ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

たぶん大人の純愛物語

2007年05月28日 | その他もろもろ
先週のある日Jくんが寝てから、何気なくNHKをつけていたら、えっ?おぉぉ!
そのとき歴史が動いた、の時間。なになに?道鏡?!孝謙天皇?!鼻血ブー!(バカか桜泉)
もうさっさと風呂入って寝るつもりだったのに、テレビかぶりつきました。
えっ?!ゲストは……里中満智子先生!?!?!?!?おぉぉぉぉ!
なんと、『女帝の手記』の阿倍様と道鏡くんのイラストまで出てくるではないですか。

さて、この道鏡事件を思うと、いつも最後はしんみりした気持ちになります。
後世、日本史上最悪のスキャンダルのように言われていますが、もう、読むのも恥ずかしくなるような、エロ小説まがいのことまで、後世の書物に書かれてしまう二人ですが、どうも状況を考えると、そりゃー違うだろうなあ…としか思えないです。

どうも、数奇かつ高貴な身分に生まれた女性と、真面目な男性の、中高年の純愛という気がします。

仕事でかつて、下野薬師寺の、地域の歴史愛好家かもしくはお寺の関係者さんたちが書かれた雑誌記事を目にしたことがありました。道鏡の顕彰会(とまではいかないのかもしれないけど)みたいなものすらあるようでした。
それによれば、
「道鏡は世間の言うようなへんな坊主じゃないし、道鏡と阿倍様(孝謙・称徳天皇)は、世間の言うような関係じゃない。生まれつきご病弱だった阿倍様を、道鏡が一生懸命看病し、支えたのだ」
というようなことでした。

そうかもしれませんし、そうではなくてやはりそこに恋愛関係があったのかもしれません。1300年ぐらい前のことですから、かもしれませんとしか言いようがありません。

そういう中で桜泉が思うのは、「やっぱ、一種の、大人の純愛だったんだろう…」ということばかりです。
阿倍様は、考えてみれば、本当に生きにくい条件のもとに生まれてしまった女性。難しい政治情勢、死んだ弟の代わりとしての皇位継承、周囲の期待としかし周囲の「あれは女の子だから」「ほんとは男の皇子がいれば…」という軽視の視線。
そういう人が、中年になって紆余曲折の果てに出会った、心許せるパートナーが道鏡だったのではないでしょうか。

道鏡はどういう思いでいたのかなあ…とそれが(男心だし…)ちょっと想像しかねるところはありますが、阿倍様の死後は、お墓をじっと守っていたということや、その後の処遇が死罪の殺害の、ということにならず、下野に左遷で済んだことを考えると、周囲をして「あいつは本当は人畜無害」「ホントに野心があるわけじゃあないんだよね」と思わせる存在だったのだろうと想像されます。
本人としては、いわゆる、ナイト(騎士)気分だったのかな…。

とにかく二人は、この絆を誰にも、群臣に、世間に、認めてほしくて、邪魔されたくなかったのだろうな…そんなことを思います。

桜泉の胸がぐっと詰まる思いがしたのは、お墓。
先日のNHK番組で映った、下野の道鏡のお墓のまあひっそりしたこと、奈良の佐紀にある阿倍様のお墓と何という違い!
そして何より、何百キロのこの距離!
死んでしまえばある意味自由、墓がどれだけ離れていようが、格差があろうが関係ないけれど、それでもなんだか二人が気の毒になります。

それにしても、これに懲りたか、平安王朝では仏教勢力とそれなりに距離を置くようになったし、何よりも、江戸時代になるまで女帝が立たなくなりましたね。
そして、後世の人々が、あることないこと尾ひれをつけて二人のスキャンダルを作り上げて今日に至るのですが…。
ある時代においては、女性天皇と僧侶の恋・パートナー関係なんて、気色悪くて、しかもそれが政治混乱を引き起こしたとなると、理解しがたい不道徳であり、いかがわしいことととしか思えなかったのでしょう。でも、この21世紀なら、今は結構純愛ブームだし(?)、中年や中高年の恋愛ということも小説や映画などの話題になるような時代、この二人のことは、もう少し理解しやすく、さらっと受け止め、評価できるのではないかな…と思いました。

