ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

複雑な男の子ごころ

2010年04月29日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
今日のJくんは不機嫌。
何かと弟にイチャモン難癖をつけて大喧嘩のはてに大泣き。

おやつタイムに買い物がてら桜泉が連れだして、スタバでミルクをご馳走してなだめたのですが…だめ。

どうも、旅行にかあか(桜泉)とゆーくんが行かないのが気に入らないらしい。

かあかとゆーくんが二人残るのが気に入らない。

とうと(パパガス)とも今日は何だか微妙に父子の確執モードみたいで、パパガスと二人旅も気に入らないみたい。

でも病児…しかもより歳の小さい子が病気なら、母が付き添いに残るがベターでしょう。
桜泉もJくん不憫で心配なんですが。
夏休みには去年と同じ梅小路連れていく予定なんで、それを明日話して、納得して…もらいましょう。

子供旅行なんてこんなもん

2010年04月28日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
明後日、初めての家族旅行で三浦に行く予定でした。

しかし今日未明にゆーくんが発熱し、たちまち風邪症状に。

仕方なく桜泉とゆーくんはキャンセルとなりました。

海とマグロと温泉が夢と消えました。

Jくんにうつらないようにただ祈ります。

ゆーくんも熱が落ち着いたら、藤沢に行くつもりです。早く容態が安定してほしいな…。(休日に旅行どころか病気だなんて…、しかもパパガスはJくんと不在、車もない我が家では、急変して休日救急かかる、なんてのも大苦労なんですよ。)

丈夫が取り柄のゆーくんの回復力を信じたいですが。

それにしても、子供連れた旅行なんて、えてしてドタキャンになりがちなんだなあと、しみじみ学習した気分です。

なお、桜泉も今日から風邪気味です。このところかなり疲れて不調続きだし。

おとなしくするゴールデンウイークを神は与え給うたのでしょう。はい。仕方がないなあ、って今は諦めの境地に入りました。

シーユーアゲイン!――こんにちはこれぎり!

2010年04月28日 | その他もろもろ
写真は一年前のものです。歌舞伎好きな一階爺が外側だけでもとJくんに見せてくれたのでした。

今日であの、木挽町のワンダーランドとはしばしの別れ。

休憩時に花道に敷物がしかれていて、お客さんが売店やトイレへ行くのに花道を通過できるようになっていたのが一番の思い出。
歌舞伎ファンである、桜泉幼少時の主治医(今は引退した老女医さん)とロビーでばったり遭遇したのも思い出。
田之助様のサイン手拭いを二枚も買ったのも思い出。
忠臣蔵の通し狂言を堪能したのも思い出。
演舞場も国立もいいけど、やはり歌舞伎の精が宿ってるのはここでした。

たしかに老朽化してましたし、バリア有りーでしたから、新しい歌舞伎座に期待もあります。

子育てで遠ざかってますが、3年後なら行かれるかな。

楽しみです。
役者さんたちもそれまで他の劇場で頑張って、また元気に新しい歌舞伎座の舞台でお会いしたいです。

歌舞伎と歌舞伎座万歳!

H、A、G、E、ハゲたっていいじゃない♪

2010年04月27日 | その他もろもろ
初恋ネタ続き。

先日、婆が高校の仲間と鎌倉散策に行ったそうだ。
6人組の仲良しグループだったのが、60代半ばにして2人死んじゃったので、生きてるうちに残りの者で楽しもうと、ハイキングに行ったそうだ。
場所が鎌倉、ランチは婆の行きつけの店、つまりは彼女が珍しく、そういうお膳立てをしたそうだ。

さて、鎌倉の街を歩いていたら、中学の時好きだった子の家の前を通りかかったそうな。
そこに、とんでもないハゲ且つ白髪――ハゲだけど残りは真っ白――な爺さんを見かけたのだとか。

