ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

詩・雪の間

2012年01月21日 | 
雪の向こうには
人の思いが見えている

いや雪の向こうには
人の思いを超えたものが
静かに重く
見えている

罪責だったり
後悔だったり
思慕だったり
憎しみだったり

「私」の思いは
しばしば私を超える
その制御は完全でない

人の思いは人の制御を超えたものとして
雪の向こうに浮かんで吹かれる

見つめるのだ
そこには安易なる「神」という記号も逃げ場も持たないで

しかし己に制御はできないものがあることを
確かに雪に教えられ

見つめてそして生きるのだ

在りて在る

2012年01月21日 | その他もろもろ
野田先生と言えば、お子さんを生殖医療で授かったことや超高齢出産なことや、結果お子さんに重篤な先天障害があること、…などを非難したり中傷する輩がいるみたいですね。政治家の有名税を割り引いてもひどい話です。

確かに生殖医療のあり方には議論があまた必要で、慎重であってほしいと桜泉は思います。

また、子を生むだけが親になる道ではなく、日本ではまだ少ない養子縁組や里親になる道がクローズアップされるべきだとは考えています。

超高齢出産はまず何より母体にリスキーであり、また子を成人するまで見守れる確率が低めになるわけで、あまりおすすめしたくはない意見の持ち主です。

しかし!

桜泉はこれだけは譲れぬ考えがあります。

ひとたび生まれ来た命は、どんな理由あれ、そこに命あって在る限り、そのこと(命あって在ること)を認め受け入れ尊重したいのです。

また、胎内に子を宿した女性が、その子を生むと決意したならその決意は最大に尊重したいのです。

私が親になっていった(ている)経験からも、命を産み出すことと生まれ来た命は、やはり人を超えたものに立脚していると思うからです。

第一、命は不可逆です。生まれ来ようとし生まれたものを、誹謗したり蔑んだり拒絶するのは、命に死を与える行為すなわち殺人に等しいと考えています。

私たち人は「在りて在るもの」(ヤハウェ)の似姿に創られたとは、そういうことではないかと思います。

「私」「あなた」「その人」「この子」皆、在りて在ることが権利であり義務ではないでしょうか…。