ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

母は強くないよ(2)

2008年10月31日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
下の記事と関連した話。


外出時に、世の大半のお母さんがやってるけど私・桜泉にはできないこと。

1)ベビーカーごと赤ちゃんを担いで階段を昇降すること。

2)ベビーカーをエスカレーターに乗せること。

3)自転車の三人乗り。

いずれもホントは禁止事項です。
でもみんなやってます。
しかし私はできません。
ルールの問題ではなく、技術的、能力的問題として。

だから外出先や外出手段が限られるし、いろいろ不便です。
駅のバリアフリーは必ず調べてから出かけるし、遠回りもしばしばです。

まだまだ町や駅のバリア多すぎ。
しかし、母は、小さな子供をベビーカーごと担げないといけないのでしょうか。
エスカレーターではかつてJくんが赤ちゃんのころチャレンジして、あわや事故に!ということがありました。でも、ベビーカーごと乗せられないとだめでしょうか。
自転車自体がろくに乗れないのですが(昔は乗れた)、でも三人乗りして逞しく生きるのがエライ母ちゃんなんでしょうか。

赤ちゃんや幼児連れの外出はやはりとても大変です。他にも物理心理のバリアはたくさんありますから。

婆に言わせれば、だから昔は、子供が小さいうちはろくなお出かけなんかしなかったもんだ、とのこと。

しかし時代変われば、いろいろ出かけないわけにいかないライフスタイルです。

この大半さは、子供を持ってはじめて分かりました。だからわからない人もいると思います。また、男の人や丈夫な女性には分かりにくいかもしれません。

でも、やはり、乳幼児連れ外出は大変なのです。
たとえ健診で保健所に行くなどでも!

母なら我慢して当たり前のこと?
いや、当たり前のことではないと思います。
母は強くない、母も只の人!なのだと、私は思っています。

母は強くないよ(1)

2008年10月31日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
喉が痛い~!
Jくんの風邪はゆーくんと桜泉にうつりました。
辛すぎ…。

ところで、夕方はゆーくんをおんぶして保育園へ。預かってくれる当てはなく、かわりにお迎えしてくれる当てもないので。

しかし9700グラムつまり9.7キロを、小柄な桜泉が背負うと…かなり厳しいです。
まっすぐ歩けない、よろめきそうにさえなる!
とっさに何かを避けたりもできないし、階段や靴はきも悲惨。

しかしおんぶやだっこができないと、外出も家事も不便極まりありません。

本当に困ったものです。

赤ちゃんはおんぶやだっこして当たり前と思っている人も少なくないでしょうし、お母さんはみな軽々だっこしおんぶしてると思われてるかもしれませんが、実際は、かなり負担があり厳しいことなのです。赤ちゃんの体格、母の体格などの条件によって…。

ゆーくん連れてのわずかな買い物、Jくん送迎(片道5分弱)も、まずゆーくんを持ち上げて背負う、または抱くところから重労働です。
第一、ゆーくんに、なにか危険にならなければよいのですが…。

普通ならなんてことない行動や移動が、赤ちゃん連れの故にひどく苦痛や困難なことが(人によっては)あるのだと、多くの方に知ってもらえたらと思います。

禁止る

2008年10月30日 | その他もろもろ
禁カフェインします!
コーヒー紅茶、当面やめます!
懲りました。
ついついカフェ中(カフェイン中毒?!)になった結果、胃が痛い、口が不味い、カロリー過多、出費過多。

但し緑茶は何かと良いので禁止の外。

スタバに入ったらパッションティにしよう。
(ゼンやカモミールって今もあるのかな…?)

でも…カフェ中って、毎日1杯、大抵はコンビニのコーヒー(カップのだったり缶だったり)を飲むくらいですが。あとはタンポポコーヒー、緑茶、ハーブティで…。
でも毎日欠かさずになってました。

あ、朝、家族みんなで飲むミルクティも例外にしよう…。牛乳でキャラメルティを煮出すのです。これから寒い季節、健康のためですから…。

9700×71.5

2008年10月29日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
今日はゆーくんの6ヵ月健診。
何故こんなにでっかいの?

ちなみに今回は密命を帯びていた。
パパガスパール「ゆーくんのおち☆ち♪が小さすぎないか医者に聞いてみて。」

(^_^;)

しかしそれは、下腹部に脂肪がついて、その分圧迫されてめりこんでるためと判明。ゆくゆく痩せれば大丈夫。
メタボリックチンドロームと名付けたバカ母・桜泉。

帰りには、ゆーくん出産前後に世話になった助産師さんに挨拶。
先日スタバで見かけたと言われて滝汗。珍しくJくんに優しくしている場面だったらしいが…。いつもの、叱り飛ばしたり、下品なこと言ってる場面でなくてよかった…。

その横を、臨月近いと見える腹かかえた妊婦さんが「痛い痛い」と通った。付き添うは、ゆーくんを取り上げた助産師さん。がんばれ!

