ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

30日の日記

2008年01月31日 | その他もろもろ
この記事の時制は昨日。30日。寝てたら日付変わっていた。

三日間外出していない。
一昨日はひどい不調。
昨日今日は家事にあれこれ取り組んでいたら、外出の時間も体力も残らなかった。
料理洗濯掃除片付けができるのはいいが、ついやり過ぎた。体内バッテリーが突然切れて落ちた。結構つらい動悸と呼吸困難みたくなったし、やがて意識遠退くように眠っていた。
明日こそゆったり過ごしたい。

Jくんのイヤイヤ虫に振り回される両親。
登園イヤイヤ、着替えイヤイヤ、手洗いイヤイヤ。気に入らないことや気になること(服のわずかな汚れ、かすり傷のかさぶたなど)があるとすぐ泣いたり不機嫌に。
反抗期×早くも赤ちゃん返り×何かの欲求不満、かな…。今後の育児方針や方法に悩む我ら。

この期に及んでまだ出産場所に悩む。関わりのある2つの総合病院、いずれも帯に短しタスキに長し。
骨盤ケアに来てくれる助産師さんと話していて…ますます悩む。
いっそ自宅出産は?とも言われたが。…ちとコワイ。
ああ、叶うならやはり里帰りしてM医院で産みたい。

婆がJくんの風邪をうつされ病臥中。もう4日寝込んでる模様。
見舞いと手伝いに行きたいが、叶わない。こちらがこれでは…。

あ、もう1月も終わりか!
婆の誕生日が間近。
バレンタインデーとやらも間近。
何の支度もしてない!
パパガスパールに何あげよう。
高価なチョコも普通の菓子も、食べられるものなら何でも喜ぶが、確か去年はフェアトレードチョコ。贅沢な欧米の輸入チョコよりは喜ぶ。特に彼はアメリカ製のものはやや敬遠。
さあて、今年は。

さて、また寝よう。

ば、罰が当たった

2008年01月29日 | グレ耶蘇生活
クリスマスに買った、ボンヘッファー本(「クリスマスの奇蹟」 高橋祐次郎訳 新教出版社刊)を引っ張り出してきてちょっと読んだ。
1944年、クリスマス(厳密にいうとクリスマス直前。何とJくんの誕生日と同じ日付だった!)に、ボンちゃんが彼女…っていうか婚約者のマリーアに贈った最後の手紙をまた読みたくて。

とにかくこれはすごい。
クリスマスに彼氏(おぃ)からこんなプレゼントを貰える女は最高の幸せ者だとしか言いようがない。「御身は女のうちにて祝せられ」(カトリックの天使祝詞)という言葉を思わず思い出すほどに。(そして彼女、ボンちゃんの婚約者も「マリーア」なのだ。)

婚約して間もなく、ボンちゃんはナチスに捕らえられ監獄へ。
二人は引き裂かれたまま2年の時を過ごそうとしてる、そのクリスマスの手紙。
孤独な牢獄にあっても、あなたや家族、仲間のことを、すぐそこにリアルに感じている…、そんなような内容が綴られ、そして最後に。
「君をこの腕に抱きしめつつ」と結ばれている。

クリスマスにいろんな贈り物を貰った人もいるだろう。
彼氏やダンナといったパートナーから、高価なアクセサリーを貰った人も、贅沢なごちそうをおごってもらった人も、例えば夜景のきれいな高級ホテルで「ラブラブ」な一夜を過ごした人も。
そういえば、24日のけやき坂も、25日の銀座も、幾組もの若い男女が仲睦まじそうに――べたべたいちゃいちゃと(…。)歩いていたっけ。そういう人たちの中には、きっと素敵な贈り物を貰ったり贈りあった人もいるのだろう。

でも。
その手紙の「君をこの腕に抱きしめつつ」に比べたら…ああ、この世の宝の、空しいことよ…とは言わないけれど、輝きの何と小さいことよ。
この世の宝石の輝きなどが及ばない、まさに闇の中に煌き輝くものを見せてもらった思いがした。

決して抱きしめることの叶わない――そしてとうとう叶わなかった――その愛の抱擁は、でも確かなものであり、何人にも汚されようもない、神に祝福されたものなのだ、そう思う。

俗な言い方をするならば、女として、こんな贈り物を、男から受けてみたいものだ。

……。
と、そこまでは良かった。
(ここからふざけモードに入っている桜泉。)

しかし、ここで思い出す。
ボンちゃんとマリーアの歳の差を。

約20歳。

…なんか……フケツっ!