それにしてもでも、そのとき歴史が動いた、の締めは…いつもの事ながらキレイゴトすぎですねぇ。(笑)

としょかんライオン

2007年05月28日 | その他もろもろ
昨日は絵本を4冊買いました。うち一冊はこんな本です。

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としょかんライオン(海外秀作絵本17)
ミシェル・ヌードセン作
ケビン・ホークス絵
福本友美子訳
岩崎書店/2007年4月
1600円
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ある日ライオンが図書館に現れて…というお話です。
ライオンは、想定外の、来られたらやや困る存在の象徴、だと読み取れました。
お話のライオンは、しかしやがて図書館の人気者、なくてはならない存在になります。

桜泉の職場はいわゆる公共図書館とは違うので、このライオンのような存在(利用者から無償ボランティアになるような存在)には出会えませんが、それでもどこかでこのライオンに出会っていると思います。

図書館人として、公共の場にどんな人もが集うこと、そういう場で人と交わり人を受け入れることについて、過去の体験など想起しつつ思い巡らせています。

そして、実は同じことが教会にも当てはまる気がして、例の問題にもからめて、こちらも考え込んでいます。

図書館人として、クリスチャンとして、出会うべくして今、桜泉の前に現れた一冊です。

ところでペンテコステの朝のヨハネくん

2007年05月27日 | グレ耶蘇生活
早起きJくんが、寝ている桜泉に、聖書を開いて持ってきて、読め、というので、見てみたら、ルカ福音書1章。ザカリアの預言のページでした。
(洗礼者)ヨハネくんについて書かれているところなのです。なので、大きな声で読んであげました。
次に、讃美歌を持ってきて、歌え、と言うので見たら、教会讃美歌137番「起きよエルサレム」でした。教会暦の最終主日や、教会によってはアドベントなどで歌う歌です。今日は違うよ!と思いつつ、まあいいやと思って歌ってあげました。「主が来るぞ!」という叫びは、まさにヨハネくんのものですものね。
Jくんってほんと、いつも聖霊に満たされちゃってるなあ…。将来タダモノじゃないかもね。(将来ケダモノにならないでね。)

ペンテコステが厄日なの…(その2)あの教会に、足がどうも向けられなくなってしまったこと

2007年05月27日 | グレ耶蘇生活
そもそも、今桜泉は、自分はこれからどの教会に行ったらいいのだろうと、すごく悩み、混迷しているので、余計今日は外に出られなかったんだなあと思います。
関係者が見るかもしれないから、どこまで書くべきか悩み、書けなかったりもしたけれど、今日は少し書いてみましょう。
教会に通い始めて間もなく5年。今一番通っている六本木の教会に顔を出すようになって3年が経ちました。
今の家から近いし、ちょっと教会らしくないほど、少しくだけた風にも感じられるほど、しかし堅苦しくないその雰囲気が好きだし、六本木ヒルズ内だから、Jくんのオムツ替えなどしたい時に便利だし(いや、教会内でもできますが)、シャーマン先生のお説教を拝聴できるし、通ってきました。いつかここの会員になろうと思っていました。
それが今、そうできない気持ちになってしまったのは…きっかけは、この教会が積極的に未信徒の結婚式を受け付けて、執り行っていることにまつわるいろいろのことでした。
この問題はブログにも書いたことがあったと思うし、ずっとこのところ考えて、どうこのことを私として理解し、自分なりの考えを持つべきか模索したけれど、頭ではいろんな理解をしようとしても、心は「祈りの共同体である教会に、結婚式場選びのお客さん感覚の若いカップルが出入りするのはやっぱり何だか許せない気分だし、お金のためにそういう事業の仕方(業者さんと提携して、積極的に広告などもしている)をしている教会のことも許せない…」という気持ちになってしまったのです。
(で、そこから派生して、いろいろ嫌だ嫌だが募って行くようなことが自分の中で重なって…。悪いことに、さらにはJくんの不調続きで、実際に教会に行かれないから、余計、心の中での思いだけが悪いスパイラルに陥って行くのです。)

