ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

課題を残し、帰京

2010年07月25日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
昨夜京から帰京。
御教訓や提案や疲れたこと。

(1)Jくんには見学型旅行はまだ無理。体験型が適当。休憩タイミングや食事タイミングと分量にも注意。
次回は触れるタイプの動物園とか野山民宿か乗り物三昧がいいでしょう。

(2)トイレ1:各地の公共公衆のトイレ(デパートホテル駅など)にある、手の乾燥機をやめてほしい。あれに恐怖を抱いて排泄や手洗いもままならない幼児は結構いるのです。
各人が一日に2~4枚くらいのハンカチを持ち歩けば、そんな不衛生ではないはずです。マイ箸よりマイハンカチsを!撲滅、手乾燥機!

(3)トイレ2:公共女子トイレにはやはり男児小便器を!
まず洋式がないとアウト、あっても案外洋式便座の裏や便器ははババッチイです。
かわいい幼児に触らせられないんで、二日間く○しょ○べ○との闘い、私設便所掃除隊隊長に。
女子よ、てめえのウ○コのお釣りくらい始末して出ろ、男子よ、洋式便器に跳ねかしたら拭いて出ろ、ばーか!

(4)私はもう誰であれ人と旅行に行きたくないです。黙って一人旅しか行きたくなくなる、嫌なことや疲れることがいくつかありました。
突き詰めたら――人前に出たくないくらいです。
それともパパガスパールや爺婆もいたら良かったかも。一人で抱え込んで疲れすぎたかも。

…以上旅の総括。
なお、Jくんと宵の河原町木屋町などをながし、夕涼みを楽しみ、彼の希望でカトリック教会の聖堂で夜のお祈りをできたのは幸いでた。
急遽Jくんの提案で、せんと君と鹿さんに会いに行けたのもちょっと意外体験。(但し彼は仏教美術や建築には無関心たること発覚、残念無念!)

以後またブログは暫く週刊かお休みです。

僕のロマン

2010年07月23日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくん去年のリベンジで、京都・梅小路機関車館に行きました。
静態保存の機関室で運転気分に夢中、そしてスチーム号にも乗車。
京都37℃ぐらいあったらしいのですが…若いってのは羨ましいですねぇ、ハッスル×100、熱中症は熱中症でも、熱中しすぎ症。
つきそう桜泉ぐだんぐだんです。
でも汽車はやはり男の子のロマンなんでしょうね。理屈抜き。
去年よりずっと興味を持って楽しんでいました。良かったです。

世界一周

2010年07月17日 | その他もろもろ
セキュリティの観点からブログでは秘していましたが、一階の義父は4月上旬から世界一周旅行に出ています。

が、いよいよ明後日横浜港に帰港します。

なぜかしばしば桜泉の母=婆に船内衛星メールをくれるので、「人妻キラー」「船内や港、港でも女性をたぶらかしているかもしれない」「元々世界中に女あり、だから世界巡りの旅に出た」「いやいや後妻探しの婚活旅行か」「パパガス家の先祖は日本人とイタリア人のハーフで、イタリア男性の性格が抜けない」だなどと欠席裁判ブラックジョークが飛び交ってましたが、とまれかうまれ、土産話が楽しみです。

体調・天候が許せば、Jくんと爺が横浜港までお出迎えします。

昭和20年編の柳沢教授がもう10旬目!?

2010年07月17日 | その他もろもろ
またまたインターバル。結局週刊化か。


今、何度も何度も毎日読んでいる書物あり。聖書じゃないよ。←おぃ
あ、そういえば、青野先生の本が途中であと少しってところで中断している…なぜだ?(鞄に入れてたら重かったからか。)

「天才柳沢教授の生活」講談社漫画文庫10~12巻。
はっきり言って、ここだけがこの漫画の中で異色だと、たぶん誰もが思うでしょう。
(あえて言うなら、やはり桜泉が好きな、モンゴル編も異色。どうもあの辺から作者に何かがあったのか…。)
一般に、昭和20年編と言われているそうで。
この漫画、連載が長いこともあり、教授の年齢や経歴も何だかサザエさん並みの矛盾だらけだけど、ファンとしては一切目をつぶるとして、この昭和20年編の中では、海軍経理学校を出て大学生になっているものの、戦争から終戦で大学が実質休校な時期、という設定。

