“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

「がれき処理手伝って」

2012年04月04日 13時00分00秒 | 臼蔵の呟き
今朝のNHK朝の全国版ニュースで「伊集院さんの新社会人に贈る言葉」が時間をとって紹介されました。伊集院さんは現在仙台市に住んでいます。また、昨年の大震災を受けて、震災復旧に関する取り組み、意見の発表などを行っているそうです。そこで、以下の訴えが載っていましたのでお知らせの意味で載せます。被災後の状況、被災者の気持ちをある意味で代弁もしています。伊集院さんの思い、やさしさなども感じていただけると思います。

<伊集院静氏のいら立ち…「がれき処理手伝って」>

それぞれの3・11 東北に思いを込めて

 「ボランティアに来てくれたみなさん、本当にありがとう。でももう一回、がれき処理を手伝ってくれませんか」

 仙台市内の自宅が半壊した直木賞作家の伊集院静氏はそう訴える。3月11日午後2時46分は自宅で仕事中だった。家屋は半壊した。それから1年、家の修理は終わっていないが、生活はほぼ通常に戻ったという。しかし被災地の約2200万トン(環境省推定)のがれきはほぼ手つかずのまま。「目の前にがれきが山と積んであったら、物理的にも、精神的にも復興はできない」と話す。

 最終処分されたがれきは全体の約5%。「がれきを受け入れてくれたのは北海道、東北4県、東京、埼玉、神奈川、静岡、京都、高知の一部自治体だけ。それ以外の全国市町村は拒否した。首長は“住民を守る義務がある”というが、それは勝手な理屈。きみたちはどこの国に生きているんだ。県市町村、全部が合わさって日本という国家じゃないのか。それでも日本人か、恥を知れ」と語気を強める。

 「心配してますと口にしても、あなたがたが選んだ首長ががれきを拒否しているんだ」。国難と言われる東日本大震災だが、約8割の国民は被災を逃れた。伊集院氏は、がれき処理に国民一丸とならない現状にいら立ちを募らせる。「全国の各家庭が灯油缶にがれきを詰め“2011年に震災があった。いつか自分のところにも起きる”と書いて置いておけばいい。2、3代先へ警鐘になるし、一度にがれきの処理も終わる。それが日本人としての努めではないのか」と提案。受け入れが難航する背景には放射性物質の汚染があるが「それは必ず処置の方法がある」と科学で解決できる問題とした。

 伊集院氏は、震災の問題と沖縄の基地問題がだぶって見えるとも言う。「被災しなかった8割の日本人は、自分たちのところへ地震が来なければいい、基地が来なければいい。そういう見方をしている。東北と沖縄に対する目が同じ。これがいまの日本人を表しているのではないか」と憂えた。

 3月11日には被災地以外でも100を超える追悼イベントがある。「でも残っているがれきの量は減らない。どうしてくれるのかということ。ボランティアにはもう一回お願いしたい。がれきの撤去を手伝ってほしい」と繰り返した。
 義援金の使途、被災地の建設技術者不足など、がれきと同様、問題は山積み。伊集院氏は「見つかった行方不明者の通夜、葬儀がいまでも毎日行われている。それがいまの東北。復興まで道のりはまだ遠いということを、みなさんには理解してもらいたい」と全国民に訴えた。

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