その彼だったのだそうです。

すごいショックを受けて帰ってきた婆。

確かその子(というかオッサン)のこと、40代の後半の時にも聞いたぞ。鎌倉駅前のバスロータリーで見かけたら、薄らハゲになっていた、ショックだ、と。
薄らハゲがさらに進んで、白髪ハゲになって、眉まで白髪になっていたのだそうで、それって何か大病を患ったんじゃないの?と桜泉は言って慰めておいた。

さて翻ってパパガスの永遠のマドンナMさんは、さすが小学生の母だけあってどっしり貫禄落ち着き感が出てきたが、パパガスにはやはりマドンナに映っていたはずである。
彼女のお土産のレバー(お肉の、レバーです)をいそいそ、おいしいと食べていた。
(半分ぐらい私が食べてしまったが、もしかして、恨んでいるかも。)

そして思った。
しかし、婆の王子様のジジイぶりと言い、すっかり貫禄のMさんを思うと、1月の記事、この記事の彼は歩留まりがいいなあと。あ、でもこの時見た写真って、5年前の写真か……今はどうなっているのやら。

ハゲてないか、急に太ったりしていないか。うーん。
(H、A、G、E、ハゲたっていいじゃない、ノスタルジックな恋をWowWow♪←美里の「恋したっていいじゃない」のパロ)

ま、初恋いろいろ、しみじみ……。

初恋

2010年04月24日 | その他もろもろ
今日、臨月の友人の他に、やはり旧友で、なおかつ、

パパガスの初恋のMさんが

家に来ます。
パパガスは鯉のぼりを出したり玄関掃除に余念がありません。(爆)

よいこのための男女講座!

2010年04月23日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんに少し前、とうとう聞かれました。

赤ちゃんは、お腹の中にいるのはわかったけど、じゃあどこから外に出て生まれてくるのと。

速攻で、真実を教えましたよ。ええ。もちろん。
ちょうどその場に婆もいたから、かーかは婆のお股にある、赤ちゃんの出口から出てきたし、お前やゆーくんは、かーかのお股にある、赤ちゃんの出口から出てきたと。

何の先入観もない年齢の子なので、こちらも教えやすいし、あっそうでおしまいでした。
めでたしめでたし。

とおもったら。

こんどは。

どうして女の子にはちん2がないの?と来た。

だって、この間教えたでしょ、女の子は赤ちゃんの出口があるの。だからちん2は要らないの。ちん2みたいなところからじゃ、赤ちゃん出られないでしょ。
と、ここまで教えたはいいけれど、Jくんさらに突っ込む。

じゃあ、どうして男の子はちん2があるの?

……運良く、そこで、登園の時間となりました。放課後(要するに夜、夕食時のこと)、えらい先生(パパガス)に教えてもらってください。

さようなら。(お~い・・・)

でもね、こういう風に、先入観のない子供に、さらっと真実を教えるのって、ホントいいみたいですよ。後になればなるほど教えにくい。それどころか、その間にも、間違った情報や、明らかに不健全な情報、性を不潔視する価値観などにさらされる。子どもたちを守るためにも、早めにサクッと真実を、だそうです。

そうそう、「このお話は、人前ですると『恥ずかしい』と思う人もいるから、お家の中で、とーとやかーかとだけしようね。保育園などでやたらお話ししない方がいいんだよ」というマナーも付け加えました。

最終的に、子づくりの仕組みを教える際も、最後に「ただしこれは、大人だけがすること、大人だけがしていいことなんだよ」と付け足すのが重要だそうです。いろんな場面での大人と子供のけじめをしつけるためにも、これはいいなあと思いました。はい。

まあ、気恥ずかしくないというとうそになりますがね。

産みの苦しみのメタファー

2010年04月23日 | グレ耶蘇生活
明日、臨月の友人が家に来ます。しかも藤沢から!
家で産気付いたり、道中トラブルがなきよう祈る桜泉です。

臨月になりさすがに少々不安になったと言う彼女。
確かに臨月になると、8ヵ月間(十月十日は実際のところは9カ月程度なのです。だいたい妊娠発覚からは8カ月です)の長い旅のゴールに待つ、産みの苦しみに不安が募るときがあります。

