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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

菅谷中学校建築委員が選任される 1949年8月

2009-10-11 22:22:00 | 1949年

  菅谷中学校建築委員
〔菅谷〕○▼米山永助、松浦高義、根岸巷作、根岸寅治、▼中島照三、島本虎雄、関根長倭、福島秀雄、田幡順一、関根清一
〔川島〕○森田清、田幡林太郎、権田喜惠知
〔志賀〕◎大野幸次郎、出野好、高橋亥一、根岸伝七、内田酉蔵、八木原文吉、
  内田富蔵、清水菊次
〔平沢〕○小林久、奥平春吉、内田茂、小林忠一、内田弥十郎、内田清
〔遠山〕○▼吉野賢治、栗原弥之助、山下清治
〔千手堂〕○瀬山修治、関根茂良、吉野松蔵、高橋正忠
〔鎌形〕○杉田武平、山下欣治、星野久治、小林茂平、○▼加藤武作、杉田麻造、小峯武作、内田直一郎、簾藤国平、杉田庄次郎
〔大蔵〕○金井元吉、山下光太郎、山下正、金井親治、大沢久三、野口民吉、富岡軍造、金井示夫、金井倉次郎
〔根岸〕○小沢多造、福島新三郎
〔将軍沢〕○福島楽、福島愛作、忍田忠次郎、秋山勝治
   (註)○印は常任委員、◎は委員長、▼は専門委員
  昭和二十四年八月二十九日臨時村会に於て選任

   『菅谷村報道』5号 1950年(昭和25)8月20日


自由民主党菅谷支部が結成される 1959年2月

2009-10-09 23:17:12 | 1959年

   自民党菅谷支部結成
     支部長に内田幾喜氏、幹事長に杉田角太郎氏
 自民党菅谷支部の結成大会は二月二十二日午前十時から菅谷中学校講堂で開かれ、支部長に内田幾喜氏、幹事長に杉田角太郎氏を選任すると共に、その他の役員を決定して午後十二時半閉会し、懇親会を行った後散会した。
 この日は、小林英三、大沢雄一の各参議院議員、山口六郎次衆議院議員、横川重次前代議士、田口勘造県会議員などが来賓として出席。杉田角太郎氏の司会で開会し、中村常男氏の経過報告の後、議長に田畑周一氏を選出し、規約の審議、役員の選任が行はれた。
 次いで宣言を発表、来賓の祝辞があって会を閉じた。宣言、役員は次の通り。

 我々は日本国憲法の下に民主主義社会の実現を期すると共に日本が厳然たる独立国家であることを認識して、自由と正義に基く平和日本建設の偉業を達成せんことを期し、ここに新しき時代の希望と信念に燃ゆる同志を糾合して自由民主党菅谷支部を結成する

  役員
支部長 内田幾喜
副支部長 井上清 山岸宗朋
総務会長 田畑周一
総務 青木高、米山永助 森田与資 市川武市 安藤武治 大塚禎助 栗原彌之助
幹事長 杉田角太郎
副幹事長 中村常男
会計 福島秀雄 市川紀元
幹事 根岸巷作 森田清 滝沢安雄 吉野松造 吉野栄一 小林森久 阿部富育 小久保富造 千野良之 飯島文八 千野忠介 小林辰見 藤田正作
顧問 栗原侃一 田畑順一 荻山忠治 関根茂良

   『菅谷村報道』98号 1959年(昭和34)4月15日

※自由民主党菅谷支部結成について批判の投稿があり、『菅谷村報道』106号に「自由党支部結成に疑問」として掲載されている。


伊勢湾台風で被害が出る 1959年9月

2009-10-08 20:33:52 | 1959年

   台風対策臨時村会 十月三十日招集
 九月二十六日夜半本土を襲った伊勢湾台風は、本村にも、家屋倒壊、破損等、広範囲な被害を起したが、村では、二十七日職員を臨時召集して被害調査、更に各字区長に依頼して部内の被害状況調査の結果、略被害の全ぼうが明かになったので、三十日臨時村会を開いて、この対策を協議した。
 この結果、学校、役場、駐在所等の公有財産の復旧のため、二十万円、村民住宅付属建物等の被害に対して十万円の支出をすることに決定した。
 尚被害は、家屋全壊三、半壊十、物置等全壊三十である。
 又、土木産業委員会では、九月二十八日村内被害状況jを視察したが、土木関係の被害は軽微であることが判明した。
     『菅谷村報道』104号 1959年(昭和34)10月12日

