故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

寒い寒い晦日に

2012年12月31日 15時30分30秒 | 日記

昨日は長男家族が4時前に帰省した。普段は静かな我が家もいっぺんに賑やかに、兄宅の孫に合わせに孫の美空ちゃんを連れて行った。兄宅は3歳の孫が2人、仲よく遊んでいたが、夕方なので30分ほどで帰宅。 家では女2人が夕食の準備をしている。

 

次男は10時半頃に丸亀駅に着いた。帰省客はどんどん降りてくる。

今朝は暖かいような、何時もどおり5時半には起きた。車も少ない様だから出ようと思った。が、風が強い。やっぱり歩きは止めておこう。 皆なかなか起きてこない、新聞やテレビを、やっと夜が明けてきた。

昼は久しぶりの讃岐うどんを食べに善通寺市の「百こ萬」へ、私は今日からというしっぽくうどんとお稲荷さん。次男や長男の嫁は肉ぶっかけを。午後は兄宅へ美空ちゃんを連れて遊びに。何時も一人で遊んでいるから楽しそう。

今日の相田みつをは これ、ダメとOK、否定と肯定が両方必要だ。

 

私のとって今年は最悪の年、来年は⤴↗間違いなし。皆さん良いお年を!


京極高朗公

2012年12月30日 14時20分31秒 | 歴史

今朝も起きるのは5時に起きたが、雨が降っていたので歩きは中止に。昨日はよい天気だったので朝と夜に歩いたので御和算でという事に。つまり±0という事(笑)。そんな雨だからテレビを付けた。別に見たい番組があるわけでもないが、夜はラジオと決めているので。  今朝は今年最後のお買い物にと、ミキばーちゃんの運転手でスーパー「ビッグ」へ、この雨の中、大勢の買い物客が 最近目に付くのだが、電卓で計算しながら買い物カゴに入れてる主婦が! やはり、財布の中とも計算しているのか? 感心だな~ぁ。

  

昨日の写真、田宮坊太郎の墓の近くの、京極高朗のお墓に。高朗は丸亀京極家の六代藩主である。16歳から53歳まで藩主を務め、新堀湛甫の構築や、西讃府史の編集を進めた。西讃府史は養子朗徹に藩主の座を渡した後も続き、安政5年(1857)に完成した。約20年を要した大事業であった。維新後新政府の方針で、丸亀県知事の朗徹は明治4年に知事を辞めて東京へ移ったが、高朗は丸亀に留まり、明治7年77歳の生涯を終えた。高朗以前の藩主の墓は滋賀県清滝寺にあるが、高朗の墓は遺言によりこの地にある。朗徹以後の京極家の墓は、東京麻布の光林寺にあり、高朗が丸亀の地を愛していたと言われる。 

 

門には鍵がかかり入れないので、隙間からカメラを入れて写したのがこれ。「従五位京極高朗之墓」とあるがこの写真では分るだろうか? 神道で鳥居のある墓だ。

詳しい説明はこれを読んで。

 

今日の相田みつをは、これだ、自分のものと思っても自由にならないもどかさ、たとえ分身でも。

 

今日はこの辺で、じゃ~またネ


仇討のヒーロー 田宮坊太郎

2012年12月29日 15時25分49秒 | 歴史

5時の目覚めで、テレビを付け30分程、見ているような、見ていないような時間を過ごす。今日から一般の皆さんは年末の休みにと言う事で車も少ないように思い、6時半からの歩きになった。でも、でも、皆さんお仕事に、車の通行量が普段とあまり変わらない。そんなんで1時間15分ほどの歩きを。   朝食の後は何かを探しにと、9時半頃から丸亀~多度津を走る。10時頃になると何故かうどん屋さんが早くも混雑してる。帰省してうどんが欲しい人が多いのかな?  チョット寄り道って、多度津町南鴨の「ガトー・ド・セルクル」に寄り『不思議なプリン』を購入。よく売れるプリンらしい。

 

