三連休最後の25日、天気は最高、気持ち良い朝だった。坂出市沙弥島にある「万葉会館」で文化講演会のお手伝いをした。
10時前に会館に着くと、すでに皆さん準備が始まっていた。 こんな感じの手作業で準備を進めて行く。
玄関にはこんな感じで、 演題等も上の写真で座って作業をしている先生の手書きである。すごい(×◌×)
11時半にはこんな感じに。
昼食は車座になってみんなで弁当を食べ、13時から受付が始まった。我が事務局長の先生もまたスゴイ、設営が終わると各部署をすべてチェックの確認。私は言われたことのみの作業だ。だが、皆さんの行動力に脱帽し見ているのみ。
いよいよ、13時半 第1部は医学博士・臨床心理士 岡田倫代先生による『心を豊かにするコミュニケーション』
最初は先生が勤務する定時制高校の事。日々のコミュニケーションについて 隣の人と気持ち良い話の聞き方等を実際に確認しながら、最後には 身近な人の困った所をどうかえれば長所になるのか。例えば「自己中」は長所に見ると「リーダーシップ、自分に自信あり、精神的に強い」となる。『人の嫌なところは、見方を変えてみると許せるようになる。私の嫌なところも見方を変えればよくなる!』 健康とは 肉体的・精神的・社会的がそろって健康だと。
10分間の休憩をはさみ第2部は、東京農業大学客員教授で榎本武揚の曾孫の榎本隆充先生の『子孫の語る 榎本武揚 -日本の近代化に貢献した15人の仲間たちー』
榎本武揚の 年表を基に、長崎海軍伝習 幕府伝習生第1期・第2期生・第3期生等の名簿を見ながらの説明、とオランダ留学、オランダ留学は榎本武揚や塩飽瀬居島の古川庄八・高見島の山下岩吉らが選ばれた。古川・山下は維新後は造船界で活躍した。 武揚は国際法を学び、幕府が注文し完成した軍艦開陽丸に乗って帰国。蝦夷地新政府樹立後五稜郭に入り函館戦争を戦った。しかし、武揚は戦うために蝦夷地に行ったのではなく旧幕臣の無禄者たちを生きる道を開くために北海道へ渡ったと。敗戦し降伏し、青森まで船で青森から東京までは 唐丸籠で送られた。 獄中時代に黒田清隆らに助けられ出獄、系図など見ながら、また漢詩や母・姉にあてた手紙を。妻あての手紙には道後から多度津へ、そして満濃池を見学したことを送っている。最後に櫃石島出身の東山魁の祖父東山新吉との関係までを話された。 成功の講演会であった。
その後、坂出市内のサザンクロスへ移動し、榎本隆充先生を囲む会に参加して榎本家に伝わるエピソード等、歴史から離れた話も聞きながら楽しい時間を過ごした。私にとっては有意義な1日であった。〇〇〇 (へ◌へ)
って事で今日はこの辺で、じゃ~またネ