ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

大マンガ喫茶は要らなくてもマンガ図書館博物館は必要かも

2009年10月30日 | その他もろもろ
今日は図書館大会。マンガ図書館をこんど作るらしい某大学が会場です。

マンガ図書館というと、前の首相がなんかやろうとしてポシャりましたが、要らないものではないと桜泉は思ってました。
箱もの先行だからいけなかったのです。

マンガの原画、マンガ雑誌、アニメのセル画、フィルム、これらの保存には大きな課題があります。
散逸や劣化などなど。

マンガだアニメだということで、対策は遅れてきました。

箱より組織と仕組みが必要だと思います。
国内の関係機関(上記大学だけでなく、今は大学などや私立で、類似の施設はありますから)を調整し結び、有効な収集保存と情報発信ができるような。箱はそれに必要なものを後から設ければよいのです。

あ、でも、そんなことやれそうなのって……。桜泉の勤め先でしょうか?ひー!

これから行く分科会は、上記とは無関係分野。それについてはまた後日。

て、遅刻する~!

サンタさん、エアコン下さい

2009年10月30日 | その他もろもろ
我が家の居間のエアコンは14年モノで、壊れかかってます。
冬が来る前に買い換えたかったのですが、パパガスパールから、赤字財政ゆえ…と待ったがかかりました。

我が家は私がイエス派彼はブッダ派(聖☆おにいさんのだよ)、彼は私をマリーアントワネットだと思ってるフシがあります。

しかしエアコンが半ば故障って、なんかあったら(発火するとか)困るし、冬寒いのは嫌です。

そこで、「桜泉、お誕生プレゼント(私は12月生まれ)もクリスマスプレゼントも要らない。パパガスパールもクリスマスプレゼント要らないわ(よね!)、だからサンタクロースさんにエアコンをお願いしましょう!」

大草原の小さな家作戦です。(農耕馬買うために、娘たちのクリスマスプレゼントを諦めさせた話…の逆仕様か。)

さてどうなりますやら。

定額給付金では足りないし。あんなの焼け石に水でしたね。

ていうか今すぐ桜泉が買いすぎをやめりゃいいんです。きっと。

最近の兄弟

2009年10月29日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
みもふたもない記事ではかなしーので。

最近のJくん:
J「Jくんは将来お医者さんになる」
桜「じゃあ、お医者さんになるには、どうしたらいいの?」
J「おしっこを漏らさないようにする!!!!それから、免許を取る!!!!」
Jくん、大正解です。おしっこを漏らさないようになり、小学校と中学校と高校に行って、大学に行って医学を学び、国家試験に合格して免許を取得してください。漏らしていても学校に行けそうだし、試験も通るかもしれませんが、やはり漏らしているといろいろなことがスムーズにいかないし、診療の業務にも支障があるかもしれま
せん。

最近のゆーくん:
語録が増えつつあります。その一部。
「うま」=馬
「ぱ、ぱ」=アンパンマン
「ば、ばあ」=ウルトラマン
「ばい」=おっぱい
「ぴぃ、ぴー」=ロマンスカー
「ぶぁ」=ぶた
「ばあー」=(NHKの)「いないいないばぁっ」
一部、どうしてそうなったのかわからない用語があります。

Jくんをどうしたものか

2009年10月29日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんどうしたものか。

面白いこと言ってかわいい、そしてやはり賢いところもあるJくんですが、ホントはその育児にはいつも困り果てています。
保育園以外の場所では、まだ、オムツが取れないのです。もうすぐ4歳です。
トイレが怖いのが一つ(保育園と家以外のトイレは全部こわい)ですが、もう一つは、たぶん、まだ甘えている、強烈な赤ちゃん返りのようです。
着替えも、だいたいできるくせに、やってもらいたがります。今朝もそれで大揉めしました。
いくら、着方を説明して、桜泉が実演して見せても、やろうとせず、わざと無茶苦茶をした挙句に、パパガスのところに服を持って行き、「着させて」なんて言うのです。
こういうとき、「どうしてできないのっ!」なんて切れたら負けだとわかっていても、こうあからさまに、やる気のないところを見せられちゃ、切れますよ。
結局……Jくんは、ゆーくんが生まれて、自分が赤ちゃん扱いしてもらえなくなったのが、ここまで悲しいのでしょうか…。
確かに、あとから起きてきたゆーくんには、まだ、親が着せてやらねば着替えはできません。目の前で、ゆーくんには着せているのだから、面白くないかもしれません。
いや、そのゆーくんは、自分でズボンとオムツをずり下ろそうとしましたが。

