ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

ブログお休み

2010年01月26日 | その他もろもろ
事情あってとりあえず1週間、ブログお休みします。

どのみち、今年は2/17~4/3、ネット断ち&買い食い断ちをするつもりでしたが。(上記は今年の四旬節=レント。)

必要なことあれば書くし見るけど、あとはやめときます。

ではでは。

あなたのやってるのは、専業主婦の朝食です

2010年01月24日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
と、ある人に言われました。
それじゃあ疲れてしまうのは当たり前。

食パン焼いて、しかも子供用には半分に切って、バナナを切ってプレーンヨーグルトをかけて、それにあともう一品・・・野菜ジュースのこともあれば、前の日の残りのこともあれば、ゆで卵やチーズのこともあれば、冷食のコロッケのこともあるけど。

パンを焼くからひと手間かかる、粉が散るから掃除する必要が出る。品数多いから洗う皿も増える。

共働きのおうちの子なんてね、袋開けてぱくっとかじれるパン(結局スナックパンとかロールパン・コッペパン系だよね)とバナナ一本、ミルク一杯、それでいいじゃん…皿もほとんどいらないよ…。

そうだよね…前からそうは思っていた。
保育園ですっごく栄養あるもの食わせてくれてるもん!

が、私が嫌なんですよ。朝抜きって駄目だし、朝もしっかり栄養と食べた感のあるものを食べたい人なんですよ。

そしたら。

お母さんは後でコンビニやカフェで食べ足せばいいじゃん、とのこと。

そう。つまり。

時は金なり。
手間や時間とお金を天秤にかけてみなされということでした。

苦しくて疲れてひーひー言うくらいなら、その辺工夫なされと。

では、明日から、チョー、手を抜きます。
ますます悪い母になります。
子らよ、パパガスよ、よろしく!

ええ、ええ、人はパンのみにて生くるにあらず。
栄養しっかりしたものをきちんと食べようとして、精神的にいつもいつも疲労と苛立ちと言う貧しさを持つくらいなら、いい加減なことして、心にゆとりと笑顔を持ちましょう。

とは書いたが最悪の日曜日

2010年01月24日 | グレ耶蘇生活
起きられない…。

育児、家事、仕事、疲れきったのか動けません。
一人になりたいです。

ましてや、疲れていた私に最後のだめ押しをしたある事柄を思うと、こんな呪わしい日曜日は無い。

…でも、このままにはしないよ。
起き上がれるようになったら、私は、このままになんかしない。させない。

事をベールで覆うやつらも、勝手なことを言うやつらも、…誰より、些細な罪を盾にして一生の使命からこんな形で逃げるその人を!

桜泉からある人へ、叫びの伝言です。

どんな罪を犯したのだとしても、あなたが今してることは逃げです、私は、そのことを許しません。私は、失礼ながらそれ以外のなにであれようもないあなたが、説教者でなくなることを認めません。私は、神様にもガンガンに訴えるし頼むし神様がヤダと言うなら、神様と取っ組みあってでも闘います。
たとえどのようなかたちでも、あなたは終わりまでその務めだけは、務めだけを、果たす方なんです。

だいたいあんな無茶苦茶な話、私が信じ受け入れると思うのですか。そんな罪ならイエス様に言わせれば私もたくさん、たぶんもっと重く重く犯しているんですから!

私は、あなたが説教者であることだけはやめさせませんよ。決して。

弱くて強い人だからこそ

2010年01月24日 | グレ耶蘇生活
下の記事のつながりで、かなり前に書いてそのままになっていた文章も加筆して掲載します。

-----
主我を愛すという讃美歌がある。

♪主我を愛す、主は強ければ、我弱くとも、恐れはあらじ…

しかし最近桜泉は思う。
いわゆる強さ、尊さから無縁、弱くてしかし強いイエスだからこそすごいんだ、弱さからこそ力へ繋がっていく、弱さを生きられる、だから強いんだと。

前に、ぶどうの木という話で書いたけど、幹だって枝が必要だ。イエスは、枝よ、繋がってなさいと言ってるけど、多分彼は分かっていそうな気がする。枝が繋がってるから幹がある、もちろん幹があるから枝は生きられると。