産みの苦しみと言えば、聖書にもよくメタファーとして描かれている気がします。
救いを求める民の苦しみとして。
(もともとは、原罪とリンクして言及されていますが、その後は上記のようなメタファーとして描かれることが多いと思います。)

一方で神様の苦しみ憐れみも、産みの苦しみや、それを助ける助産師(産婆)さんのメタファーで描かれていることがあるように思います。具体的に今聖句は思い出せませんが。お恥ずかしながら。

まして十字架と復活はまさに、産みの苦しみと命の誕生になぞらえられる部分が大きいと思います。
苦しみを通して、通らなければ得られなかった、通って得られる、そういう命と喜びという意味で。

そして、えすさまのゲッセマネの祈りの苦しみはまるで産みの苦しみへの不安に震える臨月の妊婦さんみたい。

…やっぱり、こうして、苦しむえすさまが好き。こういうえすさまが好き。
きれいな立派な特別なイエス・キリストだったら、私はついて行くつもりはない――。

キリスト教って、時折、いやしばしば、「特別で罪のないきれいなイエス・キリストと、ダメで罪深い人間=私やあなた」という語り方をするけれど、私はそうは思わない――思えません。
本当に神我らと共にいますのなら、本当に神我らと共にいますのだから、産みの苦しみのごとく苦しみ、産みの苦しみを知っていて、それ以上の苦しみを知っている、知っているということは苦しんだということ、本当に苦しむ人、本当に一緒にバカもアホも泣きっ面もも為し得るところまで来る人じゃなきゃ、我らのイエスじゃない!!!!

実際の出産を経験する/した女性もそうだし、人にはそれぞれ、産みの苦しみに相当する苦しみが、その人なりにあるでしょう。
えすさまが一緒に、うーん、うーん、ひっ、ひっ、ふー!と汗を流して呻いている(……聖☆おにいさん2巻あたりに何かあったなあ…←ジョギングしていたらすぐ苦しくなった話)、そう胸の中に響いてきたら、きっとその苦しみも、耐えうるものになり、喜びになりうるのかな、そんなことを思います。

わが友達のお産を、えすさまが守り、一緒にうーん!と言ってくださいますように。

ペールオレンジの謎

2010年04月19日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
Jくんにこの10日くらい、ペールオレンジって何と聞かれまくってました。

どうせクレヨンのカラーでしょう。
薄いオレンジ…山吹色かな?

お殿様がお好みの、山吹色のお菓子でございます。へっへっへっ…、ってちがう!

今日お道具箱を見せてもらって分かりました。
昔で言う「肌色」でした。

絵の具混ぜてこの色を作るときは、白と茶=ペールブラウンなんだけどね。

何故呼び名を変えたのかを2分で説明。
幸い、保育園には褐色の肌の子も黄色人種も白人系(褐色の子も白人系も大抵は日本人とのハーフの子)もいるので、説明しやすかったです。

国際色豊かな雑踏の都会に住んでて良かったと、今日は痛感しました。

さらにこたつタコ

2010年04月19日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
●切手ステッキ
●砧タヌキ(←世田谷はまだ自然が多いから…)
●トス、ラスト!(←こずえちゃんが出てきそう)
●土間の窓
●那覇の花(←何でしょうね、那覇市の市花)
●鍬で枠
●鳥、祝詞(←鳥の神主さん?)
●行かせろ世界(←と、一階爺は只今世界一周の旅に出てしまった←マジ)
●婚活歓呼(←?)
●お金顔(←福沢とか太子とか)

このくらいにしておきます。
ピタゴラに応募する気はないんで、見た方がパクったりアレンジするのはご自由にどうぞ!

