S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
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ピックアップ

2013年12月30日 | ブログ紹介
「こころ」に関して
  ☆宛名の無い手紙☆
  ☆存在する壁に対しての解決法と気持ちの持ち方☆
  ☆受容と共感☆
書籍紹介
  ☆「障害を知る」書籍紹介☆
  ☆ダウン症児の親のための「初めての書籍」紹介☆
  ☆「ぼくのお姉さん」☆
障害児のきょうだい児に関して
  ☆「不平等」のススメ☆
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見えてくる人の姿:その2

2007年04月01日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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 ブログの動きから生まれたこの書籍は、ブログの動きにそった内容だけではなく、書籍のために用意された内容も掲載されています。そうした内容の中に、著者による特別インタビューがあります。
 ブログという言葉に惹かれて作ったブログが生み出していった動きと人々の力というものを実感として体験し、発達障害者支援法の立役者であるお二人に直接お話を聞く機会を得ていく。
こうした著者の姿がまず、ここで見えてくる一人の人間の姿だと思います。

 インタビューの対象となっているのはお二人。お一人は衆議院議員 福島豊氏、そしてもうお一人は厚生労働省福祉専門官 大塚晃氏です。

 福島豊氏に関しては、ウィキペディアでこんな風に紹介されています。
発達障害の子を持つ親として「発達障害の支援を考える議員連盟」事務局長を勤め、2006年施行の発達障害者支援法制定に尽力した。
福島 豊(ふくしま ゆたか)/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(発達障害者支援法の施行は2005年)
 このインタビューの中で、発達障害者支援法に関しての話だけでなく、著者と福島氏との間で障害をもつ子の父親同士としての会話が交わされています。そしてこの「発達障害の支援を考える議員連盟」ができる発端やその動きについて、とても具体的に語られています。どこか遠くでなにやら話し合われているように思われること、でも実は人間が人間の思いをもって対しているのだということがよくわかる。

 また、もうお一人。大塚晃氏。まず冒頭でご自身のお子さんに関して「軽い肢体不自由を伴った重度の知的障害」という言葉を使って説明されています。
 厚生労働省に入られる前のお仕事は、知的障害者施設の指導員をされていたと。そしてその中で行動障害について関心をもち、考察を続けられていたこと。そのことが厚生労働省に入られてから、どんどん具体的な思考につながっていっていることがお話の中に見えてきます。

 このお二方のインタビュー。いわゆる「議員さん」や「お役人」ではなく、その方の人生の背景が見えてくるような、そんなインタビューになっています。
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見えてくる人の姿:その1

2007年03月30日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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「祝杯にはまだ早い:発達障害者支援法の出発点を確認する」 (カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル2004年11月21日)

 このエントリ、申し訳ないのだけれど、web上ではとても読みにくいものになっています。これはリアルタイムでどんどん状況が動いていった証拠。ここからわかりやすく抜き出すと以下のようになります
【意見募集】
「なぜ、発達障害者のための支援法が必要なのか?」
 みなさんの声をコメント欄にお寄せください! 
「自分はこういうことで困っている。支援を必要としている」という本音でお書きください。
※お立場を必ずご記入ください(例)「5歳自閉症児の保護者」「保育士」など
 期限は(短いですが)、11月23日(火)夜10時まで。
 日本自閉症協会を通じて、国会議員の先生方にお届けしたいと思います。
 ご協力よろしくお願いします。
 このエントリのコメント欄の数。たったの3日間でのコメント数100越えはいわゆるアラしじゃないですよ、主旨に賛同した重要な「声」。
 この声は「意見書」として以下の方々に郵送されます。(2004年11月25日参照)
 (1)衆議院内閣委員会の委員 全員 
 (2)参議院内閣委員会の委員 全員 
 (3)発達障害を支援する議員連盟 全員 

 この辺の経過が書籍では非常に整理されて掲載されています。意見書に関しては、ライフステージに沿った抜粋版が書籍には掲載されています。
 ここには人が見える、様々な姿で人が見えてくる。この人の姿を見たときに、以下のエントリがとてもよくわかってくるわけです。

すべての涙が乾くとき~発達障害者支援法成立


 このエントリの本文中の「シートベルト」という文章。これが書籍ではきれいに見やすい形で記載されている。そしてこの文章の存在がとても生きている。これも書籍の強みでしょうね。
 そしてこの「シートベルト」という文中にある「『うっかり死んだりしない』と、ゆびきりゲンマン♪ 『続き』を一緒に見ていこう。」という約束が、ブログでも書籍でも生きていくこと。このことの意味はとても大きいと思いますし、書籍ではさらに時を越えてこの約束の力の意味が生き続けると、わたしは思います。
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ブログの力:その2

2007年03月28日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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発達障害者支援法成立までに動いたブログの力

1.発端

 ・自閉症などの早期発見や支援、政府・与党が総合対策を検討
 ・復活~発達障害者支援法の成立キャンペーンを開始!

