ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

わーい。(説教原稿きた)

2007年07月31日 | グレ耶蘇生活
さっき、MLで、シャーマン先生のお説教原稿(今回は事後)がきた。
わーい。帰りに電車で読もう。

(このMLは本当は牧師先生たちのMLなんだけど←何で桜泉が入っているんだよ、こうやってMLでお説教が読めたら、どうしても教会に来られない人が、ずいぶん嬉しくなるんじゃないかなあ。信徒用のMLでも流して欲しいなあ。)

マムレの木陰

2007年07月31日 | グレ耶蘇生活
Jくんは結構天涯孤独予備群。
兄弟のいない両親から生まれた、今のところ一人息子である。
両親には従兄弟がそれなりにいるが、意外とその従兄弟達にも子どもが少ない。
なのでJくん、再従兄弟も少ない。
でも近所に、再々兄妹(何子って言うんだろう。はとこの次だからひよこ?)がいるけど。
両親が30過ぎてから儲けた子なので、そしてそれぞれの祖父母も、両親を儲けた時30近くか30を過ぎていたので、祖父母もすでに老境。
とにかく、血縁など頼りにしないで生きていってもらうしかない。
血縁が少ない分だけ、かみさまの下で結び合わされ引き合わされた人たちとの絆を深く強く感じることができるだろう・・・と腹をくくって・・・みるつもりだけれど、悲しいかな凡婦凡母はついつい思い煩ってしまう。
Jくんに弟妹を・・・と。
しかしこればかりは、なかなか思うようにはいかない。もともと、Jくんが授かったのはまぐれでありラッキーであり、やっぱり神業だからだ。そして桜泉はもう今年で・・・・・・35。産むことについてはお肌ならぬ体の大曲がり角。世の中には40ぐらいで産む人もいるが、それはしたくないし・・・。

パパガスパールは子どもはもう要らないみたい。結構Jくんの育児で疲れ気味かも。桜泉だってそうだけどね。

悶々と最近はそのことを悩んでいた中で、この間の日曜日。
創世記18章1節からが、その日の日課だった。

はっとなった。

暑い夏の木陰で、アブラハムとサラに告げられた不思議なお告げ。
一年後の夏には二人に子どもが生まれているという・・・。

何で忘れていたんだろう。生まれることも死ぬことも、結局はかみさまがお決めになることなんだ。
それを忘れても、いくら逆らっても、自分たちで小細工をしても(アブラハムが側室に子を産ませたのなんか、まさにその小細工なんだなあ・・・もちろん、そうして生まれたイシュマエルだって、かみさまがほんとに要らないと思ったら生まれないけどね)、最後に決めるのはこちらではない。決定権は天にある。

せいぜい健康管理に留意して(夏でも冷たいものの食べすぎはいけませんな)、夫婦相和し(・・・^^;)、あとはかみさまに委ねましょう。
一年後、どう過ごしているかなんて、ほんと、わかりません。

Jくんは、それなりに、育つさ、きっと。血縁すべてを失っても、かみさまが生かしてくれるさきっと。
Jくんチュウ~☆

猿犬鳥獣

2007年07月31日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
(ナレーション)
泣き喚くことお猿の如く
いたずらすること仔犬の如く
おバカなること鳥の如く
暴れること怪獣の如し

♪ジャッジャジャーン、ジャジャジャンジャジャジャーンジャーン…

Jくんが主人公の大河ドラマ、「猿犬鳥獣(えんけんちょうじゅう)」でした。
1歳児なんてみんなこんなもん・・・?

何人(なにじん)の子だ?

2007年07月29日 | グレ耶蘇生活
昨日、Jくんがダイニングキッチンで遊んでいました。(厳密には物干しキッチンと化している。)

桜泉は、危ないとこで遊ばないよう、Jくんを呼びました。

「ヨカナーン!」←?
呼んですぐ来る手合いではありません。
「ヨハン!」←?
「ジョヴァンニ!」←?!
「イオアン!」←?!?
「ジョアン!」←?%Å♭
「ジャン!」←(-_-;)
「ジョン!」←♪Θ∽!
「ヨハンネス!」←…。
Jくん、しまいに、(・_・)?
自分が呼ばれてるとは思わない…でしょうね。これでは。
いろんな言語形にした、ヨハネです。(^_^)
いっぱい名前があるJくんです。

後日補足:ジョアンは、フアンが正しい発音のようです。JをHのように発音するんですね。(スペイン語)他にも、オランダ語では、ヤン。ヤン・ヨーステンのヤンですね。
こちらのサイトがとっても参考になります。
ちなみに、戯曲「サロメ」のヨカナーン、これ、何語なんだろう。

○○町で会いましょう

2007年07月29日 | その他もろもろ
選挙に行きました。
午前中に行きました。
午後は雷雨だと聞いたからです。(大当たり!)