Jくんは、漏らしてオムツつけられて、服も赤ちゃんみたいに着せられて、それが幸せなんでしょうか。
桜泉の接し方が良くなかったのでしょうか。そうかもしれない。でも、そうひどくは「お兄ちゃんのくせに」とやらないよう気をつけたつもりだったのに。
彼は、弟なんか邪魔でしかないんでしょうか。要らないんでしょうか。いるのがいやなのでしょうか。
だいたい、昔の人は、7人8人9人兄弟当たり前でした。親が、そうそう上の子に気を遣ってなんかいられなかったはずです。
上の子って、こんなに、気を遣ってやらないと育たないんでしょうか。
Jくんは、ただものじゃない子だと、今も信じています。
でも、その育児は、本当に疲れます。面白いこともいっぱいあるけど、疲れます。Jくんの育児のことで夫婦のいさかいも増えます。祖父母の目も気になったり、いろいろハラハラします。
どうしたらいいのかわかりません。
小学校に上がるまでの間、Jくんの気がすむまで、もっともっともっと、赤ちゃん扱いしてあげた方がいいのでしょうか。
そうかもしれません。子どもの時、甘え足りなかった思いほど、将来のその人を縛り、苦しめ、力を失わせるものはない…という直感もありますので。
とにもかくにも、今日は、疲れました。もう面倒くさい。Jくんの言うがままに、服を着せてやり、おしっこを漏らさせて、抱っこでもしてやるとします。やけくそです。

病院はやはり殿様商売かも

2009年10月28日 | その他もろもろ
病院は、患者が予約時間に遅れると、一番後に回したり、今日診れないとか言うくせに(自由診療だとキャンセル料とる病院もある)、自分たちが予約時間から一時間患者を待たせても、すみませんの一言でおしまいだ。

新幹線だって一時間遅れたらお金返すんだよ。
何のための予約だ?
患者の貴重な時間を奪い、しかも病院で長々待たされる心理的身体的苦痛…、それらに対して、なんか目に見える補償をするなり、仕組みを変えて著しく待たせない工夫をする気は…彼らにはないらしい。

あの業界も大変なのは分かるけどね。だったら予約制なんかやめたらいいのに。

※昨日某有名女性外来クリニックで、婦人科検診をした際、マジで予約時間から1時以上間待たされた桜泉。

またまたネタバレ注意!

2009年10月26日 | グレ耶蘇生活
ボソッと二言。

ぺとろんが、磔刑トラウマからスプラッタ恐怖症になることはないでしょう。
なぜなら彼は、イエス逮捕後に裏切り発言してしまい、さめざめ泣いた挙げ句に、アジトに隠れてブルっていたのだから。
(スプラッタ恐怖症になるとしたらマグダラの姐さんでしょうね。)

※福音書によれば、男弟子はイエス磔刑を見ずに逃げてアジトに隠れてました。(ヨハネ福音書では、福音書記者ヨハネ自身は見ていたとも。確実に見ていたのは女弟子筆頭・マグダラのマリアさん。)

芸術の秋に

2009年10月24日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
昨夜は聖☆おにいさん4巻と文庫版柳沢教授5巻6巻のために寝たのは午前2時…(バカかあたしゃ)。

寝不足で頭痛いけど、ゆーくんと上野の子ども図書館に行きました。図書館といえば本命はJくん…も誘ったのに、まさかの振られ。

まだ小さいゆーくんには、たくさんの絵本より、歩き甲斐ある建物、室内や、今やってる展示会「のりものの本めぐりへ」にあった、やえもん(のモデル機関車)の模型、上野公園の景色の方が楽しかった模様です。

将来芸術家になるらしい?ゆーくんには、芸大も見せてやりましたよ。

ちなみに展示会、おすすめです。(だからJくん連れていきたかったのにぃ。)

展示会で見せる資料(図書雑誌の類つまりは本のこと)は、やや古いものや、馴染みのないものもありますが、子どもに与えたり一緒に読む本は、こんな風な観点から選べるんだという参考に、まして今回は乗り物特集、特に男児の親なら本選びの参考になるはずです。(ここに鉄道好きな元女児もいますが。)