でも好きなの

2010年04月18日 | その他もろもろ
WILLCOMが。

ここのところ何故かひどい通信障害。パパガスも桜泉も婆も3年前の機種だから、端末由来のトラブルかもしれないけど。

婆が切れてキャリア乗り換えたいと言う。
桜泉も柔らか銀行とアウの店に行ってみた。
(どこでもいい社は昔から嫌い。町のランドマークなんだけど。)

が。

WILLCOMがいい。
地下で圏外でも、田舎で圏外でも、新幹線で圏外でも、料金体系から使い方までシンプルなあなたが好き。電磁波弱いあなたが好き。

別れたくない。
別れたくないけど母が…。

すっかり昔のドラマ気分。

さて、決着はいかに?

子どもを9時に寝かせられるわけねーだろ

2010年04月18日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
そうそう、パイを飲ます時ずっと目を見てろとか言ったバカと多分同じ人々でしょう。(と、勝手に想像。)
ガキを9時に寝かせろとか。
そりゃーそうできたらいいですよ。桜泉だって12歳までそうしていました。

しかしだ。

共働きの家庭でそんなことできるわけねーだろ!
(桜泉のうちは、父は職場まで電車使って30分程度、母は今でいうSOHOで在宅勤務、そして、祖母が同居、亡き兄は6歳も上だったので、桜泉と兄、二人に同時に手がかかることはありませんでした。)

かーちゃんとうちゃんが器用かつ丈夫で、なおかつ子供が自分で自分のことをある程度できたら、7時に帰ってきて飯食って風呂入って9時に寝られるかもしれない。

しかし体に悪そうだ。心の栄養にも悪そうだ。
飯は15分ぐらいで飲み込めってことだよな。
ろくな会話もできねーよ。
食事食ったらすぐ風呂かい?体に悪そうだ。

風呂と飯を逆にするのもいいけれど、湯ざめはするし、飯食ってすぐ寝るってのもどうなんだろう。

そして。かーちゃんとうちゃんの家事や仕事は、子供が寝てからやれって言うけれど、桜泉みたいな体の弱いやつは、子供と寝たら二度と起きられない。だから、終わらせてからじゃないと布団に入れない。子どもたちは大抵、桜泉が一緒じゃないと寝ない。特に、パイが好きな教皇ペトロ2世なんかは。

だから子供と一緒に布団に入るのは早くて10時、遅けりゃ10時40分になることもたまにある。

それだって、親の側はひーひーで、子供たちを急かすことだってしばしばだ。しかし、できるだけ会話をたくさんしたり、パパガスに頼んで読み聞かせとかちょっとしたお遊びをしてからお風呂に入る。お風呂でも遊んだり、寝る前にプチ読み聞かせしたり。

家庭の条件、親の健康や仕事、子供の性格、それらによって、いろいろあっていいのだ。

もちろん、Jくんはこれから2年かけて、小学校に向けて、身辺自立かつ早寝の習慣は付けていきたいが、急には無理だ。

どこのバカの言いだしたことか知らんが、そんなに9時に寝かせろと言うなら、子ども手当をやめて、共働き家庭(及び必要のある、専業ママさんの家庭にも)に、低価格または無償ボランティアで、家事ヘルパーさんを派遣して、玄関開けたら即飯と風呂ができるようにしておけよ!とかって言いたくなってくる。

児童精神科のお医者さん(桜泉が最近、Jくんの育児相談や自分のカウンセリングでお世話になっている)にもそれを言ったら、「そんな、共働きで9時に寝かすなんて無理に決まってますよ!」と言っていました。

親が無理してまで、9時に寝かすのと、親子の触れ合いがあって10時か10時半になるのと、どっちがいいのでしょう。

もちろん、遅寝遅起きを推奨することもありませんが、これまた、親が自分の判断で、いい落とし所を考えるのがいいのかなと思いました。
あまり、お役所や偉い人の言うことを真に受けないようにせねば……。うん。

マジョリティは寛容に疲れたのか…?~聖餐論に絡めて~

2010年04月18日 | グレ耶蘇生活
パパガスとも話し合ったことなのだけれど、本当に不思議なことがある。

あるものごとについて、マジョリティだったり伝統・保守的だったりする側は、自分の考え、流儀以外のものがあることを「悪」「認めない」とする傾向がある。
マイノリティだったり、革新的だったりする側は、自分の考え、流儀以外のもの「も」あっていいが、自分のやり方「も」「認めてほしい」、「どちらも悪や善とは言えない」とする傾向がある。
あくまで、傾向だが。