 これがスタートの動きです。この後、「キャンペーン」と銘打った「みんなで動こうよ」という提案が幾度となくこのブログから発信されていきます。
必要なのだ、みんなに必要なのだ、わたしたちはひとりじゃないんだ、と、そうした声が人に力を与え、そしてその力は雪だるま式に大きくなっていきます、このブログを媒体として。

2.具体的な動き

 「発達障害の支援を考える議員連盟」に声を届けようと呼びかけます。これがこのブログが発信した最初のキャンペーン。そのひな形を作って提示もしていきます。
返事も来る、手応えもある、しかし未だ法の成立には届かない。
 ここまででも、ブログを媒体として動いた力は感じるのですが、ここから、ですね、ドラマの展開は。さらにどんどん加速するかのごとく、雪だるま式の「これをやろう」の提案がこのブログから発信されていきます。机上の論理ではなく、具体的な活動を背景にしながら。
そしてこのエントリに行き着くわけです。

「すべての涙が乾くとき~発達障害者支援法成立」 / カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

書籍という媒体の利点

 このブログを発信をスタートとして動いていった人の力。これは実に重要なドキュメントだと思います。目の前のことをあきらめない、希望をもっていく、希望をもつ力を生んでいく、ひとりではなくみんなで。というひとつの壮大なストーリーとなっています。

 そこでこのカテゴリなのですが。

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル:「発達障害者支援法」の軌跡

 これ、スタートから全文、時系列を追って読もうとすると。
ものすごい量とそしてパワーがありますからね、この「発達障害者支援法」に直接関わりの無い多くの人が読むとは言い難い。またインターネットで文章を読むという習慣の薄い人は、この時点でこの内容を「知る」という機会を得るのは難しくなる可能性というものもある。
 
 ここ、なんですよね、わたしがもったいないと思うのは。
この具体的な動き、人の力が雪だるま式に増えていくということ、このこと自体が「発達障害者支援法」に直接関わりのある人、またこの動きに参加した人のものだけになるのはもったいない。人間のもつ力として、ひとつの事例としてもっと多くの人が知っていいんではないかと思うわけです。

 だからこそ、書籍なんですよね。書籍という媒体が生きる。インターネットで文章を読むという習慣のあるわたしでも、書籍で読む方が全貌を理解しやすいし、楽なんですよね全貌を知ることが。
 
 そして重要なポイントとして、ブログ自体が書籍の資料集になっていくわけです。書籍で提示されるアドレスを開けてみる。そこにそこでリアルに動くパワーをさらに感じたりすることもできる。ブログが書籍の裏付けとして機能する。
 書籍によって、書籍とブログの両輪が生きる。このことも大きいと思います。
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ブログの力:その1

2007年03月27日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
ぼくらの発達障害者支援法

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カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルから生まれる本

 この書籍は、ブログから生まれました。しかしいわゆるブログの書籍化ではない。
この書籍はweb上で展開された、このブログに関わった人たちも含めたブログの力というものが人に希望と力を与えていった軌跡です。その力が集大成となって書籍として読める本です。

ブログってなーに?

 これはカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルというブログが生まれた月、2003年11月に書かれたものです。
 書籍の中ではさらに整理されて、こんな風に記述されています。(「ぼくらの発達障害者支援法」p.9より)
・だれかとだれかがカンタンにつながる(リンク)
・まるごとアイディアや情報を一緒に分けあい、考えられる(シェア)
・社会的な地位や知名度は関係ない(フラット)
・ネットにつながればそのまま時間と空間を越えられる(グローバル)
 書籍本文中でも、ブログ開始当時の文章でも読める「ブログのもつもの」に対して感じた魅力。まず始めてみた、という行動が、その後の展開によって、一冊の書籍を生み出していくことになるわけです。

 さらに、というか。
このブログは現在進行形ですから、書籍出版後というものが現在流れているわけで。
以下の記載も、ブログと書籍とという中での個人のドキュメントの姿なのではないかとも思います。

ブログ依存症からの脱却
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用語もろもろリンク集

2007年03月26日 | 「障害」に関わること
 カイパパさんからトラックバック受信。

つれづれに/カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル
できれば、上記の記事の冒頭に書いてある、「【用語】障害者(2003年12月29日)」からの一連の記事を追いかけてほしい。長くなるけど(^^;
 ほいほい、追いかけましたぜ。以下、リンク集というか、自分にとってのまとめというか。

