故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

勝海舟が生まれた

2011年01月31日 18時27分30秒 | 日記

昨日は勝海舟が生まれた日だ。文政6年(1823)1月30日に貧乏旗本の家に生まれた。

父は勝小吉、母はのぶの長男として生まれた。あまりにも有名なので書くこともないけど、幕府の海軍伝習生監督として長崎の海軍伝習に参加。あの咸臨丸で太平洋を横断し、その後軍艦奉行等の役職に付く。江戸城無血引渡しをなした。明治32年(1899)1月19日77歳で没。

ってことで、今日も寒かったね。明日は最高温度10度位になるから今日よりは過ごしやすくなるね。 ところで最近は起き上がったりするとき「よいしょ」って声が出るようになった。若い頃は高齢者がよく声に出していたが私もそういう年になったのかと。  頑張ってやることはやらないとネ、でも限界はあるよなぁ、それまでは身体に鞭打ってでも行こう。

では、今日はこの辺で じゃ~ネ。


西南戦争の発端は今日だった

2011年01月29日 17時49分01秒 | 日記
明治10年1月30日(1877) 今から134年前の事だ、西郷隆盛の私学校の生徒が、政府の陸軍火薬庫を襲撃した事件があった。これが西南戦争の発端と言われている。私も一昨年の12月鹿児島へ出張したおり、せっかくだからと終了後に休暇を貰って色々回ってみた。城山や私学校跡の塀には弾丸の痕があった。西郷さんのお墓もお参りしたが、鹿児島の人は西郷さん等を今でも誇りに思っているんだね、少しの時間だけ見知らぬおじさんと話をしたが、「大物は西南戦争でみんな死んでしまった」とか「人切りといわれた人の中で維新まで生きた人は中村半次郎だけだ」また「陸軍大将だって薩摩には大勢居たんだけど全員戦争で亡くなった。だから他の県から出てるけど、西南戦争がなければ鹿児島県人が占めた」と、まぁ~そこまでは思わないけど、でも郷土愛からでる言葉だろうかね。写真もたくさんあるんだけどやり方がわからなくなった。我が讃岐人も負けないようにって思った。

そんな1月30日だけど、今日は寒かったね~。眼は覚めているんだけど寒くて布団から出られない。だから布団に潜ったままただボケ-ッとしてるだけ、やっとトイレに行きたくなって起きた。トイレは我慢できないからね。そんなんで起床は7時半。でもコタツにもぐりこみダラダラと何もしない時間が続く、時間がもったいないのになぁ~。分かって自分で言えば世話ないか!外に出たのは10時半にもなっていた。それから近くのホームセンターへテレビアンテナを屋根に取り付けるんだけど、パイプっていうかアンテナを取り付ける棒が錆びて使い物にならないから買いに、記憶には678円だったと思うけど。午後は宮脇書店へ暇な時に読もうと1冊購入1680円。外へ出たら雪だ。ブルブル震えながら車に乗って帰った。

帰るとやっぱりコタツを陣取りうたた寝を、これが気持ち良いんだよね。

って事で今日はこの辺で、たまには誰かメール入れてよね。 じゃ~またネ


また寒くなってきた

2011年01月29日 17時49分01秒 | 日記

今朝起きたときには気温は低いが風もなく穏やかで暗いうちに新聞を取りにいってもどうも思わなかった。だから、朝のうちは昔職場でお世話になった先輩と1杯やろうと電話を入れて、どうせなら「迎えに行きます」と。私たちの「1杯は」お酒でなくコーヒーを1杯だ。何しろ2人とも全くお酒を受け付けない。だから、お酒の付き合いがあまり上手でない。本心でお酒を飲めたら幸せかなぁ~って思ってる。

久しぶりに会ったものだから約1時間強喫茶店でいた。その後帰って畑を耕した。もうすぐ春ジャガを植えようと思ってね。姉宅の納屋から耕運機を引っ張りだして始めたが、ん~っ燃料がわずかだ。燃料が軽油だもんで燃料切れにすると後で軽油を入れてもエアー抜きとかで面倒。だから少しだけ耕し、後は次回にと言う訳で12時過ぎには畑は終わり。

