アンカツを応援するブログ

アンカツこと、安藤勝己騎手を応援するブログです。

1000勝通過記念?で中央入り前を振り返ってみる

2010-02-09 23:57:21 | 競馬
JRA通算1000勝を通過したアンカツ。
ちょっと遅くなったが、その歩みを中央入り前を中心に振り返ってみよう。
ここに至るまでには、今では想像しにくいことがたくさんあったので取り上げたい。
最初は、思い出に残るレースをいくつか・・・と思ったのだが、
そりゃ10年先の引退の時にやることだと思えたのでやめましたw



1976年の10月、18歳で騎手デビュー。
翌1977年には2位になり、78年には早々にリーディングの座についた。
以降、騎乗数を絞り出すまで22年に渡ってリーディングの座を譲らなかった。
俺が生まれた時にはもうリーディング2位だったわけで、
なんとも長い歴史を感じるところだ。

こんなに速く頂点に立てるものなのかという感じだが、
実際のところ、アンカツの技術が優れていたのは間違いないわけだけど、
それと同時に、当時の東海の競馬の事情が重なっていた。
これについてあまり詳しく書くつもりはないが、
当時リーディングの上位だった騎手が複数やめるということがあり、
ちょうどそのタイミングでデビューしたのがアンカツとアンミツ。
若手の騎手に大きなチャンスが転がり込んでいたタイミングでデビューし、
師匠らの大きなバックアップがあり、そのチャンスを逃さなかったということだ。
まあ、チャンスが訪れる人というのはたくさんいるわけで、
それを逃さなかった人が一流となるのは、どんな世界でも同じことだね。

デビュー時、名古屋には坂本敏美という真の天才騎手がいたのだが、
この人の騎乗技術は最後までアンカツには理解できなかったので、
反面教師のように、しっかりとした理論を学んだようだw
(坂本さんの騎乗ぶりを見たことのある人の話を俺も聞いた事はあるが、
 外野からは、とにかく一番ふらついていて下手糞に見えたそうだ。
 でもそこには目を瞑って買えば、とりあえず何でも当たったらしいけどw)
普段は適当なことを言いつつも、レース後のコメントが常に的確なのは、
若い頃から積み上げてきた、根底にある競馬脳の凄さだと思っている。

1980年5月11日、20歳の時に中央騎手招待レースに遠征。
ヤマニンスキーに騎乗して、中央で初騎乗初勝利をあげた。
1000勝をあげた後で様々なインタビューを受けたアンカツ。
最近の事は忘れるけどこのレースの事はよく覚えているということでw
2着が飯田明現調教師だったとか、血統的にどうだったとかを語っていた。
ヤマニンスキーは、デビュー時から相当に大きな期待を背負っていたようだが、
結局OPにあがれないままに現役生活を終えることになった。
それでも血統を期待されて種牡馬入りを果たし、
皐月賞馬ヤエノムテキやオークス馬ライトカラーを輩出して成功を収めた。
中央時はほとんど実績を残せなかった馬の最大の実績が、
アンカツの中央初勝利というのは、なんというか凄い偶然だ。

中央初騎乗で初勝利を挙げた騎手は、多くは無いがいくらかいるわけだけど、
その初騎乗で乗った馬が種牡馬になった騎手ってのは、
地方騎手を含めてもアンカツしかいないと思われる。
(少なくとも俺が知る限りでは)
初騎乗で乗る馬ってのは、まず条件戦、良くて新馬戦なわけで、
新人が任された馬が・・・ってのはね。まあ、ないわな。
というわけで、これからも永遠に出てこないだろう。
記録ってほどでも無いが、ちょっとした名誉だね。


それからしばらくの間、中央への遠征はなかった。
当時の地方競馬というのは、売り上げでも実力でも決して中央に劣るものではなく、
(競馬の売り上げが、その地方自治体を支えていたのは紛れも無い事実)
たまにオールカマーなどで遠征する馬もよく戦っていた。
アンカツも、中央がどうとか考える事は一切なかったそうだ。

転機というか、最初の考えるきっかけが1987年のオグリキャップの登場。
5戦目からコンビを組んで無敵を誇っていたが、
より大きなレースを目指すために中央に転厩した。
この地点でのアンカツは、特に残念だと思う事はなく、
「また強い馬が出てくるだろう」程度に考えていたようだ。
実際、当時の笠松はそれくらいに強い競馬場だったし、
その時には古馬のお手馬にフェートノーザンというダートの日本最強馬がいた。

中央に移籍したオグリキャップは、
馬主や騎手の頻繁な交代など、外野でも話題を撒き散らしつつ、
数多のファンを巻き込んで数々の伝説を残してターフを去ったわけだが、
オグリキャップが真の伝説になる少し前のジャパンカップ。
その前の宝塚で負け、秋の天皇賞を大敗して、限界説が聞こえた頃、
アンカツから馬主サイドに対して「俺を乗せろ」と進言したそうだ。
当時、野心と自信に溢れていたアンカツを感じさせるエピソードだが、
これは実現する事はなく、最後に豊が伝説の一人となった。

当時のことについて、
「中央と地方は基本的に別枠で割り切っていた」とは言うけれど、
内心、日本の騎手が日本で自由に乗れないことのもどかしさは感じていたと思う。
この地点で、中央でのことについてはそうでもなかったかもしれないが、
少なくとも、地方間でも壁があったことについては既に不満があったようだ。
しかしこれらの問題について、どうにもならない事、と考えていた模様。


