ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

大つごもりに、あの詩を巡らせながら街を・・・

2006年12月31日 | グレ耶蘇生活
おおつごもりです。おおみそかもいいのですが、つごもりという言葉が何だかゆかしく思います。
大晦日と言うと桜泉は、商店の経理の仕事をしている母がチョー忙しくしている、とにかく忙しい日、親に余計な世話かけたらアカン日、というイメージがいまだに抜けません。ちょっと緊張します。

朝、夢で少しうなされました。
嫌な思いをした体験がフラッシュバック的な感じで夢に出てきたのです。いや、夢でなくて、起きかかっているところの朦朧とした意識の中で、フラッシュバック体験をしたのかもしれません。
やっとこのところ、思い出さないで過ごしてきたことだったのに…ああ、新しい年はまた職業人として、そして一方で母として、忙しくも為すべきことを為していこうという時に、それをくじくような夢でした。かなり、ブルー。

近所の教会に、礼拝に行こうとしたら、生協の配達が来ちゃったり、いろいろあって、手間取り、遅刻。これまたその時は心臓バクバク、頭イライラ…。

朝のテレビでは、今年一年の総括をしていて、それを見ながら「来年がいい年(社会)になるとは思えないよね…」と夫婦で語り合っていました。

ああ、何という大晦日。

でも、そんなことを思いつつ、教会帰りに、ひとけも少ない、でも空気は気持ちのよい街を散歩していたら、やはりあの詩を思い出しましたね。

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善き力あるものらにかわることなく静かに囲まれて
不思議にも護られ、慰められて
わたしはあなたがたと共にこの日々を生き
あなたがたと共に新しき年へと入ってゆく

なお古きことがわれらの心を苛み
なお厭わしき日々がわれらの重荷となり苦しめるだろう
ああ、主よ、われらのうなされる魂に与え給え
救いを、そのためにあなたはわれらをお造りになられた

そして、あなたの差しだすのが重く苦い
苦悩に満ちた杯であろうとも
われらはそれを感謝し震えることなく
あなたの善き、愛すべき御手から受けるだろう

だがもう一度あなたがわれらにこの世界と
その太陽の輝きの悦びを贈ってくださるなら
われらは過ぎ去ったものを思い起しつつ
われらの生はことごとくあなたのものであることを思うだろう

あなたがわれらの闇にもたらし給う
暖かくも明るい蝋燭の火を今日灯し給え
できることならわれらを再び一つに導き給え
われらは知っている、あなたの光の夜輝くことを

静寂が今や深く広がりわれらを取り囲むとき
聴かせ給え、われらにかの澄んだ響き
眼に見えることなくわれらをつつむ世界のあなたの子らすべての気高い賛美の歌声を

善き力あるものらにこよなく護られ
われらは慰められつつ待とう、たとえ何が来ようとも
神はわれらとともにあり、夜も朝も
そして確かにどの新しき日々も

(ボンヘッファーの詩。六本木ルーテル教会の週報より)
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ハッピーハッピーな世が明日すぐ来るとは思えない、スーパーマンみたいな誰かが世の中をさっと良くしてくれるとは思えないし、
そんなのはきっとまやかしで危険で…、自分個人のことでも世の中のことでも。
このボンちゃん(って誰かが言ったんだもの。ボンヘッファーのこと。)にこのような詩を書かしめた、力の源なるかみさま、
わたしも誰も、また、そのように、あなたから力を得て、支えられて、生き難い世の中で、為すべきことを為せるように導いてください。

この詩を教えてくださったシャーマン先生ありがとう。
この詩を遺してくれたボンちゃん(…おぃ)ありがとう。
ボンちゃんにこんな詩を書かせてくれたかみさまありがとう。

※ボンちゃんっていうと、昔買ってたかわいいインコを思い出すが…

桜泉の初詣は。

2006年12月30日 | グレ耶蘇生活
もういくつ寝るとお正月。
(Jくんに、「もういくつ寝るとお正月、お正月には餅食って、喉に詰まって死んじゃった、早くこいこい霊柩車」なんて替え歌を教えるいけない母親です。みんなお餅はゆっくり食べましょうね!)

