故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

金毘羅 丸亀街道 与北茶堂

2013年01月10日 17時49分27秒 | 歴史

今朝もやっぱり4時半に目が覚めた。5時には布団から出て何時ものようにテレビを付けた。テレビでは入浴中の突然死をやっていた、浴室と脱衣所の温度差や高温の風呂には注意と。熱い風呂が好きな私、どうすればいいもんかね?外は風が吹いてるみたいだ、でも6時過ぎには家を出て歩き出した、思ったより風は吹いてない。今日は少なめの歩きで7時前には帰宅。

これは善通寺市与北町にある「与北茶堂跡」現在は黒住教与北教会所になっている。この石灯籠は丸亀街道で一番大きな燈籠といわれている。火袋は六角、その下も六角で一字づつ金・毘・羅・大・権・現と書いてある。常夜燈、文政十一戊子九月吉日。その下が大阪・茶堂監 豫洲大三島宮之浦大通寺九世・・・、講元順慶町や堺筋(大阪の地名だろうか?)、その下に世話人等で丸亀の人の名が並ぶ、その下は世話方や講中の名前が並んでいる。又、横には金毘羅燈籠復元の碑や駒乗石・茶堂と書いた石の手洗石があり、入り口の橋、丁石、印瓦等が見れる。説明板によれば石灯籠は昭和21年の南海道沖地震で倒壊したが昭和42年に有志によって復元された。とある。

 

今日の相田みつをは なんでもその時・その場が来なきゃ分らない。

 

って事でこの辺で、じゃ~またネ