フェートノーザンがアメリカ遠征を前に早世し、
オグリキャップがターフを去り、それでもアンカツの戦いは続く。
マックスフリートやトミシノポルンガらで全国を戦い、
特にトミシノポルンガでは頂点に手が届きそうな気がしたのだが、
年数が立つごとに、じわじわと闘志を失っていったそうだ。
守り続けてきたリーディングの座も、常勝のアンカツには意味のないものとなり、
「勝つことに飽きてしまった」という、なんかとんでもない台詞を吐いたw
中央入りしてからも、勝ち数に対する固執は一切見せていないアンカツだが、
(しかし連対率はそれなりに気にしている)
それはこのあたりから既に兆候としてあった。
挑戦を続けつつも、他地区や中央で自由に乗れるわけでもなく、
これでは大きな勲章を手にする事は出来ないと感じてきたのか、
この頃既に、調教師になることを考えていたと後に述べている。

それを止めたのが、1995年に現れたライデンリーダーだった。
ちょうど良いタイミングで、この年が「中央地方交流元年」となっており、
権利を取れば中央のクラシックレースのトライアルへの出走が可能となっていた。
地元では無敵の進撃を続けていたライデンリーダー。
しかしアンカツはやや半信半疑で挑んでいたそうだが、
レースでは最後に目の覚めるような末脚を繰り出して圧勝。
一躍スターダムにのし上がった。
後に偉大な歴史を作るサンデーサイレンス産駒のデビューと同時だったのだが、
それらを押しのけて、まさに話題はライデン一色に。
それなりに競馬を好きな人間なら誰もが知っていただろうけど、
一般的にはやはりそれほど全国区ではなかったアンカツの名も、
このレースを境に、取り上げられまくってたねえ。

全国区の報道番組であったニュースステーションの取材が来るくらい、
本当に周りが加熱した状態で桜花賞を迎えた。
そこからの結果はご存知の通りで、結局ビッグタイトルは取れず。
挑戦を続けたライデンリーダーは、残念ながら早熟傾向があったようで、
徐々にその輝きを失って行ったわけだけど、
この馬の出現によって、アンカツの意志が繋がった事は確か。
特に、桜花賞については失敗してしまったという後悔の念も残っており、
このままでは終われないと、期待馬を探し回る日々が始まった。
まだこの地点では、笠松から何とかできるという思いがあったようだ。

元々リーディング争いへの興味は失っており、
勝ち負けできそうな馬でも、後身に譲りだした。
この時から少し後の話になるんだけど、
1日に1鞍しか乗らないとかいう日も増えてきた。
場合によっては、何もないのに乗らない日も出来るくらい。
とにかく、中央遠征できる2歳馬、3歳馬と、
遠征の権利を持っている馬にしか乗らないようになり、
これはと思う馬では必ず中央に持ってきて戦った。

戦っているうちに、中央で大きなレースを勝ちたいという思いが膨らみ、
せっせと遠征を続けている中で、副産物的に生まれた思いが後にアンカツを救う。
地方から遠征したとき日は、同日の中央馬にも乗ることが出来て、
アンカツはそれらでも渾身の騎乗を見せて結果を出し続けた。
最初は本当に人気のない馬にばかり乗っており、
それらを走らせることで、徐々に数多くの調教師の信頼を獲得。
アンカツは豊と並ぶレベルの騎手だ、いやそれ以上だ、
というような声すら聞かれるようになった。
そして、競馬ファン(特に穴党)の絶大な支持を得た。
テナシャスバイオやキョウトシチーでの騎乗ぶりは語り草だろう。

そんな中で現れたのが1999年のレジェンドハンター。
デビュー戦こそ、これも本当に強かったマエストロセゴビアの2着に敗れたが、
2戦目、3戦目を圧勝すると、金沢の兼六園ジュニアカップに遠征。
当時、金沢競馬史上最強馬と謳われていたシュウタイセイとの激突になったが、
これを本当に相手にすることもなく、
まさに赤子をひねるような感じで蹴散らした。
金沢の人達は本当にビックリしたと思う。
俺はVTRで見たが、今でもその走りは脳内に焼きついている。
震えが来る走りとは、ああいうのを言うのだろう。
俺はあのレースで、この馬とどこまでも心中する気になった。

中央のG2・デイリー杯に遠征。
人気は伏兵止まりだったが、ラガーレグルスらをまさに一蹴。
この馬なら絶対にやれるという確信を持ったし、
アンカツもやれると思ったことだろう。
前に行かせる競馬をしていたことに一抹の不安を持っていたようだが、
この馬ならば中山でも押し切れると思って挑んだ朝日杯。
ハイペースでぶっ飛ばす快速馬ダンツキャストをただ1頭追走し、
4角で叩き潰して先頭に出る、強気の極みなレース。
まさに独走状態で中山の坂に差し掛かり、このまま・・・といったところ、
後ろからただ1頭だけ飛んできた伏兵エイシンプレストンに差し込まれた。

