ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

命の泉の鯉のぼり

2006年04月30日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
昨日は朝からパパガスパールと桜泉父が大騒ぎしてJくんの鯉のぼりを組立てました。
真鯉と緋鯉と子鯉と、家紋入り吹き流し…。(;^_^A
家紋入りはパパガスパールには不評。桜泉も、掲げたのを見たらちょっと何だかなんとなくそのあの…。
でもこの家紋、丸に隅立井筒、意味を調べたら、井筒は泉を、泉は命を表すといいます。
何だかシカルの井戸、サマリアの女の話(ヨハネ4章)を思い出しました。
それに、恵みの雨を意味する名をもち、洗礼者ヨハネの名をクリスチャンネームとしてもつJくんに相応しい家紋かもしれません。

ちなみに後で調べたら、鯉のぼりに家紋を入れる際はパパママ両方の家紋をつけるものだったそうです。「男の子生まれて夫婦の紋が知れ」という川柳があるそうです。へぇ~。


ザラリストの屁護・・・・・・?

2006年04月27日 | その他もろもろ
先日ウチに、モーツァルトコレクション(CD)が届いた。Jくん初節句のお祝いである。
もちろん、JくんよりJくんの両親が喜んで聴いている。

今日、曲目解説をつらつら読んでいた。高校生の頃ちょっとハマって聴いたことのある『魔笛』。

誤植がとても多かった。てにをはもヘン。
しかしその極めつけはこれだった。

>>聖僧ザラリストは純真な娘パミーナを母・夜の女王からし・・・・・・<<

きっとこの解説文は、聖僧ザラストロを憎む夜の女王が書いたのでしょう。
じゃなくて、いかにも生誕250年にあわせて急いで作ったというのが感じられます。

それにしても、『魔笛』ってなんかストーリーがヘン、って言われてるけど、まあ何とか良く解釈すればこういうことなんでしょうね。

>>『怪しい宗教団体に娘が勧誘されて拉致されて監禁されてるのよおおお、助け出してよ!』という母親の依頼を受けて、その娘に実は気がある若き弁護士が件の宗教団体のリーダーに交渉しに行ってみたところ、相手は別に怪しい宗教団体ではなく、ただのキリスト教会で、その男はただの神父様。で、彼の話によれば、あの母ちゃんはいろいろヤバイ商売に手を染めているヤクザの女組長。何も知らないよい子の娘が、そんな劣悪な環境で育って悪に染まるのを見かねて庇護してるんだ、とのこと。弁護士くん、うーん、納得。結局すったもんだの挙句に、ヤクザのお母ちゃんはお縄になり、娘は弁護士くんと結ばれて、目出度し目出度し。<<

・・・?なんか、ちがう?

にこにこ、にがにが

2006年04月22日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
今日は初めての離乳準備食。
桜泉も大好きな、擦りリンゴの汁を、白湯で薄めたジュースを作りました。
ひと匙ごくり。
Jくんにこにこ。
大成功。
ホントは1~2匙だけなんだけど、にこにこ催促されて3匙あげました。

夜、赤ちゃん用麦茶を匙で飲ませたけど、こちらは顔がにがにが。
まずい、と泣き出してしまいました。
麦茶って苦いもんね。
でも、こうしてだんだん、パイ(母乳のこと)以外のものも口にするようになってゆくんだなあと思うと、複雑な、寂しさ…。

なお、ジュース作りには、職場のSさんから頂いた離乳食調理器具が活躍。(ちなみにコンビの離乳食じょ~ず)
感謝です!


4日の後に…

2006年04月20日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
本物の洗礼から4日の後に、Jくんは予防注射の洗礼を受けました。
今日のはBCG。
左肩を出して下さいと言うので、片肌脱がせました。遠山の金さんごっこをするんだよと言ってだましましたが(←だまされるわけないじゃん…)、なんかフキツな雰囲気を感じたのでしょう、打つ前から泣きました。
でも、接種後、わりとすぐ泣きやんで寝てしまいました。大物だ!さすがJくん!