前から知ってることだけど、やっぱりこれはどうも…俗人桜泉には受け入れがたい。ボンちゃんすけべッ!

(以前にも、そのことで、パパガスと話したことがある。「実はボンちゃんって、ヒトラー暗殺計画、クーデターのカドで捕まったんじゃなくて、20も若い嫁さん貰おうとした罪で捕まったんじゃないの?!」「で、あなたなならどうする?20も若い女の子と婚約できたなら、投獄されて処刑されてもいい?」「いや、それなら何が何でも獄から生還する!」)

ともあれ、そんなことをブツブツブツブツと頭の中で思っていた。そしたらつるっと手が滑り…本の角が中指に当たった。
痛かった。かなり痛かった。なんと、傷になって、少し血が出た。

罰が当たったとしか、言いようがない。多分。

今度から桜泉が回答者になったろ~か?(…おぃおぃ)

2008年01月28日 | グレ耶蘇生活
以前クリスマスのときに話題にした、所属教団のニューズレター。相変わらず桜泉の目から見たら「なんじゃこりゃ」な「Q&A」コーナーがあります。
今月の質問は「洗礼を受けたいが、でも洗礼を受けたら教会に所属して礼拝に出席しないといけないのか?一人で礼拝してはいけないのか?」という質問でした。
これ、現代ではわりとよくある質問のひとつのような気がするので、ホントにあった質問かも知れないし、仮に作った質問だとしても、なかなかいいところ突いていると思います。
でも、回答はやっぱり…桜泉的には62点ぐらい(大学の成績票なら「可」。まあ「不可」にはしない)。
言ってることはそう間違っていないけど、そんな回答ではせっかく洗礼を受けたいというその人の気持ちは、おそらく「なんかキリスト教ってやっぱやだな、だったら洗礼なんかいらないや」になると思ったので。
教会に通い、所属しながらやっていくことの「恵み」であり「メリット」であり「意味」が伝わらなければ、重荷である「義務感」ばかりを強調してしまっては……ダメでしょう。とくに現代人相手には。

桜泉は、究極的には、今地上にある教会組織が絶対のものだと思っていない、ちょっとラジカルな人。パパガスパールもそう。
だから余計そう感じてしまうのかも知れないけれど。
でも、やはり人間って弱いものだから、義務とか負担ばかり強調されたらみんないやだし引いてしまう。ちょっと見に義務や負担に思えても、世間的には面倒でおかしなことに思えても、その中にうれしい恵みがあってこそ、要するに自分がうれしくてハッピーで得するならば、人は喜んで何かをし、その道を進むもの。
だから、クリスチャンの多くは教会に通って、みんなで礼拝し、人と交流するのだと思います。
「そういうことになってんだよ。当然だろ。そうしなければいけないんだよ。」そういう風に言われたら、桜泉だって今すぐにでも「じゃあやーめた」と言いかねません。はい。

そこで、桜泉なりのA(回答)を考えてみました。
(ホントはそのニューズレターに投稿してやりたいが、このあいだQ&Aの批判記事が載ったばかりなのでやめておく…。)
あくまで「回答者は牧師とか神学者とかではなく、一信徒であるこの桜泉個人である」という前提で書く文章になりますが。

---
あなたはどうして、「一人で礼拝したい」と思ったのでしょうか?
教会に来るのは面倒だから?毎日忙しくて、日曜日なんかに時間を割けないから?教会の人間関係は煩わしそうと思ったから?それとももっと他の理由でしょうか。
実際のところ、毎週欠かさず主日礼拝に出席するクリスチャンばかりではありません。洗礼を受けたけれど、長いこと教会を離れている方もいます。
でも、伝統的に、そして今現在でも、イエス・キリストを救い主と信じ、洗礼を受けた人たち、我々クリスチャンは、教会に属して信仰の生活を守ってきました。
上記のように、毎週来ない方、来れない方、なにかの理由では離れている方も、やはりどこかの教会の会員であり、仲間のひとりに数えられています。