1.差別用語
 ひとつの用語を作っても、その用語が定着したときにその用語の周囲に差別がある場合、用語に差別的要素が加わっていく流れがあること。
 
 精神薄弱という法律用語からスタートした我が家(平成三年に娘出生)と、知的障害という法律用語からスタートした方と、用語に関しての感覚の違いはあるのか。
 *精神薄弱者福祉法
 *これまでの用語変更事例(精神薄弱から知的障害へ)

 精神薄弱という用語から知的障害への変更は、わたしは「精神」「薄弱」という用語の否定であるととらえる派。用語の変更で差別的認識を全て除外することはできず、差別的認識を解決するための用語変更は、結局いたちごっこになるのでは、と思うところアリ。知的障害という用語の差別的別称としては「ちしょう」「池沼」などがすでに存在。
 自分の生育歴の中で、差別用語であった「かたわ」が「身体障害者」に変わった経緯があり、その後の世代には「身体障害者」を「しんちゃん」と呼ぶ差別用語が生まれている。

2.ノーマライゼーション
 *ノーマライゼーション: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
 この言葉は、施設入所が当然の選択であったという背景の中で、どうして普通の生活ができないのか、という知的障害児の親からの訴えが原点。
 平成三年生まれの娘が乳児期は、障害児の親にとってもたいしてなじみのない用語だった。
 この用語が定着していった背景としての、自分の個人的感覚としては、ハートビル法の登場とからみがあるという記憶。
 *ハートビル法解説(ハートビル法:平成6年に制定された「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」略称)
 *バリアフリー(アクセシブル)/ユニバーサルデザイン関連年表
 これは「国際障害者の10年」との関連性。国際障害者年以前に出生の障害がある子どもと、国際障害者の10年の後に出生した障害のある子どもとでは、育児環境に大きな差があると認識した時期でもあったと思う。
 つまり、建築物として具体的に「バリアフリー」を法令化して打ち出したことにより、「ハードからソフトへ」の流れが生まれ、ノーマライゼーションという言葉の定着に拍車をかけていったと思う。

3.ノーマライゼーションと教育
 知的障害をもつ子の教育において、ノーマライゼーションという言葉をめぐっての論争が起きる。つまり、ノーマライゼーションイコール統合教育として、統合教育を推し進めようとする派と、それを否定する派。知的障害児に教科教育をという提唱をした草分け的存在の茂木俊彦氏が後者で、この関連の著書は多い。
 *「茂木俊彦」「ノーマライゼーション」でのGoogle検索)

4.チャレンジド
 「チャレンジド」という言葉で、わたしが同意を感じるのは以下の文章。
 *チャレンジド考/天竺堂通信
 
 どんな風にこの言葉を解説するか、とらえるか、ということをもってしても、がんばらなければならない人、という印象を持たせることに対してのマイナスの感覚を、わたしはこの言葉に感じるところがある。
 障害というものが存在するときに、その障害を個人のものにせず、家族で集団で社会で越えようとすること。それがチャレンジなのではないかと思う。たとえば「ハートビル法」は社会的なチャレンジ。

 その周囲という中で。家族のチャレンジのケアは必要であり、そこにも支援が必要だと思う。そして支援者のチャレンジのケアは?という観点も必要であり、またどこか忘れられていることのようにも思う。
 *抱えている荷物を降ろすための呪文/かへる日記 (FRGFRG304)
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はじめに

2007年03月25日 | 「ぼくらの発達障害者支援法」
 ニュース番組の特集、ドキュメンタリー番組、実話を取り上げたドラマや映画。
こうした媒体を通してある人の人生の一面やその出来事を知る、ということがある、現在の自分に直接関係の無いことでも。そしてそこから何かを見いだしたり、また、何かが残り続ける、ということはあると思う。
 
ぼくらの発達障害者支援法

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 この一冊の書籍。この書籍から見えるものがある。
「発達障害者支援法」というひとつの法律とは関連の薄い人にとっても、見えるものがある書籍だとわたしは認識しました。

 たとえばですが。
この書籍の「はじめまして」というところには、以下の記載があります。(「ぼくらの発達障害者支援法」p.9より)
私が願ったこと
 ・信頼できる仲間と出会いたい
 ・人生の長丁場で、自閉症をめぐる状況を変えていくための継続的な勇気と知恵を与えてくれる場が欲しい
 この「自閉症」という言葉の部分を「○○○」と何か別の文字に変えてみたら。
これが私がこの本が、「発達障害者支援法」に直接関わりの無い人にも価値がある書籍だと思う理由のひとつです。そこに見えてくるのは、一人の人間の姿と、そして動いていった動かされていった周囲の姿ということではないかと

 しかし書籍というものは、その中心の話題となるものとは直接関連の薄い人にはどうしても手に取られにくい。そのことからこの書籍が、「発達障害者支援法」という法律に関連のある人だけの本になってしまうのは、わたしはもったいないと思う。

