故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

こんぴら昭和劇場「昭和テアトル」

2013年08月31日 08時27分14秒 | 日記

今朝目が覚めてみると、静かな朝。全然、期待など絶対にしていないが台風がどうなったのか? すぐにテレビで確認すると、3時の温帯低気圧になったとの事。雨は午後あたりから降り出すらしい。早明浦ダムに水がたくさん入れば良いのだが・・・。

水曜日に琴平に行ってきた。こんぴら昭和劇場「昭和テアトル」へ。

 

中には昭和時代のオモチャがいっぱい。アトムや鉄人28号。

 

子供の頃のお店。こんな陳列台にお菓子などが入っていた。

 

当時のアイドル白馬童子・右は赤胴鈴の助?

 

私の小学生時代は、こんな水筒で遠足行ってたなぁ~。

 

まんが?ヒーロー 「西鉄・稲尾選手物語」。子供の頃は、野球選手や相撲の関取の物語ってのがあったけど。

 

アイスクリームの冷凍庫。

 

テレビが。「月光仮面」もやっていた。 写っているのは?

 

ラビットスクーター。

 

懐かしい三輪自動車。ダイハツミゼット。

 

懐かしくて長い時間お邪魔しました。  ACTことひらへ行ってみると水曜日は定休日だった。残念、だから今日はATCことひらの「私の一品展」を見学しょうと思っている。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


法然上人杖堀の井戸

2013年08月30日 18時19分17秒 | 歴史

今朝は5時に起きて、1時間15分程歩いた。今日は蒸し暑く感じた。台風15号が接近している関係だろうか。ノロノロと進んで勢力も弱まっている。あまり風は気にしなくても良いと言うけど、やはり台風と名がついているから気になるよね。帰宅する頃には汗がビッショリ。シャワーを浴びて準備して仕事に。午後からは雨が降り出してきた。屋外の仕事だから今度は雨でビショ濡れ。3時には終了だった。

ここは、宇多津町の青野山中腹。青野山トンネルの少し南にある、「法然上人杖堀の井戸」に行ってきた。国道11号線から北に折れしばらく行くと標識があり、鋭角に左に曲がるとすぐに広い駐車場へ。その前にこの様な入口。この階段を上がるとすぐである。

 

『南無阿弥陀佛』と書いた碑とお地蔵様が並ぶ。左側の引き出しには蝋燭と線香が入っていた。 先ずはお参りを済ませて。

 

左側には碑があるが、充分読めない。

 

「杖堀の井戸御縁起」の碑があったので。  解読できないけど写真を。つまり、法然上人が讃岐に流された時、大干魃になって嘆いている土地の人を哀れんで、杖を岩の間に差し込むと清水が湧き出した。

 

階段を少し降りて行くとこのような碑が。

 

その下に井戸があり、蓋をしている。 杓やコップを置いてある。 冷たく透き通っている。ペットボトルで持ち帰りお茶を沸かし美味しく頂きました。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


秘境の1軒屋 松尾川温泉

2013年08月29日 18時29分14秒 | 日記

今朝は5時に起きて5時半からの歩きになったが、家を出てすぐ同級生に会って話をした。帰宅前には近所の人と会って話をしていたら、実際に歩いた時間は45分位だった。でも知人とのお喋りも大切な時間だからなぁ~と、自分に納得。

徳島県三好市池田町松尾黒川にある松尾川温泉に。

 

山の中の1軒屋って感じ。入浴料は500円。

 

休憩は隣にある「しらさぎ荘」の食堂兼休憩所で。

 

ちょうど昼食時、祖谷ソバとバラ寿司を。

 

細い曲がりくねった道を時間をかけて行く温泉だからかお客さんは少な目だった。 またこの、しらさぎ荘は、自炊湯治の宿で一人一泊3,150円。炊事室の調理器具・冷蔵庫・食器類は無料で三泊以上連続して宿泊の場合は一泊2,520円となる。隣の温泉は当日と翌日の入浴料は無料との事。 この人里離れた静かな温泉でしばらく過ごすのも良いかも。

 

下の川では家族連れが泳いだり釣りをしたりして楽しんでいた。

 

