ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

正月料理??

2007年12月31日 | その他もろもろ
作ったもの。

カボチャとジャガイモの煮物。
Jくん用おこわ(餅はまだ食べられないから)。

作る予定のもの。

関東風お雑煮(小松菜・鶏肉ほか、醤油仕立て)。
関西風お雑煮(人参、里芋ほか、白味噌仕立て)。
カボチャ汁粉。
甘くない田舎汁粉。

取り寄せたもの。

かぶら寿司。
大根寿司。
金沢のお節セット。
黒豆。
丸餅。
棒寿司。

あっ、まだシュトレンがある!



…これで一週間生きてゆけそうだ。
パパガスパールにたくさん食べさせて…私は…己と闘うのだ。

新しい靴で新しい年へと

2007年12月31日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
パパガスパールが掃除機をかけようとしたら、Jくんが大泣きしたので(掃除機が怖い)、脱衣かごを買いに某大型雑貨店へJくんをつれ出しました。

脱衣かごはいいものが見つからなかったけれど、Jくんは今の靴がキツキツで気になっていたところ、隣のデパートでいいのが買えました。
でもJくんはなぜか靴の試着も苦手で大泣き。
そして“かーか”こと、桜泉も、同じ売り場でスニーカー(ジュニア用)を買いました。
得?したのはパパガスパール。なぜなら、今月はじめの桜泉の誕生日に、1万ン千円の靴を買う約束をしてしまっていたのが、「このン千円のスニーカーの実費をくれたらそれでいい」になったのですから。
(実際には実費より多目の金一封をくれましたが!)

新しい靴が眩しいJくん。今夜寝たらお正月。
新しい年も元気に歩きましょう。

2歳以下の男児の叫び声

2007年12月30日 | グレ耶蘇生活
朝から何だか体がだるい。ふらふらする。でもいい天気。
Jくんに、お外行く?家で遊ぶ?と聞いたら、おんも、と言うので、お散歩に行くことにした。

今日のお散歩は、大江戸線に乗って、商店街を流して、そして・・・オルガンの聞こえるところへ。
そういうの散歩って言うのかい?
ちなみに、時間はとうに11時半。もはや、レイハイシュッセキというスタンスではなく、オサンポのツイデに立ち寄ったというスタンスである。そうでないと、もう礼拝出席が恐ろしい苦痛であり、体の負担になるから、仕方ない、他の人の迷惑に、極力ならないようにすれば・・・と腹をくくっている。

今日は、マタイ2章の、いわゆる幼児殉教、ヘロデの幼児虐殺の箇所だった。
(「新しい王」の誕生を恐れたヘロデ大王が、該当しそうな子どもは皆殺しにしてまえ!と、ベツレヘム付近の2歳以下の男児を皆殺しにしたが、イエス一家は天使のお告げによって難を逃れたと言う話。)
そんなところに、2歳以下(2歳丁度は2歳以下に含まれますねぇ)の男児が・・・泣いてないけど叫び声を挙げまくり・・・「Jくん!Jくん!」「ばちゅ!(バス)」「チッコ!(出たんかい?)」「いやいや!」「トントントントン(髭爺さん♪)」「$%♂>♭Ω!!!?!」
十分皆さんの迷惑だったかも。

帰りは、隣りの公園でJくんお遊び。ロボットの馬?に上手に乗れた!
しかし、そうしていたら俄かに掻き曇り、すごい風が吹いてきて・・・ベビーカー走行が難しいほど。タクシーで帰る派目に。(財布殉教?)
今は満足して、お昼寝してるJくん。幼児殉教とは程遠い、平和な年の瀬を感じる日曜日・・・。こういう日も、あっていいね。

クリスマスのお話(2)

2007年12月26日 | グレ耶蘇生活
10月頃だったか、すごく不穏当なる発言をこのブログでしていました。
「牧師よ、信徒を舐めんなよ」などと。
そして、パパガスと桜泉で、ある小さなプロジェクトを進行中、私たちには私たちの宗教改革がある、と。