よく言われる言葉ですが、「人はひとりでは生きられません」。
人間は本当に弱いものです。世俗の生活のうえのことでも、本当に一人で、最初から最後までやっていける人はいないはずです。
例えばひとり暮らしをしている人だって、無人島でたった一人で生きることに比べたら、必ず日々誰かと関わって、社会の中で生き、生かされているのではないでしょうか?
それと同じで、祈るということ、礼拝するということも、一人でできるように思えるかもしれませんが、たとえ自分ではそう思えても、やはり何らかのかたちで助けあって、支えあって行われる、生きていけるものだと思うのです。
イエスさまご自身も、12使徒に代表されるたくさんのお弟子さんと共に生き、いろんな人のところを訪ね、たくさんの人と関わりあって生きられました。そして、初代教会の人たちも…。やはりそこに、意味があり、そこに恵みがあるからだと思います。

イエスさまが時折そうされたように、一人で祈る時もまた必要だったり、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。
そして、人と人が共に生きるからには、面倒なこと、軋轢、バカみたいなぶつかり合いも発生するでしょう。これは会社だろうが家庭だろうが、そして教会だろうが、人と人が「共にいる」限り避けられないことのように思います。でも、一方で、共にいることで支えあい、助け合い、喜びや恵みを分かち合うことができると思います。
何よりも、神様は「共にいる(インマヌエル=神我らと共にいます」)方です。人と人との連帯自体は、時には却って怒りや悲しみの元になるとしても、その「人」には神様が「共にいて下さる」、だから、そういう仲間としてつながって生きて行く、ということは、信仰の人生の上でとても大事なのではないでしょうか。

ちなみに私自身は、あまりからだが丈夫ではないし、小さい子どももいて、礼拝を欠席することも多々あります。また、いろんな迷いが生じて、時々教会という組織を離れたくなることだってあります。そういう時は、家で一人で、または子ども相手に聖書を読み、讃美し、祈るようなこともあります。
でもそういう時、どこか物足りなさを感じてしまうのも事実ですし、一方で、そんな時、「今みんなとは同じ場所に集えないけれど、やはり仲間がいて、場所を超えて一緒に礼拝している」と感じるときもあり、それはとても嬉しく、支えになることです。「ひとりで」していることのようでも「ひとりじゃない」のです。

そうそう!現実的な問題として。ルーテル教会では、礼拝の要でもある「聖餐」は、按手を受けた教職者(牧師)でないと執行できません。
なので家で一人で礼拝していたら、いつまでも聖餐に与れません。「別にいいじゃん」と思う方もいるかもしれませんが、これも信仰生活を送っているうちにだんだんわかってきますよ!「……みんなと共に聖餐に与れないのは、なんかサミシ~…」って!

そしてまた時が満ちた

2008年01月28日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんいい子!

…今度は何をしたの?

先日のつらい風邪が治ったら、Jくんのうんちがいいうんちになったのです。
Jくんのうんちは、離乳開始以降、実に始末の楽な硬めの、そして立派なうんちだったのに、去年の初夏以降、軟らかうんちになってしまい、あの手この手を尽くしていたのに治らず、心配していたし、始末にも困っていました。
食べ物をやわらかくしてもダメ、整腸剤を飲ませてもダメ、リンゴを食べさせてもダメ、腹巻を巻いてもダメ…。

でも、先日の風邪の後、急にまたいい感じのうんちが出るようになって、うんちの世話がとても楽になりました。

成長に伴う腸の体質の変化の問題なのかなと思いました。
小児科の先生にも、これは体質の変化だから気にしないように、また変わってくるから、とは言われていたので、そうだったのか…と、やっと得心が行きました。

でも待つのはつらいもの。
いつと分からず待つのはなかなか根気が要るもの。つい焦ってあの手この手をしてしまいました。
もちろん、あの手この手の多くは、無駄じゃなかったのだと思いますが、すぐに結果が出るものでもないのですね。子育て全般に言えることなのでしょう。

ああ、また、「時が満ちる」を教えられた、「時が満ちるを待て」を教えられた、としみじみ…うんちを前に思う桜泉でした。

ちなみに自宅では、いつまでも赤ちゃん姿勢でうんちの世話をされてというかさせていたJくんが、保育園と同じように、わんわん姿勢(お尻を拭きやすいように前かがみになる)をするようにもなりました。
やっぱり、時が満ちたのでしょう。彼の中で2歳児の自覚?おにいちゃんの自覚が芽生え、すくすくと葉を伸ばしてきたのかも。

でも、2歳の春夏(一般にトイレトレーニングの好機)と、ともせんの誕生がちょうどかぶってしまうJくん。赤ちゃんがえり、環境の変化に伴う不機嫌・戸惑いなどから、「おむつバイバイ」は遅くなっても仕方ない…と腹をくくりもする桜泉でした。
「3歳で幼稚園に入る子の中にはおむつとれてない子もいるから、個人差あるよ、しょうがない」とこれは桜泉母(かつて幼稚園事務職)。
保育園の1歳クラス(現時点では実質満2歳の子がほとんど)でも、既にトレパンの子、パンツの子もいるようですが、Jくんを含めてまだまだな子も。
保育園の方が一緒にいる時間が長いのでそういう成長の早い子に刺激されるかもしれませんが、あまり期待せずに行きたいと思います。

いい子~!