4ケ月健診では、おばあちゃん先生健在!!22年ぶりにお目にかかりました。
Jくんを取り上げてくれた先生の母上で、桜泉が幼少時にかかりつけだったお医者様の、医学部の後輩だそうです。
もう高齢な方ですが、パワフルな味出していらっしゃいました。(^_^)

ともあれJくんおつかれさま。


続報・洗礼名は

2006年04月20日 | グレ耶蘇生活
ヨハネです。

プロテスタント教会ではあまり洗礼名つけないのですが、ルーテル教会では最近、つけることもあります。

Jくんのヨハネは洗礼者ヨハネです。
「いと高き方の預言者と呼ばれる(ルカ1:76)」かどうかわかりませんが、「身も心も健やかに育(ルカ1:80)」ってほしいです。

※だいぶ前に、洗礼名無しになっちゃったというグチグチ記事を投稿しましたが、受洗数日前にやはりつけることになりました。^^♪


速報・受洗感謝!

2006年04月16日 | グレ耶蘇生活
Α†Ω
イースターおめでとうございます。
今日の礼拝の中でJくんが洗礼の御めぐみにあずかりました。

Jくん、2時間の長い礼拝の間、泣かないでおりこうだったね!

お祝いして下さった皆さんありがとう!
かみさまありがとう!
Α†Ω


りすさんと、遠足の思い出

2006年04月12日 | グレ耶蘇生活
昨日、近所のうちの庭木にタイワンリスが来ていた。よく見たら、餌題を設けてあるらしい。
桜泉がケータイカメラを向けても、ひるむことなく食べることに夢中。人ずれしているみたい。
湘南地方にはタイワンリスがたくさん生息していて、電線や何かをかじって被害も出ている困ったちゃんだけど、やはりその姿はかわいいと思う。

もう2年以上前になるわけだけど(シャーマン先生のお話だから)、電線を渡る親子リスのお話を、礼拝説教の中で聴いたことを、リスを見るたび思い出す。
教会の庭先の、高い電線の途中で、ゆらゆら揺れて怖くて立ち往生してしまった仔リス。その仔リスを向こうの電柱から励ます母リス。
母リスの励ましの声に、やがて仔リスは少しずつ前へ進んで、無事に渡りきったそうです。
その母リスの姿は、まさにかみさまの愛に似ている・・・。

でも桜泉、その話を思い出すと、もうひとつのことを思い出す。
桜泉が5歳の時。幼稚園の遠足。鎌倉の近くのハイキングコースに行ったら、途中、なんと、渡りにくい丸太橋!
今にして思えば、幼稚園児を渡らせるぐらいだから、そうキケンなものではなかったろうし、確かに高さはあったけど、下に園長先生が降りて、万一落ちそうな子を支えるよう待機していたところを見ると、大人がさっと降りられる程度の土手、ほんの小川だったと思う。
そしてみんな渡っていったのに、人並外れた臆病&人並外れたバランス悪な桜泉は、もう立ちすくんでブルブルブルブル・・・周りの子も励ましてくれたけどダメ。誰が励ましても、体がすくんで動かない。
やがて、付き添いの若い男の先生(遠足の時だけ現れた、あのお兄さん先生は何者だったんだろう)が、さっと桜泉を抱き上げて、ささささーっと、わけもなく渡ってくれた。
みんな内心、桜泉はしょーがねーなーと思ったんだろうけど・・・最後には助けてくれた。
これも、かみさまのなさり方に、似ているような、気がする。

桜泉、最後には誰か助けてくれるなんて思っていなかった。ただただ怖かった。
下で待機する園長先生のことも信じてない、励ます友達のことも信じていなかったんですね。
もう、ただ、怖さだけが頭の中を占領。落ちることがとにかくイヤだったのでしょう。
その後の桜泉の生き様をほうふつとさせる、いや、そのものな、そんなエピソードで、どうにも恥ずかしいのですが、忘れられない思い出、そして忘れたくない思い出です。