かいつまんで言うと、こういうことでした。

キリスト教界の中には、いや、いろんな宗教にあるのですが、その宗教の正典・経典を、字句どおり文字通りに受け取るという立場の人がいます。
また、そこに書いてないことを言ったり想像するのは怪しからんこと、と忌諱する向きがあります。
信徒にもそういう人がいれば、牧師にもそういう人がいます。
で、教団内のニューズレターに、牧師と思われる人が、イエス・キリストにまつわるとある(一般人でもわりとよく知っているような)説や戯曲・小説などを、そういう立場から頭ごなしに批判して切り捨てるような文章を載せていたのです。(しかも論理や文章が…悪いけど、結構稚拙。これは本当に牧師の文章かい?と思いましたが、それはここでは横に置いておきましょう。)
二つの点から桜泉とパパガスは「なんじゃこりゃ」と思いました。
一つは、そういう、何だか幅もゆとりも無いような聖書理解、そして教義をただ護ろうとする内向きな姿勢が、良くないと思ったのです。
もう一つは、それを教団とか牧師の立場とかいう権威権力をかさに、頭から教え込もうとする、蒙を啓いてやるという臭いが、行間からふんぷんと感じられたからです。
それで、その記事への批判文なんか、二人で執筆して教団に送っちゃいましたが、その後どうなったか、分かりません。多分ボツでしょう。

珍説奇説、聖書から想像・空想されるいろんなことを、これが絶対に正しい事実だ!と言うのは、桜泉だっていかがかと思います。
でも、空想や想像を封じ込めるなんてナンセンス。それだけ聖書の世界が豊かで、また私たち人間も、いろんなことを思う頭を、心を、与えられている証拠じゃないかと思うのですが。
それと、これだけいろんな学問などが発展し、社会が複雑化した中で、神話的世界や宗教的真実と、歴史的事実、科学的客観的事実ということを、どう分けて考え、でもどこかで統合させていくのかということは、今の時代の課題で、またしかし難しい問題なのだと思うのです。
どれが「嘘」でどれが「ほんと」だなんて、簡単に決められない世だし、そういう時代に来ているし、そういう時代の中で、語られることは、2000年前の古代や、5~600年前の中世などとも、違ってこざるを得ない、それが変わらないでいい、変わらないのだ、なんて言う方が変でしょう。

前置きが長くなってしまったけれど、嘘、といえば。(それが引き出したかっただけ…。)

クリスマスを描いた宗教画はいっぱいあります。降誕の絵。そして、絵だけではなく、教会ではクリッペというものを飾ります。家畜小屋と聖家族の模型です。
飼い葉桶の中の幼いイエスを囲むマリアとヨセフ、動物、羊飼い、東方の博士…。かわいらしい赤ちゃんを囲んだ、それは幸せそうな光景、桜泉など、思わず2年前の12月24日を思わずにいられません。(Jくんと一緒に産院を退院したのは何と12月24日。実家ではかわいいゆりかごを用意してあって、Jくんを早速そこに寝かせ、桜泉夫婦、爺婆で取り囲んで、それはそれはとんだ降誕劇状態でした。)
また、大抵というか当然、マリアもヨセフも動物はともかく他の人間たちも、幼子イエスを礼拝しています。幼子ながらイエスは聖なる威厳に満ちたポーズを取った人形もあります。だから、見ていると荘厳な気持ちにもなります。

でも、敢えて言うなら、これこそ「嘘」「嘘っぱち」ではないかと、思うのです。
このクリスマスに何度かルカ福音書の、降誕の箇所を読みました。読みかえしました。
自分が知っている、頭に浮かぶ、いろんな絵、像を振り払い、捨てながら。
難しいことでした。とても。もう、あの甘くロマンチックで幸せで温かくて荘厳な家畜小屋が聖家族が染み付いているのです。
でも、一生懸命それらを取り払って、ただ聖書を追ってみました。そして自分で想像してみました。

予定日が近づいているのに旅をしなければならなかった若夫婦。旅先は宿がいっぱいで、野宿同然の状態。(だって、家畜小屋です。今、誰が馬小屋牛小屋に寝泊りしたいですか?)そこで女は産気づき、よりによってその家畜小屋で子を産む羽目になった。しかも初産婦が!お産の経験のない人が!
暖房もない、衛生面でもあまりどうかという環境、お産なら力を貸してくれる近所の女たち、肉親親類、そして今でいう助産師、つまり産婆さんもいなかったであろう…。
生まれてきた子は当然新生児です。クリッペや聖画にあるような、どう見ても1~2歳児に見えるあんなものじゃない、ふにゃふにゃの、猿みたいで、小さくて弱い、新生児。新生児なんて、本当に小さいです。Jくんは違ったけど(←3551g…)、昨今2500~2800gで生まれる子も多いし、ともあれ平均で3kg、身長も45~50cmぐらいしかない。皮膚もふにゃふにゃで、人らしい顔になってくるのはやはり1ヶ月健診を過ぎる頃です。
無い無い尽くし、というかもう惨め尽くしの環境に、新生児が生まれて、それでも必死にこの命を護ろうとする若い夫婦。
そこに、羊飼いだのなんだののおっさんが訪ねてきてお祝いしてくれたのは、地獄に仏?、嬉しかったでしょうね。(でもちょっとわずらわしかったかな…どっち…?)

