踏青_徒然日記

徒然なるままに日暮しキーボードに向かいてよしなしごとを...

貴船菊

2009年09月29日 | 俳句

小名木川の風に立ちたり貴船菊
  おなぎがわの  かぜにたちたり  きぶねぎく

<一言>
貴船菊は、秋明菊ともいうが花茎の長い立ち姿の良い花。あまりにも細い見た目とは裏腹に、茎は硬くて丈夫、容易くは折れない。芭蕉庵にほど近い清澄庭園の池の風を受けて揺れ立つ花の姿に、長旅を決意した人の俤を重ねる。

・季語は、貴船菊’で、秋’です。

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芒(すすき)

2009年09月28日 | 俳句

穂芒や飛行機雲は細くして
  ほすすきや  ひこうきぐもは  ほそくして

<一言>
蒼く澄んだ秋の空に飛行機雲が細く伸びている。あの細い一筋を残して飛行機はどこまで行ったのだろう。私は地面に根を下ろした芒と一緒に、ただ見上げている・・・

・季語は、穂芒’で、秋’です。

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金木犀

2009年09月27日 | 俳句

木犀や裏街包む夕まぐれ
  もくせいや  うらまちつつむ  ゆふまぐれ

<一言>
このごろはだいぶ日が短くなった。暗くなる前にと近道をした帰り路で今年初めて、木犀の香りと出会った。薄暗い垣根の一角にやっと見つけた小さな花は、晴れやかな金色だった。

・季語は、木犀’で、秋’です。

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梔子の実

2009年09月26日 | 俳句

梔子の実の黄金なし忠魂碑
  くちなしの  みのこがねなし  ちゅうこんひ

<一言>
先の大戦で散って行った無名戦士を祀る忠霊塔の梔子の実が黄色く色付き始めた。前途ある若者たちはどんな思いで死んでいったのであろうか。先日、白洲次郎の生涯を伝えるテレビドラマを見たが、畑を耕し、学校の講師を夢見ていた青年が招集され、戦死するという場面が有った。今を生きる我々が、彼らの想いをどれだけ感じとれているのだろうかと思うと何とも哀しい・・・

・季語は、梔子の実’で、秋’です。

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薄紅葉

2009年09月25日 | 俳句

清澄に戯るる風薄紅葉
  きよすみに  たはむるるかぜ  うすもみじ

<一言>
清澄庭園には、都会の中とは思えないほどの心地よい風が吹いている。あふれるほどの緑のせいか、大きな鯉の泳ぐ池のせいなのか、それとも池の上はるかにせり出した涼亭でのビールのせいなのか、ともあれそこには紛れもない秋の風が吹き渡っていた。

・季語は、薄紅葉’で、秋’です。

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こぼれ萩

2009年09月24日 | 俳句

池の面に光る小波こぼれ萩
  いけのもに  ひかるさざなみ  こぼれはぎ

<一言>
句仲間と清澄庭園を散策した。日本各地から集めた名石を配した回遊式の日本庭園で、彼岸花や萩の咲く水辺を秋の風に吹かれながらの散策は、久しぶりにのんびりした楽しい時間だった。

           彼岸花には黄色もあるんですね~
           国々の石に咲き添ひ曼殊沙華


 

・季語は、萩’で、秋’です。

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通草の実

2009年09月22日 | 俳句

せせらぎは身の下遥か通草の実
  せせらぎは  みのしたはるか  あけびのみ

<一言>
秋の山の幸と言えば、茸か通草。しかし、茸は食用になるものか毒茸かの判別が難しく一寸近づきがたい。一方、通草の方は蔓の先、それもどうゆう訳か大方は崖の上にせり出した枝ときている。なかなかおいしい話は無いということか。

・季語は、通草の実’で、秋’です。

 

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法話

2009年09月20日 | Weblog

山伏の烈しき法話曼珠沙華
  やまぶしの  はげしきほうわ  まんじゅしゃげ

<一言>
ミシュランの三つ星に選ばれてから急に登山客が増え、いまでは登山者数では世界でも有数の山になったという高尾山にまた出かけてきた。駅を出て一時間余りで頂上に立てるとは言え、そこは1200年も前から連綿と続く修験の山。畏敬の念を持たせる何かが有る。参拝を済ませ、御朱印を頂いて下山しようとしたところたまたま聞こえてきた法螺貝の音に引かれて近寄ってみると、若い山伏姿の修行僧が法話を始めるところだった。つい引き込まれて最後まで聞いてしまったが、修行で体得する心は「生かされている」ということであり、これは我々も生活の中で「自分とゆうものが周りのすべての存在に支えられ生かされている」と感じることで得られる安らぎの心境と一致するのだということらしい。

・季語は、曼珠沙華’で、秋’です。

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木の実落つ

2009年09月19日 | 俳句

窯鳴りの風神に似て木の実落つ
  かまなりの  ふうじんににて  このみおつ

<一言>
陶芸窯も1000度を超え始めると強風に似た唸りを始める。土くれが作品に変わって行くと思えば希望に胸膨らむ時でもある。今回の焼き上がりはどうだろうか、仲間の作品もうまく発色してくれるだろうか、一抹の不安もよぎるひと時である。

・季語は、木の実落つ’で、秋’です。

 

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草の花

2009年09月17日 | 俳句

土方の学びし庭や草の花
  ひじかたの  まなびしにわや  くさのはな

<一言>
この季節になると、空は高く澄み、山はどことなく遠ざかったかに見える。草原の薄の穂も今はまだ糸のように細いままゆったりとそよいでいる。人の世の騒がしさとは無関係な自然のいとなみ。それにしても最近は少し異常なくらいの騒がしさだが・・・

我が家の近くには、個人のお宅が開いている資料館がある。江戸末期に、近藤勇や土方歳三、沖田総司といった面々が集い共に学んだ家である。このあたり多摩村は、天領であった事からか百姓の子供と言っても、剣術や学問への関心が高かったという。

・季語は、草の花’で、秋’です。
(俳句の世界では、木の花は春。草の花は秋という事になっています。)

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