そうだ、福音書を読めば…。

喉が渇けば、へたってサマリア女性に水を乞う、しかし水を乞ううち、しかし逆に女性を目覚めさせ力付ける。

故郷ではペタペタにこっけなされて、結果として失意に去る羽目にもなる、でも、また行く先々で人々の中に入り、語り、癒す。

ゲッセマネでは苦しみうろたえて、弟子たちに「起きててよ(T_T)」。でも孤独で苦しい祈りの最後には、どーしても去らない杯(十字架の磔刑)なら飲む!となる人…。

でも十字架で「我が神×2、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫び、殺されていく人。

弱さなんかごまかさない。弱さと弱さの先に力がある。マイナス×マイナス=プラスのごとく。

弱さと弱さが共鳴したとき、なぜか新しい音が生まれる。

私の出会った神様は、私の出会った神の子は、そんな方なのではないか。

いわゆる昔的な意味での神様なんか無い、あると言っても無理が生じる、でも、弱い神様と弱い私達のコラボ…それなら、それこそ、こんな時代の私達を生かしめてくれるだろう…。

神様と語りながら、しかしむやみに神様のせいにせず、私と私達人間の生を生きてゆくことを、弱くて強い方に見い出し聞いて行きたい。

スーパーマンじゃないインマヌエル

2010年01月23日 | グレ耶蘇生活
こんなことを言ったら、そっちの人々(いわゆる正統キリスト教を自認する、特に保守派の人々)から、火あぶりにされそうな気がしますが、桜泉は、この数カ月、ずっとずっと考えてきました。

・人はどうして、かくも絶対者を、しかもスーパーマン的な、特別な絶対者を求めるのだろう。
・しかし、そういうスーパーマン的絶対者を求める心が、人を縛り、人を善き生、良き社会から、遠ざけているのではないだろうか。

そして。

・イエスという人は、罪のないイノセントな存在なんかじゃない。神でありながら人になられた、低きに下ったというのなら、ある意味、罪、失敗、苦しみ、それらを自分のものとして持ち、知り、悩む存在だったはずだ。弱い存在だったはずだ。←福音書にもそんな面が隙間見え…
・神というのは、私たちの運命を決めつける絶対者や罪や不幸を避ける特効ワクチンではない、悩み、避けられぬような苦しみ、情けない状況のところにこそ在って働かれるからすごいのではないだろうか。
・スーパーマン、つまりは強いメシアなんか求めんなよ、苦しみの時は一緒に苦しもうぜ、悩もうぜ私と一緒にさ――イエスという人はそう生きて、挙句に理不尽な死を死に切ったからこそ、その人は神の愛する子であり、どういう意味であれ、復活という言葉で表現される形で、神の子としてありえるのではないのか。

この疑問、まだうまくまとまらないけど、…特別なスーパーマンを欲しがる心理にも、一理はあり、人を安心させ生かす効果もあるにしても、社会としては独裁者を生んだり、個人レベルでは、非共感的態度や裁き、差別と分断、無責任…そういうものを生むことにつながるのではないかと…直感レベルとは言え、思うようになってき
ているのです。

なので、罪の無い方が私たちの罪をぜーんぶ負ってくれたのです、アーメン!って言われても、心が冷んやりするばかり。
イエスを殺したのは私だ!という意味で、私のために死んだ、という意識は持つけれど。
特別な人なんかだったら、私はあなたを愛さないし、我信ずなんて言えないよ、イエスさま!どうしようもない気持ちの中に、共感を持って共にある人だから、私はあなたをすごいと思うし、神様の子だと思うのです!
――と、叫びたくなります。

だから、というのがすべてではないのだけれど、今身近にある教会というものに連なっているのがどうにも違和感があってできなくなっています。この半年以上。
もちろん、世の中には、たぶん私のこういう思いに近い思いを抱く人と、そういう群れがあるであろうことも思いますが(実際、イエスも罪の意識を持っていた、罪があったとい解釈も昨今はあります)、今身近にある教会は、そういう思いにこたえ、ともに考える場所ではなさそうです。見つけるのは一苦労しそうです。