エレベーターでは、一昨日Jくんを診てくれたピカ先生に遭遇。経過を報告。

ゆーくん寝たので、数日来のイライラを鎮めに、紅茶やさんへ。

…なんだか盛りだくさんなひととき。

息子たちに訓辞

2008年10月29日 | その他もろもろ
昨夜寝る前、Jくん・ゆーくんに訓辞、母の考えを述懐した。


「お前たちが大人になったとき、まだこの土地があったなら、いっそ売って、そのお金で人のための良いことでもしなさい。それが無理なら自分の必要なことに使いなさい。
くれぐれも先祖代々の土地だから残さねばなんて思うな。
確かに何百年前に先祖の人が自分でか誰かを雇ってか、何もない土地を切り開いて、田んぼや畑や家を作ったんだろう。それは偉いことだと思う。
でも、今、現代の私たちがそれにとらわれる必要はないんだ。ここだって大昔は先祖じゃない人が住んでただろう。だから未来はここに何があり、誰がいたっていいと思うよ。土地は天下の回りもの。
だいたい、古いものをただ守ろうとしたらどうしても気持ちがちまちまする。新しいことや自由なことができない気持ちになりがちなんだ。そんなのはお母さんはつまんないと思う。
それに、何より、この土地を分けることで兄弟喧嘩、争いするのだけは絶対やめてね。一番情けない恥ずかしいことだ。欲張りってことだから。
最終的にはあんたたちがしたいようにすればいいけど、お母さんは今言ったみたいに思っているし、とにかく争うくらいなら土地なんか無い方がいい。
それに、…昔はここは静かな村だったけど、今はやっぱり空気や水が汚なすぎだよ。いくら便利か知らないが、Jくんが熱を出しやすくて、すぐ喉がぜこぜこしたりはながずるずる苦しいのは、空気が汚いせいじゃないか、お母さんは心配してるんだ。お母さんが小さい頃いた鎌倉ってとこは、山や海があってずっときれいだった。だからお母さんは、いくら小さいときでも、こんなつらい風邪は、そんなにはかからなかったはずだ。
もちろんこの町はその代わり、親切な人がいっぱいいるし、ここにいたからこそ知り合って、私たちを助けてくれる人たちに出会えたし、だいいち便利な町だね。
とにかく、今は分かんないだろうけど、またいつか二人がも少し大きくなったら、このお話をするよ。」


話して少しは溜飲が下りた。
今いるのはパパガスパール父方の家。同じ区内らしいA生さんちみたいな大邸宅ではないが、ちょっとした教会堂とプチ牧師館くらい建てられそうな広さだ。
そこに今は、築40年近い二世帯住宅と、デザイナーズマンション風のアパートが建っている。場所は都心の某所。
元はこの辺りの地主、庄屋の類いだったらしく、近所には親類がたくさんいる。近所の小学校も、もとは一族の土地だったらしい。

…という贅沢な境遇。
だからわがままで贅沢な話だけれど、「小さなマイホームゲットを目標にこつこつ地味に働いて、小さな家土地を得て、終の住処として大切に住まいつつ、しかし子供に無理に遺そうともしないという、平凡つつましやかなるサラリーマン家庭」に育った桜泉には、元大地主の一族というのは理解の外、異次元世界、重荷…でしかない。

こつこつ真面目な学者の卵(当時)としてのパパガスパールしか知らずに一緒になって(つまりは地主の跡取りとしては見てなかった)、それでも子供がいなければ気にならなんだろうけれど、今は何だか、大きな骨董品のケース内に我が子たちが押し込められているような、そんな気持ちで憂鬱だ。

ともあれ、訓辞垂れて少し気が晴れた。
子供たち目が点。分からん話止めて、早くパイよこせ、子守り歌歌え、というところか。

天の父なる神様、ここを子供たちが、教会にするか、困り悩む人の役に立てるか、どちらかにするよう導いてください。
ちまちまとご先祖の何たらにこだわたったり、ましてや浅ましい争いをしたりしないよう、お助け下さい。あーめん。

以上、もちろん、パパガスパールは入浴中、一階爺は不在中の話。いたらできない。(このブログ見られたら…さあてね。←開き直り)

もうクリスマス支度

2008年10月28日 | グレ耶蘇生活
六本木ヒルズ一遅いクリスマスシーズンを迎える施設の関係者、六本木ヒルズ一早い(であろう)クリスマスシーズンの店で買い物をする。

…でした。

ハロウィン前なのに、アトベントカレンダーを売っていたので、買ってしまいました。
さらにパパガスパールにクリスマスプレゼントを買ってしまいました。(品切れを避けるため、取り置き。)

さあいつでもやってこいこいクリスマス!(?)