桜泉のうちの近所には、日本一混む神社さんがあります。でも幸い、裏側なので、そんなに混まないでしょう。
子どもの頃は、日本で何番目かに混む神社の近くに住んでいて、これまた、大晦日や元旦ともなれば、街のさざめきが室内に聞こえてくるほどでした。

さて、桜泉は当然神社さんやお寺さんにはお参りしないわけですが、毎年お正月は楽しみにしている初詣があります。
元旦礼拝。新年礼拝。
礼拝の後に頂くおミカンやお菓子がうれしいですし、和服で来られるオバチャマ方もいらして楽しいです。
いや、そもそも、クリスマスから8日目ということで、えすさまの命名を記念する日なんですが、日本ですし、お正月気分、ですね。やはり。

ところが、今年は、自分が行かれそうな教会、みんなその礼拝がない。
確かに、31日が日曜日なので連日になってしまう・・・いろいろ大変なので今年はなし、というところも多いらしいです。
でも、やっぱりちょっと残念かなあ。せっかくお正月なのに。お正月はえすさまと共に祝いたいです。
え?そんなこと言うなら家庭礼拝でもやれ?そうですねえ。そうしようかな。

暮れに見た悲しい光景

2006年12月28日 | その他もろもろ
先日、近所のデパートめぐりをしました。
混んでました。やはり。
そこで出遭った、いたたまれないというか腹も立つ出来事。

そのデパートは大きなEVがいっぱいありますが、いつも大抵どこも混んでいます。特に、その日桜泉とJくんが載った箇所は一番混むところでした。
それでも何とか、桜泉とJくん(ベビーカー)、よそのママと坊や(これもベビーカー)とママ友さん、何人かのお客さんが乗り込めました。
すると途中の会でドアが開き、そこで待ってたのは・・・。
明らかに全身が不随、いや、もしかすると植物状態に近いと言ってもいいような、ほとんど寝たままで動ける車椅子に乗った女性と、それを押す旦那さん、付き添う二人のお子さんでした。
このままではもちろん、その一家は乗り込めません。
するとそのだんなさんが苛立った声をあげました。「もう2台も待っているんです。降りていただけませんか!」
すっと降りた人、戸惑いながら降りた人、しぶしぶそうに降りた人・・・。桜泉親子ともう一組の親子は、隅に寄ったら、その一家が乗り込めたので、そのまま同乗させてもらいました。
そのだんなさんが疲れきってイライラしているムードが伝わってきます。何かの事情で、またはせっかくの年末だから、何とか病気の奥さんを連れ出して、一家でお買い物を楽しもうとされたのでしょう。それが、きっとすっかり苛立たしい思いの一日に変わってしまったのでしょうね。
すると次の会で、また扉が開き、6~70代の男性と女性が、あまり隙間もない空間に無理に乗り込んできました。もちろん、通常なら詰め合わせて乗れなくないのですが、詰めることもできない人が乗っているのは一目瞭然のはずなのに!
その旦那さんが抗議の声をブツブツ挙げてもお構いなし。
挙句に男性の方はケータイで大声で通話をする始末。
もう、情けない気持ちで、桜泉は俯いていることしかできませんでした。

まず、最初にその親子が乗ろうとしているのを見たとき、なぜみんな自主的に、「降りましょう」「譲りましょう」とできなかったのでしょうか。「降りてください!」と怒りの声を上げなくてはならなかっただんなさんはどれだけ辛かったでしょう・・・。そして一たび怒って要求されれば、言われて降りるほうも面白くはなかったはず、ついつい、しぶしぶ顔になるものです。言われる前に気持ちよく譲れば、明るい一瞬になったのに。
そして、あとから乗ってきた老人二人は一体なんでしょう。何回お飾り潜ってるんでしょうか。そんなのが日本の老人ですか。それで老人を敬えと言われても、敬えるはずはありません。

