今朝の歩きは少しだけ。何故かというと、高知まで友人とお出かけするのだ。 私等が若い頃は3時間以上かかっていたのだが、高速道路が発達した現在は半分の1時間半弱で行けるようになった。
なので、今日も瀬戸芸の島、粟島からの第2弾を。港に降りて昼食場所の「ル・ポール粟島」へ。出迎えてくれたのはコレ! 『ここがル・ポール粟島だ~~~、何か食べる??』
外観はこんな感じの宿泊施設。
島には他にも宿泊施設はあるが、ほとんどがこの様な民宿だと。これは「宿いせや」
中に入るとすぐにフロントが。
かまわず進むとレストランに。この若い女の子が食事を運んでくれる。お客さんは、老人夫婦と、工事作業員風の男性5人、瀬戸芸の準備関係の若い女性3人と私たち。
で、注文は「スジ煮込み定食」コーヒー付きで750円だった。瀬戸内の島での食事だけど、魚介類は全くなし、予約すれば良いのかも? 魚料理なら民宿の方が良いのかもと?思ったけど。 まぁ味は〇だったかなと。でも食後のコーヒーはセルフのホットコーヒーにしたのだが、ホットでなくてぬるま湯コーヒーで感想は不味い。
不味いコーヒーの後味を消すために緩やかな山越えをして西浜海水浴場へ。もちろん今は誰もいない。
反対側を見ればこんな感じに。この粟島には他にも遠浅の海水浴場があるみたい。
まだまだ粟島については続編があるけど、また今度。今日は大隈重信が内閣総理大臣になった日だ。
第1次大隈内閣は、前外務大臣兼農商務大臣の大隈重信が第8代内閣総理大臣に任命された。明治31年6月30日から同年11月8日まで続き在職期間は132日間である。 与党となった憲政党のうち、旧進歩党系の大隈重信を首相に、旧自由党系の板垣退助を特に内務大臣に迎えて組織したため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板内閣ともいう。 当時衆議院第一党であった憲政党の首班大隈重信と板垣退助に大命が降下して組閣された。首班が議会(衆議院)に議席を持たないという意味ではやや条件を欠くが、軍部大臣以外を政党人によってかためたという点では、日本史上初の政党内閣であった。当時の制度上、軍部大臣は将官以外就任できなかった。また、爵位を持つ者には衆議院議員の被選挙権がなく、大隈は維新以来の功労で伯爵となっていたため衆議院議員に立候補できなかった。憲政党の分裂騒ぎもあり、組閣後4ヶ月余りで総辞職となった。
って事で。今から高知まで行ってきます。だからこの辺で、じゃ~またネ