桜泉がJくんを生む時、やはり夜だったのですが、介助してくれるのはベテランの助産師さんひとり。
パパガスは東京から藤沢に急行中ですが、当然陣痛の介助には間に合いません。
婆は連絡役として、家と産院を往復する役目。
でも、桜泉としては、専門家が介助して、お産をリードしてくれることほど心強いことはないので、ありがたかったです。
破水して、いよいよ分娩室に移ってからも、助産師さんはずっとリードしてくれるのですが、経過が順調だと、飲み水を取りに行ったり、次の段階に必要なものを整えたりしに、時折、数分ほど場を離れるようになりました。一人でこの調子でいきんでて下さいとのこと。
不安でした。超不安で、そういうときの痛み苦しみは、彼女がそばにいるときの倍に感じられました。
そういう中で、諸般の事情で一人で産む羽目になった人はどれだけ大変だったろう、辛かったろう、とそういうことが頭をよぎりました。
筆頭格として、マリアその人のことも思いました。もちろん彼女は今でいう夫立会い分娩だったけど、男なんて男なんて…こんなときなまじいると却って邪魔なこともある!!!!

暖房も灯りもあり、衛生もきちんとして、器具も揃って、何より専門家のいる産院にいても、お産は大変なもの。綺麗事ではないことだけはたしかでした。
生まれてきた子も本当に猿か宇宙人で、ふにゃふにゃで…やっぱり小さく弱いものでした。(Jくんはそれにしてはでかかったけどね。)
だから、あのベツレヘムで起きた、あのお産、子どもの誕生は、今そこで起きた事象として見れば、惨めで辛くて貧しい事柄に他ならないんじゃないかと思いました。

そして、さらにはふと、ひとつの詩を思い出したのです。
栗原貞子という人が書いた「生ましめんかな」という詩です。2005年の紅白歌合戦の中で、吉永小百合が朗読していました。(あるブログに文が載っていたので参照させていただきます。勝手にリンクしてごめんなさい。)
このお産の状況と、ベツレヘムの家畜小屋でのお産、何が違うと言うのだろう、とても似ているじゃないか。そう思ったのです。
聖画よりクリッペより、こっちの方がそっくりじゃないか。

原爆投下後の惨状の中、それはさぞかし命などと、幸せなどと縁の無い、地獄だったことでしょう。
その真っ暗闇の中で、瀕死の助産師が、これまたおそらくは当然怪我をしているであろう産婦の介助をして、一つの新しい命を生まれさせ、そして助産師は息絶えたということ…。

(ちなみに、あるサイトを参照したら、モデルになったその産婆さんは、実際には命を取りとめられたそうですし、生まれた赤ちゃんはどうなったやらと暗い思いでいたら、何と無事育たれ、今はもういい歳のお方だそうです。ほっとしました。)

野暮を承知で、でも言わずにはおれません。
クリスマスなんか、ロマンチックでも温かくて幸せでも神聖なものでもなんでもない!そんなものこそ、敢えて言うなら嘘なんだ!と。
甘ったるい、人口に膾炙したクリスマスキャロル、そう、讃美歌すら、うそぱっちかもしれません。
神様は、それを見ろ、その場所を、その事象を見ろ、そんな真っ暗闇を見ろ、地獄に近いような真っ暗闇を、と言っている気がしてなりません。
そこに命が生まれるということを見ろ、と言っている気がしてなりません。

じゃあそれはどういうことなんだろう、私にとって、一人一人にとって、どういうことなんだろう。
それは、一人一人が、「思い巡らせろ!」と神様からの一大宿題を、もう2000年以上も前に出されているのではないかと、そう思うのです。