午後は、自動車保険の更新で保険屋さん宅へ。ここも昔の会社の先輩が独立してやってるもので行けば話しが長くなる。やっぱりここでも1時間強話しこんでしまった。

その後、病院へ母のお見舞いへ、お見舞いといっても手ぶらで顔を見に行くだけだ。

今日は寒い。だけど明日はもっと寒くなるだろう。だから今日のうちに散髪へ、丸亀市内にある理容プラージュって店、ここは早くて安いが売り物か30分もあれば終わってしまう。こういう店があると我々は助かるのだけど、昔からある理容店は経営が苦しくなったのではと思う。シャンプーしても1,785円だった。

まだ夕方までには時間がある。少しマッサージをして帰ろう。

終わり、外に出るといつの間にか風が出ている。頭が寒いなぁ~。讃岐弁で「さぶ~」。

帰宅、やっぱり今日は鍋物だ。寒いからこれが良いけど、鍋は手間かかからず簡単で良いらしい。

ってことで今日はこの辺で。 じゃ~またネ。


寒くて何もできない

2011年01月16日 20時11分36秒 | 日記

寒い寒いと、今朝は布団から出られない。起きてもコタツを陣取り潜り込む。

せめて新聞位はと出てみたが、川は氷が張り、近所の水道は出ないと。

我が家は何とか凍らずに温水器より湯も出ている。

10時半にもなれば近所の水道パイプより水が溢れ出した。水道工事店に連絡しても明日になるとか。こりゃ~大変だ。

私が直してあげようっても、やり方も分からず道具もない。

聞くと、ホームセンターも水道パイプなどがどんどん売れているとか。今度我が家もならないためによく調べておこう

今夜は早く風呂に入り早く寝ることに。

って事で今日はこれで、じゃ~またネ。   さぶ・・・・・。


今日から寒くなるって予報は

2011年01月15日 19時52分04秒 | 日記

今日は仲間たちと高松市牟礼町の「かき焼き牟礼」に朝の9時半に迎えに来るから今朝はゆっくりと準備を。新聞を取りに行くと空から霧雨のような雨が降ってる。予報では陸上で15メートル、海上で20メートル以上の風とか、予定を少しオーバーして迎えが来た。総勢4名で目指すは牟礼へ。今は高松市に属するが、以前は牟礼町・平成の大合併で高松市に。このお店は、牟礼町の牟礼。ややこしいなぁ町名も牟礼・店の名前も牟礼ってことだ。私の計算では時速30kmで1時間30分。だけど、少し遅れたにも関わらず11時10分着。予約時間まで20分ある。中でおばちゃんに訳を言うと、かまん、かまん、ええよ、と快く店内へ。このお店は鯵の塩焼きも付いてて、それが美味しいんだ。しかし、おばちゃんが「今日は鯵が入らんのでホタテで辛抱して」と、鯵も期待してたんだけどなぁ~。でも、声にならず。 かき焼きはお腹一杯食べて、満腹。ご馳走様。

次は四国88箇所、最後の88番大窪寺へ行こうと急きょ決定。瀬戸の海岸より、目指すは山の中「大窪寺」へ 私は信仰している訳でなく観光気分で、途中から雪が 道端には以前からの残雪があり、その上に新しい雪が積もりだした。お寺に着いた時はすごい雪が降っていた。寺内で焚き火が、そばに行くと温かい、でも上から雪が頭上に、冷たい。 早々とお参りを済ませ土産屋へ入り温ままるまでうろうろ。

帰りには、塩江道の駅へ、ナントこの冬の雪が降ってる時にソフトクリームを。でも、大変美味しかった。我が家に帰った頃には大風が。天気予報は当たるもんだなぁ~。と、なると明日も寒くなる。最低が-4℃、最高が4℃。 もう何処にも行かず我が家でコタツにもぐっていよう。

って事で、今日はこの辺で  じゃ~またネ