昔、勤めていた会社の社長が「論理的な狂気」で仕事をやれ、とのたまったのを聞いた。
その会社は、今にも潰れそうな外資系のベンチャー企業で、売り上げの確保が急務だった。
それにも関わらず、営業はまったく危機感がなく、のんべんだらりと一日の大半を会社の社内で過ごしていた
別に営業だけが悪いわけではなく、会社全体が沈滞と諦めムードに満ちていた。
そんな状況に喝を入れようと社長は冒頭の言葉を吐いたと思われるが、この社長自身が、折あらばこんな会社からスピンアウトしようという魂胆だった。
これでは、やる気のある社員は救われない。
しかし「論理的な狂気」というフレーズは気に入った。
人間、何事も理屈だけでは通らない世界がある。
理詰めで行けば駄目なことでも、時には推さねばならないこともある。
商行為も同列である。
しかし、そこにはそれなりの筋道が必要と言うことだろう。
こんな好景気と言われている世の中でも、アゲインストの風に晒されている企業は山ほどある。
釈迦の耳に説法だが、そういう企業の経営者・社員はこの「論理的な狂気」を参考にしてもらいたい。
汝がために梅をみせばや探りけむ 素閑
狂乱のアリア鎮まり梅探る 素閑
探梅や神のおわす屋背戸の山 素閑
山入りていらくさ埋もる梅探る 素閑
白き山探る梅とぞみまがひぬ 素閑
鳳輦に駕す高僧も梅探る 素閑
探梅や谷戸の崖上岩割りて 素閑
梅探る草の庵のかほりかな 素閑
猿もまた探る梅の香よひにけり 素閑
探梅や遠くにのぞむ伊豆の海 素閑
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