S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「朝の出会い」

2004年11月25日 | たったひとつのたからもの
今朝のこと。
通学中の娘が、駅の階段を下りていくときのこと。
階段を上る、ある男性が娘に向かって、
「やあ、おはよう」と。

男性は階段を上り、
階段の上の隅に隠れて、娘を見守るわたしを発見。
わたしを見、ふり返って娘を見、一言。
「毎日、がんばってるね、あの子」
「はい、ありがとう」とわたし。
そして、男性は改札へ。

わざわざ言わないけれど、思ったこと。
ありがとう。
今日だけではないのですね、出会っているのは。
「毎日」という言葉で、それがわかる。
娘、知らん顔して、ごめんなさいね。
それをそのままにしているわたしを、あなたはどう思うのかしら。
ダメなのよ、
まだ、あなたはあの子に「知ってる人」と認知されていない。
もう少し、「おはよう」を続けたときに、
認知するかどうかは、あの子が決めるでしょう。

ごめんなさいね、
あの子が自分自身で「知っている人」と認知しなければ、
わたしはあの子に、あなたにあいさつをして欲しくない。
なついて欲しくないのですよ、
だって、あなたは「知らない人」だから。
あの子は女の子なのですよ、そしてあなたは男の人。
あの子は女の子で、そして女性の体を持ち始めている。
あいさつしてくれる人全てに愛想よくしていたら、
わたしはあの子に、一人歩きをさせられない。
あっという間に、お腹が大きくなってしまうかもしれない。

あなたがあの子に関心を持って、あいさつしてくれるのは、
あの子が「ダウン症児」だと、
「知的障害児」だとわかるからかしら。
だから関心を持って、あいさつをしてくれるのだと思う。
でも、あの子にとっては、
あなたに関心を持つ理由が無い。

わたしはあの子の、その「無関心」を、
成長の証と、喜ぶのですよ。
幼児のときは、自分への「関心」を
素直に喜ぶだけで、
子どもらしく、笑みを浮かべてあいさつに応える、
それだけでよかった。
わたしはそれを、微笑みながら見ているだけで、
それだけでよかった。

でも、今は違う。
わたしはあの子を「大人」にしていかなければ。

「やあ、おはよう」
もしもあなたがそのおつもりなら、
あの子を朝、同じ場所で見かけたときに、
今と同じように、そう言ってやってください。
あの子にとって、「知らない男性」が、
「朝、見かける男性」として、
あの子自身が選ぶかどうか、
その判断を、あの子に任せてやってください。
危険ばかりの世の中だけれど、
あの子の「知らない人」を「知っている人」にしていく自由までもを、
奪いたいとは思っていない。

心配だけれど、
実はそんなに心配でも無い。
あの子が人を見る目があることは、
わたしがよく知っていると思っているから。

だから、
もしもあなたが今のままのさりげないあいさつを続けてくれれば
あの子があなたを、
「朝、見かける男性」として、きっと認知すると思うから。

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