後から思えば、このエイシンプレストンは後に国際的な名馬となるわけで、
この結果もそんなに不思議なものではなかったのだけど、
この地点では間違いなくレジェンドのほうが強かった。
明らかに早仕掛けのミスによる敗退。
早仕掛けというか、そういう馬にしてしまったことのミス。
しかしハンターならばすぐにチャンスが来るはずだったが、
残念ながら故障もあって万全のローテーションを組むことが出来ず、
最初で最後だった大チャンスを逃して終わることになってしまった。
狭い笠松で、権利を確実に取る為に急ぐ競馬をせざるを得なかったことを、
アンカツの中に大きな悔いとして残すことになる。
今のアンカツの騎乗スタイルの根幹を作ったのがレジェンドハンターだった。

翌年、フジノテンビーが現れて再びデイリー杯を制したが、
この馬は乗っていて走る感触が全くなかったそうで、
実際にレースぶりを見ても、やや非力な感じがする馬で、
G1に手が届くことはなかった。
この頃から、地方と中央の差が急速に広がっていき、
(地方のほうの衰退が激しくなり)
また、アンカツの中央での活躍は、元からの中央騎手の反感も買い、
それに応じたJRAによる、地方騎手の中央への遠征に対する規制も加えられた。
夢であった中央G1制覇が少しずつ遠のいていった。

それでも戦い続けるアンカツに転機が訪れたのが2001年9月8日。
マヤノグレイシーの新馬戦に騎乗したアンカツは、
楽に逃げてぶっちぎりの勝利を収めようとしていた。
その直線で、馬が突然内に寄れてラチに接触。
アンカツはどうすることも出来ず、内ラチ沿いに放られた。
骨折の大怪我で入院を余儀なくされることになった。

この入院中、アンカツが想像もしなかった進言が行われた。
それが誰だったのかは分からないが、
「中央の騎手試験を受けたらどうだろう」
というものだった。
今更騎手になるための試験て、という感じなのだが、
まさに盲点で、それは可能なことだった。

注 2007年に亡くなられてしまったのだが、
  道川満彦元騎手が、それ以前に中央の試験を何度も受けて落ちている。
  (話題になる事はあまりなかったように記憶している)
  Wikiでご覧いただければ大雑把に分かると思うのだが、
  なんとも波乱万丈な人生を送った方で、
  常に先駆者と語られるアンカツの前にも、挑戦者がいたことは記しておきたい。
  

翌2002年、「安藤勝己騎手が中央騎手試験を受験」のニュースが駆け巡り、
それに対する準備が全く出来ていなかったJRAは、
中央で勝ちまくっているアンカツに対して、中央騎手失格の判断を出した。
(英語と跳び箱で落ちた、といわれているが真相はどうなのだろうw)
ここで本当に多くのファンが立ち上がったようで(俺も抗議メールを出したけど)
納得のいく理由を説明しろと詰め寄られたJRA側は翌年、
「近5年で20勝を2回挙げている騎手は1次試験免除」
という、いわゆる「アンカツルール」を生み出すことになった。

これに乗ったアンカツは2003年、ついに中央入りを果たした。
これ以降は改めて語ることもないだろうけど、
そのわずか30日後には、ビリーヴで初のG1制覇を果たし、
ザッツザプレンティで初のクラシック制覇。
翌年にはダービー制覇、2006年には因縁の桜花賞を制覇。
次々とG1タイトルを重ねて、今では20勝に至っている。
そして今のアンカツがいるわけだ。


ざっと振り返ってみたが、アンカツには実に運があった。
デビューしていきなりトップ騎手に上り詰めたことも、
中央地方交流元年にライデンリーダーが現れたことも。
挑戦に闘志を燃やす調教師の荒川さんがいたことも幸せだった。
最初のG1勝ちは中東の戦争がもたらした乗り替わり。
今では誰もが認める最高のパートナー・ダイワメジャーは、
最初はデムーロが乗れなくて偶然乗ることになった馬。
妹のダイワスカーレットのほうは、
豊が別の馬に乗ると言って乗らなかった馬。
節々で、アンカツの元には大きな幸運が訪れていると思う。

当然のことながら、そのチャンスを逃がさないのはアンカツの技量。
2002年、中央試験に落ちた後のファンの声は、
アンカツが自らの技術で積み上げた実績と信頼の大きさに他ならない。
さすがに人生の折り返しの50歳ともなれば体力の衰えはあるところで、
騎乗数を制限しながらの日々になっているのだが、
それでも卓越した技術は変わることなく、我々を楽しませてくれている。
今年は特に、アンカツが1から育てている馬での重賞やG1への挑戦が多く予想され、
また違った感覚でレースを見ることが出来るだろうと思う。


とりあえず、ここまでの経緯を駆け足でひとまとめ。
当分の間、改めて過去を振り返る事はないでしょう。
今週からも変わらずに応援を続けたい。


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21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (sankyo)
2010-02-11 23:49:23
>一番絞りさん
いやあ、まだ若いつもりなのですがw
実際に30歳を超えたときには、その事実にちょっとびっくりしましたねw
まあ、その実感がないうちは大丈夫でしょうかw

ピージェイは残念でした。
今回に限っては言い切れますけど、逃げておくべきでしたね。
楽をさせすぎたこともそうですが、特に不良馬場だったことが大きかったです。
デムーロが乗ったのは、アンカツがおそらくトランセンドを予定していただろう事と、
デムーロの身元引受人である吉田千津オーナーの好意だと思うのですが、
ちょっと馬のタイプが伝わっていなかった感じですね。
しっかりと賞金を加算しておきたかったので残念でしたが、
次はアンカツが乗るだろうから、また期待したいですね。
返信する
Unknown (sankyo)
2010-02-11 23:45:23
>noriさん
クルーピアスターもアンカツでしか走らない馬でしたねえ。
テナシャスバイオとクルーピアは、
馬がアンカツしか受け付けてなかった感じでしたねw
キョウトシチーはびっくりしたの一言でしたw

