故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

伊予路の旅の最後は『さいさいきて屋』

2014年02月20日 17時50分04秒 | 幕末史

今朝は、怖い夢を見ていて魘されて目が覚めた。訳の分からない崖の上に登り、足元の岩が崩れ落ちて降りれなくなった変な夢。そんなんで4時前に目が覚め、もう眠れないと布団から出たのが4時半。4時50分から歩きだした。今日は2時間20分の歩きで、歩数は16,117歩だった。今日は昨日までとは違って暖かく仕事でも1枚脱いで作業をしたくらい。夢と違い1日楽しく仕事が出来た。

で、日曜の旅の続き。 西条市小松町を後に今治市の『JAさいさいきて屋』に行った。ちょうど昼時、駐車場は満車状態だ。何とか1台分が運よく開いたので駐車。大流行の産直店だ。

 

お腹も空いていたので、先ずは食堂の方へ。この通り行列が出来ている。 最初にお盆をとり自分で好きなおかずをのせる、ご飯とみそ汁を注文して、最後に支払をする。食べ終わると返却台へ食器などを返してお終い。讃岐のセルフうどんと同じ仕組み。

 

で、私はこれだけを。代金は友人のおごりなので?だ。友人も同じくらい取っていた。残ったおかず等はパックに入れてお持ち帰りができる。でも、2人とも全て食べ尽くし満腹に。

 

食後は産直の棟へ。うわ~ぁ、すごく広い店内。たぶん広さでは四国1番だろう。魚介類・野菜果物・乾物・お米・お花等等。  私はお菓子やお餅をお土産に買って帰った。

 

ここで、途中寄り道。山越え。車を走らせると雪で行けるのだろうかと不安が?・・・。で、何とか着いた。周りはこんなに雪が。

 

伊予の三湯の一つ「本谷温泉」。ここは山の中に一軒の宿。本館と新館があり、それぞれ入口があるが、中で繫がっていて行き来は自由。私等は左側に見える新館の温泉を利用。料金は300円だった。香川県の温泉より格安。

 

充分温まってから出たが、お連れさんはまだまだ。20分程休憩所でゴロリンして待った。何時までも身体はポカポカ。その後、今治市内へ寄り道、夕食は軽くラーメン。。途中、石鎚SAに寄ると。椿温泉こまつ。もう入らないから休憩なしで友と別れ帰宅は8時を過ぎていた。

 

 って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


伊予小松藩の旧城下町かいわいの散策

2014年02月19日 09時21分52秒 | 歴史

今朝は4時20分に起きた。何でこんなに早く目が覚めるようになったんだろう???。もっとゆっくりと寝てもいいものだけど。昨夜、布団に入ったのが9時半だったから、6時間50分の睡眠時間。まぁ~熟睡しているから良いかと。そんなんで歩きに出たのが4時45分から。まだまだ暗いから懐中電灯を片手に、車のライトに光る反射腕章を腕に巻き歩く。6時20分頃になると、やっと周りが見えるようになる。丸亀高校正門前の梅の木を横目に、帰宅したのが7時過ぎ。今日の歩きは15,653歩だった。

昨日の続き、篤山旧宅を後に、『養正館跡』に。 ここは7代藩主一柳頼親が享和2年(1802)に開校した「倍達校」であったが翌年に近藤篤山を迎えた。篤山は名称を「養正館」と改め、江戸の昌平黌の制度を取り入れた。養正館の教授役は篤山から長男・南海、次男の簀山へと受け継がれ多くの有能な人材を輩出してきた。(説明板による)

 

史跡『小松藩陣屋跡』

 

円覚山 仏心寺に。 このお寺は2代藩主一柳直治が初代藩主直頼の7回忌に一柳家代々の菩提寺として建立された。山門。

 

本堂。 お参りしました。

 

これは『供待』。大名の菩提寺にある独特の場所で、藩主が参拝している間、供の侍たちが待つ待合所である。 初めて見たけど、冬なんか、ここで待っているのは寒かっただろうなぁ~

 

鐘楼。 宝暦8年(1858)の作。太平洋戦争での供出を免れたらしい。

 

御霊屋門。 元藩主の墓所に建てられていたが明治時代に寺内に移築したもの。

 

この仏心寺は椿寺としても有名らしいけど、殆ど終わっていて、ここだけしか花が見れなかった。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


