里の常連さん情報

横田の里の常連さんが綴る里のネタ特集

真面目過ぎたのか?!

2016年03月24日 | 春ネタ

誰もが「真面目」と認める男が、野球賭博への関与を認めた。息子の過ちをただただ謝る父。未来を嘆く恩師。野球人生は順調だったはずなのに……。なぜこの若者は、道を踏み外してしまったのか。

■父親が本誌に語ったこと

読売新聞東京本社で涙の謝罪会見が開かれたのと同じ3月9日、巨人・高木京介(26歳)の故郷・石川県能美市でも、頭を下げる人がいた。

過ちを告白するよう息子を促した、高木の父・和也さんである。

会見から約3時間後、本誌は和也さんを訪ね、心境を聞いた。

--お話をお伺いできますか。

「申し訳ありませんが、球団から、『親は表に出ないように』と言われておるもんで……。本人も大人ですから。わざわざ足を運んでいただいて、申し訳ないです」

--息子さんは会見で、ご両親の言葉を受けて告白することにしたと語っていますが。

「何も言ってないですけれども……。ただ、相談があったから、『正直に言いなさい』と言っただけです」

--高木選手の今後に関してはどのようにお考えですか。

「それはまだ考えられないです。自分がやったことの責任の大きさを自覚して、ちゃんと罪をつぐなって更生してもらいたい。親子共々、一緒になって頑張っていきたいと思います」

--野球を教えたのはお父さんだと聞いています。野球を続けて欲しいという気持ちはありませんか。

「そんな……それは全然ありません。今はそんなことを考えられる余裕がありませんし」

--高木選手だけが悪かったわけではなく、球団の体質にも問題があったと言われています。

「はい……。もうよろしいでしょうか。(息子のことを)良いふうに書いていただけるのなら、書いたってください。お願いします。私らもほんとに申し訳ないことをしたと反省していますから。今日は、わざわざ足を運んでいただいて、ありがとうございます」

「球団に止められているから」と、表には出てこなかったが、玄関の扉越しに取材に応じてくれた和也さん。会見での高木同様、言葉を選びながら率直な気持ちを丁寧に話す語り口からは、真面目な人柄が感じられた。だが、その声は何度も震えていた。

高木京介の野球賭博への関与が発覚し、球界が再び揺れている。

昨年10月に発覚した3人に加え、またしても巨人から新たな賭博選手が出たからだが、理由はそれだけではない。

高木が、球界でも有名な「真面目な男」だったからだ。

■恩師へかけた詫びの電話

星稜高校時代の恩師・林和成監督が語る。

「庇うわけではありませんが、彼は本当にいい子でした。私のなかではいまでもそうですが……。プロへ進んだ卒業生を何人も見てきましたが、そのなかでも高木の『真面目さ』は群を抜いていた。高校時代はどちらかというと、大人しいタイプで、喋る姿さえあまり見たことがないほどでした。

寡黙で実直な生徒でね。授業でも場をわきまえるタイプで、騒ぐことも寝ることもなかった。本当に優等生でした。後輩の面倒見もよく、地元に帰ってきたときは、練習に顔を出して走り込むなど、良き見本となっていました。

もちろん、賭け事が好きなんて聞いたこともなかった。彼はタバコも吸いませんからね。高木から『ジャイアンツの選手は喫煙者が結構多い』なんて話も聞いていましたが、彼は野球のために絶対にやらなかった」

それだけに、高木が関与していたという事実に驚きを隠せないと語る林監督。だが実は、会見の前日、こんな電話が高木本人からかかってきたという。

「震える声で『星稜の名前を汚してしまい、申し訳ございません』と詫びていました。声の調子から察するに、かなり憔悴している様子だった。彼の気持ちが痛いほど伝わってきたので、こちらから叱責することはありませんでした。『今できることをしっかりやりなさい』と伝えると、『わかっています』と言っていました。