 と、いうことで、しばらくこの書籍に関してのシリーズ連載を開始します。
この書籍を買う買わない読む読まないということだけにとらわれず、この書籍が存在するということの意味を考察しようと思っています。
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「しょうがい」に関しての表記もろもろ

2007年03月22日 | 「障害」に関わること
 まずリンク。タイトルであらわされる内容と、その背景になるようなものを「ぼくのお姉さん」という書籍の文章を例示して記述されている文章。そして「しょうがい」に対しての表記に何を選ぶかという話。
ぼくは「他者」につきまとういろんな意味としての「障害」を漂白してから、ぼくは初めてそこで他者に出会いたいんだ。/かへる日記 (FRGFRG304)
例えば、この本の「ワシントンポスト・マーチ」の障碍者の描写は小学生対象のことはいえ、正確でぼくはドキリとさせられました。
 そうなんですよね、この「ぼくのお姉さん」という書籍は自分の中にあるものをドキリとえぐってくる要素がつまっている。このドキリとさせられるものに関して、ngmkzさんはタイトルにあらわれる考えを出される。これはとても興味深いところだなあと思った。

 わたしは「しょうがい」を「障害」と表記する。つまりngmkzさんの言われる『「他者」につきまとういろんな意味としての「障害」を漂白』に関して、言葉に対しての感覚が違うのだと思う。多分にこれは、わたしが「障碍」という言葉と初めて出会ったときの印象が左右されているように思う。

 わたしが初めて「障碍」という表記に出会ったのは、ある団体の広報チラシで。それにあった「わたしたちは障碍という表記を使う」という意志表明は、わたしにとっては「害」を使うことに対しての否定的要素が強く感じるものだったという印象がある。つまり文字表記をもって、障害をどうとらえるかという踏み絵にされているような感覚とでも言えばいいのか、とも思う。その印象が、逆にわたしが『「他者」につきまとういろんな意味としての「障害」を漂白』として使えないところかもしれないと思う。

 さて、過去ログ。
障害・障碍・しょうがい (gooで)
障害・障碍・しょうがい (はてなで)
 ここから約一年が経過しているわけで。この一年でも、そしてわたしが初めて「障碍」という表記とその意志表明のようなものに出会ってから10年ちょっとの間でも、少しずつ「障碍」と表記される方は増えたようにも思う。それはそれぞれの意志表明なのだろうと思うし、その意志表明の中身こそが重要なのだとも思う。「障碍」という言葉と初めて出会ったときにわたしが感じた「押しつけ的感覚」がやわらぐ時が来たら、わたしも表記を変えるのかもしれない。
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「赤ちゃんポスト」と報道

2006年12月27日 | つぶやき

ウェブ魚拓:『赤ちゃんポスト』渦巻く賛否/東京新聞
赤ちゃんポスト考/天竺堂通信
 この「ゆりかご」というもの、これは支援のひとつの形なのだと思う。支援には様々なものがあり、その究極の形なのだ、と。
実際に設置した病院がそうとらえていることが重要なのだと思う。生まれた子どもを遺棄したい、ということが、心理的制度的支援があれば解決が可能なケースというものはあるだろうということ。病院が設置するのであれば、今まで以上に「困難のある妊娠」に関してのフォローは必要になってくると思う。

 妊娠した子どもは、生まれていきなり養育を放棄せざるを得なくなるわけじゃない。妊娠中にその要因の芽は必ず発生しているはずだと思う。
上記リンクの天竺堂さんは「火事」と称したけれど、火事には出火の元になる火がある。その火事以前の小さな火種の存在を認識する可能性があるのは、もしもその妊娠が妊婦検診を経過しているのならば、その妊娠に関わる産院だと思う。
この「ゆりかご」の使用される頻度が高くなるということがあれば、それは産院のフォロー態勢が疑われるということだとも思う。

 また、遺棄の理由が支援可能なものかどうかということ。これを判断する前に赤ちゃんだけが移動するということも危険だと思う。
衝動的行動、気持ちが弱くなっているときの突発的判断。そうしたことに関して、赤ちゃんの移動後にどれだけフォローできるのか。物わかりがいいということは、けして相手を助けることばかりじゃない。

 しかしウェブ魚拓にとってリンクした東京新聞の報道は、このことに関しての取材をきちんと載せている。「秘密は必ず守る。とにかく病院を信じてまず相談を」という手紙を扉の前に置き、一時預かりの意味をも持たせ、「赤ちゃんさえ無事なら、母親にも冷静に考える時間ができる」としている。
つまり、通常危険であると思われるタイミングというものに関して、それを支援的配慮として認識し、活用させようとしていること。
また従来のこの病院の試みである「妊娠かっとう相談窓口」に関しても記載。その他、あらゆる試みの末の設置なのだということが、この東京新聞の報道からはよくわかる。
この病院が作ろうとしているのは、けして単なる「捨て子場所」ではない。何をするか、ということよりも、誰がするか、ということが意味をもつことというものは多い。
 
