故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

子供の頃の通学路は遠かったんだなぁ~

2013年01月05日 17時04分32秒 | 日記

今朝は5時に目が覚めた。最近は目覚まし時計が鳴る前に目が覚めるから早いものだ。起きてからテレビを付けてコタツに入る。新聞はまだまだ来ない。で、6時になったので歩きに、出発。今日は50年ほど前に毎日通った小学校へ。途中皇子神社でお参り、ここは西側にある神野神社正八幡宮と合わせてこの辺では両宮と呼ばれる。そして宮池・大池・矢野池に挟まれた土手を歩く。北風が強い日、この土手を歩くのは辛かった。小学生の時、強風で帽子が飛ばされて池の中へ飛んでった事も。あの時帽子はどうしたのか忘れてしまったけど。小学校へ着くと所要時間は20分、1年生ならどの位かかっているのだろう? 大変だろうな、歩く距離は今も昔も同じだから。私が小学校へ通っていた時とはずいぶん変わった、無理もない子供たちが通った時からでもすべてが変わっているのだから。

手袋をしてマフラーして歩いたが手がこじける(方言かな?指先が冷たく痛い状態)。 明るくなると分ったが、大霜だ 車も、野菜もこの通り 白く霜が降ってる。

 

今日は次男宅へクロネコヤマトで宅急便を送った。食料やお土産品を入れて明日の日曜日に着くように送った。午後からのドライブで国分寺町を走っていると、こんな碑が「希望の塔『微笑』」。いいね。怒りより・ムッツリより・泣き顔より微笑みがいい。

 

今日の相田みつをは、これ ⇒ 振り返ってみると↷に、わき見で他の人が・・・。

 

では、今日はこの辺で、じゃ~またネ