ただ、桜泉は、こんな疑問と迷いを、結論はすぐに出なくていい、いいと思うようになりました。(だいたい、結論をすぐ欲しいというのも、スーパーマンに来て欲しいというのと同じでしょう。)
そこにこそ、今、ここにこそ、イエスさまは来てくれる、インマヌエル…共に居てくれているはずだと、そう、信じているから、無理に焦り急ぎたくないのです。私の疑問と迷いから逃げずにしっかり生き抜く時、それだけ神様と長く一緒にいられるのだから…。

頭痛と吐き気

2010年01月22日 | その他もろもろ
とは子供のころからのお付き合いなんで、慌てはしませんが、この10日くらい、頭痛と吐き気に悩まされてます。

原因は、
①正月休み以来の育児疲れ
②食べ過ぎ
③仕事上のストレス
④とある重大ショック
とか考えてましたが、

⑤ホルモン剤の副作用
と思い当たりました。

女の子の日の症状がかなりしんどいので(腹痛と激しい倦怠感)、病院でホルモン剤を頂いています。
授乳中ゆえホルモン剤は控えてきましたが、今の授乳量なら問題はなかろう、と最近飲み始めたら…。

しかし考えたら変な話。
陣痛もつわりも乗りきれたのに、女の子の日の腹痛や倦怠感も、薬の副作用による吐き気も、かくもつらく感じるとは…。

やはり妊娠出産は特別か。
希望ある苦痛だし、苦痛に専念できるし、労りも受けやすいし。

てことは前向きに捉えれば、日常の苦痛も軽減されるってことかな。
自分を労るのも大事かも。

そんなことをつらつら考えています。
それにしてもホルモンて不思議ですね。うまく付き合えるとよいのですが…。

切ない話と、十字。

2010年01月19日 | その他もろもろ
おそらく多くの人が経験済みだろう。
ネットで、元彼元カノのその後を探してみたり、元彼元カノなんてレベルじゃない、小学校の時好きだった子、中学校の時好きだった子…まさにレモンの匂いがしてきちゃいそうな初恋のあの人を探してみるという冒険?は。

桜泉は、原則アホくさくてしないのだけど、――いや、もっと言えば、気恥ずかしくてできなかったのだけど――宗旨替え?して最近は、つかの間のお楽しみをすることもある。

あ、一番笑っちゃうのは、あこがれのT先輩かなあ。
これはもう、好きだったからじゃなくて、笑っちゃうエピソードがあるから、今でも時々、ついつい追跡中。
というのも、パパガスが小学生の時から大学院生の時まで長く通った地元の床屋さんでのこと。
パパガスが修士課程の終わりか博士課程に入ったころだと思う。
床屋「Tくん(パパガスから見ても先輩)がこの間来たよ。もう博士号取ったってさ。」
パパガス「そうですか。」(内心、むっ、だか、カチーンだか、がーんと思ったパパガス。)
以来、そんなご出世なT先輩が、さらにどれほどご出世するか、そしてわがパパガスがそれを凌駕できるのか?――別に出世がすべてではないが、同じ(分野は全く畑違いとはいえ)アカデミーの世界に身を置くならば、桜泉とて下世話な興味津々。
今のT先輩は、とある独立行政法人系研究所で、そこそこのご活躍らしい。
当時しがない院生だったパガスは、今や某大学の准教授だ。ははははは。しかし、博士号は、子育てに追われてるせいか、まだだ。
がんばれ、パパガス。

いや、それはともかく。
切なかった話。
レモンヨーグルト味…。

ある意味一番調べたくなかった、どうにも気恥ずかしくて、できなかった、ある子のことを調べてみた。
…子、ってさあ…子じゃないだろう…もういいオッサンだよ。ぜったいに。
でも私の中では永遠に10代のまま。時々夢に出てきても、やっぱりそれは10代のまま。
こりゃー、調べん方がいいだろう。
知らん方がいいこともあるよ。

が。

いともさっくり見つかった。写真付きで。

数年前の写真なのだが、やはりオジサンにはなっていた。
面影を少し残して、あの笑顔の面影も残して――しかしアブラギッシュなサラリーマン顔になっていた。
男の子はどうも、18ぐらいまでと20代と、さらに30代で…すごく顔つきが変わるような気がするのだけど…例外ではないようだ。(だから男の顔は履歴書だ、なんて言うのかいな?)

