踏青_徒然日記

徒然なるままに日暮しキーボードに向かいてよしなしごとを...

金縷梅が咲きました。

2019年02月26日 | 俳句

金縷梅のほぐれ誘ひぬ峰の風

時ならぬポカポカ陽気に誘われて、近所の公園や雑木林を散策。

蠟梅も終わり、ウグイスカグラや金縷梅が咲き始めている。

金縷梅の名前の由来は、紐状の黄色い四弁花を稲穂に見立てて、樹木全体に溢れるばかりに咲いた姿が豊年満作を思わせるからとか、早春の山地で、他に先駆けて「まず咲く」ことから、それが訛って「まんさく」と転じた。という説がありますが、面白みがあるためか「まず咲く」の方が好まれているようです。

秋田にお住いの師によると、

花弁がぺらぺら薄くて捩れているためか「しいな花」と呼ばれていたが、「しいな」では、不作を連想して縁起が悪いので「満作」と呼び変えた。と言うのが本当のようです。

「梨」を「有りの実」と呼ぶなど、この手の呼び変えは、昔からよく行われています。

ともあれ、まだ冷たい山地で春を告げる嬉しい花であることは確かです。


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梅林を散策

2019年02月14日 | 俳句

梅が枝の短冊美しき女文字

久し振りに府中の「郷土の森」へ梅を見に出かけた。白加賀や月影などは未だ蕾も硬いようだったが、

早咲きの品種はもう見ごろという感じで風は冷たかったが、まずまずの観梅行となった。

少し濃いめのピンク色の一本を見付け近寄ってみると名札に「鶯宿」とあった。

鶯宿と言えば、

平安中期の村上天皇の時代、天皇が住まう清涼殿の庭の梅が枯れてしまった。

「どこかにこれに代わる木はないか」と尋ねられるとある者が、西京の、

さるお屋敷の庭に良い梅の木がございます、と答えた。さっそく勅使が遣わされ、

その梅の木は御殿の庭に移し植えられたが、枝ぶりも見事な紅梅で、

ほころび始めた花の色の深さはたとえようもない。天皇がそれをご覧になると、

その一枝に短冊が結ばれており、

「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答えむ」

と筆跡もうるわしく書かれていた。天皇は、この歌の意味をくみとり、直ちに梅の木を返させたという。

歌の主は三十六歌仙の一人である紀貫之の娘、紀の内侍で、彼女は父に似て才媛の誉れが高かった。

この物語は「鶯宿梅」として今に伝えられる。

郷土の森の梅祭は3月10日までとか、今月末ぐらいが見ごろのようです。

 

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