S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「クリックしてね」

2005年07月06日 | インターネット雑記
ライブドアの未来検索で、指定したワードを文中に含まれるブログが「アラート機能」によってメールで送られてきます。
そのリストは、本文の一部が表記されていますので、それを読みつつ、興味あるところに飛んで読んだりしているのですが。
今日、そのひとつに飛び、しみじみと読み、いい視点、いい文章だなあと、過去記事も読もうかなあとそのブログの管理者に興味なども本文を読みながら持ち始めていました。
そして文章の最後に、この手の文章が一行。
人気blogランキングに参加中←クリックしてね。
なんというか、こういうときに、わたしはがっくりとくるんですよね。
例えて言えば、人に話を聞いてるときに、ふむふむと聞きながらいろいろな思考を喚起させられ、あいづち後に会話が成立しようとしているそのときに、
「ねえねえ、わたし、わたし、今いいこと言ったでしょ!?」と言われている気分になる。
「わたし、わたし」でも、「ボク、ボク」でも、「オレ、オレ」でもなんでもいいんですが。
これに対して、あ~、はいはい、と。
そしてわたしは後ろを向き、帰る扉を確認するわけです。
今日も例外とはなりませんでした。

他者の反応が知りたいのは、わかる。
アピールする手段のひとつということかもしれない。
でもそれにしては、どこか短絡的過ぎる気持ちを持ってしまう。

わたしはこうした「ランキングサイト」というものに、全く興味が無い。
こうしたことに「自ら希望して登録している人の集まり」という解釈があるからで。

インターネットという「大海」の中から「拾う」には、わたしはブログ検索を使って自分の興味あるものに絞って検索するし、それ以外のものに関しての「信頼」は、利用しているものの中では以下の二つ。

はてなブックマーク
MM/Memo

どちらも管理者とは何の関係もない人が「頼まれる」わけでもなく、記録として残したいという欲を持ってブックマークするもののリストであるわけで。
そのブックマークされたもののリストの中からワード検索もできるし、単純に注目されているもののリストを拾っていくのもまた興味深い。

実生活の人間関係というものは、義理だのつき合いだの、相手に合わせるだの、人間関係の平和を保つための努力だの、そうした「本当には自分の意に沿うわけではない行動」を暗に強いられることが山ほどある。
社会という集団の中で生きるということは、そうした努力の必要性というものを、抗いながらも受け入れていくということかもしれない。
そうした中で、インターネット上で拾っていくものに関してまで「クリックしてね」なんぞと頼まれたくもないと思うわたしは、かなりの我が儘なのかもしれない。

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (π氏)
2005-07-07 02:12:33
>こういうときに、わたしはがっくりとくるんですよね



大きく同意!

あっちこっち 読んでるブログあるんですが

結構この手のワッペン張ってるところあるんですよ。おしたこと無いんですが・・・。



だんだん このマーク見るだけで

引いてしまうようになってしまいました。
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さらに。 (π氏)
2005-07-07 02:15:03
内容無いのに ランキングに参加中ってどうよ。と思うのもありますが・・・。



返信する
ランキング=自分の存在確認? (TAKO@ぽんす)
2005-07-07 04:09:47
>内容無いのに ランキングに参加中ってどうよ。



内容がないよぅ。



……すみません。(汗) 早速、本題に入ります。



自分の居場所を確認するための「ランキング」なのでしょうか。



私も、「人気blogランキングに参加しています。」の一文を見たらゲンナリします。 エントリによっては、「人気blogランキングに~」のお願い文のほうが記事本文よりも長い場合があったりして、「これは何だろか?」と怪訝に感じることもしばしば。



もちろん、ランキングに参加することも、クリック依頼文を毎回掲示することも自由です。 表現の自由を否定するつもりはありません。



ただし、どんなに面白くてためになることが書いてあったとしても、最後に「クリックしてね♪」のお願いや、アフィリエイト商品の宣伝へと話を強引に持っていかれてたら、それまでの苦労や流れ(文脈)が台無しでしょう。 僕みたいな閲覧者からすると、「あー、損をしているなあ。」と思っちゃいます。



コメントやトラックバックで反応しようとする折角の意欲や機会を、「人気blogランキングに~」の文言で失わせてしまうのは、もったいないオバケです。 と、オバケを気にしすぎる自分が問題なのかも?



blogランキングの順位をとるか、ランキング懐疑派からの反感を買わないようにするか、としたら私は迷わず後者を選びます。

ランキングに参加されてる方々は、悪気のない「クリックしてね♪」が、一部の読者からの評価を下げる働きをするかもしれない。ってことを知っておいて欲しいものです。



でも直接言うとカドが立ちそう。(たぶん) でわでわ。
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Unknown (S嬢)
2005-07-07 07:48:29
πさま

TAKOさま



>大きく同意!