思い返せば本当にいろいろとありましたけど、
その全てが無駄ではなかったと思いますね。
取り上げたこと以外にもまだまだたくさんあるんだけど、
それは10年先に振り返りたいと思っています。

アンカツは年齢のことを言われるのは嫌だと言っていますがw
現実に、もうすぐ50歳に到達します。
仰る通りに、落馬とかのビックリは本当に避けたいですね。

今でも、東海から特指で来た馬には期待してしまいますが、
やっぱり昔ほどには上手く行かないですね。
それでも、健闘する馬がいくらかいますので、
少しでも稼いで帰れよって思いながら見てます。
とにかく遠征しまくれば良いんですよね。8着はありますから。


>あの落馬事故から暮れの笠松からの復帰が決まった時、
>とても楽しみにして元旦の笠松に行ったら何と乗り替わり…
そんなことがありましたねw
なんか軽く骨折したと聞いて、どうなることかと思いました。
試験が面接だけになってて本当に良かったと思ったのを思い出します。

あの勝負服を着ることは・・・もうないですかねえ。
そういえばこれも唯一の話なんですが、
アンカツは日本で唯一、中央と地方の免許を同時に持った人だけど、
免許が二つ(しかも地方は自由じゃない)ある現状は、
いつの日か解消されるのでしょうか?
騎手がどこでも好きに乗れるようになったら、
あの服をもう一度見れることになるんですが。


>tosiさん
1000勝は良い機会なので、アンカツの過去を知らない方への紹介も兼ねてみました。

笠松時代の晩年はほとんど乗らなくなりましたが、
中央へ送り込みたい馬ばかり乗っていたので、
それまで以上に確勝と言われていたように思いますね。
もう懐かしい話になりました。
オグリの笠松での引退式は、俺は堤防で見ていました。
ラブミーチャンでまた沸いてくれれば嬉しいのですが。

体力が続くように、万全を期してますからね。
少なくとも、岡部の引退した年齢は超えてくれると思います。
その間に、世界の大レースを制して欲しいですね。
夢のある馬はいくらでも出てきますから。
スカーレットの子供なんかにも期待です。


>ヨシさん
地方は平日開催になるので、
どうしてもリアルに見る機会が限られますからね。
俺も社会人になるまではよく見に行っていたのですがw
今は正月休みかGWかお盆か、程度ですからね。
アンカツが中央に来ない日は、やはり寂しく思ったものです。

ダイタクリーヴァも懐かしい思い出で、
あの時はウインズにいましたけど、
放送の瞬間に建物が揺れたのを今でも覚えていますw
ナリタブライアンとマヤノトップガンの阪神大賞典くらい歓声が凄かった。
(俺はその後ろの3着争いに熱くなっていましたがw)

藤沢先生に薦められたという話は俺もどこかで見た気がします。
ただ、それが試験を受けろといわれたのかどうだったかが不明で、
病院で誰かに薦められたという話をどこかで見たんですよね。
どの記事だったかなあ、忘れてしまいました。

どうあれ、今は中央の中核を成す騎手。
長く長く頑張って欲しいですね。


>RITZさん
駄目だろうなあとは思っていましたが、
あの後、めちゃくちゃ長文を書いたことを覚えてますw

地方時代は、今週は来るのか来ないのか、
期待と不安が入り混じりながら出馬表を見ていましたよね。
あれを思うと、今は本当に幸せで。
アンカツもよく、乗れるだけで幸せと言ってますけど、
我々としては、毎週見れるだけで幸せですね。


>3&4さん
そう言って頂けるととても嬉しいです。
今回の回顧は、主要部分に触れただけでほんの一部なのですが、
こういう道を歩んできたということを、
新しくファンになった方に知っていただけるのは嬉しいことで。
地方時代を知っている人間には、それを伝える役割もあると思っています。

これからは、特に怪我をすると大変になりますから、
とにかくアクシデントがないことを祈りたいですね。
アンカツに限った話じゃありませんが、
毎週、各レースが無事に終わることを祈っています。


>テイオーライデンさん
荒川先生が亡くなられたのは本当に残念でした。
まだまだやれたはずなのに・・・。
ワカオライデンが地方で一時代を築いたのは、
まさに荒川先生の手腕でしたね。
ライデンリーダーが現れたのもそのおかげですし、
あの全日本サラブレットチャレンジカップはいつまでも語り継ぎたい。
マジックリボンの変身なんかは、本当にマジックでした。

今は大変な時代ではありますが、
荒川先生がご健在であれば、もっと馬が入ったでしょうし、
(先生が亡くなって、他地区に転厩した馬がたくさんいますしね・・・)
また違っていたのではないかなと思います。

でも、残された人たちも懸命に頑張ってみえて、
山積していた問題を解消しつつ粘っていますから、
ここに現れたラブミーチャンと共に、もう一度盛り返して欲しいですね。
笠松へはいけませんけど、馬券は買うつもりです。
ちょっとした投資の意味も込めて、
ミーチャンから3連単で総流しをしようと思っていますw
現地での応援、よろしくお願いします。


