先週のある日Jくんが寝てから、何気なくNHKをつけていたら、えっ?おぉぉ!
そのとき歴史が動いた、の時間。なになに?道鏡?!孝謙天皇?!鼻血ブー!(バカか桜泉)
もうさっさと風呂入って寝るつもりだったのに、テレビかぶりつきました。
えっ?!ゲストは……里中満智子先生!?!?!?!?おぉぉぉぉ!
なんと、『女帝の手記』の阿倍様と道鏡くんのイラストまで出てくるではないですか。
さて、この道鏡事件を思うと、いつも最後はしんみりした気持ちになります。
後世、日本史上最悪のスキャンダルのように言われていますが、もう、読むのも恥ずかしくなるような、エロ小説まがいのことまで、後世の書物に書かれてしまう二人ですが、どうも状況を考えると、そりゃー違うだろうなあ…としか思えないです。
どうも、数奇かつ高貴な身分に生まれた女性と、真面目な男性の、中高年の純愛という気がします。
仕事でかつて、下野薬師寺の、地域の歴史愛好家かもしくはお寺の関係者さんたちが書かれた雑誌記事を目にしたことがありました。道鏡の顕彰会(とまではいかないのかもしれないけど)みたいなものすらあるようでした。
それによれば、
「道鏡は世間の言うようなへんな坊主じゃないし、道鏡と阿倍様(孝謙・称徳天皇)は、世間の言うような関係じゃない。生まれつきご病弱だった阿倍様を、道鏡が一生懸命看病し、支えたのだ」
というようなことでした。
そうかもしれませんし、そうではなくてやはりそこに恋愛関係があったのかもしれません。1300年ぐらい前のことですから、かもしれませんとしか言いようがありません。
そういう中で桜泉が思うのは、「やっぱ、一種の、大人の純愛だったんだろう…」ということばかりです。
阿倍様は、考えてみれば、本当に生きにくい条件のもとに生まれてしまった女性。難しい政治情勢、死んだ弟の代わりとしての皇位継承、周囲の期待としかし周囲の「あれは女の子だから」「ほんとは男の皇子がいれば…」という軽視の視線。
そういう人が、中年になって紆余曲折の果てに出会った、心許せるパートナーが道鏡だったのではないでしょうか。
道鏡はどういう思いでいたのかなあ…とそれが(男心だし…)ちょっと想像しかねるところはありますが、阿倍様の死後は、お墓をじっと守っていたということや、その後の処遇が死罪の殺害の、ということにならず、下野に左遷で済んだことを考えると、周囲をして「あいつは本当は人畜無害」「ホントに野心があるわけじゃあないんだよね」と思わせる存在だったのだろうと想像されます。
本人としては、いわゆる、ナイト(騎士)気分だったのかな…。
とにかく二人は、この絆を誰にも、群臣に、世間に、認めてほしくて、邪魔されたくなかったのだろうな…そんなことを思います。
桜泉の胸がぐっと詰まる思いがしたのは、お墓。
先日のNHK番組で映った、下野の道鏡のお墓のまあひっそりしたこと、奈良の佐紀にある阿倍様のお墓と何という違い!
そして何より、何百キロのこの距離!
死んでしまえばある意味自由、墓がどれだけ離れていようが、格差があろうが関係ないけれど、それでもなんだか二人が気の毒になります。
それにしても、これに懲りたか、平安王朝では仏教勢力とそれなりに距離を置くようになったし、何よりも、江戸時代になるまで女帝が立たなくなりましたね。
そして、後世の人々が、あることないこと尾ひれをつけて二人のスキャンダルを作り上げて今日に至るのですが…。
ある時代においては、女性天皇と僧侶の恋・パートナー関係なんて、気色悪くて、しかもそれが政治混乱を引き起こしたとなると、理解しがたい不道徳であり、いかがわしいことととしか思えなかったのでしょう。でも、この21世紀なら、今は結構純愛ブームだし(?)、中年や中高年の恋愛ということも小説や映画などの話題になるような時代、この二人のことは、もう少し理解しやすく、さらっと受け止め、評価できるのではないかな…と思いました。
それにしてもでも、そのとき歴史が動いた、の締めは…いつもの事ながらキレイゴトすぎですねぇ。(笑)
そのとき歴史が動いた、の時間。なになに?道鏡?!孝謙天皇?!鼻血ブー!(バカか桜泉)
もうさっさと風呂入って寝るつもりだったのに、テレビかぶりつきました。
えっ?!ゲストは……里中満智子先生!?!?!?!?おぉぉぉぉ!
