今朝は久しぶりに4時半に目が覚めた。外はまだ暗い。5時10分までテレビで予報などをチェックして歩きに出た。今日は暗いので懐中電灯を持って出た。でも何故か蒸し暑く感じた朝だった。1時間20分の歩きで汗が流れてきた。 本当の秋はまだまだかなぁ~
高松市円座町にある小橋一族の墓。先ずは小橋安蔵の墓。小橋安蔵は医師の道寧の長子として文化5年(1808)11月1日に生まれる。名は以文(シゲフミ)、通称安蔵、号を香水といった。早くから勤王の志が厚く、松平左近や松崎渋右衛門らと親交があり、また弟妹に、木内順二、小橋橘陰、村岡箏子、箏子の子・宗四郎、娘婿の太田次郎などがいる。東讃勤王家のリーダーともいわれる。 明治5年6月24日永眠。享年65歳。特旨をもって正五位を贈られた。
安蔵の子。友之輔の墓、禁門の変で戦死した。正五位を贈られた。
古高松小学校にある安蔵の弟、順二の碑。 22歳の時に木内家の養子となり帰来地区に住む。号を龍山といい、維新後は自分の屋敷で40~50人の子供に勉強を教えていた。古高松小学校の前身である。
安蔵の娘婿の太田次郎の墓(高松市川島東町)。火薬や軍器の製造に成功し活躍した。
太田次郎の旧宅跡(三木町田中石塚)中央の白い物置あたりに約90㎡の屋敷があったが、昭和51年に老朽化のために取り壊された。当時の屋敷にはつり天井や抜け道のある押入れなど、からくり仕掛けが珍しい屋敷であった。が、今は当時を思うものは何もない。
って事で、今日は小橋勤王一家を少し。じゃ~またネ
ボランティアで、円座校区コミュニティ協議会のホームページ作成を担当している岡田 光弘と申します。
当ホームページのえんざの地域紹介のマップから
小橋安蔵について記述されている貴ブログのページへのリンクを張らせて頂ければ幸いです。
郷土の偉人を広く知ってもらえればと念願し、お願い申し上げます。
2017-02-24 岡田 光弘
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