>KITKATさん
いやあ、歳は実感しますねw

俺がアンカツを知ったのはもうちょっと前でした。小学生時代でw
フェートノーザンをリアルタイムに見たことがちょっとした自慢です。
トミシノポルンガにもたくさん楽しませてもらいました。
あの揉め事で2000勝を盛岡で決めることになったのですが、
それがきっちり決まるのだから凄い人馬でした。
芝でも立派に通用していましたしねえ。

サンディチェリーも思い出に残ります。これは現地で見てました。
直線と、レースが終わったあと、アンカツに対して物凄い大歓声でした。
あちこちから、「さすがだわ」の声しか聞こえなかったですw

エフワンライデンはデビューから物凄い評判でしたよね。懐かしいなあ。
実際、レースぶりも大物感が溢れていました。
ライデンリーダー記念をVTRで見たとき、これはと思いましたからね。
故障がなければどこまで行けたでしょうか。
見に行ったかきつばた記念で負けて、がっくりしたのを覚えています。

トミケンコンドルは荒川先生の最後の期待馬でしたかね。
この馬にも大物感を感じましたが、少しだけ運がなかったのでしょうか。
先生が亡くなって移籍した馬の1頭ですね。

過去を振り返ると思い出は尽きませんが、
アンカツの戦いはこれからも続いていきますので、
今回の1000勝を一区切りとして、
また応援を続けて行きたいと思います。




コメント欄で5000文字を超えることになるとはw
返信する
Unknown (sankyo)
2010-02-11 23:44:36
>レオポンさん
どうもありがとうございます。
誤字脱字には自分で唖然とすることがありますがw

いやいや、まったく関係ない素人ですよ。
このブログ以外は読む専門です。
ちょっと大きめの装置のメンテナンス業をやっております。
例えば修理した後にはお金を請求する必要がありますから、
自分の言葉に説得力があるかどうかには気をつけています。
ご納得いただけるところがあれば、嬉しいですね。

関係ない話ですけど、だから質問に答えない政治家答弁は嫌いですねw
国会とか見てたら本当にイライラしますから。
俺だったら、質問に正しく答えるまで永遠に質問を続けるんだけどなあw


>だんだだんさん
どれが一番好きかとなると、ちょっと決めかねるんですけど、
俺が一番入れ込んだ馬がレジェンドハンターでした。
絶対勝つと思ってました。勝てずに終わるとはなあ・・・。

皐月のトライアルに出る前の、予定のレースをスキップしてしまい、
NHKマイルに目標を変えるところで故障してしまったと記憶しています。
それでも、秋のスワンSは絶対に負けないと思いましたが、
調子が戻りきらなかったようで大惨敗して、
そこからはほどほどにしか走れなくなってしまいました。
もしトライアルに出る必要がなかったら、
また違った道もあったんでしょうけどねえ。

ラブミーチャンは俺も本当に期待しています。
明日出走ですが、まずは無事に走って欲しいところ。
明日のレース、意外とメンバーは揃っているんですけど、
ミーチャンが普通に走ればまあ、ぶっちぎりでしょうからね。
もし桜花賞までたどり着くことが出来たら、
俺はどちらと言わずに「=」で応援しますw


>Raptusさん
移籍前、最終レースは強かったですねえ。
最初は人気馬に乗る事がほとんどありませんでしたけど、
本当に何に乗ってても来る感じがありました。
アンカツマジックなんて言葉がメディアで平然と使われてて、
ファンの圧倒的な支持を得ることになりました。
それが中央入りの後押しになりましたね。

アッパレイモン、これは懐かしい名前が出てきましたw
あの馬も、アンカツが一番相性が良かったんでしょうね。
梅田Sをちょっと見直してみたんですけど、
さすがの上手さに惚れ惚れとするのと同時に、
相手がサンコメーテスとかトシマキバオーとかタガノアーミジャとか、
あの時代、いつもいた名前があってちょっと笑えましたw

俺は1000勝を見逃すことになってしまいましたが、
これは通過点だと確信しているので悔しくありません。
2000勝を待ってます(これはさすがに厳しいかなあw)

無事是名騎手。
これはぴったり当てはまると思いますね。
中央入りしてから、大アクシデントは無し。
思い返してみれば、水疱瘡の休みが一番でかかったんですねw


>タコスケさん
それはよく言われましたねえ。
別に地元の笠松では言われていませんけど、
アンカツを知らない人に紹介する文章に必ずついて回った言葉。
よくよく考えたら凄い言葉ですw


>バログノテイオーさん
どうもありがとうございます。
みなさまのコメントがあって、なおやる気になって続いております。
(まあ、たとえ一人でも続けるわけですがw)

アンカツの30年を振り返ろうというのに、これだけでは言葉は足りませんが、
とりあえず主要なところを取り上げて思い返してみました。
みなさんもだいたい同じような感じだと思いますが、
俺の競馬人生も、全てアンカツと共に回ってきました。
バログノテイオーさんはグレイシーの落馬をリアルで観戦されていたんですね。
俺は自宅で見ていましたけど、本当に血の気が引いたのを今でも思い出せます。
全ての出来事がつながって今があるわけですけど、
これからも長く続けて行きたいものです。
まずは岡部の作った偉大な記録の数々を超えてもらいたいです。
俺はどこまでもついていきますのでw


