故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

丸亀のため池

2013年01月03日 17時23分01秒 | 日記

昨日から思っていたが、今日はたぶん起きられないと思っていた。何せ孫の美空ちゃんを相手に疲れていたのか。でも、目が覚めると5時10分だ。では、起きて歩こうと思ったが風がピューピューと吹いている。それと冷たい。歩きは止めてテレビを。6時にやっと新聞が来た。7時半には次男も起きてきた。昨日までとは違って静かな朝。孫の美空ちゃんは嫁の実家に昨日から行っている。 午前は少しばかりドライブを、今日はうどん店も開いている、正月3が日でも もう開店している。最近はスーパーなんぞも元旦から開いているし別に年末のバタバタ時に買い物しなくていいようなものだけど、どうしても主婦は買い物するんだなぁ。(これは、うちのミキばーちゃんだけかな)

このような動きの中で、写真は昨日の歩き時に写した 丸亀市郡家町にある「庄の池」だ。この池の築造は宝永7年(1710)~享保3年(1719)の頃といわれ、海抜約16㍍にある皿池型のため池である。 同時代に築造された丸亀のため池は、馬池(柞原町)・田村池(田村町)・千代池(金倉町)・上池(垂水町)がある。面積は67,000㎡であるが、池の3分の1が埋め立てられ四国ポリテクカレッジ(四国職業能力開発大学校)になっているから昔はもっと大きい池であった。左の方に見えるのが学校の建物である。 朝7時なので写りが悪くてすみません。

 

今日の相田みつを は、これだ「自分の番 いのちのバトン」今、ここに自分がいるのは、過去無量の人達。そして今を生きている。

 

次男は同窓会とかで友人の迎えでお出かけに、その後 私は一人でドライブを(何かあるかな?)。

では、今日はこの辺で じゃ~またネ