内容は、ホント、重いのです。重すぎなのです。通常の教授だと、多少内容重くてもさらっと読めるのは、やはり1回読み切りなことと、時代設定の多くが昭和~平成の今だから、または戦前でも教授の回想として描かれているからでしょう。
しかしこの話は文庫3巻分にも相当する連続もので、一応回想ということになっているけど、とてもそうは読めない、リアルな終戦の重みがズドーンと来るのです。

戦前に日本人建築家によって建てられたユニークな屋敷の接収をめぐって、青年柳沢と、屋敷の女主人(徳子)、嫁である戦争未亡人(町子)、戦災孤児や、親はあるけど「学校」を求めて集まってきた少年少女、屋敷を接収しに来た米軍中佐(アレン)、実際に接収した大佐、大佐の子供たち、町の闇市を仕切るやくざたち、……人々が不思議とすごい網の目のように絡んで話が展開していき……。
この屋敷は元々、女主人の亡夫である建築家と、その師匠であるドイツ系アメリカ人建築家の合作であること、このアメリカ人建築家の息子こそが上記の米軍中佐であること等が明らかにされ、この屋敷はそもそも子どもたちが集められるように、子どもたちが遊べるように、子どものパラダイスであるように、と作られているものであり、戦災孤児らが不思議な縁で集まってきたのもむべなるかな…ということがわかってきます。
読む人が、話の伏線に次ぐ伏線という網にからめとられて、まさにこの屋敷に吸いつけられるように話に吸いつけられて……もう10旬目ぐらいに入るのでした。

それにしても特に重いのは、母が妹をかばうように、空襲で火だるまになって目の前で焼け死んだという、戦災孤児・俊(社長)くんの体験、疎開先から凍死寸前で帰京したものの、すべてを失って心を閉ざした龍彦(かい巻き)くんの体験(彼の場合、さらには自分の放火のせいで実母が死ぬ…)、そして、クールでニヒルなアレン中佐と、その父ルドルフの二代にわたる不幸な生い立ち…山下和美という漫画家は、時にこうもはっきりと容赦なく、子どもを襲う不幸、子どもにも容赦ない不幸というものを描いて、この世の不条理、貧困や飢え、暴力、愛の欠乏など――を暴きだしてくれます。

だからでしょう。
その重さの最後の最後に、後にアレン中佐と町子が結ばれ、屋敷でずっと孤児や不幸な子どもたちの養育にあたったことが明らかにされる場面で、暗くて長いトンネルから、さーっと明るい光の中に解放されるような、カタルシスを感じるのでしょう。
(それをいうならそもそも、結局屋敷が女主人たちの手に戻った時に、一人涙するアレン中佐に向けて、町子が黄色い布を掲げて、あなたもこの屋敷にきて!というメッセージを送るあのシーンこそ、闇からの解放、トンネルからの出口と言える、すごい表現だと思います。この屋敷は父の息子への愛が詰まったもので、本来アレンが帰るべき家なのですから。)

思えば、今…が平和かどうかは疑問が残りますが…それでも、あの闇と焦土の上に今がある、その上を生きた人の後に今があるということをも、深く印象に残るのでした。

「天才柳沢教授」は2002年ごろにドラマ化されていますが、この昭和20年編はテレビ放送より後に連載された作品です。
あんな、教授のコミカルなところだけを強調したようなドラマをやるぐらいなら(で、低視聴率だったそうだし!)、今、この昭和20年編をドラマまたはアニメ化してくれてもいいんじゃないかと個人的には思います。
(あ、で、アイダホ訛りの英語とはどんなのだか、音にして聞いてみたいっす。←アレン中佐が母譲りのアイダホ訛りがあり、対する柳沢教授は英文学者の父譲りのキングスイングリッシュを操るのだけど、教授はアイダホ訛りでもしゃべれるので、中佐がムカッとするシーンが冒頭の方に出てくるのでした。)

※それにしても当時、天才柳沢教授のドラマを見てバカ受けするパパガスを見てバカ受けをする桜泉でした。って前にも書いたか。今どきの大学人の中でね、道路では必ず右側を歩き、曲がり角ではホントに直角に近く曲がろうとするやつなんてね、アンタぐらいしかいないんだよ、パパガス。アンタの存在自体がマンガなの、マンガ。って女房がそれ言っちゃオシマイよ。いや、でもホントにそうなんです。最後の明治大正昭和系大学人と呼んでやってください。多分、明治生まれで戦中戦後に活躍した学者である母方祖父の亡霊が乗り移っているんじゃないかとか(実際、顔も似ている)、本人にもはっきりとそう言ってやることがあります。