>tappyさん
いえいえ、本当は先週にやろうとしていたことで、
ちょっとタイミングがずれてしまったのですがw
少し振り返ってみるのも悪くないと思いましてやりました。
皆様の思い出も聞かせてもらえて、嬉しく思っています。
思い出話ってのは、良いことも悪いことも楽しいもので。

グレイシーでの落馬は、いろんな意味で本当に痛かったのですが、
それからしばらくした後、急に報じられた中央騎手試験の受験ニュース。
あれは本当にびっくりしましたねえ。そのニュースを見た瞬間を覚えてます。
合格発表の日は、携帯をリロードしまくってましたw

まあ、とりあえずは一区切りということで。
ここからは質を極めに入ることになると思いますが、
どこまで行けるか、いつまでも追い続けようと思っています。
返信する
Unknown (sankyo)
2010-02-11 23:42:55
>アンカツファンさん
本当にそうだと思います。
今も衰えない抜群の技術、積み上げてきた信頼、そしてごもっともな言い訳w
この三拍子揃っているから自由なんですよね。
これらのうち1つでも欠けたら出来ないことでしょう。
藤岡兄がアンカツの現状に憧れていて、当然のように怒られたそうですがw

晩年の岡部がこれに近いことをやろうとしていたのですが、
ちょっと始めるのが遅すぎたのかな、体力のほうがついてこず引退。
騎乗数を選り好みして、それらに好きなように乗る。
アンカツが初めて作り上げたスタイルですが、
これは豊や横典が引き継いでいくことになると思います。
昔も今も、新しい道を作り続けているなあと思いますね。
今年は何をしてくれるでしょうか。楽しみですねえ。


>marumiさん
初めまして、どうもありがとうございます。
立ち上げ時からとなると・・・
最初はアクセス数が100くらいでしたので、かなり貴重なお客様ですw

最近は絞っているので機会がありませんが、
南井師の馬に乗ることもちょこちょこありましたね。
タマモホットプレイは楽しみだったんだけどなあ。
アンカツの評価がとても高かった馬だったけど、
距離の壁にぶつかってクラシックでは結果を残せませんでしたが、
なんやかんやで重賞をいくつか勝つ馬に育ったのは、さすがでした。
南井厩舎も、かなり軌道に乗った感じですので、
また乗ることがあるんじゃないかなと思ってます。

このブログもそれなりに長くやってきましたが、
さすがに年数が立つと仕事の状況もちょっと変わってくるもので。
このご時世、喜ぶべきなんでしょうけど、仕事が減ることは無い状況です。
まあ、競馬のことを考えて更新をすることが俺の息抜きですのでw
これからもこのペースで続けていきます、よろしくお願いします。


>ユラさん
運の波がかなり大きい人だとはずっと書いてきましたが、
ここというところで当たりを引き当てる人だと思います。
本人曰く、一度だけ訪れていたらしい引退の危機にも、
スズカマンボで勝つことによって回避しましたし。
あのあたりからですかね、本格的に今のスタイルになったのは。
方向転換に成功し、これからも長く楽しませてくれると思います。

G1の最年長Vは全部更新して欲しいですねえw
JCを筆頭に、勝ってないレースもまだまだありますからね。
とりあえず、まずは皐月賞です。
きさらぎのロイヤルと弥生のテンクウに注目ですな。
返信する
Unknown (一番絞り)
2010-02-11 22:00:26
管理人さんが意外に
若かった事にビックリ(笑
文章などからそのように拝見してましたが30代前半だったとは(笑)

アンカツは乗ってなかったですがフサイチピージェイ残念でしたね。
やはりハナ取らないと斬れる脚がないので持ち味がいきませんね。
返信する
懐かしいですねぇ (KITKAT)
2010-02-11 17:06:18
SANKYOさんおよび皆様の話を見て、懐かしいやら歳を実感するやら。
私が勝己騎手を初めて見たのは、オグリキャップの引退式でした。
一緒に行った会社の先輩に誰が乗るのか聞いたら
「おそらくアンカツだろ。中央では岡部だ武だと言われてるが、笠松と言えばアンカツ!ひょっとしたら日本一上手いかもしれんぞ」
と言われて、へぇと思ったもんです。
その後、例の一年間の騎乗限定開けの平安Sで勝己騎手が乗るというだけで何も考えずポルンガの複勝と平場の2鞍の単勝を買い、当番出勤で会社へ。仕事を抜け出して応接室のTVで3着に食い込んだ映像を見て感動し、後から平場の2鞍もきちんと持って来たのを知り、やっぱり凄い騎手なんだと感心したのがファンになったきっかけですかね。
ちなみに、私のベストレースは笠松、中央時代両方を含めて、サンディチェリーが勝ったオグリキャップ記念ですかね。
小回り、長距離、内枠を利してのスローペースの逃げに出し抜くようなスパート。今考えても素晴らしい騎乗だったと思います。
最後に残念だった馬を2頭。それはエフワンライデンとトミケンコンドルです。エフワンは今年こそとの思いが強く、有給を取って笠松まで皐月賞トライアル選出レースを見に行きました。結局はそのレースを勝ったものの、そこで故障を発生してしまったのですが、でもたら話になりますが、あのまま順調に行っていたらと今でも思います。
コンドルは荒川先生をして「笠松の歴史を変える馬」と言わしめた馬でしたが、結局は兼六園JCの3着ぐらいしか実績を残せませんでした。期待が大きかっただけに残念でしたね。
長々と書いてしまいましたが、これからも楽しいブログを続けてください。
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明日は笠松へ (テイオーライデン)
2010-02-11 12:21:56
アンカツのこれまでの思い出は沢山ありすぎて~(皆がいろいろ書かれているし)
僕はあえて荒川師が残念でほかならないです。