自分は心が狭いなあと思います。
この問題に対しても、もっといろんな見方をして、考えて、それで判断することができるはずなのです。
なのに、「許せない、少なくとも不愉快で、不快でしょうがない」に囚われてしまいます。頭ではわかっても心がついていかないのです。心がついていかないってことは、本当の理解になっていないということでしょう。
そして、自分の不満、自分の迷い、自分の悩み、それにとらわれて、それに対する答えが得られないからと言って、余計悩んで、結局その「場」に背を向けるのは、本当に良くないと思います。
これでは狭い檻の中をぐるぐる回っている動物のようです。心を狭くすることは、自分の行動範囲を狭くすること。なにより、こうして、自分のためにならないのです。

何とか、こういう自分の思いを突き抜けて、いや、こういう思いをたとえ持っていたとしても、それをうまく抱えたまま、逃げないでその共同体に留まりたい、一方でそう願っています。
5年前に通い始めた、今も籍がある母教会から、いろいろあって、ずいぶんイイカゲンなかたちで距離をおくようになってしまったことを、しかも時々ふらっと都合のいい時だけ出没していることを、桜泉は桜泉なりに後悔し、これも何とかしないといけないと思っています。
同じようなことを繰り返したくない、それだけは強く思っているのです。イヤだから、自分でどうも抱えきれない不満や悩みが溜まってしまったから逃げる、もう、それはしたくないのです。これでも。こんな私でも。

ただ、自分ではもうこれ以上どうもできないです。同じところをぐるぐる回るばかり。
人でもかみさまでも、いや両方の、助けがほしい、と切に願っています。
助けはどこから来るでしょうか……。

ちなみに、例のフジオ先生の文章の中で、「教会に失望するのはほんにいい。(桜泉註:ほんとうにいい。)/牧師にがっかりするのはもっといい。/人でなく神に近づくバネになればいい。」というのがあります。
今は結構この言葉にハッとなり、ほっとさせられます。「ああそうなのかもなあ…こんな悩みも、また、なにか前へ開かれるためのものかもしれないなあ…」と。
でも、失望したからと行って背を向けた方がいいとはフジオ先生も仰ってませんね。むしろこの方、「この先生はすごくいい」「この教会(集会)すごくいい」と思った時、そこを去るというオモシロイ方。桜泉にとって、すごく考えさせられ、やはりそのご姿勢に見習いたい大先輩です。

ペンテコステが厄日なの…

2007年05月27日 | グレ耶蘇生活
今日は聖霊降臨祭、ペンテコステです。
でも今日は(も)教会に行かれませんでした。お家でプチ家庭礼拝をしました。
Jくんに赤いTシャツとエプロンを着せて、桜泉は赤いパンツ(ズボンの方のパンツだよ)と口紅でびしっと決めたのに!
※聖霊降臨祭の典礼色、いわばシンボルカラーは赤です。

一つには、Jくんに微熱があったからです。日曜になると微熱が出たり、お腹を下したりします。実際、うんちもずっとこのところ下痢気味で、昨日治りかかったのに今朝はまたゆるいうんちでした。
それでも、Jくんを看てるから一人で行ってきたら?とパパガスパールが行ってくれたのですが、一人で行くのは、今日については気乗りしませんでした。先週は行ったのですが。
桜泉自身も、先週からずっとあまり調子が良くなくて、倦怠感や熱っぽさとか、今日に至っては両足がなぜか変に痛くて歩くのがしんどくて、喉の痛みや咳もまだ続いているし、きっと礼拝中に気分でも悪くなるかもな~と感じたので、やめました。

そもそも、桜泉はペンテコステが厄日なのです。
なぜかこの日、このシーズンになると、体調不良に見舞われたり、人間関係上のトラブルが発生したり、とにかくイヤなことが起きるので、今日は極力おとなしくしていた方がいい…そんな気分になってしまうのです。
クリスチャン、エンギカツガナイ…じゃなかったのか?と人々に言われてしまいそうですが、イヤなものはイヤ。クリスマスやイースターのような、楽しい気分になれないのです。
なので今年はとにかく、なるべく人とトラブルにならないように、気をつけてすごしている、つもりです。なりそうになったら、何か回避策をとるよう心しているつもり。体調管理も、こうして自分もJくんもどうも疲労からくる不調らしいので、極力自重して…いるつもりです。

今日の午後も、どうか無事に過ごせますように…何かあっても冷静に対処できるように、かみさま、それこそ聖霊を送って、知恵をお与えください。(涙)

生まれた生まれた

2007年05月25日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
桜泉の旧友(2月にJくん連れて訪ねたN美さん)に、10日ほど前、女の子が生まれたことがわかりました!
その日は彼女の誕生日でもあります。

もう予定日も過ぎていたので気になり、お祈りに覚えたり、婆も夕飯時に話題にしていた矢先、Jくんのねんね前に、ご本人からメールがきました。

おめでとう!!!