逆戻りして祖谷街道を南下。小便小僧の像。

 

小便小僧を見入る観光客。何をそんなに熱心に見ているのかな、絶壁の崖っぷち「怖い~っ」て声も。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~また


御台場の築城を開始

2013年08月28日 19時34分44秒 | 幕末史

先日の雨の後、朝夕が過ごしやすくなってきた。今朝も目が覚めたのが5時半と遅かった。あわてて起きて歩きに出た。だから今日の歩き時間は45分間と少な目だった。朝の散歩をしている人の服装も長袖が増えてきたように思う。少しの時間だから汗も出ない。田んぼでは白い花粉をつけた稲穂が見え出した。秋はそこまで、ではないよなぁ~。また暑い日が続くだろうな。

 

嘉永6年(1853)8月28日黒船から江戸湾を防衛する為、品川沖に沿岸砲台「御台場」の築城を開始した。江戸幕府がペリー来航に備えて築いた砲台であり。「お台場」と呼ばれる所である。品川台場(品川砲台とも)といわれた。台場とは、幕末に設置された砲台の事で、要塞の一種であり、日本各地に築かれた。 最初は幕府や各藩において異国船の打払いを企図したものが多く海岸や河岸に築かれた。しかし、幕末から明治にかけて起こった戊辰戦争等の内戦においては、野戦築城も台場と呼ばれるようになった。

他の幕府の主な台場は 〇弁天台場(北海道函館市)。新選組と明治新政府軍と最後の戦いの場。 〇堺台場(大阪府堺市堺区)。36貫目モルチール砲など大砲8門を設置。堺事件の舞台でもある。 〇楠葉台場(大阪府枚方市)および高浜台場(大阪府三島郡島本町)。淀川の防衛を目的とした河川台場。京都方面に上る敵艦に両岸から砲撃が加える、2基で一対の砲台である。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


長野主膳が亡くなった日

2013年08月27日 17時36分41秒 | 幕末史

今朝目が覚めたのが6時15分。気持ちは一晩寝たらスッキリとしているが、身体の方は年齢と共に回復が遅くなっているのだろうか? もう歩けないと諦め、ゆっくりと新聞を読んだ。 気になるのは四国の水瓶「早明浦ダム」。吉野川水系水利用連絡協議会は、昨日までの降雨で一時的に解除していた早明浦ダムの取水制限を再開したという。解除期間はたった1日だった。早明浦ダムの上流域では24日から3日間の降雨で貯水率は少し上がったが回復とまではいかないという事である。因みに24日の0時の貯水率は24.5%で今日(27日)0時の貯水率は25.9%である。ほんの僅か1.4ポイントの上昇である。

 

今日は長野主膳が亡くなった日だ。文久2年(1862)8月27日の事である。文化12年(1815)10月16日生まれで、伊勢国飯高郡滝ノ村の出身といわれるが、若い頃のことはあまり詳しく分らない。天保12年(1841)に近江国坂田郡志賀谷村に私塾・高尚館を開いた。翌年井伊直弼はこの私塾に興味を持ち訪問して、主膳と直弼は師弟関係を結んでいる。直弼が兄の死後彦根藩主となると、主膳は直弼の藩政改革に協力するようになる。直弼からの信任は厚く、安政5年(1858)に一橋派と南紀派による将軍後継者争いでは、直弼の命で京都に赴き、公家衆らへの裏工作を行い徳川慶福(家茂)擁立に貢献した。安政の大獄後は、直弼に次いで恨まれる存在となる。安政7年(1860)、直弼が桜田門外の変で暗殺された後も彦根藩の藩政に参与したが、直弼の跡を継いだ藩主・井伊直憲からは疎まれ、家老・岡本半介らと対立する。そして文久2年(1862)、文久の改革で井伊家が問罪されると、斬首・打ち捨ての刑に処された。享年48。 彦根藩は長野主膳らに直弼の「失政」の全責任を負わせて、王政復古後の政局に巧みに対応して、いち早く新政府軍に加わることができたという。 

 

という事で今日はこの辺で。じゃ~またネ