第2バードデー・・・鳥の誕生日

2006年04月10日 | その他もろもろ
4月10日は、第2バードデーと言って、実家で飼っているインコ「ソラ・グラ・チュラ・マル」4きょうだいのお誕生日です。
(ちなみに第1バードデーは10月7日。1994年に生まれた「黄蘗(きはだ)・萌葱(もえぎ)・海松(みる)」の誕生日です。彼らはもう、天の父なるかみさまのペットになっていますが。)

Sola Fide, Sola Gratia, Sola Scriptura. (信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ)と、Martin Luther (言わずもがなの宗教改革者マルティン・ルター)から取った名前です。ソラとチュラとマルは女の子、グラだけ男の子です。

ことの発端は1年すこし前。年齢不詳の長寿インコ「緑」が亡くなって、実家のインコはきの子とめぐおの夫婦だけになってしまいました。
両親は、もう鳥が死ぬのを見るのはいやだし、増えても世話が大変だから、この2羽で最後にしようなどと言い出しました。
でも、それじゃあさみしすぎる。ちょっと中年なきの子は、子ども(卵だろうが)が産めるうちに産みたいのよおおおおと言っている。

「うちは孫はいないし、孫ができる予定もないし。孫だと思って、鳥の子を増やそう。」と提案しました。

それで3月の半ばに巣箱を入れてやりました。
そして4月10日、「なんか、中から鳴き声がしたみたい」と実家から知らせがありました。

そのうち、中の鳴き声が1つじゃない、2つだ、いや3つか?とだんだん知らせが変化して行きました。
ゴールデンウィークに訪ねて行って、様子を見ようと思っていました。

そしたら、ゴールデンウィークの前に、桜泉のところに大天使ガブリエルがやってきて、「おめでとう、恵まれた方」と言いました。^^;;;
「すいません。ホントの孫も生まれます」ということになりました。

インコの子は、生まれてから1ヶ月ぐらいで巣から出てきます。
5月になって、1羽ずつ顔を出すようになりました。みんなきの子にそっくりな黄色い子でした。ところがなかなか完全に巣から出ようとしません。3羽ともびくびくしています。そしたら母きの子が心を鬼にして、子どもを追い立てました。
さーて巣箱を片付けよう、としたら、桜泉の両親びっくり。中に、黄緑色の子がまだいました!生まれた子は4羽だったのです。

ゴールデンウィークがあけたら桜泉はつわりで寝込んでしまいました。
5月の下旬、療養のため、実家に行きました。そして4羽のインコとご対面しました。

3羽だと思ったら4羽で、4羽にプラス1人。1人はぐっと遅れて12月に生まれたわけですが、かくして、羽のある孫4人と、手足のある孫1人、今年の春は賑やかです。

きの子とは折り合いの悪かったと言うか喧嘩友達な桜泉ですが、今は「あんた出産から1年かー。体型戻った?」「お互いシェイプアップ、がんばろーね」と下らないことを言い合っています。

お誕生プレゼントは・・・リボン。
とってあった、プレゼントのリボンを、4本つるしてあげました。きっとそのうち、カジカジして遊ぶはずです。仲良く遊んでね。
色はなぜか、赤(ミキハウス)、白(ファミリア)、緑(レオニダス)、青(ポエムドメリー)です。←青は、ほんとは紫が良かったけど無かったので・・・。^^(典礼色です。)

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って下さる。」(マタイによる福音書6:26)

4がつ8にち

2006年04月09日 | その他もろもろ
昨日は4月8日、潅仏会。花祭り。
桜泉の幼稚園入園から早19年・・・いや、うそはいけない・・・29年が経ちました。(桜泉はお寺の幼稚園でしたので、入園式はこの日にやる慣わしでした。)
毎年この日が来ると、そのことを思い出します。新しい春を迎えた小さい子たちが、元気に過ごして成長していける世の中であるよう覚えたい日です。

どこの組の・・・じゃなくて^^;

2006年04月09日 | グレ耶蘇生活
今日は棕櫚主日。えすさまがエルサレムにお入りになる時、人々が棕櫚の葉を道に敷いて迎えたことを覚える日です。(聖書には、棕櫚とは書いていないんですが、どうも伝統的に棕櫚ってことになっています。)
なお、今週の金曜日が、13日じゃなくて14日の金曜日・・・いや、そうなんですが、えすさまの十字架を覚える、受苦日・聖金曜日です。