2008年01月27日 | グレ耶蘇生活
今日は日曜日。
パパガスパールは風邪。
半日でいいからJくんを連れ出して、パパガスパールを休ませてあげねば。
幸いなるかな晴れた日曜日、Jくんと桜泉はまあまあ元気。

「Jくん日曜日だねえ。大江戸線乗っておんも(外)行こう」
「おんも(行く)」
「日曜日は大江戸線でどこ行くのかな?」
「…。」(お祈りのポーズで指を組む。)

…いい子!天才!Jくん世界一!
(また親バカ。)

実際には出掛ける支度でヘソを曲げ、行くのイヤイヤと言ったり、教会では讚美や祈りをイヤイヤして、ぜんぜん礼拝参加にならなかった気がするのですが。

礼拝後はみんなにちやほや?されながらの美味しいご飯でご機嫌なJくんでした。

パパガスパールも昼過ぎにはかなり元気になりました。

レントの前の計画変更

2008年01月26日 | グレ耶蘇生活
昨夜は夕飯後に腹痛がしたので、Jくんの世話を放り出して寝ました。
風邪の婆と会議に行ってたパパガスパールには大迷惑をかけてしまいました。
お腹は、安静にしたら楽になりました。

タイトルは何のことか。

1、レント(四旬節)に入る直前とイースター(復活祭)の前日にヘアカットに行こうと考えてましたが、レント前は中止。寒いし、倹約したいから。
イースター前日は切るつもり。お産前最後のカットになるはず。

2、レントに入ったら、ダイエットを兼ねて何らかの食事制限、少ししっかりしたカロリー制限をして過ごそうと計画してましたが、レントを待たずに今日からやります。
子宮に押し上げられ、食べ過ぎに酷使された胃が哀れ。そしてやはり、このままでは最終的な体重増加は10キロを超えてしまいそう!
貪りは今すぐ止めるべし、なのです。

…てわけで、今年はレントまであと11日!
2月6日がそのはじまりの日、灰の水曜日です。
礼拝があったら行こうかと思ったら、桜泉は次回の健診の日でした。

えっ、この人は?

2008年01月24日 | グレ耶蘇生活
以前シスターパウロさまに教えていただいたある修道会のHPを、ふと思い立って覗いて見ました。
そうしたら、入会式(志願式)の写真が載っていました。
場が場であり立場が立場なので地味な服装に身を包んでおられ、実年齢はちょと不詳なれど、おそらく桜泉より少し若いのかな?と思われる方が、昨年の春に入会された模様です。

しかし、それを拝見していて「えっ、この人はもしや・・・」と驚きました。
その方の出身教会は桜泉の生まれ故郷のカトリック教会。桜泉が幼少時、しばしば御聖堂にもぐりこんではお祈りごっこからいたずらまでしてのけていた某教会です。
そして、その方の苗字はちょっと珍しい苗字なのですが、同じ苗字の学校の先生を桜泉は知っていました。中学の時の先生で、確か桜泉より少しだけ若い子どもさんがいて、桜泉の生まれ故郷と同じ市内か、もしくは桜泉の実家が今ある市内に住んでおられたはず。
もしかして、この志願者の女性は、その中学の先生のお嬢さん?!
・・・かもしれません。面差しは、その先生に似ているような気もするし、でも中学の、担任ではなかった先生の顔なんておぼろげ・・・。

真相は多分永久に不明ですが、ちょっと不思議な気持ちになりました。
桜泉の生まれ故郷から、遠い関西に、祈りの人生をしに行かれた方に、祝福がありますように!