トリビアだったのは、トーマスの作者が牧師だということ。
トーマスと言えば、今のトーマスと原作には恐らく隔たりがあるんだろうな…という印象も持ちました。作者の意図から作品とキャラクターが一人歩きした一例なのかも。(アンパンマンやサザエさんあたりもその口か。)

そうそう、飛行機コーナーにリサが…。確かにリサガスの第一作だし飛行機だし…しかし児童文学としての評価はアレだから、ないかと思っていたら。

ちなみに展示会、連れて行くならやはり幼稚園児以降の子かな。ゆーくんはガラスケースの中の本を取りたがってちょい駄々、ガラスケースを叩いてしまったり…。
展示と閲覧は別なんだということ、読みたくば閲覧室に移動(一部資料は展示物とは別に…つまり副本があり、閲覧室で読めます)、ということが理解できないからです。

まだまだやっている展示会なので、今度はJくんを連れて行こうと目論んでいます。

ゆーくんには、帰宅したらやえもんを読んであげると約束したのですが(展示会にあったのを読みたがったので)…夕方は暇がなく、夜は疲れたのかさっさと寝てしまいました。また明日。

ネタバレ注意

2009年10月23日 | グレ耶蘇生活
聖☆おにいさん四巻、まだ買ってないひと見ないで下さい。



あの阿修羅さんが、

代アニに入学されて、

近くのコンビニ何かで会っちゃったら…、

最高です。

(ぺとろん大活躍でしたね。嬉しい♪ゲームやりすぎはいただけませんが。次号またまたよはねさんが出るのを期待してます。)

スカウト

2009年10月22日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
ゆーくんは昨日、一歳半健診の際、将来はこの病院で働いてよ、とお医者にスカウトされました。
何か類い稀なる天与の才能でも見抜かれたのでしょうか?

…健診済んだらおやつと乳をねだって床に転がって泣きわめく子が?

そういやJくんは赤ちゃんのころ、何度か牧師にスカウトされましたね。

子供はみんな…小さいうちは将来有望です。(爆)

23日、桜泉は、ちゃんと家に帰るんだろうか

2009年10月20日 | その他もろもろ
その日。
多分、保育園へのお迎えをパパガスに丸投げして、紀●国屋書店に直行するに違いない。
そしてまず、1階に入り、聖☆おにいさん4巻をひっつかみ、…と思ったけど、●々木側から入ると文庫コミックコーナーの方が近いので、天才柳沢教授の文庫版5巻6巻をひっつかんでからおにいさんか――そして会計をしたら、3階に上がり講談社文庫コーナーへ(えっ、これって、講談社のいいカモじゃないか)。……獣の奏者……す
みません、アニメで、つい…はまってしまったんです…桜泉らしくもない、柄にもない…土曜の夜は、夕食の支度が途中でストップします――という事情から、文庫版の原作小説にチャレンジ予定。ファンタジーは読まない人だったんですが、アラフォーに近づいて、目覚めてしまったのかも。

買ったら最後、たぶん、どこかで、最低でも「聖☆おにいさん」を30分で通読してから帰るでしょう。許せ、夫、子。
ホントは柳沢教授も通読したいけど、それはいくらなんだもダメだ…母として妻として。葛藤。

エリンっていえばJくんの同級生に、同じ名前の女の子がいるんですね。瞳は黒いし、特段、動物好きでもなさそうですが。
てっきり、小説に影響されての命名かと思いきや、小説発表より前に生まれている…。偶然か…。
でも、いい名前ですね。何だか透き通るような、音の通り、凛とした強さと清らかさある名前ですね。
問題は、アニメ・小説のエリンちゃんと違って、漢字で書くと読めないんですが…個人情報に当たるのでここには書きません…まあ、保育園のお友達のうち、約半数は、漢字からは読めない名前です、驚きません。

Jくんも、聖☆おにいさんと柳沢教授を楽しみにしています。
柳沢教授の5巻6巻にも、孫の華子ちゃんが出てくるといいですね。

昨朝は、Jくんよりゆーくんの方が、一人で家からとっとこ出て行きそうになり、「保育園なんて幼稚なところ行ってられないでちゅ!僕は、芸術家になるために、とーとの大学に入るでちゅ!」と、パパガスについて行きかねない趣でした。

金曜日が待ち遠しいです。(財布が心配です。)

あ、金曜日夕食は、弁当、外食ってのはどうだろう。(だから、財布はどうするんだ。)←悪妻・ダメ母

(…仕事のやりくりに首が回らなくてドボンなんだから…これくらいの息抜きしたいよう…え、だめ?)