今回はミーハー的に世界で一番好きな騎手がアンカツだとしたら、調教師は藤沢でも松博でもなく荒川友司です。
まあ彼が生きていても現在の笠松の情勢は変わらないでしょうが…

明日は年休を取って笠松へ。。。
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Unknown (3&4)
2010-02-11 11:47:35
実は笠松時代のアンカツを知らない私にとっては非常にうれしい回顧でした。
いつからアンカツのファンになったのか、はっきりとは覚えていないのですが、これから本当に怪我なく、少しでも長く現役生活を送ってほしいと思います。
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Unknown (RITZ)
2010-02-10 22:56:38
引退というわけではないので詳しく振り返るのはまだ先と思いつつ、振り返ってみるといろいろありましたね。
JRAの一次試験に落ちた時に抗議メールを出されたというのはさすがsankyoさんですね。
私もその一人です(笑)。
そのことを思うと毎週元気に騎乗している姿を見られる今は本当に幸せだと思います。
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Unknown (ヨシ)
2010-02-10 22:33:02
懐かしいお話が満載ですね。
僕はなかなか地方競馬を見る機会が無かったのにので、
当時はアンカツさんが中央に乗りに来る日をいつも楽しみにしていました。

僕が一番記憶に残っているのはダイタクリーヴァに乗ることになったマイルCSです。
高橋亮騎手には悪いですが、乗り替わりが決まった時のワクワク感は、
今も忘れられません。

アンカツさんに中央の受験を薦めたのは藤沢先生だった、
というのを何かで見たような気がしますが間違っていたらすみません。

これからもマイペースで、一日でも長く騎乗して欲しいと思います!
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Unknown (tosi)
2010-02-10 21:25:35
sankyouさん、これはまた懐かしい話が出てきましたね。アンカツの「勝つことに飽きた」という話は僕も笠松に行ってた時に聞いたことがあり、1レースか2レースしかのらない事が多くて出てきた時は「鉄板レース」って周りのオヤジが騒いでいたような・・・。なつかしいですね。オグリは笠松の引退式ではアンカツとラストランでしたね。見に行きましたよ。これからも体力の続く限り頑張ってドバイwcか凱旋門賞を勝って欲しいですね。これからもよろしくお願いします。ラブミーチャンと浜ちゃんも頑張れ。
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Unknown (nori)
2010-02-10 20:48:13
テナシャスバイオ、クルーピアスターなんかはアンカツの予定に合わせて使ってくれましたよね~。
キョウトシチーは、マジびっくりでしたw

嬉しかったこと、悔しかったこと、ビックリさせられたこと、などなどいろいろあったなぁ~

競馬だから、これからも嬉しいこと悔しいこと両方あると思うけどあまりビックリさせられるのは勘弁ですw
良い意味でのビックリは良いのですが、落馬とかのビックリは本当にないことを願っています

ファンになって、もう10年以上たつけど…
笠松で乗っている姿はあまり見ていないです。(競馬が平日だったといのもあるんですけどね。)

当時、笠松から連れて行った特指の馬は年間に1つか2つは勝っていた記憶があります。
今は、なかなか勝てないので当時より中央との差が広がるばかりと感じていたところ…
なので、笠松のラブミーチャンには本当に頑張ってほしいです。

そういえば、こんなことを思い出しました。
あの落馬事故から暮れの笠松からの復帰が決まった時、とても楽しみにして元旦の笠松に行ったら何と乗り替わり…
後から、勝手に調整ルームから帰っちゃったって知りましたw
さすがのアンカツも、やっぱりあの時はあせりがあったんでしょうねw
さすがのアンカツも人の子なんだなぁ~ってこの時思いましたw

この先、あと何年乗るかわかりませんが少しでも長く乗って欲しいと思います。

願わくば、もう一度あの勝負服を見たいのですが…
もう、無理なんでしょうね・・・
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Unknown (tappy)
2010-02-10 19:46:27
sankyoさん、大作ありがとうございました。順番に読みながら、そのころのことが鮮明に思い出されてきてうれしくなりました。特にレジェンドハンターは、本当にGⅠが取れると思っていたので、朝日杯は本当に悔しかったし、皐月賞を目指していて故障してしまったのは、本当に残念でした。マヤノグレーシーも楽勝だと思っていたら、まさかの落馬負傷。怪我が小さいことを祈っていましたが、残念ながら骨折休養。しばらくアンカツの中央騎乗が見られなかったので本当にがっかりした覚えがあります。しかし、怪我の功名かそれが現在につながっているわけですから、不思議なものです。
 とにかくアンカツには少しでも長くアンカツらしい競馬をたくさん見せてくれることを祈っています。これからも皆さんと一緒に応援していきたいですね。
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いつまでもいつまでも (バログノテイオー)
2010-02-10 18:29:09
渾身のブログをいつも有難うございます。そして今回の1000勝通過記念回顧録、いつにもましてワクワクゾクゾクで読み終えました。まさに感動の嵐です。ライデンリーダーでのフィーバーと敗戦の無念。本馬場のライブで目のあたりにしたマヤノグレイシーでの落馬負傷。そしてその後の復活→移籍→活躍。私の競馬ライフの真ん真ん中に常にアンカツさんがいます。そしてこれからもできるだけ長くそれが続いて欲しいと願っています。この素晴らしいブログとともに。
この素晴らしいブログいつまでも
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Unknown (タコスケ)
2010-02-10 12:22:16
カラスが泣かない日があってもアンカツが勝たない日はない。
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Unknown (Raptus)
2010-02-10 11:24:35
こんにちは。