桜泉はしばしば、かなり頻繁に、この宿題ができなくて解けなくて完成しなくて、ヤケを起こしているけれど――。
このヤケクソの中にも、神様は来て下さるでしょうか。来て下さると思いたいです。
真っ暗闇の中のその産声は、そうとう耳を澄ませなければ、聞こえないのかもしれません。いや、そうなのでしょう。耳を澄まし、目を凝らさないとね。
クリスマスは、耳を澄ませ、目を凝らすことを、プレゼントされる時間なのかもと、思います。

おしるこ

2007年12月25日 | その他もろもろ
お汁粉が食べたくて仕方がないです。
甘いものと油ものは止められているはずなのにこんなことでいいのでしょうか。でもお汁粉が食べたいです。
自分で小豆買ってきて、砂糖をほとんど使わないでコトコト煮て食べようかなと思います。
でもそれって美味しいのかな。

ちなみにかれこれ一年前、お正月があけて、鏡開きをしようとして……包丁で指を切ってとんだ目に遭ったのも思い出です。
もう今年は鏡餅は買いません。(ぷんぷん)

とにかくお汁粉が食べたいです。

---
ああ、ブログの中ではこんなに饒舌な私。現実ではまだまだボロボロ。声も出ないときは…少し過ぎ去ったけど。そして、それでも汁粉は食べたいと思ってしまう。
なぜなんだろう…。

腕を痛めて/おっ、なつかしい

2007年12月25日 | マムレの樫の木陰発(ゆーくん妊娠ライフ)
1ヶ月ほど前から腕、特に右腕に痛みがあって、腹帯をきゅっと締める時などには力が入らず困っています。
サロンパスを貼ってごまかしていましたが、だんだん悪化してきたので、明日病院に行ってみようと思います。
今から腕を痛めていては、新生児を四六時中抱っこし、授乳する生活に支障もありましょう。

ケータイメールの打ちすぎか、それとも他の理由か。
湿布といえども妊娠中には使わない方がいい薬もあるし、とにかく医者に診てもらいます。

ただ、暮れ。
どこの病院も混んでいるでしょうね。今、人ごみに長時間居られない桜泉にはこれも困ったものです。
しかも整形外科って意外と少なくて。
大都会の真ん中なのに、不思議です。

そうそう、授乳といえば…、7ヶ月になったし、少しずつバストケアをして母乳育児の準備をして行きたいです。
いま、病院を変わろうというところなので、本格的には1ヵ月後ぐらいから始めることになってしまいますが、とりあえずできる範囲のことを。

まだ、あまりお乳を刺激しすぎない方がいい時期ではあります。
でも詰まっていたりすると良くないので、オイルでマッサージしつつ、試しに軽くつまむように搾ってみました。(さすがに、どこをつまんで搾るといいか、これはすっかり覚えていますからね…初めてのときはそれすら分からなかったっけ。)
当然、まだなにも出るまいと思っていました。

が、出た!
左、ほんのかすかに、お乳がにじんで出たのには驚きました。というか、懐かしいという気分でした。
思えば今年の第一四半期には、この乳房からまだまだたくさんの乳汁が分泌されていたのです。
卒乳して、少し経って、ついに何も出なくなったときには、何も出てこない乳房という方が変な気がしました。
ああ、また帰ってきたぞという気がします。

ただ、この体調不良です。これを引きずったまま出産になると、Jくんのときのように母乳育児が上手く行くか、ちょっと心配ではあります。
でもだからこそ、少しずつ準備をして、体調もゆっくりゆったりした気持ちで整えて行きたいと思います。

その名は永久欠番

2007年12月24日 | グレ耶蘇生活
ともせんの名前がだいたい決まった。
今日からそれで話しかけることにした。

男名前なので、万一女の子だったら、意味の似た別の名前を用意してある。

Jくんの胎名はともれん。
ともせんの胎名は…ともせん。

どちらにも、桜泉は「とも」と名付けたかったのだ。しかし今回も、結局別の名になった。

ともは、神我らと共に居ますのとも。インマヌエルのとも。
字は苗字との漢字のバランス上、別の字を考えていたけれど。

どうしても我が子に名付けて伝えたいメッセージ…、でも、つけられない、何故か他の名になるのは。

インマヌエルはやはり、あの方の別名だからかな。きっとそう、イエスその人のものだから、言わば「永久欠番」。我が家の愛しき愚息たち(!?)につけるのは畏れ多いことなのだ。
そして、そんなすごい名を、兄弟の片方だけにつけるのは不公平だ。
Jくんもともせんも、ある意味、二人ながら「とも」なのであり、そのインマヌエルの名のもとに、生きていってほしい。