かみさまの裁判は

2008年01月23日 | グレ耶蘇生活
で。
今もいろいろに悩むこと多い。

現実的な(生活上の)問題でを煩わされ、そしてそこから派生して、自分の存在の問題、気持ちのありようの問題、などの内面的な問題が脳内を駆け巡って苦しめられもする。

せめて現実的な問題を一つ一つ解決して行きたいのに、それさえうまく行かない。そして、そのことを、信頼していた人に分かってもらえなかった、誤解された、そんなことも私を苦しめる。

そのうち、内面的な問題にどんどん穴を掘っていく羽目になり、気づけばあたかも免疫の異常のごとく、自分の中の何かが自分を激しく攻撃する。いや、攻撃を受けているそのことさえ、また攻撃の対象となる。

…そんな中で一つ思ったことがあった。
自分が自分のしたことで受ける罰は自分のことだからはっきり分かる。でも、他人が与えられている罰は、例えば自分が他人から受けた仕打ちのことで、その人間がかみさまから罰されるとして、でもその現場は、私には見えない、罰されているか否かは私には知らされないのだ。それを見るための罰じゃないから、見て溜飲を下げるためのものじゃないから…かみさまが人にもし罰を与えるとしたら。罰するか否かはかみさまが決める、そして罰する現場は、原則見られない。それらは、任せないといけない。

人が人に行う裁判だったら…いや、少年事件なんかこれに限りなく近いけど、そして近年では批判を受け、いろいろ議論があるし、それこそ「被害者感情に全く配慮が無い」と言われそうなところだけれど、かみさまの裁判は、そういうものなのだなぁ…と思った。

とにかく。
私ばっかり罰を受けて、あまり罰を受けてない人がいるんじゃないか?と疑っていたし疑っているけれど、実はそれは、やはり的外れな思いなのかもしれない。

ただ、実感としては、やはり、私はしたことのいくつかか半分以上か全部か分からないけど、目には目を的な報いを(かみさまから)受けている感じがする。
しかし一方で…かみさまから受ける恵み、そして人から受ける恩恵、温情、親切…そういったものは、ふと気づくと、自分は人には与えていなかったもの、人にはしてこなかったこと、だったりするのだ。という実感もある。

犯した罪には応分の罰、思えばそれは当然のこと、そして善行への褒美ではなくてにいろいろな恵みもあるのだとしたら、…あまりと言うか全く文句は言えないなあ…と何となく思えたりもしているこのごろ。

それでも今残る問題は…。
一つは現実的な生活上の問題、生活上の選択、決断、そしてそれにまつわる不安などの問題。
そして、こういう現実的な問題の解決のために、そのことで人に相談したのに、何か内面的なことの問題として受け止められてしまい、全く相談に乗ってもらえなかった、その失望感…それかもしれない。いやそれとても、日ごろの私の行いが悪いのだ、きっと。そして、説明の仕方が悪かったのだ、きっと。
人と人なんて、誤解の連続なんだろう。自分じゃないんだもの。他人は。

マイナートラブルの連発!

2008年01月23日 | マムレの樫の木陰発(ゆーくん妊娠ライフ)
都心も雪。
普段はあまりたくさんは見かけないセキレイが、雪の降る街中に来てトコトコ歩いては餌を探していました。
きっと通常なら新宿御苑や明治神宮に住んでいるのでしょう。でも雪で餌が無くて、街に出てきたに違いありません。
凍えたり、事故に遭わなければいいのだけど、と思いました。

その雪の中、妊婦健診。
いよいよ妊娠後期。そして、久しぶりのJ病院。いろいろ思うところあって一旦離れたけれど、やはりここで診てもらうことにして、今日がこの病院での久しぶりの健診日でした。

結果。
マイナートラブル大連発。
体重増えてる。(当然じゃ!全然節制していないだろう!)
浮腫、尿糖が+。(上に同じ。)
もちろん静脈瘤もますます素敵な…刺青状態。(サポートソックスをはけと言われてしまった。)
自分じゃほとんど自覚症状無いのに実は、カンジダ菌感染も発覚。(抵抗力弱まってれば入浴などでも感染するようなものだから、しょうがないけど…。)
そして、……逆子。

逆子?!

まだ28週の段階なので、ともせんはくるくる回っています。頭が下に戻る可能性は高いので、あまりくよくよすることは無いけれど…。
よりによって昨日あたりから、胎動がやけに下のほうでする、ひどい時なんか膀胱を蹴られるような感じだったので、これは「あ、もしかして今、骨盤位(逆子このこと)?」とは思っていたから、そう驚きもしませんが。
(で、午後になったらまた横や上の方で胎動を感じることも多くなったし、こいつぐるぐる回ってるな…と思い、安心。)