 この件に関してこうしたことを報道に入れるかどうか。ここを省く報道は、この病院だからこその試み、ということが抜け落ち、単に捨て子場所ができるということだけが印象的にクローズアップされる。そのクローズアップの弊害は、いったい誰に向かっていくのか。そんなことを思う。
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「僕の歩く道」最終回

2006年12月22日 | 「障害」に関わること
 書こうかどうしようかな~、と迷ってたけど、とりあえず自分のために忘れないうちに感想を書き留めておこうかな、と思う。

 「僕の歩く道」最終回、始まってすぐに(ああ…)と思った。なんというか、もう流れが読めちゃった、って感じで。

 主人公が動物園の中で鳥を見る、飛ばない鳥飛べる鳥、なんぞのことをちらっと言う。高く飛べる鳥として鳶のことが出てくる。要するにコレ、障害者自身の自己決定を語るための伏線だな、と。で、ロードレース中に見かけた鳶の姿を自分の目で確認に行くためにコースをはずれる主人公。鳶を見つける、飛ぶ鳶を眺める。そしてコースに戻ってゴールし、ゴール後に「グループホームに行く」と自分の口で告げる主人公。高く飛ぶ鳶がキーってことで。

 コースをはずれた主人公に対して「待ちましょう」という決断をした母親は、「グループホームに行く」という主人公に、「はい」と一言で応える。自己決定の重要性をわかっていながら…、って気持ちの母親とその決意というものをよく表した「はい」だと思った。これを一発で表現って感じの「はい」には、さすが長山藍子と思った。

 グループホームに関しては、最近数がどんどん増えていると思う。少なくともわたしの身近には増えている。入居したい人の数に見合うかどうかはわからないけれど。長野オリンピックのときに、パラリンピックに知的障害者が出場した。そのインタビューなんぞで「グループホームに住んでいる」という20代の若者ってのもいた、あの時点でね。ただ一般的にはまだまだ認知度は低いのではないかと思う。抵抗をもつ親も多いとも思う。わたし自身は、障害の程度に関しての支援度というものが関係してくることは前提の上で、障害があっても「親から離れたいと思う」という心の成長をもつことが「大人になる」ということであり、自分自身のこととしては、「親から離れたい」気持ちを元にする自己決定の芽をもつことが、いわゆる娘を育てる目標になっているところはあるなあとも思う。そのときが来たら淋しくてたまらないとは思うだろうけれど。

 で、最終回ですが。まあ、つまり、落ち着くとこに落ち着かせるために、って線が早くに見えてしまった感じがした。ってことで、どこかお話のまとめです的流れがどうしても見えてしまった。11回全ての中で、わたしは一番コレというのは、やはり第10回の特にきょうだい児の心理が中心になるシーンだと思う。それはそこに至るまでにこつこつと積み重ねたきょうだい児の心理のシーンがなくてはもちろん語れない。

 主人公の兄の妻。夫の弟が障害者であるという事実からどこか目を避けるような他人事を決め込みたいような、まあ、ドラマ前半中盤部では悪役的存在。な~るほど、と思うこと。つまりそういう彼女だからこそ、この兄は好きになったのかも、とドラマを観ながらふと思った。

 兄だから否定できる立場に無い、兄だから手を貸さなきゃいけない、兄だから我慢しなきゃいけない。そういう、どこか見えない「べき」に縛られたような気持ちをたくさん経験した背景を感じさせた第10回放映分の兄と母親との会話。

 その兄は、「配偶者の弟だからって言ったって、そんなに簡単に認められるもんじゃないわ」って気持ちを堂々と持つっていう、そういう女性だからこそ惹かれたんじゃないかと思うこと。自分の中に巣くう「べき」に対しての反乱のようなものも無意識下にちらっとあった、いやあるという設定で構成されたのではないかと思うこと。

 障害者を主人公にもってくるドラマ。その主人公の状態や持っているハンディと社会との軋轢なんてものは、現実に存在するものからみれば、やっぱりどうしても希釈したものになるし、そうしなければ表現自体が難しくなるものもあると思う。

 ただ、きょうだい児の心理に関しては、どういう設定であったとしてもリアルに描こうとすれば描けるものだ。また、障害の受容に困難を抱えた親の気持ちってのものもそうだと思う。今回の主人公の職場に存在させた「もう一人の自閉症児の父親」の存在は大きかった。この、障害児をとりまく周囲の人間の要素とドラマというものが、今回のドラマではよく出ていたとも思う。
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「僕の歩く道」に見るきょうだい児の心理