でもブログでは今暫く、お腹のこの子は「ともせん」と呼ぼう。

クリスマスの話(1)

2007年12月24日 | グレ耶蘇生活
2007年12月24日の日記。

今年の豪華かつシューキョー的なアドベントカレンダーも皆窓が開き、昼間にクリスマスプディングを食べました。型から出す際失敗し、見た目が変になったけど、家族の評判は上々、また来年も、いや、明日以降に余り物が安く手に入らないか、などのリクエストが出ました。

夕方、Jくんは眠気からくる不機嫌で、大人をぶちまくり。膝にのせて抱きしめ、クリスマスキャロルをメドレーするうち、遅い昼寝に就いていました。

それから大変中途半端な形で、燭火礼拝に参加。それが、今の私の限界だから。いかに人に会わずに礼拝に参加できるか?そんな無茶な願いは、案外聞き届けられたみたいです。

我が体調、病状には今日も愕然としました。昼間に数時間、寝ないでは体が持たない、電車に乗れば、たちまち体が痛み出し、気だるくなり、歩けば息があがり…。

でも、幸いにも電車では優先席が空いていて、座って往復しました。
数日前まで、歌うこともできなかったのが、昨日あたりから、Jくん寝かしつけキャロリングをするうち、いつの間に歌えるようになりました。
礼拝にはほんとに半端な参加だったけど、聖書のクリスマスに関する箇所は、既に昼間にJくんにせがまれて朗読することができました。Jくんも静かに耳を傾けてくれました。

クリスマスに関する話というか証しみたいなものを書きたいと思い、いろんなことを頭の内で、胸の中で巡らせつつ、まだなかなかまとまりません。
ものを考えてまとめるって、やはり大変な業…と感じつつ、思い巡らせる機会を与えられている喜びにあるクリスマス、と言っていいでしょう。

☆近い内に(2)(3)が書けますように。

調性

2007年12月23日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんにあげたおもちゃのピアノを弾いてみたら…。

なんか変?

…。

なぜハ調で調律してない?!(-_-)

このヘボ耳で聞く限り、変ニ調に聞こえるが…。

ちなみにJくんが春にもらった音の出るおもちゃについてる鍵盤は、だいたいニ調だった。(しかもひどい調律!これではJくんの耳の教育によろしくない、ということで、きちんと調律したおもちゃピアノを買ったのだ。)

子どもの耳にはハ調より、すこし高めの音が心地よいとかっていう定説でもあるのだろうか??

ちなみに調律は確かに悪くはない。さすがカワイ製。

Jくんは気に入ってくれて、なんと自分でグランドの蓋を開けて支えを立てることもできる。

ピアノ好きなのはうれしいけど、今にピアニストになりたいなんて言い出したらどうしよう…。(作曲家になって宇宙交響曲?を書くとか言ってた人の息子だからな…。)

ありのまま

2007年12月23日 | グレ耶蘇生活
ブログに自分の胸の内にまつわるディープでヘヴィーなことは原則書かないつもりでいたけれど。今日は例外、と前置き。

つくづく己の存在や行いの駄目さに苦悶するとき、人の妻であることが耐えがたい重荷、傷を押し広げる刃となる。
もちろん母であることや娘であることもまた然りだが、妻であること、それなりに社会的地位ある者、傍目には立派と言われる者の妻であることが、激しい苦しみになる。

あんな立派な人の奥さんがあんな変なひとなのか、ご主人は立派なのにねぇ、声なき声が私を侮辱し苦しめる。いや、あるときある人からは半ばそういうことを面と向かって言われたのだ。

夫・パパガスは。
外にあれば、かつて優等生、今は新進気鋭の学者先生、教会にあっても何かと有望で頼もしい男性信徒。(教会はやはり保守的な世界なので、男の信徒はやはり幹部候補?的な意味でありがたがられる。ちなみに日本のキリスト教徒は女性が多いのだが、だから尚更…。)