今日は礼拝に行かれなかった桜泉ですが、パパガスパールが教会で棕櫚の葉をもらってきました。(これは、来年のレントの始め「灰の水曜日」に、燃やして、その灰を額に塗って悔い改めをする習慣があります。)
午後、お買い物で駅前のデパートの前を歩いていたら、知らないおばさんがやはり棕櫚の葉を持って歩いていました。姐さん、どこの組のもんじゃい?とちょっと声をかけてみたくなりました。・・・じゃなくて、奥さん、どちらの教会の方ですかと声をかけてみたくなりました。もちろん、はずかしーのでしませんが。

棕櫚の葉は、実家で預かってドライにすることにしました。
「何かご利益があるのか?」と母に尋ねられました。ないわいな・・・。
「マエを隠すのか?」とも訊かれたけど、そりゃ無花果の葉ですがな・・・。
はぁ~・・・。

外出エジプト記

2006年04月05日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
不思議なタイトル。でしょう?

先日の鎌倉訪問の際、あるティールームに行きました。桜泉が十数年前からファンなティールームの姉妹店です。
Jくんはパイティー。←ただの母乳
飲んでたら、お尻支えてる手に妙な感触が。…出たー。
…。
…。
しかしオムツ替えのスペースなんかあるわけない。
近くのスーパーのトイレにあるオムツ交換台まで行きました。

昨日。姉妹店でないほうの(本店とでもいいますか)ティールームに行き、またJくんパイティー。そしてまた…お尻に妙な感触。またまた近くのスーパーの、赤ちゃん休憩室に駆け込み。

みんな、赤ちゃん連れで出かけたときのオムツ替え、どこでどんなふうになさっているんでしょうね。今回はスーパーの近くにいたからいいけど、駅や一般の飲食店なんかではどうしたものでしょう?
今月は鉄道使った片道2時間のお出かけを予定してますが、前途多難かも…。

ちなみに。タイトル。
旧約聖書の出エジプト記(映画・十戎で有名)、英語で(元は何語かなぁ)Exodusて言います。
Jくんの場合、“Exodeta?!”ですね。

こら。
(゜゜)\\\ボカボカ☆


シオンよ急ぎ伝えよ

2006年04月02日 | グレ耶蘇生活

少し前の記事にも書いたとおり、桜泉の教団に、今日初めて、女性の教職者が立ちました。教団にとっても、ご当人にとっても、新しい一歩、新しい歴史の始まりです。
桜泉HP(えすさまだいすき)の「聖なるフライング」という文章に次のようなことを書きました。

<総じてキリスト教界は保守的であること、特に当教団・NRKは設立の宣教母体LCMS(ミズーリシノッドと言うアメリカの教団)が保守派なこともあり、教団議長(牧師がなる)や牧師は男性に限られている(中略)。しかしシャーマン先生はこう付け足されました。“現在(2002年)、教職を目指している女性が北海道にいるんですよ”と。このことが、桜泉の耳に残りつづけます。それは、新しい歴史がもうすぐやってくる遠い足音、これから来たる、それこそ「良きおとずれ(福音)」の予感、明け方のほのかな光…そのように感じられました。(中略)もしこの一条の光がなければ、桜泉は教会に、少なくともそんな教団に所属する教会には失望して二度と敷居をまたがなかったかもしれません。しかし現実に自分はどう思っているんだろう、理屈ではなく、気持ちとして…。そう思った桜泉は、結婚式も済んだ2003年の1~2月ごろと言えば、礼拝に出るたび、聖壇上に、説教卓に、女性牧師の姿を思い浮かべて据え置いて見ていました。(中略)それは、お声もお姿も名前も存じ上げなかった、かの「女性献身希望者」さんの想像図だったのかもしれません。礼拝中…シャーマン先生の朗々たる男声の代わりに、女性の高くて細い声による説教を、祈りを、祝福を、想像の向こうに聴きました。>

