故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

寒くて身動きもできない

2010年12月26日 17時57分17秒 | 日記

今日は、久しぶりに朝寝を。9時にやっと目覚め、それからも寒くてなかなか布団から出られない。こんな時間まで寝ていたのは本当に久しぶりだ。

しかし、九時半過ぎて朝ごはんを食べ、昼の12時過ぎには昼ごはん。よく食べるなあ。

外は霙交じりの雨だ。2時頃まではコタツに入ったまま、何をするでもなくただ、ボーっとしてるだけ、やっとのことで日差しが出てきたから、ホームセンターのジョイへ。訳は、我が家のポストが風にいたずらされて口を空けたまま、配達された郵便は雨の日はぬれて駄目になる。

と、いうことで何か応用するものはないかと行ってみたが見つからず、どうしたら良いのかな?

誰か教えて~ヨ  この寒さの中店の駐車場は満杯状態。すごいなー讃岐人

 

我が家のパソコンは寒い部屋にあるので、今日はこの辺で   じゃ~またネ


平日の休み

2010年12月15日 16時26分34秒 | 日記

今日は勤務日だけど、病院受診のために休み。

重症ってことはないけど、一昨年の二月ごろだったと思うが喉の奥に何か詰まった様な違和感が、直らなくて今年夏頃、思いきって病院の耳鼻咽喉科へ行った。診察の結果、先生は「うがいは風邪を引いたときにする・普段はうがいはできるだけしないように。エヘンはできるだけ止める事」等、少しづつではあるが良くなっているのが分かる、でも先生は「これから冬になり寒くなるので温かくなるまで直りにくいだろう」って言われ、通っているんだけど、仕事を休んで行かなくてはならない。その診察日が今日ってこと。いつもは時間が掛かり退屈なので本を1冊持って行った。受付を済ませ耳鼻咽喉科へ。椅子に座り本を広げたらすぐに看護師さんが「診察室にお入りください」・・・え~っ・・・・・。早っ・・・・。今日はあまりの寒さに病院に来る人も少ないのかなぁ~。そんなことを思ったりして。薬を貰い帰路へ。今度は1ヶ月先だ。

風が強いし道路掲示板には、瀬戸大橋二輪は通行止めと書いてある。寒くて何もできない。って事でマッサージに約1時間。気持ちよく過ごした時間だけど外へ出たら「さぶ~っ」「ブルブル」  もう駄目だ、昼を食べたら後は布団に入り「z z z z z 」。

せっかくの休みなのに何もしない1日だった。


緒方洪庵を訪ねて

2010年12月12日 09時09分41秒 | 日記

久しぶりに昨日は仲間たちと車で瀬戸大橋を渡った。

目的地は総社市・岡山市だ。前から天気が心配だったけど、弱雨ということで折りたたみの傘を用意して行った。先ずは坂出北インターより乗り、総社インターまで、みんな高速料金は?いくら?って、結果は瀬戸大橋部分は割引で1,000円早島から総社までが、なんと200円・なんか得した感じ。総社インターを降りて最初の行き先は?コーヒー飲もうよってことで喫茶店へ。約1時間あまり、ここまで来て喫茶で井戸端会議?。店を出てやっと観光案内所へそこで案内地図をもらい井山宝福寺へ、ここは水墨画で有名な雪舟幼少時に小僧としていた寺だ。雪舟は修行もせずに絵ばかりを描いてたので和尚はこらしめに雪舟を柱に縛り付けた。雪舟は足を使い涙で鼠の絵を描いたが本物そっくりに描いていたのでその後、和尚は絵を描くことを許した。そんな伝説のある寺だった。

次に古代山城「鬼ノ城」へ向かった。しかしだ、道に迷ったかいくら行けどもたどり着かない。最初道路工事のガードマンに聞いたが、この道をまっすぐ行けばいいと。それを信じて進んだが。・・・・・・。途中で鬼ノ城⇒が、進め進めで到着した所が???だれも居ない。鬼城山ビジターセンターのはずが???。あれ~なんと全く反対側の奥坂休憩所・・・どうしょう?またまた、人に訪ねたら、歩いて登るならここからOK。「車ならビジターセンター行かんといけんよ」と岡山弁丸出しで教えてくれた。そこから南へそして西へ戻り、予定の場所から北へ!待てよ、ここはガードマンに聞いた所だ。ここから北に行けばすぐに行けたんだ、さっき嘘を聞いたガードマンはもう居なかった。やっとのことで鬼城山ビジターセンターへ???山の中、食事をする所がない。「みんな我慢をして登ろう」ということで山道を西門まで、道に迷っている間に雨は上がってたが、道がぬれていて歩きにくい。7世紀の山城を見学、色々見たかったけど全員お腹はぺこぺこ。早々に下山し次の目的地備中国分寺へ。

備中国分寺の前の「吉備路・もてなしの館」へ定食を注文。お腹すいてたから無言で。食後は備中国分寺を五重塔等を見学し、私の目的地足守へ。

先ずは、足守プラザへ寄る。しかし、中はし~んとしていて見学はなし、私の一番の目的地「緒方洪庵誕生地へ(写真)」ここで生まれ江戸等で勉強し、大阪で適塾を開いたんだね、山のふもとで町外れにあった。幕末・維新のリーダーたちを育てた、今は碑と像、井戸があるのみ。満足したあと、足守歴史庭園・旧足守藩侍屋敷・近水園などを見て回った、木下利玄家は現在修理工事中で見れなかった。そうこうしているうちに、もう空は薄暗くなり。帰路の準備を。

帰りに夕食はラーメンを。食べながらそばの張り紙を見ると、「替え玉・本日無料」とあり、食べよう食べよう」ということで、ラーメン2玉を平らげた。・・・お腹一杯・・・。あとは高速に乗り家路へと。

ってことで、久しぶりの書き込みを。 じゃ、またネ


何かを書かないと・・・・。

2010年12月02日 20時31分37秒 | 日記

文章を書くのは難しいと何時も思う、でも何か書かないとと思うままに書いてみた。

 幕末維新、何故か惹かれるものがある。幕末時代はどの箇所をみても必ずそこに『ドラマ』がある。

 幕末時代には多くの若者達が活躍し、下級武士が中心となって明治維新は作られていった。日本の長い歴史の中で、この時代だけ若者達が中心となり活躍できたのは何故か?現在ならば大学生や、未成年である高校生といった年齢である。また身分制度の厳しい時代に下級武士、足軽等の身分の低い人たちが活躍できたのは何故か?大変面白く、又、不思議な時代である。

幕末という動乱の時代を、嵐のように駆け抜けていった人達・勤皇の志士と呼ばれたこの若者達は、何を考え、そして動いたのか?全国には数多くの志士がいたがそのほとんどが新しい時代を夢みて志半ばに逝った。その人たちの活躍があったからこそ幕藩体制は滅び明治へと変わって行った。そんな、幕末時代をもっと詳しく調べたいと思う。