Jくんの変化

2009年10月18日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
最近Jくんが保育園行きたくないと言う。保育園でも玄関まで追って来てべそをかく。さみしい、いっちやさみしい、のだそうだ。

不憫だけども、急に休むわけに行かないし。なんかあったのかな…。

ある児童精神科医に話す機会があったので聞いたら。

それは成長の過程でおきること、むしろ良い徴候ですという…。

確かに、生活のオンとオフの違いを感じ取り、また、親に甘える気持ちを言葉と態度で表出できること…、幼児にはこれも大切な成長の一環。

とはいえ、言われると不憫で心配。親業は難しい…。

子どもと寝る時間

2009年10月17日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
あまり疲れているので、明日は子供たちを、人に預けて休むことにしました。本当は、せっかくの休日ぐらい、一緒にいたいです。Jくんに本を読んだり散歩したり、ゆーくんのかわいい仕草を見て笑ったりしたい。
一方で、子供たちと寝る、この、夜の時間のような、この時間だけが24時間、36時間、48時間…しばらく続けばいいのにと思ってしまうのです。
実際は、起きている子供たちといるのは、特に疲れている時には、ときに地獄を見るようです。戦争にしか思えないときがあります。母業は、そのままやっていたら、決して休みがない…ように思えて気が遠くなります。
子どもたちとごろごろして、なんか読んでやって、あとは一緒にすやすや…そんなのは、本当に、毎日の、一瞬しかありません。
いつまでも続くこの生活ではないけれど、子供たちなどいつか離れていくものだけれど、できることなら、この世の時間が72時間ぐらい止まっていて、その間、桜泉はごろごろして眠って体を休めて、それが済んだらまた世の中が動き出す――っていうのないかと、本気で考えてしまいます。

ちなみに、パパガスは週末は学会出張中です。学会は大変だと思いますが、こうして泊りがけで子供と離れられるのは、彼の仕事の――実にうらやましいところです…。

※関係ないけど、昨日から、Jくんには、「天才柳沢教授」のうち、孫の華子ちゃんが出てくる話を読んで聞かせる羽目になっています。真似して、お父さんの後を追って、大学まで行ってしまって迷子にならないか……まさかね。

うすくてひろく、しずかにじわじわと

2009年10月16日 | グレ耶蘇生活
ずっと前、教会に通い出す少し前、とある無教会系サイトの、「日々のかて」というのを昼休みに読むのが日課であり、楽しみ、喜びだった。このところ、思い出して、また、見始めている。
また、かつて、改革派系の日課本(やはり毎日の聖句やメッセージが書かれた冊子)を仕事してたら(書庫で)見つけて、こっそり少し中身を読ませてもらったのも、嬉しくありがたい思い出だ。

このような、ネット上または冊子や放送などで、毎日なり週一回なり、み言葉とメッセージを読んで、祈ったり考えたりする習慣のある人は、…いわゆるクリスチャンでなくとも…実は結構いるのかもしれないと思う。

そして現代、特に現代日本においては、こういうものが、もっと広がってもいいんじゃない?そう思うこの頃だ。
このような、み言葉とメッセージを発信する活動は、もっともっとあってもいいし、それらが、人々の目に触れ、手に入れやすいものであったらいいと思う。

この現代では、一日の中の寸暇に、一滴のしずくを頂くのが、みんな、精いっぱいだし、そしてそのしずくはありがたい、高価なものなのだ。

教会とやらに属すことだけが全てで最善だ、と言っていたら、その間にも難しい現代を生きる人たちが、さらさらと砂のようにこぼれて去っていく。せっかくみ言葉に触れても「こんなことしているだけじゃダメなんだ…?こんなんじゃいけないんだ。教会行かないとだめなんだ?自分はダメなんだ…じゃあ止めた…」と。

