桜泉が通っている教会は、わりと・・・かなり・・・けっこう、信徒・教会員じゃない方の結婚式を受け付けています。ゼ○シィに広告なんか出しちゃってたりします。
おかげさまで、いつも若い方がいっぱい礼拝に来られています。ただ、その方々が挙式後も来られてるかどうかは「?」ですが。^^;
いわゆる、未信徒の挙式。国内の教会で、それを引き受けるところは結構あるみたいですが、大抵、☆回の結婚講座受講や△回の礼拝出席を条件とする・・・という決まりごとがあるようです。
しかし。それは本当に必要なんだろうかと思えてきた昨今の桜泉でした。
ちなみに、結婚前の講座は、信徒でもやります。やるんです。やりました!!
半年間で全11回。結婚講座って言うより教理入門講座か聖書講座状態でした。(講師?・・・シャーマン先生
だってば・・・納得でしょう?←何が?)
どこだかの国では、結婚前講座を受けて、結婚を考え直すカップルも一定率いるとか。
いや、いいんじゃないでしょうか。カーッとなってくっついちゃってから後で切れるの別れるのということになるよりも。こういうのは、お勉強という性質よりも「結婚前カウンセリング」という性質の強い場合なんでしょうね。
それはともあれ・・・。
しかしそれは「条件」なんでしょうか。「ねばならない」のでしょうか。
未信徒の人が教会に来る、それだけでも敷居の高いこと、そしてカルチャーショックです。
そういう中で「ねばならない」ということが強調されると、キリスト教は「べき・ねば」な宗教だと誤解されてしまうのではないでしょうか。
もちろん、教会は式場ではありませんから、若い二人のためにあるわけではありませんから、人々が集って祈る場ですから、場所貸しみたいにはいどーぞ、というのは違うと思います。
そもそも、人々の信仰の場で大事なライフイベントを、と思って来られるからには、何か思うところあって来られる方々ではないでしょうか。そういう方々に、礼拝や学びの場が「開かれている」のですね。
それが面倒な人は、そういうことにまったく時間を割けない人は、もとよりホテルや専門式場の華麗なチャペルを利用されるでしょう。(はっきり言って、日本の多くのビンボー教会の会堂より、式場の方がご立派です。)
ともかく、それ~結婚講座や主日礼拝~は開かれている、若い二人の義務ではなくて、若い二人に開かれ、与えられたチャンスであり権利だと思うのです。もちろんその気があれば毎週礼拝に出席したってOKだし、結婚前に何度か出席するもよし、結婚前にクリスマスやイースターなどあれば、そういうお祭りデーに参加されるもよし。
しかし、結婚の前、若い二人は忙しいもの。今は女性も結婚で仕事やめる人少ないですから、仕事しながら新生活や挙式の準備は大変。まして手作りなアットホームなパーティが流行っている分、これまた準備が大変。そういう中で、貴重な日曜日の数時間すら割いていられないこともあるでしょう。そういう時「出席せねばならない!」と思われてしまうのが桜泉は悲しいし違和感。教会がそういう方に「あと○回出ないとダメですよ!」なんてもし言うとしたら・・・それが一番違和感。(多分、言わないと思うんですけどね。都合でダメなら。)
それよりは、まず、「この教会で挙式をお願いしまーす」と来た二人に「何故ここなのか、なぜ教会なのか」ということを、丁寧なカウンセリングで聞き出して欲しいですね。その対話の中で、本当に教会である必要がある人が、自分達の本当の気持ちから、たとえ1回でも2回でも、礼拝に出てみたいと思う、そして結婚の準備のために学んだり話し合うための講座を受けたいと心から思う・・・そうなって行くようにするのが筋ではないかと、思います。
(もちろん、だから、何か都合でどうしても出席できない、学びの時間もほとんど取れなければそれも仕方なし。信徒だってそう毎週真面目に礼拝するヤツばかりじゃないぜ!)
それじゃなかったら、教会は何か意地悪なハードルを設けた上で、交換に場所貸しと人材(実際には牧師先生+α)貸しをしているイヤラシイ「商売の家」になってしまう気がします。
どうなんでしょう・・・・・・。
(もちろん、本物の教会がいい!という若い方のかなりが、食べるなら蟹カマよりホントの蟹、そういう意味で教会を選んだんじゃないか・・・と憂いている桜泉でもありますが、今はノーコメント。)