今の時間を大切に生きて育て!――甘いのかもしれないけれど

2010年07月11日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
休止中のくせにまたまたインターバル投稿!
また風邪もひきました。しかしインターバル投稿。

あ、風邪でも選挙は行きました。この17年間、まだ選挙サボりをしたことはありません。ささやかな自慢です。(しかし国政選挙で私が投じた人はだいたい落ちる、縁起悪い有権者桜泉!例外はKNさんとITさんただ二人であった…。)


☆以下本題☆

Jくんも再来年には小学校。
いろいろデリケートなところのある彼なので、普通の小学校で大丈夫か心配ではあるけど、とりあえずは公立小学校に行かせようと思っている。
中学も、条件が折り合えば公立中学に行き、公立高校を受験していただき、叶うことなら国公立大学に行っていただきたい。
無意味に教育費をかけたくないのである。
同じ教育出費なら、学校教育以外のところで、彼の経験と育ちに金をかける方がいい。
(ちなみに、国立大学附属の中等教育学校や中高一貫校に入れることは少々考えているが、これも、お受験校はごめんだ。)

思えば甘いし恵まれた者の勝手なつぶやきだろう。
パパガスが学者、桜泉は図書館員という家庭条件。お勉強への親和性は高い。(桜泉はお勉強嫌いだが!)
また、我ら夫婦すなわち両親とも、80年代の神奈川県に育ち、比較的良質な公立学校教育の中でのびのび育って、のびのびと受験をしてのびのびと最高級の高等教育の機会を得た。(その機会をドブに捨てて無為に過ごしたのは桜泉。いろいろ立派にやってるのがパパガス。)こんなのが、21世紀の東京で叶う話かどうかわからない。


でも。
私たち夫婦はこう思っているのだ。

1)いい将来をつかむとか、そういう目的のために学校に行くのではなく、今――育っていく毎日・毎年という今を大切に、生きていってほしい、そしてそのためにはいろんな経験や環境の積み重ね・複合性・多様性が欠かせないから、必ずしもネームバリューやユニークな教育がベストとは言えないと思う。人生の泥沼もアホでクソな友達や大人との出会いも挫折も涙も、一つ一つを大切な積み重ねにして、今を生きていることを実感して充実していく人生であってほしい、わが子たちには。未来のために今があるような「空虚な今」を生きるな、子らよ!

2)すごい現実的な話、高い金払っていい私立にでも入れたとして、それでもミスマッチだったらどうする。もったいないもったいない。まずはデフォルト(公立に入ること)で行こう。問題があったらその時考えよう。(トットちゃん方式で行こう。――黒柳徹子は公立でヤバいくて私立のトモエ学園に行った逸話より)
お金は大事だよ♪

ともあれ、子らに最高の教育をつけたいなんて私らは思わない。
だいたい、最高の教育は我ら親の子育てやもろもろをも含めた、トータルでなされることで、学校に求めるものじゃない。
また、最高のものだけが最高なんじゃない。逆説だが。
手作りのおにぎりやコシヒカリのおにぎりも、コンビニ・スーパーのおにぎりもいただける人になれ!とは桜泉親類(職業:PSWと臨床心理士)の子育て方針だったそうだが、同感であったりする。

おもわぬわが心を知る

2010年07月05日 | グレ耶蘇生活
休止中なれどインターバル投稿。


朝パパガスに訊く。
桜「教会いかなくてさみしい?」
パ「うーん、行った方が日曜日にメリハリがあるなぁとは思うよね」(メリハリは時間のことらしい)
桜「私はそれがダメ。時間でなんかしないといけないって労苦は月~金で充分。休みの日ぐらいは時間に追われたくない。行かなくなって、日曜日がこんなに楽なんだって知って感激したよ。だから行かなくなって全然さみしくない」
パ「なるほど」
桜「でもねぇ。聖餐はあずかりたいし讚美したいし、人とちょっと交流できないのはさみしいんだよね…」
パ「…」
桜「やはり土日曜のゆったりした夕方に礼拝があるなら行けるし行くね。あ、但しなるべく子連れは無しがいい」
パ「つまりはあなたは礼拝が行きたいんじゃん」
桜「あ、そうだねぇ」

体がもう少し回復したら、子らを夕方少し人に預けて、都内のルーテルかカトの夕拝に行く計画がむくむくと芽生えてきた。

無理はいけない、無理は。自然体で心地よい方法で行こう。