2006年12月13日 | 「障害」に関わること
 昨日の「僕の歩く道」第10回放送。
障害をもつ子のきょうだい児の心理にどば~んとスポットをあててましたね。
特に妹が、自分の生育歴の中で、母親が障害をもつ子どもに集中し、自分が甘えられなかったという話を医師にするところ。「あなたの話を聞きましょうか」と言われるまで、自分主体の話ができない、できなくなっている事実。話しながら、本当は母親に甘えたかったのだと声をあげて泣くシーン。
その後に母親の肩をもみながら、母親に手を握られることで後ろから母親に抱きつくシーン。
このひとつひとつのシーンを見ながら、障害をもつ子のきょうだい児って立場の息子と一緒に見ながら、泣けてねえ。もう泣けて泣けてたまらんかったですよ、わたしは。

 うちの息子は、障害をもつ子のきょうだい児としては、サインをよく出す子だった。そういう意味ではわかりやすく、問題の先送りということをしにくい子だったと思う。
 サインは多かった、応えてきたつもりだった、でもでもでも。それでもあなたにはわたしに言えてないことがあるだろう。黙って我慢したこともあるんだろう。そしてその問題はこれからまた複雑化していくのか、していくのかもしれない。僕の声が聞こえる? わたしが気づいていない彼の心ってのは、まだまだあるんだろうと思う。

 昨夜の「僕の歩く道」、特に、母親にそっと後ろから抱きつく妹のシーン。
このドラマがよくできていると思うのは、たとえばこの「後ろから抱きつく」というところ。前から正面から素直に抱きつけなかったということを象徴させたかったのかなと思う。

 きょうだい児の心理をクローズアップしたシーンを見ながら、黙ったままたらたらと涙をこぼすわたし。そのわたしの長い髪の端にすっと手をやり、指で髪の毛の先を静かにくるくると弄ぶ息子。
ああそうかそうだったのかもしれないと思う。髪の毛を切らないでと、そんな風に息子に言われるままにのばし続け、ずいぶん長くなった髪の毛。そういえば彼は自分の気持ちをうまく言えないときに、こうやって髪の端をそっと指にからめていたっけ。これはそっと後ろから抱きつくってことと似てる動作なのかもしれないと、ふと思った。

 正面から抱いてやらなかったのか。そうじゃない。このドラマの母親だってそうじゃないと思う。
ただ、そうして欲しいタイミングが見えなかった。そういうことなんだと思う。
そういうタイミングってのが、障害をもつ子のきょうだい児にはある。わかっていながら見過ごしてしまうときがある。そういうことなんじゃないかと思う。

*関連リンク:福祉ネットワーク - 難病児のきょうだい(2)お兄さんの心の傷
 「お前はママではなくて、ママロボットだ」
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「レインマン」と「ギルバート・グレイプ」

2006年12月12日 | 「障害」に関わること
 「僕の歩く道」を毎週観ていて思い出すのは「レインマン」。
ということで、先日のTSUTAYAの半額日に、「レインマン」を借りる。
公開当時観ていて、ずいぶん久しぶりに再見。

 「レインマン」を借りるときに、ふと思い立って「ギルバート・グレイプ」も借りる。
借りた動機は、ディカプリオの知的障害児役を観たかったから。

 「レインマン」と「ギルバート・グレイプ」。これは両者共に、障害児のきょうだい児が主人公。
「レインマン」は自閉症の特性である行動障害に対する嫌悪から始まって、愛情の場面が後から来る。
「ギルバート・グレイプ」は、知的障害のある弟に対して冒頭の紹介部のナレーションで「時々嫌気が」と出てくるが、愛情の場面でつないでいき、後半で衝動的な怒りが来る。

 「レインマン」は、弟が、最初は存在さえ知らなかった兄と旅をすることになり、兄を知り、いっしょに暮らしたがるが、その思いを断念させられる。
「ギルバート・グレイプ」は、兄は、父が自殺をし長男は家を出てしまったという状況の中で、その肩に常に知的障害をもつ弟を背負い、弟から離れる選択肢を持っていない。最後のシーンでも「We can go anywhere.」と言う。その主語は一人称では語られない。
両者に共通しているのは、きょうだいが知的障害をもつ兄や弟に向かい合うときに、親がそのきょうだいを助ける立場にいない、ということ。

 知的障害児のきょうだい児としては、その相手役との恋愛面からだけ見れば、両者共にいわゆる「シンデレラストーリー」。
きょうだい児がきょうだいのもつ知的障害に対しての、混乱、嫌悪、ため息等のマイナスな心情、また衝動的行動をとっても、その恋人は受け入れる。恋の相手にも、知的障害をもつきょうだいに対しても。そしてそのことは、主人公を助けていく。
通常はこんなシンデレラストーリーだけではないと思う。