なんと、『女帝の手記』の阿倍様と道鏡くんのイラストまで出てくるではないですか。
さて、この道鏡事件を思うと、いつも最後はしんみりした気持ちになります。
後世、日本史上最悪のスキャンダルのように言われていますが、もう、読むのも恥ずかしくなるような、エロ小説まがいのことまで、後世の書物に書かれてしまう二人ですが、どうも状況を考えると、そりゃー違うだろうなあ…としか思えないです。
どうも、数奇かつ高貴な身分に生まれた女性と、真面目な男性の、中高年の純愛という気がします。
仕事でかつて、下野薬師寺の、地域の歴史愛好家かもしくはお寺の関係者さんたちが書かれた雑誌記事を目にしたことがありました。道鏡の顕彰会(とまではいかないのかもしれないけど)みたいなものすらあるようでした。
それによれば、
「道鏡は世間の言うようなへんな坊主じゃないし、道鏡と阿倍様(孝謙・称徳天皇)は、世間の言うような関係じゃない。生まれつきご病弱だった阿倍様を、道鏡が一生懸命看病し、支えたのだ」
というようなことでした。
そうかもしれませんし、そうではなくてやはりそこに恋愛関係があったのかもしれません。1300年ぐらい前のことですから、かもしれませんとしか言いようがありません。
そういう中で桜泉が思うのは、「やっぱ、一種の、大人の純愛だったんだろう…」ということばかりです。
阿倍様は、考えてみれば、本当に生きにくい条件のもとに生まれてしまった女性。難しい政治情勢、死んだ弟の代わりとしての皇位継承、周囲の期待としかし周囲の「あれは女の子だから」「ほんとは男の皇子がいれば…」という軽視の視線。
そういう人が、中年になって紆余曲折の果てに出会った、心許せるパートナーが道鏡だったのではないでしょうか。
道鏡はどういう思いでいたのかなあ…とそれが(男心だし…)ちょっと想像しかねるところはありますが、阿倍様の死後は、お墓をじっと守っていたということや、その後の処遇が死罪の殺害の、ということにならず、下野に左遷で済んだことを考えると、周囲をして「あいつは本当は人畜無害」「ホントに野心があるわけじゃあないんだよね」と思わせる存在だったのだろうと想像されます。
本人としては、いわゆる、ナイト(騎士)気分だったのかな…。
とにかく二人は、この絆を誰にも、群臣に、世間に、認めてほしくて、邪魔されたくなかったのだろうな…そんなことを思います。
桜泉の胸がぐっと詰まる思いがしたのは、お墓。
先日のNHK番組で映った、下野の道鏡のお墓のまあひっそりしたこと、奈良の佐紀にある阿倍様のお墓と何という違い!
そして何より、何百キロのこの距離!
死んでしまえばある意味自由、墓がどれだけ離れていようが、格差があろうが関係ないけれど、それでもなんだか二人が気の毒になります。
それにしても、これに懲りたか、平安王朝では仏教勢力とそれなりに距離を置くようになったし、何よりも、江戸時代になるまで女帝が立たなくなりましたね。
そして、後世の人々が、あることないこと尾ひれをつけて二人のスキャンダルを作り上げて今日に至るのですが…。
ある時代においては、女性天皇と僧侶の恋・パートナー関係なんて、気色悪くて、しかもそれが政治混乱を引き起こしたとなると、理解しがたい不道徳であり、いかがわしいことととしか思えなかったのでしょう。でも、この21世紀なら、今は結構純愛ブームだし(?)、中年や中高年の恋愛ということも小説や映画などの話題になるような時代、この二人のことは、もう少し理解しやすく、さらっと受け止め、評価できるのではないかな…と思いました。
それにしてもでも、そのとき歴史が動いた、の締めは…いつもの事ながらキレイゴトすぎですねぇ。(笑)