近藤篤山旧邸を訪ねて

2014年02月18日 11時31分22秒 | 歴史

今朝もいつもと同じ5時に起きた。昨夜の予報は朝のうちは雪だと。着替えを終えて外を見ると雨だった。歩けない。ならば、朝食を。早いと思ったが、昨夜のうちにミキばーちゃんが用意してくれている物をチンして一人で食べる。便利になったものだ。その後はパソコンで知人のブログを拝見、新聞も念入りに読んだ。雨も止んだので、9時半から1時間20分程の歩きを。途中で、前職場の女性とバッタリ。今日は休日だけど、仕事が溜まっているから、今から行くとの事。ストレスも溜まっている様で大変だなァ~と。私も現役時代は残業あり・休日出勤ありで、ほとんどがサービス残業だった。民間会社では当たり前のようになっているが、責任もあり大変だった。 寒いので彼女は早々に車に乗って仕事場に、今度ゆっくりと話をしようと別れた。

先日日曜日に、伊予聖人『近藤篤山』の旧邸を訪ねるために休日友人を誘った。善通寺ICより高速道路で、伊予小松ICを降りれば近い。愛媛県に入ると所々に雪が積もっている、前方には真白く積もった山が、石鎚山だろうか? (写真の写りが悪いから分るだろうか)

 

近藤篤山旧宅に到着。

 

近藤篤山は伊予宇摩郡小林村(四国中央市)で生まれ苦学の末、川之江で塾を開いていたが、度重なる小松藩主・一柳頼親の招きで38歳の時、藩校「養正館」の教授となった。3年後には、この邸に移り、邸内に設けた私塾「緑竹舎」でも藩内外の者に指導した。以後81歳で亡くなるまでの約40年間この旧宅で過ごした。現在、愛媛県指定文化財となっている。入館料は私の年齢が〇才で無料。友人は200円だった。

 

小さい玄関をくぐる。

 

書斎で、篤山像。

 

庭と縁側。目の前には雪が残っていたが何故か暖かい。

 

三戒の教え。『立志(志を高く)・求己(自らに求め)・慎独(ひとりを慎む)』の3つの教え。

 

藩校(養正館)に掲げられていた三幅対。

 

で、私も、もうすぐお仕事に出かけないとという事で、今日はこの辺で。伊予小松探訪は次回も、じゃ~またネ


多度津町立資料館の古地図展

2014年02月17日 09時47分55秒 | 歴史

今朝は起きたのが、4時半。何でこんなに早く目が覚めるのだろうか? だから歩き始めたのが4時50分。西へ西へと歩き善通寺市中村町でUターン。そこから帰る途中に金蔵寺町か原田町の旧天満屋ハッピーターン。

 

店じまいしていたが、こんな看板があった。『スーパーセンター プラント3月OPEN! と、プラント?あまり聞いたことのない店名だ。調べてみると、福井県坂井市に本社を置く会社、あの名城『丸岡城』のあるところだ。北陸の丸岡、もう一度行きたいなぁ~   このプラントは、スーパーマーケットであり、ホームセンターでもある。すべてがそろった大型スーパーセンターという。すぐ隣にはホームセンター『ナフコ』があるのだが・・・。消費者にとっては嬉しいことだけど。

 

で、多度津町立資料館にやってきた。

 

古地図展 ―鉄道線路地図を中心にー を見るために。

 

この様にたくさんの地図が展示されていた。しかし、今回は失敗だ。いつも持っている拡大鏡を忘れていた。最近は小さい文字などが眼鏡だけでは見えなくなったから拡大鏡が必要となってきた。

 

3月末までの展示だから、再度来れば良いことだけど。  って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


豊中町の延命院

2014年02月15日 18時55分34秒 | 歴史

今朝も5時に起き、外に出ると小雨が降っていた。歩きは止めてパソコンいじり。6時になると新聞が来たので朝食後に目を通したが何か物足りなさが・・・。8時前には雨が止んでいたので1時間ばかり歩いた。もう少し歩きたかったが、先輩と会う約束をしてるので。私は勤め出したことの報告等、お互いの近況報告ってところかな。2時間ばかりの話だった。

三豊市豊中町の延命院へ蝋梅を見に行ってきた。

七宝山 延命院 勝楽寺は弘法大師空海の開基栄えていたが、天正6年に長宗我部元親の兵火にあって他の讃岐の寺院と同じく廃寺となるが再興された。天正15年には生駒親正が讃岐に入府し、讃岐15箇院を設定、保護された。本堂は寛文年間に再建されたが老朽化のために平成12年に工事を着工して、立派な本堂が出来上がった。 山門と本堂。

 

蝋梅と本堂。

 

釣鐘と蝋梅。

 

一の字由来。私も一つだけのお願いを。

 

詠めませんが??

 

延命古墳も。

 

後は、蝋梅を。

 

その後は、大野原町まで足をのばし、久しぶりに温泉へ。この日は『萩の湯』へ、たくさんの人が入浴していました。 

って事で今日はこの辺で。じゃ~また