しかし、家にあれば当然ながら弱さも欠点も人並みに、人並み以上に持ち合わせた「欠け多き土の器」ではないか。私が人格不円満・低劣なのは認めるとして、彼とて外の顔とは異なる、当たり前の、凸凹だらけのただの人だ。
それなのに人はそんなことは知らず、うわべで外面で評価する。ただでさえダメな私は比較を恐れ、また内実とのギャップに苛立ち、怒りを感じることも少なくはない。

しかし、土の器の欠けと凹凸を、彼は隠してるのではないし、また気付く人もいる。だからというか、彼を変人、変わり者と見る人もある。頭はいいけどね、頭がよくてもね、という声もある。

しかしそれを聞いた私が「そのとーり!ざまーみろ!」と手を打つわけでもない。聞けば面白くはない。これまた一面だけを見て人を評価しているからか…。

ともあれ、そういうことから、例えば我ら一家の教籍がある母教会には、私・桜泉は行きにくい。他の理由から隔てを感じた時期もあるが、今の一番の理由は「パパガスの奥さん」として見られ振る舞わねばならないことだ…。
ダメな、欠けどころか、はなから出来損ないの歪な土の器・桜泉を、桜泉個人としてあるがままに見てもらい、私もあるがままに何も取り繕わず構えずに振る舞えるとは、自分が思えないからだ。

また、パパガスが、優等生よ立派よと、あんな奥さんがいながらエライと、うわべで過大評価されたり、都合良いやつとして利用されることも、頭はいいが変わり者よ、と笑われることもなく、あるがままに見て、褒めも貶しもしない人や場があったら…どれだけいいだろう、そんなことを夢想する。
私も彼もずいぶん楽に、そう、重荷がなくなるんじゃないか…。

誰それの何々として、恥なきよう振る舞わねば!
その声なき命令は実際には何が由来か分からないが、とにかく昔から私を縛る縄目、我が我を閉じ込める「悪魔の獄」なのだと感じている。知っている。
しかし全く抜け出すことの難しいそれである。

ただ私を見てそしられ貶められるなら、まだ耐えもしよう。自業自得なのだし。
しかし比較されるのはやはりつらく、またわが恥の類が人に及ぶかもとあっては、身がすくむ…。

自由とは、なかなか遠いもの。

そういえば私の前で、パパガスを褒めも貶しもせず、彼をあるがままに認めている人も…一人くらいはいたなぁ、今そんなことも思う。
それは私・桜泉を僅かに安らがせてくれるが、それでも「でも私は誰に、どこで、ありのままに見られ、ありのままでいられるだろう?」「私のような者は只一人でいるべき、ではなかったのか?」その悩みの只中に立つしかないようだ。

※とんだ、結婚記念日の、述懐となった。記念日はめでたいめでたいと浮かれるためだけのものではないが。内省の日でもあっていいはずだが。

思いがけない縁で帰ってきた

2007年12月21日 | マムレの樫の木陰発(ゆーくん妊娠ライフ)
お産する病院、思うとこれありて、最初にかかった近所の総合病院に戻ることになった。
但し、その当初どうにもソリの合わなそうだった男のドクターは避けて、女のドクターに健診してもらうことにした。
分娩時にどのドクターに当たるかは…運に任せる。

赤ちゃんに優しい病院が妊婦にお母さんに優しい病院とは限らない。自分のライフスタイルやからだやこころにマッチするとは限らない。…ご教訓。

でも都心だから分娩施設選べるのだ。全国では、いや実家、故郷(湘南地方)ですらお産事情はお寒いのだ。
贅沢をしているとも思い、反省…。

でも、とにかく、これで「タクシー内出産」の憂き目はさけられましょう。また、健診で体力を消耗することも。

おめでとう

2007年12月21日 | グレ耶蘇生活
自分へ。
4回目の受洗記念日おめでとう。

☆三浦綾子の『細川ガラシャ夫人』(上・下)と大貫隆訳『この男は何者なのか マルコ福音書のイエス』を買いました。

誕生日に

2007年12月19日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくん2歳になりました。
近所の教会の前を通りかかったら、今日にふさわし~い説教題でした。(次の日曜日の説教題ですが。)

この子の名はヨハネ♪

でも桜泉はJくんといてあげられません。しばらく家じゃないとこにいることにしました。
Jくんにはプレゼント(おもちゃのピアノ)やお赤飯(但し古代米使用)、イチゴの蜜漬けを用意しておきましたけど。

Jくんごめんなさい。