お互い30代になってから母になるとは、このような日々が来るとは、17歳のあの頃には、予想もしなかったけど…。不思議な気分。

喉が痛い

2007年05月22日 | その他もろもろ
もう10日ぐらい喉が痛いです。
風邪かと思ったのですが、だんだん悪くなるし(トローチも効果なく、空咳も出る)、桜泉は元々喉痛にしばしば悩まされる体質です。
かつてアレルギーや胃酸の逆流を指摘されましたが、いろんな都合で継続観察・治療ができず、そのまんまになってます。
喉が悪くては讚美ができません。ちゃんと治そうと思います。
明後日、ピカピカビルの耳鼻科に行きます。

しかしこの日は銀座で別の病院にも行く…つまり病院のはしご。疲れます。体力ないと病院行かれない…かもしれませんね。

シスター・パウロさま~

2007年05月22日 | グレ耶蘇生活
お祝いの贈り物、今朝コンビニからゆうぱっくで送りましたよぉ~!
楽しみにしててくださいね!
手紙の続きを執筆中でーす!

…と、シスターが大学でこのブログを読んでくださると期待する桜泉。

寝る前のおいのり

2007年05月22日 | グレ耶蘇生活
てんのちちなるかみさま。
あれから、夜になり、夕食を頂き、お風呂にも入れました。
まだ何だか変ですが、ともあれありがたいことです。
疲れが溜ってしまってるのを感じますが、おかげで生きてることも実感できます。

ところで過去の記事で、Sola Deo Gloria

Sola Deo Gratia
などと誤記していました。何ヶ月も、気づきませんでした。
ばかな桜泉を憐れんで、お許し下さい。

えすさまの御名によって。あーめん。
(素麺食べたいです)

念願叶った翌日は

2007年05月21日 | グレ耶蘇生活
昨日の日曜日、かねて行きたかった教会の礼拝に参加することができました。
かなり新鮮なる体験。
いろんなことを考え、思いつつの時間でした。

このブログにいっぱい書きたい!…のですが、疲労と不調をおして、週末複数の用事をこなしたせいか、今朝から寝たり起きたり、仕事休んで寝ているのに、一向良くなりません。

体重い、頭痛い、寒い。
困ったなぁ…。

そういえば昨日の聖餐、葡萄酒をのんだら即酔いが回り、ふらつきと眠気に悩まされたのですが、不調のサインだったのでしょう。
だいいち、女の子の日ですものね。(←オバサンの日、だろう!と、そのオバサンの日すらもう来ない婆につっこまれた。)聖餐と言えども、酒は酒。不調時は避けた方がいいのかな…。

とにかく、桜泉寝込んでます。

体型カバー作戦

2007年05月19日 | その他もろもろ
先日は、体型崩れのお話の続き。
一つには、運動や姿勢や食生活の改善等で、下半身太りを解消したいと思っている桜泉ですが、一方では、やはり年齢やお産を経験したこと、もともとの体型(常日頃から妊娠3~4ヶ月並、と自分では思っています)のことを思うと、着るもので見た目をカバーする必要も強く感じました。

やはり、こういう時に役に立つのはチュニックの類でしょうね。
しかし、デパートなんかに買いに行ったら高くてしょうがないし、だいいち行く暇がないので、通販で2着ほど注文しました。そのうち1着は、何とマタニティ用です。実際には、マタニティ・通常兼用で、妊婦さんはワンサイズ上を注文せよ、と注意書きがついているようなので、普段に着てもまったく問題なさそう。また、一昨年のマタニティウェアをしまってあったケースを引っ張り出してきて、その中の1着を箪笥へ。シンプルなデザインで伸縮性があり、本当に腹が膨れていなければ、ただのチュニックにしか見えない代物だったからです。