投票用紙を書くときに、「永田町でお会いしましょう」と呟きながら書きました。

おまじないの効き目はありますかどうか。

投票が終ると10時過ぎ。近所の教会に、信徒の方が車でやって来たところです。
いいなあ…と見ながら通り過ぎました。
Jくんはまだ微熱があるので、教会に行くわけにはいきません。

帰宅したらJくんはまだお昼寝。横で讚美して日課を読んでお祈りしました。

ブログでプチ返信forシスターパウロ♪

2007年07月28日 | グレ耶蘇生活
シスター・パウロから、プレゼントとお手紙を頂きました!
桜泉は、お手紙を書いているのに、途中自分の不調やJくんの不調が邪魔をして筆が進まないまま時間が経っているというのに…。

このブログをご覧になられているようなので、ここで葉書代わりのプチ返信をします!
もちろんブログなので、皆さんに見てもらってもいいようなことしか書けませんが…。

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ブログ見ましたー!!!
いいですね!いいですね!!!
こういうの、いいと思います!!!
世の中の人にとっては多分ホントにシスターたちは魔法使い…。(おぃ…)
ブログでシスターのお話を読めれば、もっと身近な人たちなんだって思えると思います。ひいては、祈ること、かみさまのこと考えること、かみさまそのものが身近だって、分かってくるんじゃないかなと。

そして、驚いたのは、シスター・パウロ様もブグロー(ブーグロー)にはまっておられたということです!
私も今はまりかかっています。
甘美すぎるし、構図はちょっと古風すぎる、整いすぎている、そんな気はしますが、いつまでも見ていたいこの甘美さは最高です!
はじめに見つけたのはアメリカのカトリック系のサイトで。
画像検索をしたら見つけました。
ここ
6月24日の洗礼者聖ヨハネの記念日を紹介する画像です。
むう~~~むむ~、きゅううううう~という気持ち(?)。
このヨハネくん何てカワイイの!うちのヨハネくんみたい!えすさまとチュウする姿にもうメロメロ!…なんて思って、職場のスクリーンセーバーに早速プラス。PCの壁紙の座を、もしかするとムリーリョから奪う日も遠くないかもしれません。

おっと、そのヨハネくん@熱がある、がお昼寝から覚めそうですので終わりにします。ゆっくりですがお手紙書いてます。お待ちくださいませ。在主。

初呼び出し

2007年07月27日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
午後の仕事に励んでいたら、外線が鳴りました。あるものの日本センターである桜泉の部署です。その電話は原則としてそのセンターへの問い合わせばかりがかかる電話ですので、気にも留めず、担当者が電話に出るのを片耳で聞いていました。
しかし0.5秒くらいのうちに、はっ、と嫌な予感がしました。
「はいただいま桜泉と替わります」
予感は的中でした。
保育園から電話です。Jくんが8度3分の熱があるとのこと。
やりかけの仕事を片付けてデスク上を片付けてPCをシャットダウンして時間休の届けを書いて「すみません、お先に失礼します!」
一旦帰宅してエアコンをかけてから、ベビーカーを担いで保育園へ!
Jくんは職員室で寝ていました。
でも熱以外は元気そう…。
明日お医者に行くことにして帰宅しました。

…それから、熱があるくせにはしゃいで遊ぶJくんの世話にヘトヘトです。
今は薬のせいか、よく寝てます。

はい。桜泉、とても、疲れました。おやすみなさい。

こんなことがありました

2007年07月27日 | グレ耶蘇生活
職場の聖書研には外部から先生(もちろん牧師先生)が来てくださいます。

その方からの知らせ。

職場の元職員Iさんが亡くなったとのこと。この方(♀)は聖書研のメンバーではありません。
少し前、この方のお連れ合いが亡くなって、どういう事情からかキリスト教の葬儀を希望されて、夫人であるIさんが、近所の教会に飛び込みで頼みにいらしたという話を聞いたばかりでした。
この教会を牧しているのが、聖書研のK先生だったのです。すごい偶然です。
でもまさか何ヶ月もしないうちに、Iさんが亡くなるとは!
癌を患われていたそうです。自分の葬儀も頼むと先生に言っていらしたということは、余命を知っていらしたのでしょうか。そんな中、一足早くお連れ合いがみ許にいってしまったときは、どんな思いでいらしたのでしょうか…。

残念ながら、ご遺族や葬儀場の都合でK先生が司式できなくなってしまったそうですが、しかるべき牧師先生が司式をしてくれるそうです。

つい先日、女性の平均寿命がまた延びて世界一なんて報道があったのに、Iさんはまだ60代でした。
かつて新人の頃の桜泉は、仕事柄Iさんをお見かけすることが多かったのですが、直接話すことはほとんどありませんでした。ただ、ベテラン職員として調査に励む姿や、確か退職の日に和装で挨拶回りしておられたことを懐かしく思い出しました。

ちなみに。
最近は時たま、未信徒の方や、教会から離れていたクリスチャン(幽霊部員クリスチャンとでも言うか…)が、亡くなる直前にキリスト教の葬儀を希望される話を聞きます。亡くなる直前に洗礼を受ける方もいます。
どういう心境なのかは分かりませんが、希望と安らぎある葬儀なら、キリスト教にお任せ下さい!と胸を叩きたいですね♪(←???)