ココは南条町の石碑、東面に「すぐ こんぴら道」琴平へは真っ直ぐと、北面には「金毘羅御理生 田宮坊太郎墓所」とある。生駒時代に父親の敵討ちをした人物の墓である。父の田宮源八郎は敵の掘源太左衛門に殺された。17歳になった坊太郎は山北八幡宮で掘源太左衛門の首を討ちとった。すでに山崎時代となり寛永19年(1642)3月の事であった。

 

墓の写真であるが逆光で分かりずらい。勘弁ネ  中央奥が墓

 

そして相田みつを は ここまではならないがみんな臆病なところがあるんだろうな~

 

年末で皆さんバタバタしてるけど、気をつけて下さいね。特に車の運転に。

では今日はこの辺で、じゃ~またネ


讃岐の雑煮の準備を

2012年12月28日 10時49分53秒 | 日記

今朝も風はない。何時ものように6時から歩きに出た。が、ポロッポロッと細い雨が、50m位で今日の歩きは止めた。本日の朝ご飯は無でいこう。実は餅つきなのだ。ご飯の代わりに餅を食べようと、ご飯食べて餅を食べるとブクブクお腹になるから(笑)。鏡餅とエビ餅、それに讃岐の雑煮に欠かせない餡餅を。  こんな感じ。 上の二つが鏡餅・下段左からエビ餅・普通の小餅・雑煮用の餡餅です。きれいに出来たのだけココに。後エビの切り餅を。

 

今日は図書館が最後の日だ、返すべきものは早めに返し、正月用の本を借りて来よう。本屋さんにも新刊のチェックを。

 

石燈籠はみなと公園に並んだ一対の燈籠、備前岡山の人が寄進した。天明八戌申年十月とあり、1788年かなり古いものだ。

 

今日の相田みつをは「私は今日の一日を、大事に生きたろうか」これを私は後に?を付けて、一日の反省の意を。

雨の1日で 後は読書の1日になるかな。

って事で、じゃ~またネ


黒澤明の夢

2012年12月27日 13時45分26秒 | 日記

今朝も5時に目が覚め布団から出ると、寒い寒い、なんと、マイナス2度。でも風はない。6時前から歩きに、真っ暗だ。7時前になると周りが明るくなり見え出した。これは近所のため池の中。池の水も凍って冷たそう。

 

午前中は「夫は犬と思えばいい」って本を読んだ。家の中は寒いから車の中で。車中は暖かい。 タイトルは気に入らないが読んでるうちに親子の問題、夫婦の問題、家庭の問題関係の本だった。  午後は、「黒澤明の遺言『夢』」を。

○  これは夢だ  そんなことはわかっている  それでもみたい夢なのだ  見なけりゃいけない夢なのだ

○  夢を見よう  一番美しい夢を  世界は一つ  地球は一つ  これは夢か 夢でもいいよ

○  赤富士、富士山の向こうが真っ赤になる。 「すごい夕焼けだな」「違う、あの空は西ではない」「じゃ、朝焼けだろう」「違うあの空は東ではない」「じゃ、何なんだ、あの空は」。富士山まで赤くなる。山全体が赤くなって溶岩の塊のようになって解け始める、原発事故の夢。(黒澤ノート)

 

まだ続く、

○  原子力発電が安全だなんて言っていた奴らは、今どうしてやがるんだろう。そいつらの顔が見たくないね全く。

○  間違ったらおしまいなのに、絶対間違いはないと言える奴は気違いだ。

○  人間目先しか見えない。電力会社は安いコストしか見えない。そこで働いている奴は、自分の給料のことしか見えない。

○  人間は自分の手に負えないものを作ってしまった。しかし、自分で作ったんだから何とかなると思ってる。何て奴らだろう、無責任極まるよ。気違いだ。

そして、この絵だ。富士山ろくに、大叫喚を上げて雪崩をうって逃げてくる大群衆。富士の背後は、夕焼けのように真っ赤になり、轟音と共に原子雲が立ち昇る。まさに悪夢である。これは、文中の一節である。2005年3月20日発行の本である。福島原発を予言したかのような夢である。

 

今日の相田みつをは

 

私は現在充電中。何時か花を咲かせ実をつけよう。

って事で今日はこの辺で、じゃ~またネ