1月3週めまではなかなか勝ち星が延びなかったので
少しもどかしい気分になっていたんですが、
勝った4勝がいずれも準メインか最終レースということに
なぜだか懐かしいというかデジャヴーのような感がありました。
この懐かしさはなんだろうか、とよくよく考えてみたら、
「そういやJRA移籍前の遠征してきていた頃ってこんな感じだったよなぁ」。
特に遠征時の最終レースは必ず勝ち負けしてたような印象がありますからねぇ。

皆さん書いておられるマルカベンチャーの「ザ・アンカツ」とでも名づけたくなるような騎乗ぶりも、
もどかしくも懐かしい気分になっていたときだったので、かなりうれしかったですね。
何せ僕の中で最も強烈に頭の中にこびりついているアンカツのレースは、
アッパレイモンでインをこじ開けて差し切った00年桜花賞デーの準メイン・梅田ステークスなものでw

記念すべき1000勝の日は泣く泣くWINS観戦だったのですが、
レース後のインタビューの映像が流れると、ちょっと感動というか、感慨深いものがありました。
JRA移籍後初勝利の瞬間を見届けなければ、と朝から阪神に出かけて行って応援したときのことを思い出したり。。。
と、書いているうちになんか過去の人みたいになってきたので、これくらいにしますがw、
彼が残してきた足跡ってのはほんとに凄いんだなぁ、とsankyoさんのブログを読みつつ改めて感じているところです。

無事是名騎手。そんな言葉が似合う騎手になってほしいですね(って、もうなってるかな)。
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Unknown (だんだだん)
2010-02-10 07:51:49
1番衝撃的だったのはレンジェンドハンターですね~。
ライデンリーダーも凄かったけど、本当にレース振りが圧巻。絶対に芝G1を取れると思ってました。
確か皐月賞のトライアルの前に地方のトライアルに参加して、その後に故障を発生したんだったかな?
ソコから崩れちゃいましたね……。
休めなかった事もあるかも知れませんけど、本当に残念。

今年は笠松のラブミーチャンがライデンリーダーの無念を晴らす!見たいな事を言われてるらしいですが…。
ライデンだけでなく、オグリ兄妹、ハンター、フジノテンビー……。
過去に笠松で挑戦を続けた沢山の馬の夢が、果たせなかった夢が、繋がってる気がしてます。

ずっと安勝を応援してますが、今年だけは……。

安勝<ラブミーチャン(&浜ちゃん)

で、行かせていただきます♪
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Unknown (レオポン)
2010-02-10 05:22:52
いつもsankyoさんの文章力に感心しております。感動しながら読ませて頂きました。失礼ながら質問したいと思います。何処かでライターの仕事とかしたことあるのでしょうか?本当に素晴らしいと思って、おせっかいな質問ですいません。
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Unknown (ユラ)
2010-02-10 02:07:27
私は中央入りしてからのアンカツしかわからないのですが、
運がいいというのはすごく思いますね。
馬との巡り合わせをみても、理由はたまたま偶然でも
そういったチャンスを引き寄せる何かを持っているんでしょうね。
そして結果を出してきた。素晴らしいです。
これからもまだまだたくさん楽しいレースを見せてくれそうですね。
G1の最年長V記録を全部塗り替えるとかw期待しています。
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Unknown (marumi)
2010-02-10 02:02:25
はじめまして。ブログ立ち上げの頃から拝見しております。
アンカツの中央入り前の話で懐かしさのあまりコメントさせてもらいます。ちょうどアンカツが中央に挑戦を始めた頃、自分は名前は同じカツミでも南井さんのファンでした。今でも忘れませんが、アンカツがテン乗りで持ってきたテナシャスバイオが勝った琵琶湖特別の2着が南井さんでした。その馬連4000円当てたのを境にアンカツのファンになり今に至りました。
だから、初めて南井厩舎の馬に乗った時は嬉しかった事を今でも覚えてます。
お忙しいみたいですが、これからもためになるブログを楽しみにしています。長文、失礼しました。
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Unknown (アンカツファン)
2010-02-10 00:43:33
アンカツの今の力の力の抜けたスタイルってアンカツだから許される(アンカツでなければ絶対許されないw)んだろうなと思います。
騎乗技術はもちろんですがもっと深い部分(アンカツの思いや苦労)を知ってるからこそ豊もノリも安藤勝己という騎手をリスペクトしてるし様々な調教師から良い馬を依頼してもらえるのでしょう。
まぁ結果を残し続けてるってから説得力があるんですけどねw
やはりアンカツの歩んで来た道や人柄にロマンや魅力を感じている人が多いと思います。
もしもアンカツが中央入り出来てなかったら、もしアンカツが地方ジョッキーの先駆けでなかったら、競馬界にとってどんなに大きな損失だっただろうかと思うと本当にアンカツが先駆者で良かったなぁと思います。 
生ける伝説『安藤勝己』今年はどんな伝説を作ってくれるのでしょう。

楽しみです。


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