ちなみに我が家は毎晩クリスマス。
寝んね前のJくん「…きよしこの夜歌って。」←確実に寝付きます。

先日の朝は「きよしこの朝」をリクエストされました。…さて。

人混みは行くもんじゃない

2008年10月25日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんの椅子を探しに、ゆーくん連れて(Jくんは別の場所に外出中)繁華な街へ。
Jくんが椅子を壊したので、新しい椅子を買ったら、「ぷーー!」という音にJくんは怯えてしまったのだ!
しかしパイプチェアでは大抵音がする。そこで木の椅子を探すことに…。
しかし結局いい椅子は見つからず、徒労に終わった。
(好きなお香をたくさん買えたのがせめてもの救い。)

土曜日はバスも街も混んでた。
帰りは地下鉄2駅分歩いた。

地元に戻れば、やはり普段の土曜日に比べてざわついていて、行き慣れたコーヒー店ではドリンクを忘れられたり、身内ばかりに気をとられ気をつかい、実にマナーのなってない人々に出くわしまくり、……完全に気分を乱された一日となってしまった。

こんな街にもこんな家にもいたくない!何にもしたくない!
土曜22:00の偽らざる苛立ちの心境だ。

ご教訓。
人混みは行かないこと。
特に子連れでは。
疲れるから地下鉄2駅も歩かないこと。
土日は教会か静かな公園などで過ごし、買い物も朝に済ませよう。

私の部屋

2008年10月24日 | その他もろもろ
出産以来、居間を寝室にしていたのが、昨晩からお産前の小寝室(四畳半の和室)に戻りました。
自分の部屋があるって素晴らしい…。

主寝室(六畳洋室)にJくんとパパガスパール、小寝室にゆーくんと私が寝てます。

主寝室は風通しが悪いので私は夜間に何度か胸が苦しくなりました。苦手部屋。しかもパパガスパールは非エアコン派、私はエアコン派。

なので寝床を転々としてきました。
2006年8月から今の家に来ましたが…。
主寝室→(暑い、息苦しい)→居間→(秋になり陽気落ち着いたので)→主寝室→(ゆーくん懐妊、気分悪いし、Jくんキックを避けるため)→居間→(小寝室を模様変え)→小寝室→(出産、ゆーくんとの添い寝にベッド不適)→居間→(また小寝室模様変え、布団敷けるように)→小寝室

これで落ち着けたらいいと願っています。
次は数年後、Jくんが学齢期になったら、兄弟合部屋をこしらえないといけません。

その前に、ゆーくんが一つ布団では狭くなってきてますので、さてさて。

でも、とにかく、部屋があるのは素晴らしい!

いつか、無印の住宅みたいな、完全には仕切らないけどゆるいパーテションで、家族それぞれが自分の空間を持てるような家が欲しいです。

もがもな

2008年10月23日 | グレ耶蘇生活
かつてあるサイバー空間で、自由な聖書の学びの場がありました。
教派の異なる人々が、決められた箇所について、自分の読み、考えを披露し合うものでした。
事情あり、2ヶ月間だけのことでしたが、あのような場がいつかまた設けられたら…と夢想する桜泉です。

サイバー空間でも現実空間でもいい(オンでもオフでもいい)、教派や立場の異なる人が対等に、「私にとっての聖書物語」「私にとっての聖書の体験」を語り合えたら。

個人の体験や考えの共有と積み重ねは、きっと有益に違いありません。
もちろん専門的な神学も有益です。
でも一人一人の体験と考えはそれに匹敵し、現実の一人一人へ、未来の一人一人へ、よりじわじわと染みるように役に立つような気がしてなりません。

これ、何も神学だキリスト教だという世界、分野に限らないのですけどね。
いかなること、分野でも、知恵は上から来るもの…もありますが、口を開けて待つばかりでは全く足りません。私たちの日常の中から、実生活から、そのつながりの中から生まれてくる、湧いてくる、そんな知恵に生かされて行きたいものです。

ああ日曜日(2)

2008年10月19日 | グレ耶蘇生活
(今日の説教を聞いて、桜泉が考えたこと)

赤ちゃんは寝たきりなのがやがて寝返り、這ったり座ったり歩いたりできるようになる。
食べ物も緩いものから固いものへ。歯がだんだん生えてくる。
言葉を覚えていく。
やがてオムツもとれる。