しかし…どうなるでしょう。電車で席譲られたりしないように、やはり中身の体型を少しでも改善するのが本筋でしょうね。

(電車で席って言えば、妊婦時代は本当によく席を譲って頂きました。恐ろしいぐらい皆さんの厚意を受けました。よほど腹がでかく、大儀そうに見えたのでしょうか。そして、まだ3ヶ月の頃、マタニティストラップが役に立ったこともありました。最近駅で配っているデザインのではなくて、CFFCという団体が作っていて、武蔵野市などで配布しているもの。デザインとしてはこちらの方が一目で意味が分かって、いいと思います。もっと普及すればいいのに。その後同じものをつけている人も、あの駅で配っているとかいうやつをつけている人も、まだ見たことありません。妊婦さん方、遠慮せず、つけてください。見えるところに!赤ちゃんのためですから!)


バリア「アリー」な駅…ぐらいでめげる桜泉

2007年05月19日 | グレ耶蘇生活
ある教会に行きたくて仕方ない、という趣旨のことを先日書きました。Jくん、体調良くなってきたので、そして天気も良さそうなので、明日がチャンスです。
しかし。
その教会の最寄り駅のバリアフリー状態を調べました。
最悪でした。
結構大きな駅なのに、ダメダメでした。ホームと改札の間の移動もダメダメ、改札の手前だか入ってすぐに数段の段々もあるという噂。
……ちょっと、とても、気持ちが萎えてしまいつつあります。
どっちみち、その路線に乗るための最寄り駅もバリア「アリー」、まったく同じ条件の駅なので、Jくんを抱っこして、ベビーカーはたたんだ状態で乗車し、降りたらそこで初めてベビーカーを広げて乗せる、ということになるわけですが、でもやはり、とても大変なこと。荷物は多い(オムツとかいろいろ)、Jくん最近すぐ駄々こねる、それでいてあんよできるようになったので、なにかと却って目が離せなくて気が抜けない。
どうしよう……行くなってことかな…。いや…それは勝手に桜泉が気持ち萎えてるだけだろうが…。どうしよう…。
(一晩悩むべし?)

クリスチャンの買い物

2007年05月19日 | グレ耶蘇生活
今日は所用でしばし銀座へ。そのついでにいろんなお店に立ち寄りましたが、特に、教文館で時間…とお金を費やしました。
インターネット注文をしておいた書籍6冊を受け取り。主にボンヘッファー関係の本ですが、それ以外のものも。
そしてついでに書架の間をふらりふらり…いや、今日はもう持てない、金もない、買ってはならない!とか頭の中で思いつつ。
そしてずばり聖書のコーナーへ。前々から、爺婆(両親)に聖書を進呈しようと思っている桜泉。(しかし爺婆は要らないと思っている。)老人は目が悪いから、なるべく活字の大きい、大型のがいいだろうと思うけれど、大きいと今度は「重くて持ち運びが面倒」とか何とかブーたれるんだろうな…と思い、逡巡します。そもそも、大型のものでも、そう大きな活字ではありません。内容量からいって仕方ないです。
どうしようかどうしようか…と迷いつつ、とに書く今日はもう荷物いっぱいなのだし、お金もないから、もうしばらく考えよう、とブツブツ言いつつ3階(キリスト教書のフロア)を立ち去りました。

そして4階のエインカレム(キリスト教雑貨のフロア)へ。かねて懸案のシスター・パウロの誓願祝い、すでに用意してあったのですが、ここで見つけたあるものを、どうしてもお贈りしたくなってしまい、すっごく迷った挙句に買ってしまいました。
先に買ったのは、自然素材のクリームや歯磨きなど、日用品。今日買ったのは、ずばり乳香のエッセンシャルオイルと、かわいい絵の書いてある匂い袋でした。もともと、乳香か何かを贈りたかったのですが、匂いのものはお好みがあるから、と、日用雑貨に切り替えたはずなのに…。(で、なぜ日用雑貨になったかと言うと、ある本で、シスターはお化粧はほとんどしない、でもハンドクリームなんかは使うと書いてあったこと、畑仕事などもして大変だということなどから。)
クリームはとりあえずは桜泉やJくんが使うことにして、お手紙にその旨書いて、もしお入用だったら別の機会に改めてご用意しようかと思いました。