今日この日、桜泉が想像の中で聖壇上に見て聞いたそのお姿、お声が、実際に、埼玉県のとある教会で、現実のものとなりました。いまだ、宣教母体では女性教職を認めていないので、彼女の肩書きは「牧師」ではなく「執事」ですが、ともあれ牧会し伝道するお仕事に身を献げる人生を踏み出されました。

聖なるフライング。フライングかもしれませんが、でもこれはフライングじゃない、かみさまがスターターとして、号砲を撃っている、きっと。

2年前に、やはり執事として按手を受けた方が(こちらは男性)いらっしゃって、そのときの按手式に、桜泉は(あまりカンケー無いくせに)のこのこ出掛けました。そのとき歌った讃美歌を、今日思い出しました。

♪シオンよ、急ぎ伝えよ。み神は光なれば、我らが滅びの闇に失せゆくを望まず、と。喜びのおとずれ、いざや急ぎ世に伝えん。シオンよ、子らを遣わしひたすらわざを励め、主の日を迎うるために、ともどもに祈りつつ。喜びのおとずれ、いざや急ぎ世に伝えん。♪ (教会讃美歌285番より)
そういえば、シオンという名前を持つその教会です。新しい場での新しい働きに遣わされた方が、喜びのおとずれを、元気に世に伝えてゆけますように!


さくらいろいろ

2006年04月02日 | その他もろもろ
ちまたは桜が満開。一昨日昨日と電車でお出かけしたJくんも、たくさん桜を見ました。(ちなみに一昨日は鎌倉デビュー。昨日は海デビュー。江ノ島を見に行きました。)
写真は、桜泉母教会(※)の桜。

桜といえば・・・。

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その一)教会の桜
桜泉が今滞在している、実家の周りは、教会の桜がきれい。という記事はもう数日前に書いたけど、もう一つ、すばらしい桜のある教会がある。すごく近所に。
教会は教会でも・・・天理教の教会なんですが。
今日はもう、その桜もかなり満開。今吹いている春の嵐できっと散ってしまうでしょうか。
桜泉母教会の桜も、やはり満開で、桜吹雪が舞っていました。

ちなみに近所の天理教の桜。ソメイヨシノではない種類の桜が数本。夜にその下を通りかかると、何だか魂でもただよっていそうな気がする・・・いつも、そう思っていました。
ざわざわとした風の中に立つ満開の桜の木を見ると、桜泉は、もうこの世にいない人、そして、いてももう会うことのないだろういろんな人を、ふーっと思い出します。
桜を見て、会っていない人、会えない人を思い出す。ちょっとニュアンスが違いますが、万葉集の歌がありますね。
「春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢わぬ君かも」

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その二)民主党問題?と桜
先日、ぼんやりニュースを見ていたら、一連の民主党問題の報道。
民主党の看板が映っている。その手前にはたわわに咲き乱れる桜。
へー綺麗だなあ・・・・・・・・・・・・あっ。
ハッとなりました。その桜こそは、桜泉の職場の桜なのです。
民主党の看板は、党の入ったビルの横の、ちょっと見えにくいところに出ているので、カメラに収めようとすると、反対側の歩道(桜泉職場の生垣)のあたりか、桜泉職場の桜の咲いている塀のあたりから撮るのがよいのです。
もうこんなに咲いているのかあ。
毎年、一人で、また、同僚と、昼休みのお花見を楽しんだものですが、育休の今年はできません。
民主党問題にはもううんざり呆れるばかりですが、桜が咲いている間だけは、・・・たくさん報道してほしいです。

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※母教会って書き方してきたけど、ノンクリスチャンの方のために用語説明。ぼきょうかいと読みます。初めに所属した教会、洗礼を受けた教会のことをいいます。ということは、他の教会に移った人が使う言葉なので、今のところ、洗礼を受けた教会にずっと籍がある桜泉は、「所属教会」という方が正しいのかもしれませんが、まあ、いろいろいろいろいろいろがあって、桜泉の中では所属教会はすでに母教会という気持ちなので、そう書いています。