ともあれ、どうなる桜泉、そしてともせん。
体調も相変わらず優れてはいないし…Jくんのときより全然楽じゃない。トシを感じる、としか言いようが無いです。

分娩もJ病院でと思っていて、いろいろ助産師さんと話をしましたが、一番大事な母乳育児の点で、J病院では少々心もとないと感じました。
この病院では原則は母子別室なのだそうで、時間で授乳をしに行くスタイルだとか。そうすると、特に夜間はみんな授乳に来ないんだそうです。
ふーん、みんな、あまり母乳育児やる気ないのかなぁ…と思いましたが、しかし、母子別室なら…自ずと時間で授乳するスタイルになるから、母乳分泌の促進には不利だし、夜中に起きて別の部屋まで行って授乳するのは産後の体にはやはり負担感もあります。同室にいて四六時中くわえさせないと、結局だんだん出なくなってミルクになってしまう…という悪循環は当たり前。
やっぱそれって、病院側の体制の問題だなあ、と感じました。

でも、個室を予約し、母子同室にすればその問題は解決しそうだし(費用面の問題があるけど、それはパパガスパールからもOKを貰えました)、桜泉は経産婦かつ母乳育児の経験者なので、各種の自助努力をすれば何とかなりそう…とも思いました。こちらからどんどん要望を出し、バースプランを立て、助産師さんとよく話し合って準備すればいいのです。(産後の母乳指導も、J病院で心もとなければ、例えば開業助産師さんなどで母乳ケアに力を入れている人を、今から探しておいたっていいのです。)
でも…それも一手間かかること。この点だけはN病院の方がやはりいいなあと思いましたし、もっと言うなら、Jくんを産んだM医院が一番良かったかも、なんて思います。

Jくんのお産のときより、いろいろトラブルが続いているけれども…もっと大きなトラブル、試練を乗り越えて産む人、生まれてくる赤ちゃんもいます。
自分とともせんの力を、そして…悪態ついていたけれど、命を造り生かしてくださる方の助けを、今は信じるしかないような気持ちになってきました。

---
ところで、ともせんはやはり男の子でした。
名前決定だ!
もうしばらくともせんで行くけど、ゆくゆくはこのブログでは、何て呼ぼうかな、何て考えるのも楽しいです。それともう一つ、洗礼名の候補を考えるのも…。

過ぎし日々の悩み重く…?

2008年01月21日 | グレ耶蘇生活
ボンちゃん(ディートリヒ・ボンヘッファー)を苦しめる「昔のこと」ってなんだったんだろう。

Noch will das alte unsre Herzen qualen,
noch druckt uns boser Tage schwere Last.

なお昔のことは私たちの胸にのしかかる
なお邪悪な日々は苦しい重荷として私たちを押しつぶす
(桜泉によるへたくそ直訳)

讃美歌では「過ぎし日々の悩み重くなおのしかかるときも…」という歌詞になっている。過ぎし日々の悩みってなんだったんだろう。

魂が恐れてふるえるような過ぎし日々の悩みってなんだったんだろう。(「今」の悪い日々の重荷というのは、第一には明日をも知れない獄中生活のことだとしても。)

ボンちゃんみたいな人の、昔の悩みなんて、きっとさぞかし立派な悩みなんだろうな。そして、さぞかし立派に受け止めて立派に反省しているんだろうな…今の私は、そんなグレた気持ちでいっぱい。

過ぎし日々がのしかかってきた時、それがすべて自己存在の低劣さを指し示し、到底人にも神にも償い得ず、しかも自分が受けてきた傷もまた癒され得ないと思うから、今の私は、その神、造り主とやらを激しくうらみ、憎み、もしそこに形を持って居るのなら、殴ってありったけのものをぶつけて胸倉つかんで張り倒して踏みつけて罵詈雑言を浴びせてやりたいとさえ、思っている。

今の私にとっては、少なくとも我が咎にはしっかりと罰を与えるのがその方だ。
思いと言葉と行いとによってしたことは、そのまま自分に返って来る。
はっきり言って恐ろしい方だ。
他の人にとってはどうなのかわからない。わからないから憶測で言うしかないし、しかし憶測でものを言ってはいけないとも思うが、同じ目に遭っている人も、それ以上の目に遭っている人もいるかもしれないが、そうじゃない人もずいぶんいるんじゃないかという気がしてならない。

何をしても、何を思っても、いつも後ろ暗く、そして叱責と非難を感じる日々。
それは自己保身だ、それは怠惰だ、それは責任転嫁だ、なぜ自分で考えない、なぜ人のために考えない、なぜ自分の恥を恐れるのだ、何の価値も無い存在のくせに…。
内からの声であり、天からの声ともなって響く。
もっともだ、その通りであり、そんなつまらぬ自己保身、自己の恥を避けることにきゅうきゅうとする人生を死に、新しく生き直したいと思っているけれど、でも、どうして私だけがこうまで責められねばならないのだろう…。これじゃあ何もできない、何も思えないじゃないか。やっぱり神様とやらは、私を辱めて苛むために造ったんじゃないのか?