※伊勢湾台風については菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』11号(1960年3月)に、2年生の作文「あらし」がある。
伊勢湾台風50年事業実行委員会伊勢湾台風概要」。
防災科学技術研究所自然災害情報室伊勢湾台風50周年特別企画展」。


菅谷地内で県道の舗装が始まる 1958年度

2009-10-04 22:57:00 | 1958年

 武蔵嵐山駅前通りの舗装実施請願書 1960年(昭和35)8月
   【埼玉県議会への】請願書
             紹介議員
               小久保太郎
               戸口当正
一、要旨
 比企郡菅谷村地内県道玉川武蔵嵐山停車場線の一部(駅前通り二〇〇米)に舗装工事を施して戴きたく請願します
二、理由
 本村大字菅谷は県道鴻巣小川線、川越児玉線、玉川武蔵嵐山停車場線、大椚熊谷線の四路線が集中通過し東上線武蔵嵐山駅が存在して比企中部交通の要衝(ようしょう)となっております。従ってこの地区は本村並に隣接地区の政治、経済、教育、文化等住民生活の各般に亘(わた)りその中心地となっており、役場、銀行、農協、郵便局、学校、その他重要施設が全部この地に設置されております。為にこの地区の交通量は極めて多く、県道は殆んど人車往復の絶間がありません。仍って先年当地区並びに近隣住民の強い要望によりこの地区県道の舗装をお願い致しました処、早速お採(と)り上(あげ)下され昭和三十三年度以来*継続施工下され、市街地内鴻巣小川線の大半が舗装され、地区民及び一般交通者が多大の恩恵に浴しておりますことは衷心(ちゅうしん)より感謝申上げる次第であります
 然るに当地区県道中武蔵嵐山駅から鴻巣小川線に通ずる県道約二〇〇米は地区内の最主要部をなしておるのでありますが舗装の御計画から漏れ未だに砂利道のままでありますので、交通量は最大であるに拘らず有効幅員は狭小となり、交通事故の発生や泥濘(ぬかるみ)、塵埃(じんあい)のため住民並に交通者は甚だしい不安と不自由にに困惑しておる次第であります
 右実情御諒察(りょうさつ)の上何卒本年度に於てこの県道の舗装を実施して戴きたく請願申上げます
  昭和三十五年八月十五日
           比企郡菅谷村長    青木義夫
            仝 議会議長    内田幾喜
            仝 土木常任委員長 坂本幸三郎
            仝 菅谷区長    米山永助

*:県道舗装負担金で臨時村会招集 1959年(昭和34)1月
既報のように、菅谷市街県道舗装工事は、延長二〇〇米、工費百万円で、この程着工となったが、この工事費に対する地元負担金は五〇万円になっているので、これが予算措置のため、一月十二日臨時村会が招集された。会議は午後三時、副議長が議長席について開会。追加更正予算案(第四回)を上程、村長説明の後、協議会に切りかえ、舗装負担金の財源、歳入の寄附金二十万円について協議、結局原案通り承認することとなったが、この寄附金は、議会側では原則として五十万円の半分廿五万円を菅谷地区で拠出するよう要望したが、菅谷では十万円以上は不可能という情況で、両者の間に食いちがいがあり、その調整を村長に委ねてあったが、その後村長は議会側の意見を尊重して二十万円の寄附を歳入に計上して負担金の財源にあてたものである。尚この予算案はこの外七郷地区道路台帳作成費八万三〇〇〇円、干害対策二八万円、農業委員選挙費二万六〇〇〇円、計八八万九〇〇〇円の追加を計上したものであるが、いずれも原案通り可決決定となった。
     『菅谷村報道』96号 1959年(昭和34)1月15日