夫婦別姓もしかり、同性愛もしかり、そして…キリスト教会では、フリー聖餐論もしかり。ほかにも、学生の制服と私服とかパーマとか、そういうのにも当てはまる気がする…。

パパガス曰く、一つには、伝統・マジョリティに立つ側にとって、それを覆す、揺るがすようなものごと、やり方は、自己のアイデンティティを揺さぶる、覆す行為であるがゆえに、許せないのだろう…とのこと。
もちろん、自由で成熟した社会とは、自分と異なる意見ややり方の者に対して、不愉快とか、俺は真似したくないなと思っても、そういう相手とも、そこを何とか寛容に許容し共存する社会なのだそうだけど――こう、価値観や行動様式が多様化する社会では、いろんな場面で、ぎりぎりの許し、寛容を迫られることが多くて……人々の間にそういう訓練がなされてきてくればまた別ではあろうけど…たぶん、いくばくか、もしくはたくさんの人が疲れきっている、そんな気がした。
そういう、真の寛容を求められ、日々自分のアイデンティティや価値観と、それと異なるものとのぶつかり合いをしている人々が疲れた時、行く先は――。不寛容、異なる相手の徹底排除、けんか、戦争……ふとそんなことが頭をよぎった。

じゃあ一体どうしたらいいのだろう。
自由で、寛容を目指す、成熟したよであってほしい、そういう世の中作りに少しでも関与したいと思うけど、みんな、疲れちゃうのかな……。

そういう中で、聖餐論。
本当に不思議である。
フリー聖餐(他教会・他教派はもちろん、未従洗者でもその礼拝に集っているなら陪餐を認める)を認める人の論調は、えてして、「みんなフリー陪餐にしろ、受洗者にしか陪餐させない奴はだめだ、そんなのキリスト教じゃない!」とは言っていない。
しかし、クローズ・またはオープン聖餐(前者はその教会メンバーのみの聖餐、後者は、受洗者のみの聖餐)を唱える人は、「フリー聖餐は止めろ」「我々のやり方のみが正しいのだ」と言う。

桜泉は、積極的にフリー聖餐を支持するわけではない立場にあるが、クローズ・オープン派の方々の、その論調がどうにも気に入らない。

――というより………このようなことで、そう、「このようなこと」だ――いくら聖餐が、イエスの十字架を覚え、復活を覚え、それに与り、それに倣うためのものとはいえ、論じていることは、その形式のことだ――そのことでグダグダ揉めている間に、文字通り困窮する人、心が飢え渇く人、心身を病む人、善き生きざまを求める人、イエス・キリストならもしかしてこの私の生きる道しるべになってくださる?と依り頼みたい人、彼女ら、彼らが、手の指の間からジャブジャブこぼれ落ちて行っているように思えてならない。

先日も、本当に情けないことがあった。
信頼していたある兄弟(ここでいう兄弟はいわゆる血縁の兄弟ではないことは言うまでもない。キリスト教の仲間、ってことね)が、上記のフリー聖餐論の事を、実に一方的に悪し様に罵ったのだ。
その語り口からは、フリーを選んだ教会や信徒や牧師たちが、なぜそうするに至ったか、なぜ、敢えて2000年の伝統に逆らってまっで、新しいやり方を試みたのか、そのことへの理解のかけらもない、たぶん、そういう人々の書いたものや話を読んだり聞いた形跡もなかった。
彼の頭の中には、聖餐とは受洗者だけに認められたものなのだ、ということがどこかの段階で、当然のこととしてインプットされているのだろう。
(もちろん、桜泉だってある時期までそうインプットされていたが!)
そのインプットが、どういう理由でか、絶対のものとなってしまっているのか…それとも、フリー反対派の人の書物や言説の中にある、フリー派への間違った理解を、鵜呑みにしているのか…。

