つくばいて百花まみゆる春野かな
つくばいて ひゃっかまみゆる はるのかな
<一言>
天気も回復して、いよいよ春らしくなってきた。野原を見渡せば黄色いたんぽぽが今を盛りと咲き誇っている。しゃがみ込んで見渡せば、名も知らぬ小花が溢れんばかりだが、我が家の周りでは今年はなぜか土筆が少ない。
・季語は、春野’です。
つくばいて百花まみゆる春野かな
つくばいて ひゃっかまみゆる はるのかな
<一言>
天気も回復して、いよいよ春らしくなってきた。野原を見渡せば黄色いたんぽぽが今を盛りと咲き誇っている。しゃがみ込んで見渡せば、名も知らぬ小花が溢れんばかりだが、我が家の周りでは今年はなぜか土筆が少ない。
・季語は、春野’です。
日照雨過ぎ狐の牡丹耀へり
そばへすぎ きつねのぼたん かがよへり
<一言>
青空からぱらつく雨。などと云う陽気のせいか桜はなかなか開ききれないようだ。足もとに目を落とせば、金色にひかる狐の牡丹。してみると先ほどの雨は狐の嫁入りかもしれぬ・・・
・季語は、狐の牡丹’で、春’です。
蘆若葉動くもの無き沼の昼
あしわかば うごくものなき ぬまのひる
<一言>
暖かくなったと思えば寒さがぶり返し、桜の開花も足踏み状態かと思ったら、沼の水辺では蘆の角がもう伸び出して葉を広げようとしている。ぴんと張った若芽は、風にそよぐこともなく静かな水辺の昼は眠気を催すほどに心地よい。
・季語は、蘆若葉’で、春’です。
峪深き旧甲州路花木五倍子
たにふかき きゅうこうしゅうじ はなきぶし
<一言>
旧甲州街道は裏高尾から山へと懸り、大垂水から小仏峠を越え笹子を越えて甲府へと続く難所の道である。渓に垂れ下がるように咲く木五倍子の花、かの武田家滅亡の際にこの道を通って逃れてきたであろう松姫の飾頭しにこそ似合う花であろう。
・季語は、花木五倍子(はなきぶし)’で、春’です。
蒼空の雲紡ぎけり糸桜
あおぞらの くもつむぎけり いとざくら
<一言>
樹齢400年を越すと言われている枝垂れ桜。江戸彼岸桜の改良種で、枝垂れる枝が長いために、一名を、糸桜とか。見上げれば、空を覆う姿に圧倒される。今年は、気象の加減かあまり花付きが良くないとのことだが、どうしてどうして、まさに
まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生
と言ったところ。
・季語は、糸桜’で、春’です。
芽柳や空の蒼さを孕みいて
めやなぎや そらのあおさを はらみいて
<一言>
萌黄色に芽吹いた枝垂柳が春の気配を告げている。この風の冷たささえなければ、いかにも長閑な春なのだが・・・
・季語は、芽柳’で、春’です。
富士吞みし雲の走り来彼岸西風
ふじのみし くものはしりく ひがんにし
<一言>
寒の戻りかとも思う冷たい風が吹き荒れた。ちょうど開き始めた桜もさぞや驚いていることだろう。俳句では、この時期に吹く冷たい風のことを、彼岸西風とか涅槃西風などと云うが、ちょうどお彼岸の時期でもあるので、冷たい黄泉の世界から吹いてくる’と言ったものと思う。ともあれ、この風は暖かな春の訪れの前触れでも有る。
・季語は、彼岸西風(ひがんにし)’で、春’です。
残照は玻璃を染めけり花躑躅
ざんしょうは はりをそめけり はなつつじ
<一言>
春の日が今日最後の光をくすんだガラス戸に投げかけ、赤く染める。木陰に咲いた三つ葉躑躅が淋しげな微笑を投げる。一日が、また何事もなく過ぎてゆく・・・
・季語は、躑躅(つつじ)で、春’です。
晴れ渡る空の眩き初櫻
はれわたる そらのまばゆき はつざくら
<一言>
いよいよ東京も開花宣言が出された。東京の基準となる桜の木は、靖国神社にあるというが、ついに今日開いたとのことだが、我が家の周りはもう4~5日はかかりそうな気がする。写真の桜は、「修善寺寒桜」で、ソメイヨシノの妖艶さはないが、清楚な姿は捨てがたい。
・季語は、初桜’で、春’です。
枝過ぐる風やはらかし土佐水木
えだすぐる かぜやはらかし とさみづき
<一言>
いつの間にやら吹く風から刺々しさが消えた。土佐水木の花の揺れに、風のあるのは見えるがもはや寒さは感じない。桜の蕾も紅色を帯び、開花の近づいたことを告げているようだ。(今日から、読みも俳句らしく、歴史的仮名遣いにしてみました)
・季語は、土佐水木’で、春’です。