むだづかいでこのネタの記事のとき、πさん、かなり早いタイミングでこれ、言ってましたよね。

要するに「げんなり」の人は、日々、げんなりしていることなんだと思う。



>もちろん、ランキングに参加することも、クリック依頼文を毎回掲示することも自由です。 表現の自由を否定するつもりはありません。



もちろん、そう。

そうなんだけど、この手のこと堂々とやってる人の層、意外に厚いことに単純にびっくりしたりする。



>自分の居場所を確認するための「ランキング」なのでしょうか。



そうでしょうね。

でもね、わたしは「短絡的」だと、思う。

記事ごとにこれつけてると、いっちいち

「ねえねえ、わたし、わたし、今いいこと言ったでしょ!?」

と言われている気分になる。

再度これ言われるのかと思うと、次の記事を開こうと思うことはまずありませんね、わたしの場合は。



あのさ、

「閲覧者」として自分をふり返ってみれば、すぐにわかることなんだと思うのだけど。

「閲覧者」やってて、最初に出会う記事一個ですぐに「評価、評価」って思いますか?と。

最初に出会う記事一個で「好感」あると、その前後の記事の閲覧を開始したりしませんか?

最初の記事一個って、「出会いのきっかけ」ってこと、ありませんか?

ソーシャルでもパブリックでもいいんだけど、「お気に入り」に記録していくことはあるけど、それは「記事自体の評価」であって、たかだか一個の記事でそのブログ自体を評価していることにはならないんですよね。

そこを強引に「ブログ自体の評価」に持っていかれるような感じ、

これも「げんなり」の一因だと思う。

一番の「げんなり」は、本人がそれを望むこと、その短絡的な思考、なんです、わたしはね。



自分のブログってものがどんな存在なのか知りたかったら、ランキングだのなんだの言ってないで、

「まず半年お続けなさいよ」

と、わたしは思う。

毎日更新でも、週1~2度更新でも、月何回かの更新でも、とにかく半年続ければなんらかの軌跡と位置が見えると、わたしは思う。



それが待てない「だるまさんがころんだ」状態の「ねえねえどう?」は、わたしは「げんなり」。
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最近のげんなり (えっけん)
2005-07-07 08:52:11
この手の記事を書くと、

「押しつけるな」

「あんたに言われることじゃない」

という反応があること。



いや、別に押しつけていないし、あんたに言ってんじゃないって。
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えっけんさま (S嬢)
2005-07-07 10:21:19
そうねえ。

ここんとこの流れに関して、介入しようかどうしようかも含めて、ううむと思ってました。



結局、文章というものは、読む人が読みたいように読む媒体であるというのが結論かな、と。

「むだづかい」に記載されている文章全体の総意よりも、受け取るカラーの方に敏感になる「層」という存在があるんでしょうね。

受け取るカラーって言っても、それも読む人が読みたいように読むものでもあるのだけれどね。



わたしはネット上に出現する「えっけん」は、なんでもかんでも「晒し」にするのではなく、「意見の実証」として使うということだと解釈しているし、いわゆる「儀礼的無関心」や、ケースによっては「相手を思って黙る」も感じる。

もちろん、これも「読む人が読みたいように読むもの」であることの範囲は出ないとは思うのだけどね。



その上で、この



>この手の記事を書くと、

「押しつけるな」

「あんたに言われることじゃない」

という反応があること。



自分の考えを書くということで、この↑の状態を脱したいともし思うのならば、

意見を書く上で対象になる人に関しての「逃げ場」を、もう少し入れるテクを考えた方がいいかもしれない。

この手の反応が強すぎて、本当に拾いたい「意見」が拾えなくなるのは、わたしはもったいないことかもしれないなと思うので。



ま、好きになさいませ。
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お邪魔します。 (aozora)
2005-07-07 11:47:43
通りすがりなんですが・・・



ランキングの形態にもいろいろありますよね。

blogのポータルで実施しているのは、キーワード検索でページを訪れた人が落として行ったりするので、内容評価というよりページビューなんですね。

個人的にはblogのアクセス数と内容は釣り合うとは限らないと考えています。

その上で、おっしゃるようにせっかく良い内容を書いているのだからもっと違う形で反応を知ろうとする気遣いみたいなのが必要かと思いました。



ただ、blogにしてもWeb日記にしても、アクセス数=人気度 じゃないので、それを知る目安にはなります。

アクセスが増えればアンチも増えます。

異常なアクセスは殆どの場合そうでしょう。

そんな時、ランキングに投票してくれている人たちというのは支えになってくれます。



ランキングも長い間参戦していると、ファンがついて固定化してきます。

その期待を裏切れないと書きたいことを書けなくなる可能性も出てくるかもしれません。

でも、一時的な好悪でなく、いいことも悪いこともひっくるめてそのblogなり日記と付き合っていこうと考えている人というのが少数ですがいるもので、期待はずれなこと書いたからもういや、という場合はご縁がなかったということで・・・。

