そして沖縄が今なおアメリカの占領下にあることを明らかにしました。
2004年9月12日には宜野湾市民大会が開催され、3万人の市民が
米軍ヘリ墜落事故への抗議、普天間飛行場早期返還を決議しました。
また、翌2005年5月15日には、普天間の早期返還と辺野古への
基地移設に反対する「普天間包囲行動」が、全国から集まった24000人の
人間の鎖によって成功しました。私たちSDCCスタッフも鎖のひとつ
として行動に参加しました。上の写真はそのとき訪れた沖国大の壁です。
SDCCは佐喜真美術館のそばで行動に参加しました。
(よく見るとオールドバージョンのジュゴンちゃんの姿が・・・)
ところが、3年たった今も普天間の返還の見通しはたっていません。
そして、米軍車両 また学校進入/うるま市 前原高校 (8/7沖縄タイムス)
のように学校への米軍車両侵入など、米軍による事件・事故は後を絶ちません。
事故から3年。沖国大の黒い壁は撤去されましたが、事故のことを
忘れることは出来ません。今週の土曜日8月11日に、大阪駅前の陸橋上で
「沖国大ヘリ事故3周年 普天間の即時閉鎖と辺野古の新基地建設反対」の
街頭行動を行います。お時間ある方、近くに来られる方、ぜひ寄ってください。
TA-KE
墜落しました。大学の校舎の壁が焼け焦げ、付近の民家にヘリのローター
部分が落下するなど、大惨事になりかねない事故でした。
現場はすぐに米軍に閉鎖され地元の警察さえ入れず、現場検証することが
出来ませんでした。この事故は普天間飛行場は欠陥基地であること、
そして沖縄が今なおアメリカの占領下にあることを明らかにしました。
2004年9月12日には宜野湾市民大会が開催され、3万人の市民が
米軍ヘリ墜落事故への抗議、普天間飛行場早期返還を決議しました。
また、翌2005年5月15日には、普天間の早期返還と辺野古への
基地移設に反対する「普天間包囲行動」が、全国から集まった24000人の
人間の鎖によって成功しました。私たちSDCCスタッフも鎖のひとつ
として行動に参加しました。上の写真はそのとき訪れた沖国大の壁です。
SDCCは佐喜真美術館のそばで行動に参加しました。
(よく見るとオールドバージョンのジュゴンちゃんの姿が・・・)
ところが、3年たった今も普天間の返還の見通しはたっていません。
そして、米軍車両 また学校進入/うるま市 前原高校 (8/7沖縄タイムス)
のように学校への米軍車両侵入など、米軍による事件・事故は後を絶ちません。
事故から3年。沖国大の黒い壁は撤去されましたが、事故のことを
忘れることは出来ません。今週の土曜日8月11日に、大阪駅前の陸橋上で
「沖国大ヘリ事故3周年 普天間の即時閉鎖と辺野古の新基地建設反対」の
街頭行動を行います。お時間ある方、近くに来られる方、ぜひ寄ってください。
TA-KE