さて、その子は、ちょっと意外な、しかし冷静に考えてみたら、実に似つかわしいような仕事をしていた。
あるものを作る仕事だった。
多くの人が、彼の作品を、ある時期いそいそと手にしていたのだろうと思うと…微笑ましく感じた。
作品のひとつを写真で見たら、なんだか彼らしい作品だなあと思った。

そして、その子(だからオッサンだってば)が作ったある商品に関しては、なんと、ネット質問箱その他サイトに、彼の名前ごと引用されまくっていた。
(大学教員やってるパパガスですら、質問箱には1回しか引用されたことがないのに!←著書を紹介されて、褒められてたんだけどね♪)
その子が作っていた(今は知らない。別のことやってるかもね)ある「物」は、いろんなパーツがあるのだが、あるパーツ(詳細に書くと何のことで誰のことかがある程度特定できてしまいそうだから書かない)を「十字」化した、ということがあって、それがネット上で以前話題になったらしいのだ。

「十字」化…?十字だ十字かだっていうと、桜泉はぴくんっと反応してしまうよ。もちろん違う意味でね。(爆)

ある理由から、桜泉にその機会はなかったろうけれど、その品物の現物を、一度手にしてみたかったなあ――彼の作った「十字」パーツを見ながら、幸せと活躍をそっと祈れたら素敵だったな――。
アラフォー桜泉、1日だけ、乙女の気分で切なく過ごしたのであった…。

(母にもそれくらいの精神的休暇がないとね!)

ゆーくんと家庭れいはいをして――

2010年01月18日 | グレ耶蘇生活
にちようび。
厳寒と猛暑の季節に、子供を無理に教会に連れて行く気はしない。
Jくんは電車乗りたさに、パパガスと行ってしまった。

桜泉はうちに残り、下着などを干して、軽く掃除をして…聖書と讃美歌を持ってきて、ぱくっと開いたところを朗読。
ゆーくんがはしゃいで回りをぐるぐる回る。本なら何でもいいのかと、絵本を持ってくるから「それは今は違う」という。
そうしたらカミサマ系の絵本を持ってきたりするから「それもあとでね」という。
讃美をしたら、周りをぐるぐる走り回る。
桜泉がゆーくんに祝福をしたら、ちゃんとアーメンポーズをする。

これでいいんだよなあ…いいかしらないけど、今日はこれでよかったと思った。

案外このほうが、桜泉まじめに御言葉を、聴けるかもしれないとさえ思った。

午後、青天の霹靂なことがあった。
時間が経つにつれ少しずつ、桜泉の気持ちをじわじわと悲しませているように思う。
自分の無力さも情けなさも、しみ込んでくる。

思えば人など、難しいことだらけ、うまくいかないことだらけ、その中を、結局は終わりまで、人生の闘いをしていかなければならない、罪と苦しみにまみれた存在なのだ、だれもが、一人として例外なく――と、しみじみ思えてくるようだ。

明日はまた仕事の、日常の暮らしに戻る、戻らなければならない。しかしその仕事のこと、仕事と子どもたちのこと、それだって私は、今、こぐらかって沼に足をとられている…。

こんな夜こそ思う。
心底思う。

それでも、何に焼かれても何に壊されても残るものたった一つのものを、私は求めたいと。
求め方も無茶苦茶、生き様も無茶苦茶、だから桜泉は残らない、でも桜泉が求めるそれは残るのだと、そう思う、かの日の苦しみの時そう思ったように、今もまた、そう思う。

ここでぐちをつぶやいてもしょうがないけど

2010年01月15日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
こんなところにぐちを垂れ流してはいけないけど…。
ため込むのもよろしくない。
のでつぶやくことに。