もちろん流動的なファンもたくさんいますが。

こっちこそクリックする人を選んでいるという考え方になりますか。







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aozoraさま (S嬢)
2005-07-07 12:55:42
ご意見ありがとうございました。

と、内容に入るその前に。



ちょっとびっくりしたことがあって。

いえ、この部分の、いわゆる「一人称」なんですが。



> こっちこそクリックする人を選んでいるという考え方になりますか。



わたしとしては、「こっち」と「そっち」と二手に分かれて、戦争するつもりなど、毛頭無いわけですよ。

単に、「わたしはこう思う」ということで。

コメントというものは、傾向としては同意見から入り始めるという部分もありますから、まあ、「同意見」がコメントとして複数ついた、と。

もちろんわたしの個人的見解の「記事」と、そこについたコメント群の傾向、及びそれに対してのわたしのレスが、aozoraさんの「こっちこそ」という表現を引き出したものなのだと受けとめているという状況です。



「クリックしてね」がげんなりする。

これはわたしにとっては、現実、そうなわけです。

でも、「クリックしてね」を全て同等と扱って、切って捨てているわけではないのですよ。

一回、一回、「クリックしてね」を上回るものがあるかどうか、という期待を寄せるのは確かだと思います。

しかし、残念ながら、そのハードルを越えるものと、わたしが出会っていない。

そういうことではないかな、と思います。

実際、この記事でも、「いいな」と思ったもの、そしてそこもそのハードルを越えられなかったという記載で、おしなべて「クリックしてね」全てとは実は言ってないわけです。

それが伝わらないのは、後半が断言に見えるということや、コメント欄での「わたしはまずない」等の断言という表現を使用したということで、わたしの失敗でしょう。



つまり、過去出会った中で印象がどんどん強くなってしまっていって、高くなっていっている傾向のある「クリックしてね」というハードルの存在が、わたしにはある。

こうした「ハードル」というのは、aozoraさんのコメント中で、わたしの誤読でない限り、ランキング参加している方も、ある意味、閲覧者に対してかけているということですよね。

それが個人として考えられる利点となるのならば、わたしはそれでいいんではないかと思います。



その上で、

「なるほど」と思ったのが一点。



> アクセスが増えればアンチも増えます。

> 異常なアクセスは殆どの場合そうでしょう。

> そんな時、ランキングに投票してくれている人たちというのは支えになってくれます。



そして「意見の一致」を感じたのがココ。



> ランキングも長い間参戦していると、ファンがついて固定化してきます。



短期ではなくある程度の期間を続けることで、

「なんらかの軌跡と位置が見えると、わたしは思う」。

まあ、コメントでは、「とにかく半年」と具体的につけましたが、本人にとって「見えてくる期間」なら、それが妥当な期間なんだとわたしは思います。
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どうも (aozora)
2005-07-07 16:36:29
レスありがとうございます。



えと、私が「こっちこそ選んでいる」と表現したのは、対立とか戦争とかじゃなく、「クリックしてね」というのはつまり「選んでちょうだいね」と受け取ってて、逆にクリックしてもらう立場に立つと、意外にそうでもないということを言ったのでした。

すみません、分かりづらくて。



>でも、「クリックしてね」を全て同等と扱って、切って捨てているわけではないのですよ。

一回、一回、「クリックしてね」を上回るものがあるかどうか、という期待を寄せるのは確かだと思います。

しかし、残念ながら、そのハードルを越えるものと、わたしが出会っていない。

そういうことではないかな、と思います。

実際、この記事でも、「いいな」と思ったもの、そしてそこもそのハードルを越えられなかったという記載で、おしなべて「クリックしてね」全てとは実は言ってないわけです。

それが伝わらないのは、後半が断言に見えるということや、コメント欄での「わたしはまずない」等の断言という表現を使用したということで、わたしの失敗でしょう。



失敗とも思わないですが、そうですね、最初のテキストを拝読した限りではランキングは全て受け付けないという感じでした。

たぶん、

>今日も例外とはなりませんでした。



の例外というのがそうなのでしょうね。

私は、例外というのは「クリックしてね」がないことだと読んだので。





私も同じような気持ちで長い間ランキングには参戦していなかったし、最近はblogランキングから事実上手を引きました。

ランキングもそれを利用する人も、利用の仕方もまさに百人百様です。

一応書きますが、反論でも説得でもありませんのでご了承を。

共感する部分は先に書いたとおりです。

ではまたお邪魔させていただきます。

ありがとうございました。

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ネタ元 (じゅん吉)
2005-07-08 09:00:45
「むだづかいにっき♂」の2004/10/14の記事のネタ元となって引用されているコメントは、実は私でした。知ってました?いや、ただ、それだけですが。。



この記事よんで再びその記事読み込んじゃった。
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