人の幸せは命の長さではない。
これが「たったひとつのたからもの」に流れるもので、
ドラマでも、大きなテーマになっていました。
これを、子どもに対して授業の教材で取り上げるという
サイトを見つけました。
興味があったら、是非、と思います。
シリウス/静岡教育サークル:道徳「たったひとつのたからもの」
これは「道徳の実践」というコンテンツのひとつで、
「たったひとつのたからもの」は、
生命尊重のところに位置していました。
ある障害を持つお子さんで、医療とのつき合いが切れず、
風邪を引くとその度に命が危なくなり、集中治療室に入る、
そういう繰り返しだったときに、
この子のおかあさんに聞かれたことがありました。
「つらい治療ばかり、続く。
あの子は生まれてきて、幸せなの?」
以下、わたしが答えたことです。
「『あなたがいてくれてわたしは幸せ』って、
誰かに思ってもらえることって、とても幸せなのだと思わない?
あなたがあの子がいてくれて幸せと思うのなら、
それはそれだけでも、あの子が幸せだということなのではないかと思う。」
障害を持つ子どもを生むということは、
幸せというものを考えるときに、
「相対評価」でとらえる幸せではなく、
「絶対評価」でとらえる幸せをを知り始めること、
そんな気がします。
これが「たったひとつのたからもの」に流れるもので、
ドラマでも、大きなテーマになっていました。
これを、子どもに対して授業の教材で取り上げるという
サイトを見つけました。
興味があったら、是非、と思います。
シリウス/静岡教育サークル:道徳「たったひとつのたからもの」
これは「道徳の実践」というコンテンツのひとつで、
「たったひとつのたからもの」は、
生命尊重のところに位置していました。
ある障害を持つお子さんで、医療とのつき合いが切れず、
風邪を引くとその度に命が危なくなり、集中治療室に入る、
そういう繰り返しだったときに、
この子のおかあさんに聞かれたことがありました。
「つらい治療ばかり、続く。
あの子は生まれてきて、幸せなの?」
以下、わたしが答えたことです。
「『あなたがいてくれてわたしは幸せ』って、
誰かに思ってもらえることって、とても幸せなのだと思わない?
あなたがあの子がいてくれて幸せと思うのなら、
それはそれだけでも、あの子が幸せだということなのではないかと思う。」
障害を持つ子どもを生むということは、
幸せというものを考えるときに、
「相対評価」でとらえる幸せではなく、
「絶対評価」でとらえる幸せをを知り始めること、
そんな気がします。