おそらく、本人は身を引く覚悟を決めていると思います。『これからどうなりそうだ?』と聞くと、『今は謹慎中ですが、自分は覚悟をしています』と答えていましたから。本当に残念です」

恩師に電話をかけ、己の過ちを詫びる律儀さや、近所の住民や番記者らが「まさか京介が」と口をそろえていることから見て、高木が本当に真面目な男だったことは疑いようがない。

ではなぜ、そんな男が野球賭博に手を出してしまったのか。

高木が初めて賭けたのは、'14年4月下旬。昨年11月に野球界を永久追放になった元巨人の笠原将生(25歳)から、試合前に誘われたのがきっかけだった。

一度賭け始めれば、熱くなり、深みにハマってしまうのがギャンブルの常。その後、高木は笠原を通じて、8~9試合を対象に野球賭博を行った。1試合の賭け金は10万~15万円だった。

笠原ら3名の関与が発覚した後、高木も球団の調査対象にはなっていた。にもかかわらず、これまで関与が明らかにならなかったのは、ウソをついていたからだ。「笠原に名前を貸していただけ」と報告をすることで、追及を免れていた。

■断る強さがなかった

だが高木は、ウソをつき続けられる「ずるい大人」ではなかった。

笠原が通じていた賭博の胴元から何度も連絡があり、次第にその存在に恐怖を抱くようになった高木。さらに、2月下旬には週刊誌の取材も球団へ入り、これ以上逃げ続けることはできない状況に追い込まれた。

そしてついに、やったことの重さに耐えられなくなり、両親や妻へ相談。説得され、会見を開くこととなった。

「自ら賭博に手を出したわけではなく、笠原から誘われて、つい手を出してしまったんだと思います。高木は『バカ』がつくほど真面目で、素直過ぎるがゆえに、先輩にはよく使いっ走りにされていましたし、後輩からもからかわれていた。AKBが好きで握手会に行ったとか、オタクっぽいところもありましたからね。あまり自己主張をしない優しすぎる高木は、チームのなかではいじられキャラだったんです」(巨人球団関係者)

また高木は、巨人に入ってから、高校時代は知らなかったギャンブルの楽しさも覚えたようだ。競馬もやったが、一番好きだったのはパチンコだ。高木の役割は、プロ野球選手のなかでも特にストレスのかかる「中継ぎ」。高木にとってギャンブルは、息抜きでもあったのだろう。

「だからこそ、笠原の誘いにも軽く乗ってしまったんでしょう。何百万円も動くものではなく、ちょっとしたギャンブル。パチンコや競馬の延長だろう、と。その証拠に、8試合ほど賭けて50万~60万円近く負けた後、怖くなったのか、野球賭博はきっぱりやめています」(前出の関係者)

だが、NPBの「協約」には、野球賭博に関与すれば厳しい処分が下ることが記されている、厳然たる禁止事項。「軽い気持ちで手を出した」で済む問題ではなかった。

3月10日、巨人はNPBに高木を告発。賭博の関与者が続発している状況を鑑みて、今後、二度と同じ問題を起こさないためにも、NPBが「野球界永久追放」という最も重い処分を下すことは間違いない。

高木は小学校3年から野球を始め、厳格な父・和也さんとともに、二人三脚で野球の道だけを歩んできた。

中学卒業後は、北陸の名門・星稜高校に進学。球威のあるピッチングだけでなく、迫力あるバッティングも売りで、先輩である松井秀喜にあやかり「ゴジラ2世」とまで呼ばれた。

その後、進学した國學院大学でも1年生から主力となり、'11年にはついに、巨人からドラフト4位指名を受けてプロ入りを果たした。

プロでも、順調な野球人生を歩んだ。ルーキーイヤーから活躍し、日本シリーズの第6戦、優勝をかけた大一番にも登板。勝ち星を挙げ、日本一を決めた際には、父・和也さんは「感無量だ。全て周りの皆さんのおかげだ」と、息子の活躍を喜んでいた。

