少し前の記事にも書いたとおり、桜泉の教団に、今日初めて、女性の教職者が立ちました。教団にとっても、ご当人にとっても、新しい一歩、新しい歴史の始まりです。
桜泉HP(えすさまだいすき)の「聖なるフライング」という文章に次のようなことを書きました。
<総じてキリスト教界は保守的であること、特に当教団・NRKは設立の宣教母体LCMS(ミズーリシノッドと言うアメリカの教団)が保守派なこともあり、教団議長(牧師がなる)や牧師は男性に限られている(中略)。しかしシャーマン先生はこう付け足されました。“現在(2002年)、教職を目指している女性が北海道にいるんですよ”と。このことが、桜泉の耳に残りつづけます。それは、新しい歴史がもうすぐやってくる遠い足音、これから来たる、それこそ「良きおとずれ(福音)」の予感、明け方のほのかな光…そのように感じられました。(中略)もしこの一条の光がなければ、桜泉は教会に、少なくともそんな教団に所属する教会には失望して二度と敷居をまたがなかったかもしれません。しかし現実に自分はどう思っているんだろう、理屈ではなく、気持ちとして…。そう思った桜泉は、結婚式も済んだ2003年の1~2月ごろと言えば、礼拝に出るたび、聖壇上に、説教卓に、女性牧師の姿を思い浮かべて据え置いて見ていました。(中略)それは、お声もお姿も名前も存じ上げなかった、かの「女性献身希望者」さんの想像図だったのかもしれません。礼拝中…シャーマン先生の朗々たる男声の代わりに、女性の高くて細い声による説教を、祈りを、祝福を、想像の向こうに聴きました。>
今日この日、桜泉が想像の中で聖壇上に見て聞いたそのお姿、お声が、実際に、埼玉県のとある教会で、現実のものとなりました。いまだ、宣教母体では女性教職を認めていないので、彼女の肩書きは「牧師」ではなく「執事」ですが、ともあれ牧会し伝道するお仕事に身を献げる人生を踏み出されました。
聖なるフライング。フライングかもしれませんが、でもこれはフライングじゃない、かみさまがスターターとして、号砲を撃っている、きっと。
2年前に、やはり執事として按手を受けた方が(こちらは男性)いらっしゃって、そのときの按手式に、桜泉は(あまりカンケー無いくせに)のこのこ出掛けました。そのとき歌った讃美歌を、今日思い出しました。
♪シオンよ、急ぎ伝えよ。み神は光なれば、我らが滅びの闇に失せゆくを望まず、と。喜びのおとずれ、いざや急ぎ世に伝えん。シオンよ、子らを遣わしひたすらわざを励め、主の日を迎うるために、ともどもに祈りつつ。喜びのおとずれ、いざや急ぎ世に伝えん。♪ (教会讃美歌285番より)
そういえば、シオンという名前を持つその教会です。新しい場での新しい働きに遣わされた方が、喜びのおとずれを、元気に世に伝えてゆけますように!