しかし老いればその逆をたどる。
出来ないことが増えていく。機能がだんだん衰え失われる。
まるでもとに戻っていくように。

それは辛いことだけど、神様にお借りした命を力を少しずつ返していくことなのだという。

なるほど、そうかもしれない。

私の命と力は自分のものではない。
また、他人の命と力も、やはり神様からのレンタル品なのだから、大切にしなくてはいけない。
そして、少しずつ借りていく人と返していく人(幼児と老人)、彼らは神様の力と業を現す人たちなのかもしれない。
しかも皆行く道なのだ。

暫し思い巡らそう…。

ああ日曜日(1)

2008年10月19日 | グレ耶蘇生活
好天気と家族全員の健康と仕事からの解放がなければ、一家四人での礼拝出席は叶わない。

いつも叶うとは限らない、たまにだからこそ貴重なチャンス。

「生活とは闘いです。闘いですから、どん底もあります。しかしそれは愛のどん底です。」
六年前の、私たちの結婚式説教の一節が、育児と生活に追われて、簡単なしたいことさえも思うようにならない日々の、支えに慰めになっていることを、本当に久しぶりに恵まれた、一家での聖餐礼拝出席の日に噛みしめた。

思うようになることだけが、人生の幸せではないようだ。

マリア!

2008年10月17日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくん帰るなり「これどうして貼ったの」。(←ひとつ前の記事の話)
彼は何でも「どうして」と言う。
だから「どうして貼ったの」は、翻訳すれば「これ貼ったんだね♪」というニュアンス。

関係ないが、『礼拝と音楽』最新号の特集は「マリア」。

聖母マリアについて、また福音書の女性について、またマリアにまつわる音楽について、たくさんの興味深い記事ばかりだった。

桜泉もいろいろ語りたいが、今はとにかく「読んでる間、知り、考える喜びでしあわせでした」と言いたい。

編集部さんありがとう!

今、明日からでもいっそ仕事行きたいくらい、急に育児生活に嫌気がさしている。立ち直れない気分だ。
そんな今の私には、読み、知り、考えることが、ただただ癒しで希望なのだ。

平凡だけど情熱を秘めた、何度も悲しみから立ち上がる母、マリア!
あなたも果てしない育児に疲れたことは…あるのだろうか。

ハロー!じゃない。

2008年10月17日 | グレ耶蘇生活
母教会の会員・Aさんが、Jくんにハロウィンの飾りをくれた。

窓に貼るタイプのだ。
これはなかなか良い。クリスマスにもこの手のを飾りたい。(もちろん自分で調達する。)

しかし。

この飾りを作った業者、きっと勘違いしている。
ハロウィンの語源が、

Hallo ween

だと。
ロゴの色付けや改行を見ると、業者の勘違いが一目瞭然…。

正解は、

Hallow een

だ。

毎年ブログに書いてるが、万聖節イブだ。
(all hallows even)
※万聖節=キリストを信じて(要はキリスト教徒)死んだ全ての人を記念する祭

第一、ハローなら、

Hello

だよね…。

万聖節。
死者と語れるはずもないが、叶うなら、一昨年・去年亡くなったM姉やMk姉には、ゆーくんが授かったこと、今年からようやく教会籍を移って来たことを報告したいし、世間的には七回忌を迎えた母教会のK兄には、彼の弟子である桜泉親戚が、この方が教えていた大学院に今年から入って、臨床心理士を目指してることを教えてあげた
い。

…ところで、Jくん帰宅時の反応は如何に?←もちろん飾りのこと。

明日を見たい

2008年10月15日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
(ペアルック兄弟↑)


明日が見えない。
明日を見通せない。

やっぱり自分に帰される恥は恐ろしく、綱渡りな疲れは回避したいと、願ってしまう弱い私だ。

頭の中をぐるぐる回り、葛藤は止む暇がない。

空気の良い故郷でゆっくり子育てしたい。
でもやはり仕事に戻れないのは痛恨事だ。
今更Jくんに幼稚園探しをする時間はない。
でもこの都心に、この家にいるのが疲れるようなこともあったし。
病気がちで、老いてきた感がする両親はこれからどうなるのだろう。
子育てを助けてもらってきたけど、今度は逆のこともありうる。
育児やプレ介護に追われるなら、もうやはり仕事どころでない気がする。
そもそもこの1週間、かなり体がつらい。目眩に背中の痛みに…。
40になったらやりたいことが見えてきたけど、実際は40になったら私はボロボロになってて、なにもできないんじゃないかなぁ。
いや、だからその日まで細々とでも働いて、今の暮らしをキープせねば、私も錆びるし家計は厳しい。
じゃあせめて子育ては故郷で?いや、通勤がキツすぎ。
神様に以前、排気臭い都会に留まって生きろ、と言われたことあったしな…。
ただ。あの仕事に戻って展望ないような気がする。

ああ。
今宵も葛藤の内に眠る。