さらにプロ4年目の昨シーズンには、「一軍戦初登板から117試合連続負け無し」というプロ野球新記録も樹立。エース・マイコラスの離脱もあって、今季は念願の先発ローテーション入りも期待されていた。

だが、そんな可能性に満ちていたプロ野球選手としての未来を、高木は自らの手で失ってしまったのだ。

■巨人のスターは狙われる

'85年~'89年の間、巨人で広報室長を務めた若林敏夫氏が語る。

「もしかしたら、高木にとっては、巨人という球団に入ったのもよくなかったのかもしれませんね。在京球団であり、スター揃いというイメージもある。そのため、いわゆる『反社』的な人たちが選手たちに近寄ってきやすく、『遊び場』も多いのです。私も広報室長時代、選手たちの管理にかなり苦労しました」

事実、これまでも巨人では、野球賭博にかぎらず、いくつもの問題が発覚してきた。

たとえば、'12年に発覚した「原辰徳1億円恐喝事件」。原は関係を持った女性との間でトラブルを起こし、それを解決するために、暴力団関係者に1億円をわたしたとされている。

最近でも、清原和博が逮捕され、巨人時代にも薬物を使用していた疑惑が浮上。'06年に覚せい剤取締法違反で逮捕された元巨人投手の野村貴仁は、「巨人の何人もの選手に薬物をわたしていた」と証言した。

そして、今回の野球賭博問題。やはり、巨人という花形球団で、数多くある誘惑を拒み続けるのは難しいようだ。

前出の若林氏が言う。

「プロ野球選手は野球しか知らずに育ってきた者ばかり。はっきり言ってしまえば、世間知らずです。彼らは、関わってはいけない人間の『空気』を察知できない。だからこそ、女、カネ、酒にからめ取られて道を誤ってしまうんです。

球団が完璧に管理するのは難しいでしょう。シーズン中はまだいい。しかし、12月、1月のオフ期間までは、把握しきれませんからね。『プロでの心得』といった講義をしているだけでは、野球賭博にかぎらず、様々な問題が今後も起きるはずです」

高木京介の過ちはあまりにも大きい。だがもしかしたら、野球漬けの人生を送ってきた者は誰もが、彼と同じ間違いを犯す可能性があるのかもしれない。


ホルモンの名前の由来

2016年03月24日 | 冬ネタ

ミノやマル腸を食べていると、「内臓肉をホルモンと呼ぶのはナゼ?」という疑問が提起され、その場で手分けして検索し討論した。

 (1)ホルモンの呼び名には本来の意味の「ホルモン=学術用語説」と、関西弁の「捨てるもの=放(ほ)るモン説」の2説がある。

 (2)ホルモンが肉食の一分野として定着化していったのは、社会的にも食糧事情的にも非常に厳しかった日中戦争~太平洋戦争前後の時代。

 (3)内臓肉の特徴は、筋肉である普通の肉と比べて非常に腐りやすい=食中毒になりやすいこと。それは腸や胃や肝臓などの消化器官には、それぞれの部位ごとに消化液や酵素や血液などの体液や大腸菌などの細菌が詰まっているから。このため、当時の常温での流通では内臓肉の販売は困難だった。

 (4)だから関西人が、もったいなく思いながらも内臓肉を一括して「放るモン=廃棄物」と呼ぶことは合理的で、それが一般化したとする説は説得力が高い。

 (5)一方の学術用語説は、ホルモンが分泌・作用する場所=内臓を食べれば、生命力や精力がつくという疑似科学的な考え方を前提に、特定の料理店が命名し、メニュー化したものが流行したとする説だ。

 ただこの説は前提となる内臓肉の流通の困難さの問題を克服した後(冷蔵技術の進歩後)でないと一般化することは不可能。以上のことから、われわれは「ホルモン=放るモン説」が先行して存在していたハズだと結論づけた。