桜泉も、あっさり爽やかかつ安上がりな(儀礼や外聞に金かけない)葬儀をと、かねてから望んでる両親に、だったらぜひキリスト教式を、と売り込み中です。彼らは無宗教を考えているみたいですが。

話がそれましたが、今お連れ合いと一緒に、かみさまのみ手の中に安らいでいるIさん。でもわずかな間に両親を亡くしたお子さん(たぶん桜泉とそんなに変わらないか少しだけ上の世代)は悲しみや看病の疲れに満ちているでしょう…。
かみさまの慰めがあることをお祈りしたいと思います。

ひどい風邪。。。

2007年07月25日 | その他もろもろ
Jくんも長引いてますが、桜泉治りません。
鼻と咳がひどいため、呼吸がつらく、いつも息苦しくてだるいです。
今日は謎の眠気までひどく…。仕事になりませんでした。

こんな風邪なのに、外は夏。
体力が奪われてしまうよ~。

息苦しいとこんなに全身がつらいものかと、しみじみ実感しています。

寝ます。
夜中の咳がこわいですが。

ダウン。

2007年07月22日 | グレ耶蘇生活
今日は雨でもタクシーに乗って教会に行くつもりでした。
一日、Jくんと一緒に、ゆっくり、教会やヒルズで過ごそうともくろんで。
しかし明け方、すっごい頭痛と鼻詰まり、息苦しさに気が付きました。
…風邪悪化した…。
微熱があります。
ああ、今週も行かれませんでした。
今日のために昨日しゃかりきになって家事を済ませたのに。

来週には桜泉もJくんも元気になって、教会に行きたいです。
もちろん、投票を済ませてからね!

前代未聞。何考えてるんだ?

2007年07月21日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんは、昨日、保育園で泣きました。
朝の別れ際…ではなく、お迎えに行ったらです。
帰りたくない、と、クラスメートたちの前でお母さん(桜泉)を叩きました。
玄関まで連れていったら、わあーんと泣いて、階段を駆け登りかけました(お教室は2階)。
連れ戻されて大暴れしました。

しかし。
担任のO先生にその様子を見つかるやいなや、泣きやみました。
なんと先生に家まで送ってもらったJくん。
先生とは良い子に手を繋いで歩いて帰りました。

…母要らないなら家出しちゃおうかなー…。

服装だけはオールマタニティ

2007年07月20日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
最近、しまってあったマタニティウェアの一部が復活。
パンツ(ズボンのこと)は股上深くてはきやすい、チュニックは涼しいしかわいいし体型隠せる。(チュニックは最近も新たに何着か購入。マタニティ用のも普通のも)
そして。
とどめは晒しの帯!
…Jくんをだっこしてたら、持病の腰痛が悪化。その対策のために、つまり骨盤ベルトやコルセットがわりに巻きました!

今日のいでたちはまさになんちゃってマタニティ。……車内のみなさん、席ゆずってくれなくて結構です。(爆)

オムツもウェットティッシュもミルクも。

2007年07月19日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
地震に遭った赤ちゃんとお父さんお母さんたちはみなさんどうしているでしょう。気の毒で心配です。
オムツ、おしり拭きなど待ったなしで必要。ミルクの子はミルクとお湯とほにゅうびんも。
家にどれも余ってる。オムツはLとBigだけど。
ただ、家のを送ってもみんなの助けにはならない。
聞けば大手スーパーなどがそういう品を供出したり送っているらしい。
そのための募金でも現物供出でも、なんかできないか、今いいルートを探している桜泉です。

十字架の意味を思ってみる

2007年07月19日 | グレ耶蘇生活
なぜイエスは十字架につけられたのだろう。
十字架はアクセサリでもなければかっこいいシンボルでもない。古代人の、残虐な死刑だ。
そんなことが、なぜ私のために人々のために起きたのか。そう言えるのか。
あれのどこが神の御旨で御業なんだ…?

こういうことだろうか。

人間にできることは、結局は十字架なんだ。神の御子を惨殺することなんだ。
個人の内なる小さな黒い思いや利己的な行い、そんなものからもっと社会的な悪も含めて、必ず人は汚く暗い闇をを抱えてる。
もちろん善行もする、優しい気持ちも持つ、でも、自分の力で努力しても、行き着く先は十字架なんじゃないだろうか。

そんな人間を滅ぼさないで、むしろ為すがままにさせて御子を死なせたかみさまって一体…?

でも、その答えが復活なのか。
どんな悪も罪も闇も、それを突き抜けてかみさまは愛する、恵みを給う!
救いようのない罪、悲しみ、黒い思い、苦しみ、そういうものが人間の中に間に在ることををはっきりさせた上で、かみさまは「それを受けとめる、赦す、癒す、そして乗り越える」と示したのではないだろうか。

昨日あたりから、カフェや電車の中でそんなことを考えた…。