 ダスティン・ホフマンの自閉症役の演技に関しては、語るに及ばず。
初見は自閉症と診断名がつく障害児・者に身近で出会ったことが無い時代。無い時代だからこそ、素直にダスティン・ホフマンが創り出す世界にはまる。

 ギルバート・グレイプは、障害というものに出会ってから観た、ということになる。
ディカプリオの知的障害児役には、もう、脱帽。
天才子役だったというエピソードには強くうなづくが、全ての動きの細部に表現としての緻密な計算があり、天才である前に努力家なのだとも思う。
ただ、その努力すべきポイントに気づく、構築する、形にしていくセンスという意味では、やはり天才なんだろうとも思う。

 知的障害児をドラマに出すというと、すぐにピュアだの感動だのってことに結びつけていくという短絡的な思考のものは数多くあるとは思うけれど、ギルバート・グレイプに登場する知的障害児は、狡くて汚くて自分勝手。
「わかって欲しいこと」がいつまでたってもわからない。わかろうとしないことも含めて。

 そのことを感じてしまうことにマヒしていくか、気長に気長にわかってもらえる日を待つか。
今日蒔いた種の実が結ばれるのが一年後か十年後かそれよりもっと後なのかわからない。
そういうことがあるということ。それが知的障害児の生の姿でもあると思う。
その生の姿と接しながら、様々な感情を織り交ぜて、葛藤し、そのことに左右されても、その根底の「愛情」が導き出される。
それが知的障害児の家族の生の姿でもあると思う。
「レインマン」は、兄を見つけた話ではあるが、その障害に対して起こる衝動的思いは、障害自体たとえば自閉症特性に関しての無知から来るかんしゃくのようなものであり、障害というものを知った上での葛藤の方が、ずっとやっかいだと思う。

*「ギルバート・グレイプ」:2007年2月6日まで、ヤフー動画にて無料で視聴できます。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00154/v00584/
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獄窓記

2006年12月11日 | 書籍紹介
 Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2004.6.21-2004.7.4号) 山本譲司 さん

 獄窓記の著者インタビュー。出版時にあちこちで紹介されていたが、保存できるウェブ上のインタビューは貴重だと思う。

 著者が刑務所生活を送る中での生活が記載された内容で、障害に関しての話が多々、多種多様に出てくる。
受刑者の中にいる障害者の話というものもあるのだけれど、このインタビューに紹介されていない話で印象に残っていること。

 受刑者の中にいるダウン症児の父親。ダウン症児のご子息は、養護学校卒業後、施設利用。入所か通所かは書いてないのだけれど、職員が利用者に暴力をふるっていたとのこと。
ここでこの受刑者が他の親とも相談の上「話をつける」と施設に乗り込み、結局大喧嘩になり、暴力をふるったということで追い返される。
福祉事務所に相談に行くが、埒があかず、また大喧嘩になり、職員を刺して受刑生活。

 ダウン症の青年は二十歳になるということで、「障害児」に支給されていた手当は打ち切られる。
「障害者」に対しての福祉的支援はあるのだけれど、残された妻は夫の犯罪により「敷居が高くなり」、福祉事務所にも行けず親のグループにも行けず、情報が入らない。

 福祉的支援というものは自分で申告しないと得られないものばかりで、受けられるはずの福祉的支援というものを「知らない」状態で生活している、この方のご子息のダウン症の青年の「母親」。
「父親」の犯罪と受刑と。そのことに犠牲になるダウン症の青年。
著者に、受けられる福祉的支援の概要を説明され、獄中から妻に手紙でそのことを知らせる。

 この親子に関わったことのある人間で、この母子がこういう状況に陥ることを予測できなかった人は少ないんじゃないか、と思う。そのことが、歯がゆい。
獄中にいる父親の方が幸運にも情報を入手できたという、皮肉。
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イケイケ、パニッカー

2006年11月26日 | 書籍紹介
 障害を知る、ということ。教科書のような本ではなく、感動がどうのという押しつけがなく、ああそういうものなのか、そうなのか、と自然に思えるような本。

イケイケ、パニッカー―自閉症の子育てマンガ&エッセイ

クリエイツかもがわ
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 長々とは語られない。ひとつの出来事、ひとつのテーマに見開き2ページで語られる本文が続く、いわば短編集。そのひとつひとつの文章の冒頭に4コマ漫画で描かれる、その話のさわりのようなもの。その4コマは、たった4コマの中に、そうなのか、という思いを持たされる。
ああそうなのか。これが重すぎず軽すぎない。そしてこの(ああそうなのか)を95回ほど積み重ねたときに、あるイメージができあがってくる。
それはここに描かれているひとりの自閉症児の個性であり、その原点になる自閉症の傾向であり、それを日常としていく、日常の中で発見を見いだしていく母親の姿であり、そこには自閉症という障害の一種類を越えて知的障害をもつ子の親に共感を持たせる内容がある。

