S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「個人HP」と「個人のブログ」

2005年07月10日 | インターネット雑記
ブログというものが無い頃、個人HPを訪問する際に、なんというかめんどくさくなって、結局そのコンテンツを見ず仕舞いでページを閉じるということがたまにあって。
コンテンツが膨大なところ、なんですけどね、こういう場合は。
興味のあるところだけ開いて読んでいて、その前後関係がわからない話があっても、サイト主にとっては「すでに言ったことでしょ」という感じで、閲覧者はそのよくわからないことを解決するために、サイト内のページをくっていかなければならなくなることがある。
その場合、どこにそのわからないネタの「発端」があるのか、最初から読んでいくか、カンで探しあてるかという選択しか無い。
これ、読みやすいところはいいのだけれど、苦痛な場合もあるんですよね。
興味あるとこだけ読んじゃダメ?と思う。
トレイにのっている献立に関して「食べたいものがあったら、出された全てを食べなければならない」という感じで。
それって、見ようによっちゃ、苦痛でもあるわけです。
食べたいとこだけ、食べたいよ、と。

ブログはいいですよ。
ひとつひとつの記事が、「独立して存在している」感じがする。
トラックバックもコメントも記事単位だし、検索にも一個の独立したページとして記事単位であがってくる。
個人HPの場合は、一度トップにいってみなきゃ構成がわからないこともあるけれど、ブログにはそれが無い。
ひとつの記事を検索で見つけて、そのブログに関心を持ったときに、関心をもった記事と同じ分野の他の記事を読みたければ、同じカテゴリをクリックすれば出てくる。
ブログ内検索なんて窓もついてるので、ひとつのワードに対して「その人がその言葉でどんなことを記載しているか」ダイレクトに検索できたりする。
ひとつのブログを持っている人の「要素」の中で、自分の欲しいものだけ抽出することができるという機能があるんですよね。

人によって感覚はそれぞれ違うと思うのだけれど、わたしは記事上げするときに、いつも前提とすることがあって。
それは、「その記事に初めて訪問する人が、その記事だけで完結した感想を持てるようにするということ」。
過去記事とつながりがある場合は、そのつながりのある記事をリンクさせる。
全体で「前提とすること」に関しては、タイトル部とプロフに記載しておく。
それがブログというツールの持つ傾向に合わせた記事上げというものなんではないかと思うのですよね。

「連載」のひとつととらえるか、「読み切り」ととらえるか、その決定の選択権は、閲覧者にある。
そのことが、「自由な感覚」を与えてくれる。
ブログって、そんな感じ。

だからって、個人HPが悪いってことじゃない。
言いかえれば、個人HPが数年にわたり「生き残る」ためには、コンテンツの力がいる。
ブログという場所で、そんな「力のある個人HP」の紹介なんぞということも、わたしはやってみたい。