まずは、今日はほんとに、仕事を辞めようか悩んで、やる気も何も出ないモードになった。

次年度の勤務体制をあと数日で決めるに際して、今(育児のために短時間勤務)より少しは長い勤務時間にするか考えているところ。
今より少し長くする――できるのか?いやいや、今だって本来の時間より超過して働いているのだ…だったらちゃんとそれを合法化、フォーマル化した方がいい。でも…よその子持ちの人たちはもっと長く働いている気がする。
なんで私はできないんだろう?
私の能力がない体…疲れやすいし、朝も苦手だし、要領も悪いし。それ以上にしかし、子供たちが手がかかりすぎるのだ。自分たちでおとなしくしてられない。いろいろなトラブル続出。
そう思えて落ち込んできた。

特にJくんのことでイライラしてきた。
もっと大人に相手をしてもらいたい、甘えん坊の、そしてしかもデリケートな子が、長時間の集団生活はやはり難しいんじゃないか。だからいろいろ、困ったことになるのだ。親のエネルギーが必要以上に消耗するのだ。きっとそうだ…。
だったら保育園を辞めるしかないじゃんか。
そしたら私の職業生活もオーバー。お手上げ。
それでもいいかもしれない。

そんな気持ちでいるから、仕事もはかどらない。
そういうところに、とてもまったく気持ちのゆとりがないところに、引き受けたくないような雑務を名指しで振られたからたまらない。
今日の仕事も結局、50分の超過すなわち無給労働。(このところ、週1回はそんなことが常態化している。私はいいけど、上司たちが困るだろう。ほんとは。育児ゆえに短時間勤務する者を既定の時間以上に働かせた、というのは、まずいのだ。表向き。)
そして、それだけやったのに、こなしたかった仕事の半分もこなせず、一部は――どうせ子らがいる休日なんかに出来っこないのに持ち帰ってきた。

イライラフツフツブツブツドンヨリ…が、もう溜まりに溜まった帰り道、せめてほっとしようとレモンドリンクを買いにコンビニに入ったら、ない!2件目のコンビニにもない!

今は、最悪な気持ちの金曜の夜。

しかしだ。
今仕事を辞めたところで何の計画も展望もあるのだろう。
今からJくんの幼稚園を探し、しかも見つかったとして入園準備…。
無理かもしれない。その方が消耗しそうではある。
しかも、新環境で彼はもっともっと荒れるかもしれない。ますます甘えるかもしれない。

それにしても、どうしてうちの子らは手がかかるんだろう。ほかの子も本当はそうなんだろうか?
Jくんだけじゃない。ゆーくんも…、ホントは3歳まででもと思うけど、これ以上はもう、私の時間的気持ち的ゆとりが許さないから…2歳を機に、パイのことは忘れてもらおう。パイをほしがるがゆえに、在宅時の桜泉の動き方がすごく制約を受けているのは事実なのだから。明日、助産師さんに相談をする手筈も整っている。

悲しいぐらいイライラしている夜中。

とにかく寝る?眠れるだろうか?

やっぱり……育児短時間…続けようかな、次年度も。むしろ、ちゃんと時間通りに上がる、時間の中だけでその日その日の仕事の始末をつける…そういう努力の方が大事だったのかもしれない。

いやいや……それだとしても何が変わるのだろう?

だんだん訳が分からなくなってきた。
誰に相談したらいいんだろう。

今日は、もう、寝ることにしよう。眠れなくても。

---
関係ないが、来週婆がプチ手術を受けることになった。
プチとはいえ入院もする。
立ち会わなくていいのかな…でも平日だし、鎌倉の病院だし…。
爺がガンの手術を受けた時ですら、薄情娘は全く立ち会わず、1回しか見舞わなかったというトンデモなのだから……いいのかな…。
やはり、親は、老いている。確実に。

ゆーくんとネインチェ・プラウス

2010年01月15日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
ゆーくんの好きなもの。
小田急ロマンスカーVSE。
アンパンマン。
プーさん。
そして、
チッチィ。

…Miffyのことです。

本名、ネインチェ=プラウス。
日本名、ふわうさこ?←本名の和訳

(ミッフィーの苗字、「ふわ」さんっていうんだって、とパパガスに言ったら……ある大物政治家(但し代々木系)を思い出していました。(爆))