ボンちゃんでもこんなことを思って悩んだのだろうか。ルターさんあたりも…。
でも、彼らに啓かれたものは、私には啓かれない気がする。一生。何だか、そんな、気がする。

(クリスチャンブログにここまで書いていいのかな…。まあいい、正直一番。こういうやつもいるということは人に知られてもいいだろう。)

風邪という名の恵まれた時間

2008年01月20日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
サルではなくてJくんの風邪は、ちょっと良くない風邪だった。
クラス中に席巻していた。
咳と洟と熱が続き、特に鼻が一番良くなく、どんどん水洟が出た。
ただの風邪薬では熱は下がらず、洟のせいでどんどん食欲が落ち、咳もひどくなり、そして咳に刺激されるのか、洟のせいなのか、寝ているときに二度も戻してしまった。(そしては母一日中洗濯に追われた。)
好きなプリンとバナナを戻してしまった。もったいないJくん。
好きなホットケーキに見向きもしないJくん。
パパガスパールに抱っこされてグッタリしているJくん。
なので金曜日、慌てて再受診したら、抗生剤を処方され、食べ物は本当に流動食を少しずつ、にしていたら、たちまち症状は改善されて・・・土曜の晩に解熱。
熱が下がれば元のいたずら子猿に逆戻り。
「ぶいん」(プリン)にこだわり大暴れ。
でもまだ少し咳がつらそう。

症状がピークだった木曜から金曜いっぱいは、看病や上記のような洗濯に無我夢中で、自分の不調も忘れるような時間だった。
子どもの病気はつらい。
でも、こういう時でもないと、こうまでJくんに気を配り、じっとそばにいてやれないだろう、だから、こういうのはひとつの恵まれた時間なのだ・・・とも思った。Jくんが病気をして、テレビひとつつけずに看病している時、病院に連れて行って待っている時など、そんなことを感じるときがある。

---
パパガスパールお疲れさま。外出できないJくんに付き合って、たくさん絵本を読んであげたり、相手してくれました。

サルがいるのかな

2008年01月16日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
ともせんは、家にサルを飼ってるときっと思っているに違いない。

そのサルが風邪をひいて「獣医」にかかるのに大変手こずり、周りの大人があれこれ騒ぐのを、不思議に思っているかな…。
お母さんがまた消耗してゆくので迷惑かな…。

サルは着替えを嫌がり、お出かけ時もわがままを言い、獣医に行っても騒ぎ、お菓子をむさぼり、気に入らないと暴れたりすぐ泣く。

まじで、近々に専門機関に、サルの飼育相談にでも行こうと思っている私。

ともせんは生まれたら理不尽に思うかな。サルが何故か「兄貴面」して、自分にエラソーに接したり、自分を赤ちゃん扱いしたりサル扱いしたら。

サルはもちろんJくん、獣医は小児科とも言う…。
反抗期なのは知ってるけど、ちょっと激しすぎ?どこに相談しようか…。小児科の専門相談かなぁ、あ、それともパパガスパールの恩師…大物過ぎて忙しくてつかまらないかな…。
(まじで結構悩む桜泉。)

買ったぞ~

2008年01月15日 | その他もろもろ
洗濯機を買いました。
目指す家電屋さんまで、電車で行ったら却って迷いました。歩いた方が楽だったみたい(ので帰りは徒歩)。
6年半ぶりの縦型洗濯機がやってくる!
いや、実は実家の二槽式→独立時にドラム式、だったから、全自動は初めてです。しかも、予算に収まったので、結局、縦型「洗濯乾燥機」にしてしまいました。
慣れるまで苦労するかもな…と心配性の桜泉ですが、それよりは懸案が解決して晴れ晴れ気分です。
これからトイレトレーニング期を迎えるJくんがしっこ漏らしまくろうが、生まれくるともせんがお乳を吐き母乳うんこ横漏れしようが、来るなら来い!という気分です。
いや…やはりお漏らしも乳吐きも、ほどほどにて勘弁してほしいですが…。