イエスさまが今ここに、お声を出して現れることができるのだとしたら、「こんな喧嘩をするために、こんな、形式で揉めるために、私の記念として行えと言ったんじゃないっ!!!!よく周りを見渡せ!私の十字架に従うって言うんなら、ほかにすることはいっぱいあるだろっ!」とおっしゃるように思えてならない。
イエスさまが今ここに、すくっと立って現れるなら、さて、聖餐に与らせるか、祝福をされるのか、どうするかは分からないが、未従洗者ながら礼拝の場に、今ここに集った人を――むしろ、敷居が高かったであろうに、礼拝にまで集った人を――、ぜひ優先に、駆け寄って、抱きしめるように思えてならない!

ケチなキリスト教とキリスト者は(桜泉も結局はその一人ではあるが)………どうなるかは分からないが、少なくとも教会員の減少、キリスト教の衰退という形で、何らかの叱咤のメッセージを神様から受けているように思えてならない。正直言って、これから、私はキリスト教とどうかかわり向き合うべきか、すごく悩んでいる。付き合いきれんと思う時もある。

看板は下げる気はない。尊敬すべき、善き生きざまのキリスト者たちを思うと、やはり止められない気もする。我がなすことの背骨は、十字架の木であってほしいと、初めのころ願ったことがあるのだけど、今もそれは変わらないと思う。

さあ、実はドクターストップで、休日は自宅入院、つまり寝ていろと言われてしまった桜泉だが、これから、コンビニでパンとぶどうジュースを買ってくるつもりだ。何をするかは、ご想像にお任せする。家族は出かけている。二人いないとだめだというが、一人であっても、主よ、共にいてください。一緒に食べましょう。徹底的に迷い悩みながら、進もうとする私の足と行く手を、どうか見守ってください、そう心は叫んでいる。

(こんなとき、いつも家庭聖餐を頼んでいたあの方が、いないことが、本当に痛い。いや、ご自身どうしているのだろう。私で良ければデリバリー聖餐をして差し上げたい。もちろん、あの方は、信徒のインチキ聖餐なんかパン割きごっこだと思われるかもしれないけれど、であっても、だとしても。)

こたつタコ~

2010年04月17日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
ピタゴラスイッチの、こたつタコに応募しようかと一瞬考えたミニ回文ネタ。
(すでに放送済みのネタと被っていたらすみません!)

●水ネズミ
●インコのコイン(←それってパンツぱんくろうのキャラクターでは…)
●ウドはどう?
●鹿に菓子(←あげちゃダメだよ!鹿には鹿煎餅を!)
●イガの害
●子供どこ?
●力勝ち!
●寺でラテ(←最近マジで仏教カフェあるらしいとか?)
●どんな納戸?
●槍玉ダリヤ(←どういうダリヤやねん)
●お尻塩(←お相撲さんが塩投げたら相手の尻に当たってしまったところ)
●目回るわ、豆
●港波
●岸辺四季
●板に鯛
●ミカンさん、紙(←Jくんのクラスメイトのお姉さんに、みかんさんっているんだ!)
●馬が舞う(←ペガサスか?)
●ゴマ食べた孫
●ボツの壺(←自分の作品に厳しい陶芸家か)
●キスが好き(←この辺りで放送禁止の可能性大)

しかし。
一番に思いついてしまったのは、…書いていいんだろうか…うーん…うーん…、

●またのたま
●ちん2家(ち)

でした。
ドリフ…つまり、8時だヨ全員集合!ならアリでも、ETV(NHK教育テレビ)では即却下でしょう。
Jくんはそれなりに受けてくれたんだけどな…。←バカッ母ッ!

まだ浮かびそう。楽しいな!

