昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

行者ニンニク

2009-04-19 23:00:26 | 日記・エッセイ・コラム

からりと晴れた日曜日。久しぶりに休日の早起きをする。というか、早く起きざるを得なかった。日曜は、格別のことが無ければ教会に行くことにしているのだが、特にかーたんは9時からの教会学校でオルガンの当番がある。しかし、かーたんは先週の月曜に下北沢でちょっと自転車を停めた間、違法駐輪で、自転車を持っていかれてしまった。そこで、教会へは徒歩で行かざるを得ない。そこへもってきて、この前膝を痛めて、のたのた歩きしかできない。ただでさえ、かーたんは丑年だからかどうか知らんが、よく言えばのんびりしている。そこで、オカブが早起きをしてかーたんの朝食を作って、楽譜その他の大荷物を持ってやって、教会までエスコートしてやった次第。

教会の帰りに、今夜の晩御飯の買い物にと八百屋をのぞいてみたら、店先に行者ニンニクが並べてあった。これは珍しい。思わず一パック買ってかえる。180円という安さもあったが。行者ニンニクは高山などの寒冷地の湿地に群生する一種の山菜である。昔は一部の山屋か余程の山菜好きにしか知られていなかったが、今では北海道の名産として札幌の市場などで売っているらしい。しかし、これは北海道特産というわけではなく、本州の高地でも採れる。深田久弥さんが著書『瀟洒なる自然』で行者ニンニクについて一項を設けて、解説しているので、少し長いが引用してみよう。「尾瀬ヶ原で長蔵小屋を手伝っている奥川雪江さんが、原で採ったギョウジャニンニク(行者葫)を届けてくれた。私の大好物だから、生で味噌をつけてかじり、味噌和えにし、味噌汁の実にした。ニラ、ニンニクの類だから臭気が強く、食後は人前を憚らねばならぬほどだが、何しろうまい。ニンニクは精力をつけると言われているが、わけてもギョウジャニンニクは、行者がそれを一本食べただけで一日保つというので、その名がある。ニンニクは葫あるいは忍辱と書く。忍辱は耐え忍ぶということで、坊さんがこの劇臭のある植物を意に介せず食うことから来たのだそうである。葫は、この植物が西域から渡来したことを示している。古い昔、中国では遥か西方の辺境から来たものには皆「胡」という字をつけて呼んだ。「君聞カズヤ胡歌の声」「笑ッテ入ル胡姫酒肆ノ中」など、唐詩選には胡の字のついたものが頻りに出てくる。胡瓜、胡麻、胡椒などもそうである。その中で胡の字に草カンムリをつけた葫こそ、西域から伝わった草類食物の代表だったのかもしれない。いにしえの長安の都を出発して、雲煙万里、沙漠を渡り、草原を通って、所謂西域の果てまで辿り着くと、そこに難関の氷雪を頂いた山脈が立ちはだかっていた。それを越えなければ、ペルシャ、あるいはインドへ達することができない。中国ではそれを葱嶺と呼んだ。玄奘三蔵法師はその葱嶺についてこう書いている。「東西南北各数千里、崖嶺数百里、幽谷険峻、恒ニ氷雪を積ミ、寒風勁烈、地ニ多ク葱ヲ出ダス。故ニ葱嶺ト謂フ」この葱はギョウジャニンニクであろうと言われている。そういう高地に産する野生の葱類は、ほかにないからである。(略)」

家へ帰り夕飯時、酒の肴に味噌をつけて生でがりがりかじる。ニンニクとエシャロットを合わせたような味で、わずかに甘味がある。深田さんには悪いがそう美味い物とも思えない。臭いは強烈である。禅寺の門前に「不許葷酒入山門」と書いた石柱が立っていることがままある。酒とは文字通り酒であり、葷とは臭いのついた野菜、すなわちニンニクのことであると何かの本で見たことがある。禅寺では、修行の邪魔となる酒とニンニクを出入り禁止にしていたというわけだ。これは、一見、坊さんが特にニンニクを食ったという先の深田さんの記述と矛盾する。しかし、もちろん禅坊主がニンニクをご法度にしたというのは形式上のことだけである。オカブの今日の夕食はこの行者ニンニクと素うどんだけ。貧乏人はニンニンである。

    日曜の店に白シャツかげろうや     素閑

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