S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

たったひとつのたからもの:生と死

2004年11月23日 | たったひとつのたからもの
「たったひとつのたからもの」の中で好きだと思うシーンに、
母親が、亡くなった子どもを抱いて立っているシーンがある。
「生」というもの、「死」というもの、
それを抱えて、まっすぐに立っている姿は
凛としていて、静かで、美しかった。
生きていた命、生きてきた自分たち、
そんなことを思わせられる。
生きていくということは
「生」に出会い、「死」と遭遇し、
それを繰り返しながら進んでいくことなのではないかと思う。

人というものは、いつ、
何歳にして、「死」というものを実感するのだろうか。

わたしが初めて出会った「死」は、
小学生の時の祖父の「死」だった。
一年に一度かそこらしか会わない「祖父」だったので、
「死」の意味よりも、「死の儀式」の方が印象に深い。

次に出会った「死」は、16のときの、
クラブの先輩の病死だった。
脳腫瘍で、発病がわかってから数ヶ月で、
あっという間に逝ってしまった。
「死」が実は「生」の隣り合わせにあることを、
どこか実感で知った最初かもしれない。

22のときに、友人が死んだ。
長野のデパートの屋上から飛び降りた。
小さな箱に入った彼と別れるために、
東京駅の片隅で、彼のおかあさまと会った。
姿を変えた彼を、東北に連れて帰るおかあさまに会った。
小さな小さな姿がたまらなかった。
この数日後、もうひとつの遺体があるアパートから発見される。
絞殺されたその遺体に手をかけた犯人は、
長野のデパートの屋上から飛び降りてすでに自殺していたと
報道される。
「死ぬなよ」に「殺すなよ」がプラスされて、
しばらく、苦しい思いが抜けなかった。

我が子の死ということ、
第一子で、二度、疑似体験をした。
一度目は稽留流産という、誤診。
掻爬の日も決まっていて、そこから逃げ出して救った命。
二度目は、ダウン症を原因とする心疾患と、
それによって悪化した肺炎。
「我が子の死」というのは、疑似体験だけでたくさんだと思う。
二度と経験したくない。

31のときに、とてもとても大切な友達が死んだ。
その後に生まれた二番目の子がもう10歳になるのに、
まだ、どこか、その死の悲しみを引きずっている自分がいる。

今、10歳の息子、
あと5年経ったら、
イラク邦人人質殺害の動画と同様のものを、
友人とアドレスを流し合ったりするんだろうか。
理屈抜きに、鳥肌が立つ。

生にも尊厳があるように、死にも尊厳があるのではないかと思う。

息子が4年前に体験した「友達の死」。
棺の中に眠るその子に最後のお別れの献花をするとき、
母に習って、そっと頬に手を触れた息子。
彼は、冷たくなった友達の頬に触れても、
けして、「異質なものを見る」目をせず、
悲しみの混じった柔らかな笑みで、花を置いた。
後で、小さな声で、「冷たかった」と言った。

彼は「生の尊厳」はもちろんのこと、
「死の尊厳」というものも、理解してくれているだろうか。
特に何ができなくてもいい。
大事なことを知っている人間になってほしい。

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