故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

丸亀の武家屋敷と堀田璋左右先生の旧宅跡

2013年02月23日 14時41分54秒 | 日記

最近、体調があまり良くない。先日からの胃腸炎等、回復にかなりの日数が必要となっている。お医者さんに言うと、答えは「歳と共に日にちが」と返ってくる。そんなんで今朝も起きたのは6時40分。7時から40分ほどの歩きを。 つい1週間ほど前までは5時半に起きていたのだが・・・? 

この写真は、時々歩いている道にある丸亀城下の数少ない武家屋敷と歴史家の堀田璋左右先生の旧宅跡。私が知る限りでは丸亀には武家屋敷はこの建物だけしか残ってないと思う。見ての通りかなり老朽化しているが保存のほどは如何か?。 堀田璋左右は丸亀藩士・堀田勝親の長男として明治2年にこの地(丸亀市九番丁)に生まれる。東京帝国大学・史学科に在学中「西讃府史」61巻(漢文)を一般の人にも読みやすい活字本に書き改めて刊行したと。“すごい人”   卒業後は、日本大学・国学院大学・東京大学で講師を務めた。東京大空襲で屋敷が戦災に遭って、丸亀に引き上げた後は「丸亀市史」の編纂を行う等の活躍をした。 昭和33年ここの自宅で88歳の生涯を終えたが、堀田先生が生活していた家は今は無い。

 

で、今日は近所の人が亡くなったとの知らせがあり、夜はそこで集まることに。

って事で、今日はこの辺で じゃ~またネ



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2 コメント

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ありがとうございます。 (堀田)
2014-01-06 20:12:30
突然のコメント失礼します。私は堀田辰一と申しまして、貴ブログでご紹介いただきました堀田しょう左右の孫です。残念ながら諸般の事情で家は解体させていただいております。こうして気にかけてくださる方がいらっしゃることは、祖父もとても喜んでいると面白います。心より御礼申し上げます。併せてますますのご多幸をお祈りいたします。
堀田璋左右のこと (宮本義行)
2014-11-05 15:24:52
郷土史を調べています。
「堀田璋左右」先生の“逆鱗に触れた”とされている丸亀市史編纂事情が解ればお教え頂ければと思います。

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