それにしても。

平日で空いた家電屋さんに少しいただけで、立っていられないかと思うほど具合が悪くなったのには愕然。外出も買い物まともにできないのか…今の私は、と汗が出る思いです。(5分くらい座ってから、ゆっくり歩いて普段買い物で慣れたエリアの方に移動したら、少し楽にはなったけど。)

また、洗濯機選ぶのに、ひとつひとつ見ないで、原則メーカー指定で選んでしまいました。(それでも疲れたから、なお愕然。)
爺(桜泉父)が長年勤めてた某社製。
今(大分前に定年退職)となっては社員割引も関係無いのに、つい依怙贔屓。人の心理なんてこんなもん?
デザインが他社に比べて地味かゴツイか、宣伝も派手じゃない、でもその分品質に信頼感が持てる気がする某社の家電です。
(しかし、ひとたび不具合があると「どこのメーカーだよ」と爺に聞こえよがしに言う婆と桜泉でした。)

ドロンジョ様ってキュート!

2008年01月14日 | その他もろもろ
ヤッターマンが30年ぶりのリバイバルだそうで…。

ヤッターマンファンの園児だった桜泉。駅の宣伝を見て一言。

ドロンジョ様って…こんなに若くてキュートだったのね!

気がつけばドロンジョ様より10以上も歳上になっていた…。彼女が若々しく見えて当たり前。

あのプロポーションも20代前半ならではか…。

ああ、なんて私は歳をとってしまったのだろう。ドロンジョ様の若さはもうどこにもない、体ボロボロの腹ぼて母…。
何だかお先真っ暗なような、人生の秋を感じてしまったような…そんな気分で遠くをみつめてしまった。

結婚したぁいと叫んでいたのは、ドロンジョ様の後輩のアターシャ様(オタスケマンの悪女役)だった気がするが…、70年代から80年代では、まだ、25までに結婚しなけりゃ売れ残り、なんて「クリスマスケーキ論」が、まるでまかり通っていたのかな…。(ドロンジョ様やアターシャ様は22~24歳くらいのはず!)

時代が変われば、こうして30代で結婚出産をする者も多いのです、その若さを武器に、ますます悪女街道を走って下さい、ドロンジョ様!
(あんなかわいいのでは、悪女というより小悪魔…。)

買い換えたいのは

2008年01月13日 | その他もろもろ
去年の家計を計算したら、「8月以降支出ががんと増えてるから引き締めないと」とパパガスパールに言われてしまった。
たしかにそうだ。
でも、その原因の第一は、妊婦検診ではないかとすぐ気がついた。
(第二は…Jくんがどんどん大きくなり、季節も変わり目で、子供服を大量に買い込んだことかも。)
今度申請すれば自治体から5万円バックしてもらえるのだけど、妊婦健診にかかった額はとっくに5万を超えている。
それに一律5万っていうのもヘンだよね…。やはり、所得再分配になるような制度にしないと…。(いや、それ言ってしまうと、うちなんかあまり助成してもらえない口だろうけど、でも、やはり経済的に困っている妊産婦さんのこと思うといたたまれない。)

それはともかく、そういうわけで切り詰めなければいけない気はする昨今だけれど、でも、ちょっと大型のものが買いたい。とくに、これから家族がまた増えるとあっては。

それは、洗濯機。

7年も前(ひとり暮らし時)に買ったドラム式洗濯機、当時の最新、今のボロ。
もともと、予想よりは振動が激しく、何よりも、仕上がりの悪さにびっくり。
ちなみに、古びてきたせいか振動はますますひどくなり、そこ持ってきて木造の家に住むようになったためか、洗濯のたびに「地震?!」というほど。
そして、所要時間が長すぎる。

本来は、原則として、壊れるまでまたは壊れる寸前まで使う主義だけれど、このままでは大量の洗濯物がさばききれない!

というわけで、買い換えたい。パパガスのOKも一応取り付けた。

今は、サンルームも作ったし、浴室乾燥もできるから、乾燥機能は要らないので、縦型の全自動にしようと思っている。
さあ、今日こそ家電屋さんに行くぞ、とこの数日意気込んでいた…が。

ずっと良くない自分の体調が悪化した。とても、混雑した家電屋になんかいかれそうにもない。

もったいないから買い換えるなというかみさまのメッセージか?
いや、そんなぁ…。

いっそ、桜泉の体を買い換えたい。
今はそんな気持ち。これから、洗濯干したら、寝込む所存。(?)