ともしび 第16号 修養団菅谷支部 1960年7月

2009-10-02 13:15:00 | 1960年

  行事予定について
一、講演会
日時 七月二十二日午后一時半より
場所 七郷小学校講堂
講師 社会福祉事務所長
議題 母と子供の問題
清水福祉事務所長は慶応大学卒業後厚生関係官に多年勤務しこの道のベテランです。

二、英語、国語学習講座開設
中学校生徒を対象にして英語、国語の学習を夏季休業中実施して修養と不良化防止を企画いたしましたから進んで御参加下さいますやうおすすめいたします。
講師 修養団白上舎 山梨努先生
          その他本部員
場所 越畑 金泉寺
会費 若干
後日申込書を作製し詳細をお知らせいたします。

三、東京青年ホームのキャンプについて
修養団東京青年ホームの人達が武蔵嵐山にキャンプを開催いたします。
期日 八月十九日より二十二日まで
例年菅谷支部では歓迎慰問を行って居りますので本年は初秋蚕の最盛期で御都合も御ざいましょうが左記の通り実施いたしますから御繰り合せの上御参加下さい。
 八月十九日 支部旗を持って嵐山駅にて歓迎(時間は後日有線放送にてお知らせ)
 八月二十一日 慰問予定

四、指圧講習
家庭の主婦として又は娘として老人やお姑さんに指圧療法を習って夕食后のひと時を喜んでいただくことは明るい家庭をきづく上に意義あることと存じます。
講師 埼玉県指圧師会長 小高英一先生
日時 見て
講習料 無料
決定次第お知らせいたしますから多数御参加下さい。

五、団体放送について
七月十四日 副支部長 安藤春子
      家政部長 市川みち子
七月二十八日 総務部長 強瀬喜平
       庶務部長 藤野姫作
八月十日 編集部長 福島市平
     同副部長 荒川静子
八月二十四日 会計部長 市川源三
       副支部長 青木金作
九月八日 娯楽部長 飯島信子
     同副部長 船戸りえ
            その他
九月二十二日 白ゆり会班長 関口節子
                その他

六、会費徴収について
修養団菅谷支部では機関誌「ともしび」を発行して会員その他に配布いたして居ります。その紙代及会の運営の費用に当てるため年参拾円の会費をいただくことになっております。
この会費を納入下されば「白ゆり」「向上」等の雑誌をおとりにならなくても修養団員であります。
会員の皆様全体が一人で一人づつ会員の倍加運動に御協力下さい。
会費は七月三十一日までに会計係に御納入下さいますよう各班長さんにお願い申上げます。

七、新入会員
千手堂 関根ふじ
    瀬山よし
    高橋たみ
    内田とも
越畑  市川ふみ子

◎おもいのままに
      太郎丸 荒川静子
白ゆりを 読めば母まで のぞきこむ
ねむの花 昼のつかれを 忘れさせ
たそがれに ほんのりと咲く ねむの花
昨日まで 麦田も今日は 青田かな
耕うん機 進むエンヂン 勇ましく

◎縁あって
お互いに縁あってこの世に生れてきた。
そして、縁あっていろいろの人とつながりを持っている。縁あって……何だか古めかしい言葉のようだけどそこにまた一つの深い味わいがひそんでいるように思える。
人と人とのつながりというものは、とかく人間の個人的な意志でえたと思い易いもので、だからまたこのつながりは、自分ひとりの考えで、いつでも断てるように考えやすい。
だが、本当はそうでない。実はそこに、人間のいわゆる個人的な意志や希望を越えた一つの深い縁の力が働いているのである。
そうすれば、お互いにこの世の中における人と人とのつながりを、もうすこし大事にしてみたい。不平や不満で心を暗くする前に縁のあったことを喜び合い、その喜びの心で誠意と熱意をもって、お互いのつながりを更に強めていきたい。
そこから暗雲をも光明に変えるぐらいの力強い働きが生れてくるのである。

  あらそいは勝ってもまけても
     人の心に深い傷を残していく

   修養団菅谷支部発行『ともしび』第16号
        1960年(昭和35)7月11日発行