昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

花の季節です。

2009-04-18 21:59:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の金曜は、春の初めに戻ったかのような肌寒さだったが、今日は陽も差して、暖かな陽気。三寒四温とは、いまどきの気候のことだろうか。桜は散ったが、まだまだ春の様々な花が百花繚乱である。我が家の猫の額ほどの庭にも、何種類かの花が咲いている。シャガ、三色菫のほかは、無学なオカブには名前が分からない。しかし、陽春の陽を浴びて咲き誇る花を見ていると、心も和む。そこで花を題にした三首。

  花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや

  ぬばたまの光のどけき春の日にしず心無く花の散るらむ

  花の色はうつりにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに                

  二重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

一首目は藤原定家の作だったろうか。千利休が茶の心はいかにと人に問われ、ただこの歌を一回詠じたことで有名である。爛漫の花の春そのものよりも、わずかな、かすかな春の兆しにこそ茶の心は似たりと言いたげだ。

二首目は紀友則の作。この歌の花は桜だそうである。春の盛りに、儚く散りいく花の運命的な本質を鋭く突いて詠んでいる。

三首目。小倉百人一首でお馴染みの小野小町の作といわれている一首。紀友則の作と同様に、花の儚さを憂い、それに女人の容色の移ろいをかけている。

四首目。後拾遺和歌集の中務卿兼明親王の歌だが、太田道灌の人となりを伝える歌としてつとに名高い。ある日、巻狩に出かけた道灌一行が、突然雨に遭い、蓑を借りようと立ち寄った一軒の家の娘が山吹の花の枝を差し出しただけで、後は何も語らない。そのとき、道灌は何のことか分からず、怪訝に思ったが、後にこの歌の「実の」と「蓑」をかけた意味と知り、自らの不調法を恥じた。それから道灌は和歌の道に精進したという。明日の命をも知れない戦国武将の嗜みの深さと、道灌の奥ゆかしい度量の広さを示している。どこぞの国の漢字を読めない宰相なども大いに恥じて、自らを省み道灌を見習って欲しい。

江戸初期の怪僧というか傑僧というか、家康から三代の将軍に仕えた南光坊天海僧正が、徳川家光に春になり種々の花が咲き誇っているのお、と声をかけられ、「お国に文学が栄えたので、花の色も豊かになりました」と応えたという。天海は、言い伝えでは、この時とうに九十歳を越えていたと言うが、その機知の鮮やかさは彼の茶坊主としての天賦の才が遺憾なく発揮されている。しかし、天海が一介の茶坊主ではなかったことは言うまでもない。彼は、増上寺の開基となったのを始め位階人臣を極め、また金地院崇伝と並んで当代の政略家として権勢を振るった。ただ、崇伝がコワモテだったのに対し、天海は将軍の勘気を被った者を執り成すなど、若干、旨い処取りの役回りを演じている。

 

  春更けて妻の化粧の長きかな     素閑

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