俄か農十指に余る干菜かな
にわかのう じゅっしにあまる ほしなかな
<一言>
市民農園で大根を育てて見たがなかなか上手くゆかない。うまく太くなったと思えばスがいっている、かと思えば蕪と見まがうほどの短さ。などと言いながらも無駄にはせずと葉の部分は干し菜に。我ながら涙ぐましい・・
・季語は、干菜’で、冬’です。
干菜とは、農家で晩秋に収穫した大根や蕪の葉を冬の保存食として、竹竿や藁縄などに吊るして干すことです。
本来はひと冬食べるほど吊るしますが、十指に余ると喜んでいるところに俄百姓のおかしみが感じてもらえるとよいのですが、
縁日の過ぎし枯葉の薬師道
えんにちの すぎしかれはの やくしみち
<一言>
フランスでは枯葉を直訳すると、死んだ葉’となるが、輪廻転生を信じたい仏教徒である私には、枯葉は、黄昏ては居るもののまだしっかり命のある物のように感じてならない。きっと高齢者の仲間入りをした自分をつい重ねてしまっているのかもしれない。
紅葉も散り、訪れる人もめっきり減った参道は自分の踏みしめる枯葉の音がかさこそと聞こえるのみ。奥日光ではもう雪の便りが・・・
水口を閉じし貯水池冬紅葉
みなくちを とじしちょすいち ふゆもみじ
<一言>
近くの公園を散策、この池はその昔、山裾に湧く水を溜めて田畑を潤そうと苦労をして作り上げた貯水池なのだというが、今は鮮やかに色づいた晩秋の山影を映して静かなたたずまいを見せている。
・季語は、冬紅葉’で、冬’です。
竹叢に天狗ひそむや花八つ手
たかむらに てんぐひそむや はなやつで
<一言>
高尾山は、飯縄権現を祀るいわば天狗様の山。してみると竹叢に咲く八つ手の花はひょっとして天狗の忘れた羽団扇なのかも知れぬ・・・・・
・季語は、花八つ手’で、冬’です。
茶の花やおふぐわけとの国訛り
ちゃのはなや おふぐわけとの くになまり
<一言>
今日も冬型の気圧配置ということで、抜けるような青空が広がったが、さすがに気温は低い。ところが、隣家から青森から送られたという真っ赤な林檎が届けられた。少しばかりだけれどもお福分けだという。少し訛りのある隣家の奥さまの言葉に、ほのぼのと温かさを感じる。
・季語は、茶の花’で、冬’です。
蒼空に一筋の雲散紅葉
あおぞらに ひとすじのくも ちりもみじ
<一言>
いっぺんに冬型の気候となり、日本海側では雪になったとか。東京近郊は青空が広がり、すきとおるほどの青空に飛行機雲の名残か一筋の雲がゆっくりと広がっている。
・季語は、散紅葉’で、冬’です。
寒空や板戸を閉ざす妻籠宿
さむぞらや いたどをとざす つまごじゅく
<一言>
今にも時雨れそうな冬の空に、既に葉を落とした檀の実が真紅の種を覗かせている。懐かしい日本の原風景を伝える妻籠の町並みも、じきに板戸を閉ざし、冷たい冬を迎えるのだろう・・・
・季語は、寒空’で、冬’です。
暮れなずむ藤村生家木守柿
くれなずむ とうそんせいか きもりがき
<一言>
妻籠の藤村記念館を訪ねる。写真や数々の遺稿の中に、夜明け前の一節を見る。つい時間を過ごして表に出れば、すでに夕暮れの迫る庭先に古い柿の木、懐かしい文章に出会った後だけに枝先の木守柿がかなしい・・・
・季語は、木守柿’で、冬’です。
木守柿とは、収穫の後に一つ木に残しておく柿や柚子の実のことで、翌年の実生りへの祈りとか、小鳥たちのために残しておくとか言われているが、古来より自然との共生をなしてきた日本人の心の現れであろう・・・
あいずちを打つ他はなし蜜柑剥く
あいずちを うつほかはなし みかんむく
<この俳句の作句意図>
この処会社のOB会や同窓会、俳句の会と飲み歩くことが多い。いつの頃からか忘れかけていたが、少しは家庭サービスもしなければ・・・
・季語は、蜜柑’で、冬’です。