TV「カンブリア宮殿」で文具店伊東屋の五代目、伊藤社長が出演していた。「シンプルであること」について、興味深い話があった。一種の「モノづくり」文化論である。モノを長く使ってもらうためには、飽きが来ないことが重要。飽きが来ないということは、即ち長く使ってもらえるということにつながる。その点で、シンプルであることは、飽きるポイントが少ない、飽きるポイントが減るということである、というのだ。更に、シンプルであることは=部品点数が少ない。そのために故障が少なく、修理、メンテナンスが簡単、且つ易しいことにつながるという。実際の文房具売り場の現場から、或いは工業デザイナーの視点から、この言葉には確かな重さがある。
或る魅力的なポイント(機能)を極限に簡素化(シンプルに)した時、それは愛着の持てる素敵なオリジナルになる。考え方として、或る形、機能のアイデアがあったとする。例えはあまりよくないが宝石の原石のようなものだ。これを不要なものを削り落とし、磨きに磨いて単純化してゆく。そして遂には一切の余計なものを排除したダイヤモンド(宝石)になるのである。
昔、ライターのZippoをちょっと研究(そんな大げさなものではないが)したことがある。極めて原始的なモノだが、今でも使用している人は多い。ということはZippoを凌駕するモノが未だ出来ていない、見当たらないということでもある。勿論、100円ライターの存在は大きい。しかしZippoは使い捨てではない。「長く使ってもらえる」モノなのだ。
「私ならこうする」、ということでZippoを凌駕するライターを考えてみた。ところが、部品点数の少なさ、単純さ、機能的な美しさ、外装の無限とも言える応用力の高さ、堅牢性、携帯性、安全性、製造コスト、ちょっと考えたくらいでは到底及ばない。一点の改善の余地もないモノであった。考えれば考えるほど、その部品一点一点の完成度の高さ(シンプルという極限に達していること)に恐れ入ったのである。
1933年以来82年、その生産過程では、幾多の変遷があり、現在の形になったのかも知れないが、そのベーシックな部分ではいささかの揺らぎもなかったのではないだろうか。Zippoはモノ作りの原点を教えてくれる。そしてその象徴のようなモノでもある。
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