やっぱりパイ――み胸のままに

2010年04月16日 | 哺乳類なる桜泉(母乳育児)
このたびまたまたコンクラーベに負けてしまった桜泉枢機卿です。(爆)
ペトロ2世(ホントのローマ教皇の場合、ペトロという名は永久欠番です)は、わが世の春を謳歌しております。

卒乳計画が密かに進行していたのですが、たった2日で決着がついてしまったのでした。桜泉があっさり負けました。
ペトロ2世に夜中の11時半まで起きてられたらたまらない。

考えてみたら、桜泉自身、パイをホントにやめたいと思っていないからこういうことになったのでしょう。
どこまで記録が続くか、今度はそっちの根競べかもしれません。

小さな子供が、母の胸をまさぐって乳を求める姿は実に当たり前かつ可愛いものです。そう、自然なもの。子どもだけの特権。

ちなみに今は、寝パイ、寝る前のパイだけです。
休日はたまに、お昼寝前の寝パイもあります。

添え乳オンリーというわけです。

添え乳はホントにいいですよ。母親も休めるんだもん。

思えば生後3日で添え乳をマスターしたゆーくんは偉い。
というか要領がよい。
次男らしい要領与助。

パイのあげ方(姿勢)っていろいろあって、楽な姿勢で上げられればいいんですよって、最近テレビで、モーハウスの光畑社長もおっしゃっていたそうですが、本当にそう思います。
赤ちゃんとの楽しい時間、赤ちゃんにとってはお食事かつ一番の触れ合いの時間、お母さんにとっても、一番の仕事かつホッとする時間――それが授乳じゃないんでしょうか。餌運ぶより楽だから、哺乳類ってものができたんじゃないんですかね…。

ちなみに、桜泉に言わせてもらえば、パイをあげている間に、多少、テレビを見たって、寝たって、読書したって、いいと思います。パイをあげている時間だけは、お母さんが赤ちゃんとくっつきつつも、その赤ちゃんが静かにしててくれて自由でいられる貴重な時間です。そしてその間は、赤ちゃんの動きだけでなく、家事からも解
放されます。

赤ちゃんの目を見て授乳しましょうとかいう人がいますが、本当にこれは、「バーカ」です。
まず、母乳なら、目なんか見られませんよ。赤ちゃんの顔はおっぱいに、ぺたーんとくっついているんだもん。
授乳時間も、哺乳瓶よりかかることが多いから、ずっと首を下にしていたら頸椎痛めますよ、きっと。

子どもたちが低月齢のころ、桜泉はどうしていたか。
くわえ始めだけは、声をかけたり、ちゃんと加えているか見たり。「おいしい、おいしい」「パイ、パイ」と声をかけたり、歌を歌ったり。
ぐんぐん吸い始めたらあとは知らん~、桜泉の時間です。飲食あり、読書あり、携帯あり、テレビあり、居眠りあり。
※但し飲食は原則熱いもの避けました

赤ちゃんをないがしろにするのはいけませんが、授乳中にずっと目を見てろなんて、親が気を配るところ、神経の力を使うところと抜くところが、違うんでないかと思いますね。
授乳中は、ほんとに、最も赤ちゃんの近くにいるわけです、気は十分配れます。一番安全な時間です。
それよか、ベッドで寝かしっぱなしにしている時の方が危険です。
ハイハイする子、歩く子になったら、まして、他に気を配ることがありますでしょう?

授乳時ぐらい、好きなよーにやっていいはずです。
もちろん、声をかけてあげるのも、目を見てあげるのも、いいことですけどね。
桜泉は歌を歌ったり、適当なお話をしたり、聖書を読んであげたこともありました。

世の中、親を変に追い詰めるアホな言説が多い気がします。もちろん、なんか気の配り方のなっていない、おかしげな親御さんがいるのも事実ですが、それとても、気の注意の力の入れどころを間違えているということではないかと。24時間気を張り続けられる親はいません。
エライ先生たちとやらは、ホントに親が気を配らねばならないところと、力を抜いていいところのこと、もちっと考えてほしいし、親自身、自分で考えないといけませんね…。

とにもかくにも、パイは、母と子が、手っ取り早く楽しみつつ栄養を補給できるためのものです。

だから、コンクラーベに負けて万歳です。はい。以後のパイ生活、なるようになれ…。(み胸が成就しますように…?)