それにしても両親への聖書贈呈は、いつ実現するでしょうか。そして、関心を持ってくれるでしょうか。
母には、これまでに、ちいろば牧師関係の書籍(ちいろば、ちいろば余滴、二日分のパン)を貸したら、結構興味を持って読んでいました。また今は、桜泉が2年前に買って、永久貸与した、『夕あり朝あり』(三浦綾子)を、やっと読み出して、結構楽しんで読んでる様子。
読み物っぽいのがいいのかな…。さて…。

実は実家にはすでに聖書が1冊備え付けてあります。しかも続編つきです。多分桜泉が一番最初に買ったやつだと思います。(続編付きが原則としてカトリック信徒用だと知らずに、いっぱい載っていた方がお得な気がして買ったという代物。)でも、たしかに老眼の人には辛い文字の大きさ。
なので、何とか、読みやすい1冊をどーんと起きたいのです。ぱらぱらとでも、へっとか言いながでも、めくってくれたらいいし、それでミョーな質問でもしてくれたらめっけものだなあ…と思っている桜泉です。

空気いす?!

2007年05月18日 | その他もろもろ
先日、職場で健康診断がありました。体重体脂肪率を量ったら問題なし。ちょうど妊娠前ぐらい。すばらしい
じゃん。しかしボトムをはくときつい、皆きつい。

考えられるのは、いわゆる下半身デブになっているということ。体型のバランスが崩れているということですね。
もうひとつは、骨盤周りの骨格が緩んでがたついているということ。お産を経験した女性ならみなある程度あります。それを治すため、産前産後のカイロプラクティックを受けてきたのですが、油断するとだめなのかもしれません。

それに、卒乳から1ヶ月。しかし相変わらず食べるの好き。甘いもの好き。仕事は座り仕事。さあ、その結果は、今じわじわと現れつつあるのかもしれません。先日の結果がちょうど良くても、来月のことは分かりません。

前から極力そうしていますが、通勤字は距離が短いこともあり、とにかく座らないように心がけています。体調不良時以外は、駅の階段しっかり登ります。地下鉄でも登ります。でも体調不良時が多いので、実際にはさほどできていませんが…。そして最近思い出したのが、一種の空気いす作戦。据わっているとき、足を床から1センチぐらい引き上げた状態で、1分間ぐらいキープ、を何度も繰り返します。会議中なんかにいいですね。ひざは直角に曲げとくのが良いそうで。
やせるかどうかともかく、腹筋や腿が引き締まりそうな感じはします。

やせたいというのではなくて、必要な体力のある、健康な体でありたいです。そして、やはりあまり崩れた体型にはなりたくない…今ある洋服を大切に着るためにも…。

日記と言ふもの

2007年05月18日 | その他もろもろ
ブログと日記はかなり違うと思う。
前者は人に見せるもの、後者は人に見せないもの。
だから前者は自己の体験や思いを公開することで、それに対する意見・感想を消極的または積極的に求める、つまり仲間や繋がりを目的としている、自己体験を餌に、人を求めるものだろう。
後者は自己の体験・思いを内省するもの。書くことで、自己内を巡らせ、発見や確認をするもの。また、時間を置くことで自分の体験を客観化するもの。

ある人に、ブログなんかやる人の気が知れないという意味のことを言われた。その人はブログを日記だと考えて、内省のための文章を何故公開するんだ?と言いたいらしかった。
しかし桜泉は、上記のような理由により、それに答え、反論したい。ブログは日記とは目的を異にしているのだ、と。自分という情報を発信したいのがブロガーなのだと。

それにしても、確かにブログでは日記ほどには内省できない。逆に日記は敷居が高い。もう長いこと、少なくとも桜泉には敷居が高い。書けないものだ。
内省が怖い、それ以前に、思いをありのままに書くのが怖い、だれが読まずとも時を超えて自分が読むのが怖い。見えない何かの目が怖い。
書けないような邪まな、勝手な、暴力的な、卑屈なことばかり考え、行っているという自覚がどこかにあるから…?

それでも、だからこそ、ブログする暇があるなら日記を書くべき時がある…ような気がしてきた。
私の話を聞いて!と外に求めるばかりではなく、内側に耳を澄ますべき時がある。聞きたくないことも含めて耳を傾ける作業を経て、それでまた外へ手を伸ばす…そうできたら理想的かもしれない。