丸っこいものが好きなようです。ゆーくんは。

この間、初めてミッフィー本を買いました、というか、サンタさんが、同じブルーナの「クリスマスってなあに」と一緒にくれました。
もちろん記念すべき1冊目なので、福音館の「ちいさなうさこちゃん」。

読んでみたら、「クリスマスってなあに」と、なんかすごく話が似ていることに……気づきました。
ブルーナさんは心底クリスチャンなのかな…。

でもちなみに、ゆーくん自身も、半ば天使のお告げがあったような人でして、(時々書いていますが)桜泉が夏の暑い日に創世記を読んでいたら、アブラハムとサラのところに天使がやってきてイサクの誕生を予告する話が、なんかリアル~に感じられたのです。そしてそのすぐあと、ゆーくん懐妊が発覚しました。
(いやいや、Jくんだって――いや、彼の方がその点はより大物で、何せ、臨月と待降節が1日ずれているだけでかぶっていたし、教会でJくん誕生の報告がなされたのは、Jくん誕生後発の日曜日=12月25日の礼拝の中でだったし、懐妊発覚時、桜泉はふざけて、教会のベンチでマリアのポーズをして「私は主のはしためです、お言葉通りこの身になりますように」などと言ったというエピソードもあり。)

ところで、ミッフィー=うさこちゃん=ネインチェにはその後、きょうだいも生まれているそうですね。なんて名前なのかなあ。

リサガスに飽きてきたので、今後はこのシリーズを買いあさって全巻そろえてみようかなとひそかに思っています。
(リサガスもここまで付き合ったから最後までという気もしますが。)

---

こんなこと書いているけど、桜泉の心境は落ち込み。
何かこのところ、イライラしてしょうがなくて、すごく罪深いことばかり考えているからです。
自分が思うようにならないからといって、人を自分の思うように動かしたり抹殺したいなどと思う心理こそ、そっちの言葉でくくれば罪なのでしょう…。
でも、罪という言葉でくくって終わりにするのではなく、落ち込んで落ち込んで……考えるしかないです。
朝もJくんにひどいことを言ってしまった。なのに彼は保育園で去り際、チューをしてくれた。落ち込み。

ミッフィー=うさこ=ネインチェに癒されたいのは桜泉かもしれません。

老いとをぃ

2010年01月10日 | その他もろもろ
例の件はすぐに落着。

爺の気まぐれ。

説得するまでもなく、一夜で気が変わったらしい。

どのみち親の老いを痛感した。

少し今後のことはよく考えないといけないかもしれない。いや、育児より大変な介護や看取りは、確かにそこに控えているのだ。

それはともかく…、風邪を押して出かけたので、せっかく両親があれこれおごってくれてタダ飯だというのに、食欲無く悪寒までする始末。
風邪薬や栄養ドリンクと、お土産ケーキで少しリカバリー。
おやすみなさい。zzz

呆けちゃったのかなあ

2010年01月10日 | その他もろもろ
今ロマンスカーに一人で乗ってる桜泉。
風邪だから寝日曜するはずが!

もちろん逃避行ではない。

爺婆が急に、歳とったが老人ホームは嫌だから、終の住みかとしてマンションを買う、いいの見つけたから今週決めるなどと昨夕突如宣言したのだ。

聞いてないよ!
全然聞いてないよ!

今の家を終の住みかにするんじゃなかったんかい?!いつも言ってたじゃん!
だいたい、足腰弱ってるのに普通のマンションって何?
あんたら、そもそもマンション住まいしたことねーだろっ!ぜってー後悔するよ!