 おもしろいな、と思うこと。冒頭の4コマ漫画を読んでから本文を読むために、本文を読むときには本文に書かれている内容に関しての見通しができあがっている。
この本がもしも本文だけで構成されていた場合、読後の感想は少し変わってくるかもしれないと思う。内容の中のシリアスさ、重さ。こういったイメージが強くなるかもしれない、とも思う。
しかし4コマ漫画で構成されたエピソードは、その絵が語るものは日常の匂いがする。日常の匂いがする上に、くすっと微笑みをもつものもある。日常というものはそういうものなんじゃないか、とも思えてくる。

 そうなんだよね。障害をもつ子どもがいるということ。それなりの困難や不便というものはあるし、迷いもある。でも、家族であるということは、それが日常なんだということ。それがイメージとして見えてくる一冊。

 AC公共広告機構が「自閉症の認知・理解促進」をテーマに、2006年度の支援キャンペーンに「自閉症に生まれてきただけ」という広告を作った。
自閉症は「なる」ものではなく、先天性の障害である。ということ、この事実を知らない人はまだまだ多く、「自閉症になっちゃう」的な発言が自閉症児の家族を悲しませることを知らない人はまだまだ多い。
この広告キャンペーンだけでなく、「僕の歩く道」という実によくできたテレビドラマも、自閉症というものを全く知らない人に手渡すものがあるという意味は大きいものだと思う。
 
 「イケイケ、パニッカー」は、「僕の歩く道」を見て、少しでも自閉症に関してもう少し知りたくなった自閉症と縁が無い人に、わたしはとてもすすめたい本だと思う。
こうした類の障害児の母親のいわば手記本で、再販を重ねられるものは少ないのだけれど、この本は五版まで出ていると聞く。生き続けていく本になってほしいな、と思う。
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僕の歩く道

2006年11月15日 | 「障害」に関わること
 テレビドラマ「僕の歩く道」。
放送開始時刻は10時。息子は10時は寝る時間。寝る時間なんだけれど、もそもそと隣で見る。

 最初は途中まで見ていて、という流れだったんだけれど、回を重ねるごとに「ちょっと見る」時間は増え、火曜は寝る支度をしてこのドラマを最後まで観るのが定着。

 娘はすでに寝ている時刻、息子と二人でこのドラマを観る。障害児のきょうだい児の心理にも焦点をあてたドラマ。

 「わたしはわたしの人生を歩んでもいいんだよね」と、主人公の妹が母親に聞くシーン。
ああ、このフレーズ。障害児のきょうだい児の立場の人が、それぞれの思いをこめてもつフレーズ。
それを黙って見ている障害児のきょうだい児と、障害児のきょうだい児の母親であるわたし。

 ドラマを観ながら、主人公の障害の特性が現れるシーンを見ながら、息子にもう少し詳しく説明してやる。
コマーシャルの時間に、自閉症のこだわりを説明するために、テーブルの上のテレビのリモコンとさっき使った爪切りとジュースを飲んだコップとを整然と並べてみせる。
不安ってのをたくさん持っている人たちなのよ。だから、不安になると決まっていることというものに頼ろうとするの。その決まっていることってのは、たとえばこういう物の並べ方がこうなっていること、こうなっていると落ち着くことだったりするのよ、と。

 コマーシャルの後に、今説明したまんま、そのままのようなシーンが出てくる。息子がわたしを見る、わたしは黙ってうなづく。

 登場人物の中に、息子の自閉症を受け入れられなかった父親が出てくる。その受け入れられないシーンを見ながら、怖いよおかあさん、と息子が言う。ボクが結婚して、子どもが生まれて、自閉症だったらどうしよう、ダウン症だったらどうしよう。

 う~ん、と思う。きょうだい児だから受け入れられるだろうと思う人もいるだろうし、実際きょうだい児だから受け入れられる人もいるだろうと思う。
でも、きょうだい児の立場の人から確かに聞く不安。そして自分の立場であるからこそ、口に出して言ってはいけないような感覚を持っていくのだろうと思うこと。

 わたしもアンタ生むとき怖かったわ、と言う。不安だったよ。そういう子どもが生まれるってことをよく知っているからこそ、怖かったわ。でも子ども欲しかったから。

 ふうん、と答える息子。そしてまたコマーシャルが終わり、ドラマが始まる。答は無い。そしてドラマはまだまだ続く。
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