S嬢のPC日記

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知的障害児の「思春期」

2005年07月01日 | 障害児の教育
知的に障害があると、どうしても実年齢より幼く感じてしまう。
でも、思春期に入っていくときに、親が子どもを実年齢より低く感じることで、現実を直視しないようにしたいという暗黙の意志のようなものを感じることもある。これは大人になっていくことを受け入れきれないということの一つかもしれない。
ニューヨーク障害児教育事情―在米コミュニケーション・セラピスト30年の挑戦から」 という書籍の中にも、体が発達している女の子に対して、親が小さい子どもに対しての感覚のように短いスカートや肌を露出した服を着せているというくだりがある。親が娘に対して「子どものままでいて欲しい」ことの現れとここでは記述され、「レイプされてもしりませんよ」的な叱責をしたという話が出てくる。
また逆のパターンとして、男の子のように短く髪を刈り、ズボンを中心に黒や濃紺の服を着せられているダウン症の高校生に出会ったことがある。
娘に話しかけ、すっと娘の手を握ったときに、娘に対しての教育のために(さてどうしようかな)と考えながらこの方に話しかけたら、なんと女の子だったことに心底驚いた。
ひとりで行動させることに対しての危険回避なんだろうけれど、人生を楽しむということを犠牲にする危険回避には、わたしは納得できないなあと思う。

小学生も高学年になって、第二次性徴として胸がかすかに変化を帯びてきたときに、わたしはさっさと娘にティーンズ用のブラジャーを買って与えた。普通の子の親の対応に比べたら、かなり早い時期の対応だったと思う。
わたしはそうやって、娘に対して「女になっていく」ことを「外側から」教えてやりたかったというか。
娘はブラジャーを「大人の女性がするもの」と理解、認識し、胸の周囲に他者の手が当たることをはっきりと拒絶するようになった。

第二次性徴が始まり、思春期に入り、体だけではなく年齢に応じた精神の正常な発達として「異性に対しての関心」というものも芽生えてくると思う。
以前、娘のことを「とても気に入った男の子」が、娘を見ると衝動的な行動に走ったということがあった。この男の子の衝動的な突発的な行動により、娘は短期間に二度頭を打つ転倒をし、わたしは学校側に抗議を申し入れたのだけれど。
学校側は速やかな対応を約束し、結局、この男の子と娘は、しっかりと「離された」。教科によっては接触があるけれど、安全に充分な配慮をするので了解して欲しいというようなことをつけ加えながら。
迅速な会議、対応、綿密な連絡という、感謝すべき流れではあったけれど、わたしはいささかの後味の悪さが残っている。
娘の姿を見ると、飛びかかりそうな勢いで、その勢いを教師にはがいじめにして止められているその男の子の姿が脳裏に残っているというか。
危険回避ということは重要なことだったんだろうと思う。危険回避というレベルの対応が現実的だった。
でも、単に離すだけじゃなく、もっともっと違う対応があったんじゃないだろうかという気持ちがどうにも消せない。
異性への関心、このことに対しての「教育」という学習の機会が彼にもっと与えられてもよかったんじゃないだろうかと。
行動を促す「心」の存在を、もっと生かすこともできたんではないだろうかと。
「態勢の問題であって、相手の障害自体を原因とはしないでください」と、学校側には言った。
でも、その態勢というものが、危機管理だけでよかったんだろうか、思春期の教育というものが必要だったんじゃないだろうか。
そんな後味の悪さが残る。
「ごめんね~」「いいよ~」という会話が、二人の間ではなされていたのだから。
ああ、そういえば、娘がこの男の子の態度や行動を怖がらない、拒否しないからという意見もあったなあと。

女の子を見て反応するのではなく、娘を見て衝動的な行動を起こしたこの男の子。
その男の子はもう娘を見ても反応しない。
そのことが、わたしはなんか、自分がこの男の子の心をつぶしてしまったような、小さな悲しみを感じさせられる。
「頭を打つ転倒が短期間に二度」、これは学校側にも大きいことだったと思う。だから仕方がなかったのかもしれない。いや仕方がなかったんだろう。
「管理」によって簡単に消えるようなものだったのね、あなたの思いは、なんていうのは、「女の理屈」かもしれない。

特殊学級担任の“ここだけの話”[特殊学級]好きという気持ち を読みながら、「好き」の行動を教える、知的障害児の思春期の教育というもの自体がもっと発展させられていくといいなあと。
知的障害児は圧倒的に男の子の方が多い。また同じようなことがあるかもしれない。
そのときは、わたしの「抗議」も、もっと先を読んだものになるかなあ、なりたいなあなどと思いつつ、思春期の心にそった教育をすぐに実践に移していこうとすることに敬意をこめて、特殊学級担任の“ここだけの話”[特殊学級]好きという気持ち にトラックバックです。