桜泉の頭をよぎったのは…「認認夫婦※」(まだ65と71なんだが?)。
※夫婦ともに認知症になった状態の高齢世帯。最近社会問題化してる

さすがにそれはないだろうが、まずは話をよく聞いて、事態把握と収拾に向かうと言うわけ。

せめて今から車中仮眠しよう…。

そういう気持ちもあったしあるし

2010年01月09日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
今日の新聞のお悩み相談だったか、……病弱な女性が、自分のつらさは誰もわかってくれない、同じ症状でも、周りに労わってもらえる、妊娠出産できる女性が妬ましいという趣旨の投稿があった。

ガーンと思ったけど…あ、桜泉もそれに近い気持ちを抱いた時期があった…思い出した…。

詳細は書かないけど、人に分かってもらいづらい病気のつらさというものがある。比較して憎いとか妬ましいとまでは思わなかったけど、お産はおめでたいのだし、みんなに祝福されていいなあと、うらやましく思ったことはあった。自分は何も祝福されない、と悲しく思ったことはあった。
だから、心の奥底で、自分も子供を産んでみたいと思っていたのかもしれないとさえ、今日、思った。

しかし忘れていた。
これぞ、まさに、妊娠出産をした人の、思い上がりなのかもしれない。気をつけねば。(みんながみんなそういう風になるという意味じゃなくて、桜泉の自戒として。)

でもね……。
じゃあ、病弱な人がチャンスを得て妊娠出産をすると、これは実は、喜びと同時に、それなりに、苦難がやってきて付いて回るのですよ…とも言いたくなった。
妊娠時の体調不良は健康な人の比じゃない。ゆーくん妊娠時の苦難は思い出すのもいまだにつらい。家族も、医療従事者すら、有効な助けを提示してはくれなかった。一人でもがいた。ある医者の暴言などは、いまだに恨んでいる。
産めば当然休みなしの母業。
現に今も、正月疲れからきた風邪でボロボロな桜泉は、マジで今日明日なども、何もかもから逃げたい気さえしている。
しばらく逃げたい。
しかしそうは問屋が卸さない。
こういうときの切羽詰まった気持ちはたまったものではない。
どうしても逃げたくなったら…逃げねば自分の命が保たないとなったら……もちろん、それは、何か最善の方法を考えるしかないと思うけど――。

それでも…やはり、確かにその人の言い分、気持ちは、わかる。

桜泉は、心の底で自覚していた気がする。していた。
結構、妊娠出産育児で救われていると。
どうせ疲れやすくどうせ弱い体なら、妊娠出産育児の状況にある方が、何故か労わってもらいやすい…少なくとも、自分がそう感じられる、子供に救われている、と。

ああ、人は何で…人を労われないのだろう――。
なぜ人は人の不幸を労われないのだろう。

そんな事を思いながら今日は休むことにする。及ばずながら、知らないその人のことを少しお祈りさせていただこうと思う。

アヒルのパウロ君

2010年01月09日 | グレ耶蘇生活
今、我が家には、お風呂のアヒル君がいる。
風呂嫌いのゆーくんのために、祖父母からのプレゼントなのだが、もちろんJくんもご執心。
それでブログのテンプレートもしばらくアヒル君になった。

それはともかく、うちのアヒルは、なんと、お湯につかると顔が変わる。

子どもたちが、もろに水攻め、どぶんと沈めて引き上げると、にっこりした顔に変って出てくるのだ。
目のところに、お湯で色の変わる特殊塗料が付いているからなのだけど。

……受難にめげるどころか、ニコニコと絶えず喜んでいるアヒル君。
いや、彼は受難と思わず洗礼と思っているのかもしれない。

苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を、とか言いながら、たえず喜んでいる君に、今日、パウロ君の名前をあげよう、アヒル君にそう言い聞かせた桜泉であった…。

グレイトミッション?

2010年01月09日 | グレ耶蘇生活
子らとがっつり過ごした土曜日、疲労ピークで帰りのバスはもう乗り物酔い。コンビニでグラソー飲んで休む。このまましばらくどっか行ってしまいたい。

しかし家には二日分の洗濯片付けがある。家計簿もつけ溜めている。

他の誰がやるんだ。

私のグレイトミッションだ。

例のグレイトミッション※もいいんだけど、まず自分の頭のハエを追うミッションをおろそかにしたくない。
頭ハエミッションをバカにするなかれ。

※マタイ福音書ラストで、復活体のイエスが弟子たちに「教えを宣べ伝え洗礼授けよ」と言ったこと。←桜泉的にはこんなこと(!)よりその後の台詞、「世の終わりまであなたがたと共にいる」が好きだが。