確かに一人でみ言葉に触れるだけなら、自己満足の域を出ないという向きもあろう。一理も二理もある。
でも、ゼロよりましではないか。み言葉に触れない生き方よりも、寸暇に一滴を求める生き方のほうがいいではないか。教会に来て教会員になるいわゆるクリスチャンか、何にもしない人化の、1か0かではなくて、そっと静かに薄く少しずつでも、み言葉に触れようという人がいて、それが増えるのなら…。
もともと、この国のこの社会では、特に現代では、宗教集団に、どっぷりとコミットすることに抵抗がある人が多いのだ。そういうのにあまり向かない、何かがある社会なのだ。その社会、その人々、その時代に合った方法で、良きものがじわじわと人々にしみこんでいくようにしなければ、しょうがないんじゃないだろうか。

一方で、教会「のようなところ」に、人が2人3人…複数集って祈り、讃美すること、食事を分かつことは否定しない。
いや、その良さは、桜泉も知っている。
桜泉は、本当は、その喜びをもっと味わいたい、もっとそこに集いたいけれど、今は一つには生活の状況から、それがほとんどできずに、どれだけ渇望したことか。
2人3人複数人が集って祈りの時と場を分かつこと、これも、現代人にとって、実は、やってみたら本当に素晴らしい、かけがえのないことなのだ。
ただ、いわゆる教会の敷居が高い。教会の活動が重い。
人が集って祈ることへの、敷居が低くて間口が広くなるような、いい方法があればいいのだが。ちょっと、桜泉の足りない頭と経験では、じゃあこれだ!といういい方法が、とっさには思いつかない。

ともあれ、「一人ででも、寸暇でも、さまざまな方法でも、み言葉に触れられるチャンスがあること」「その気になった時に、妙なハードルを必死に超えずとも人々が集えること」…この二つがあれば、薄く広くじわじわと、イエス様に従いたい人は、増えていくように思うし、今、ひっそり潜在的にいる人が、表に浮き上がってくるような気がする。

既存の教会が、そのシステムに従う人を増やそうと躍起になるより、その方がいいんじゃないだろうか。
教会が栄えればいいんですか?違うでしょう?み言葉に触れて、福音によって、それによって、良く善く生きる人が増えること(善人増えるって意味じゃないよ、一人一人がその生を良きものとし、せっかくの命をもったいないことにしないという意味だよ)が本当の目的じゃないんですか…、そう思えて思えて、もどかしく思うこの頃だ。
生活が今ぎりぎり必死なので教会まで行くことさえできない、というだけではなく、このことを思うと、どうも、普通の教会に行く気が今一つ起きない、距離をとりたい気持ちになっていて、どういう道をとるべきか、模索し悩み、じっと、次の光が見えるところまで歩こうという、そんな状況だ。

あきらめず、いろいろやってみて、桜泉の道を見つけて、そしてやはり、み言葉に生きる仲間を、薄く広くじわじわとした形で、増やすことを、いつかはしたい。それは、桜泉にとって、一つの大きな希望だ。

もし、四半世紀もの間

2009年10月16日 | その他もろもろ
パパガスの、伯母上の一人が、今日亡くなった。
伯父上のおつれあいだ。

伯父上は、40代で亡くなって、もうはやその日から四半世紀以上が経過していた。

ようやく、久しぶりに、ご夫婦が手を取り合うことができたのかもしれない。死によって…。
(伯母上は、一応晩年に再婚されていたけれど、でも、やはり若い時連れ添った人のことも決してお忘れになることはなかっただろう。)

ふと思った。
もし、パパガスが先に死んで、桜泉が、20年以上もの長い間、あとに残されたら……どういう風に生きていくだろう。
実際の生活面のことというよりは、気持ちの問題として。

長い長い20数年と感じるだろうか。20数年、もはや答えぬ人に語りかけながら、いつかあとに続く日までを生きていくだろうか…。
それとも、さっさと自分の人生を突っ走ってしまい、やがて自分の生を終える時も、別に「夫のもとに行く」とは思わないだろうか。

そういえば、パパガスの母方祖母上も、夫を亡くして早20年が経過した。
今なお、静かに、亡き夫と、そして、思いがけず逆縁になってしまった娘をしのびながら静かに暮しておられる。

今、つれあいが、パートナーが生きていることが、永遠に続くように思ってしまう、当たり前に思ってしまうけれど――原則としては、いつかどちらかが先に死なねばならず、そして、残されたものは、そのあとどれだけ長く生きるか分からないけれど、その時間を、どれだけ長くなろうと生きていかねばならないのだ。
そのことを、今日、思い出した。

Requiem aeternam dona eis Domine, et lux perpetua luceat eis.