脚が動く人、それは本当にありがたいことです。かみさまと親から頂いた足が、思うように動くということは。感謝してエスカレーターか階段を使いましょう!!!!
桜泉も、Jくんがベビーカー要らなくなり次第、親子でじゃんじゃん、ありがたく感謝して脚を使って移動する所存です。まあ、子どもというのは暫くは「いやーん、歩きたくない」と駄々をこねるでしょうけど・・・。(そしてそうなった時、大柄なJくんを小柄な桜泉が抱っこできるとは思えない・・・うーん。)

それにしても、この一件にはいろんな問題を考えさせられます。
見知らぬ人同士の無関心ということ、譲り合えなくなっている人心の荒みということ、ますます面倒くさがりで体を使わなくなっていてせっかちになっている風潮ということ。
これからも、この都心に居て、そういうことを肌で実感することになるのでしょうか。来年も――。
でも絶望したり諦めることなく、ここで生きていき、自分はどうすべきか判断して行動して行くしかないと思っています。

あの親子さんは、そのあと、また買い物を楽しめたでしょうか。なにも力になれなかったこと、申し訳なく思って、彼らのために祈っています・・・。

食べ物の悩みその弐:うしちちとははちちと入れ物と

2006年12月28日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
食べ物の悩みもういっちょ。
Jくんも1歳になりました。牛乳解禁の年頃です。
そのJくん、いまだに大好きなものはパイ(母乳)です。
卒乳を急ぐ気はないのですが、パイ以外のドリンクも飲める人になって欲しいので困っています。
お茶も苦手、そもそもストローで飲んでもすぐむせるし、トレーニングコップですすらせてもデロデロこぼすし。

そんなJくん、とにかく牛乳飲んでくれよ、保育園行ったらおやつは牛乳だぞ!と今日から少しずつ慣らすことにしました。
始めは、牛乳と豆乳のブレンドドリンクを作ってトレーニングコップで与えましたがこぼしました。ので、スプーンですくったら気に入った模様。
こんな感じで大丈夫かなあ・・・。

あと、牛乳や豆乳、場合に寄ってまだ残っている粉ミルクや、もし購入したらフォローアップミルクなどは、もう哺乳瓶で飲ませるのもなんですよね・・・。ストローマグなども利用していいのか、わからなくて首かしげています。

でも、母乳だけは、トレーニングマグというわけには行かないぞ。乳はこういう形なのだから。^^;

食べ物の悩みその壱:切り分けの受難

2006年12月28日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
離乳食、幼児食の定番、うどん。
そのうどんで受難続きです。
さすがにまだ長いうどんをつるつるとは食べられません。
やわらかく煮込みうどんにして、子ども皿に取り分けて、スプーンかフォークで小さく刻んで与えます。
ところが。
刻んでいるうちに、皿がふっとぶんです。思いっきり、ぶっ飛んで、逆さまに。もちろん中身は床や膝にグッチャグチャ。
何故そうなるのかいまいち分かりません。いきなり、すごい力入れてないのに、すぽーんとひっくり返ります。
どうやら、テーブルの上でそれをせず、左手で皿をもって、切り分けると、スプーンと皿が何か梃子のようなことになるのでしょうか・・・。
当分うどんは食べたくない気がする・・・。
いやしかし、あんなに便利で美味しいものを。
早く原因を究明したいものです。
もしかして桜泉の手がおかしいのかなあ。
むーーーん。
当面は、取り分けた物をまな板の上に置いて、包丁で切り刻もうかとも思うのですが、なんかまずったらしいですね。外出時には不可能だし。
誰か、いい方法をご存知ないでしょうか。そして同じ体験をした方はいないでしょうか。原因をご存知の方も・・・。(涙)

悪魔の獄(ひとや)を打ち砕きて~♪

2006年12月28日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
家には最近「悪魔の獄」なるものがあります。

冒頭の写真がそうです。

囚人服を着た「あくまくん」のお部屋です。
(ベビーサークル、とも言いますなあ。)
遊ぶもの=ボール、積み木列車、古い携帯、絵本などがあります。
プーさんクッションとお座布団が落ち着きをかもし出すインテリア。
あくまくんはここからテレビを見るのも好き。

ちょっと待て…悪魔の獄って、悪魔が人間を閉じ込めるところじゃないのか?

日々、破壊魔として成長中のJくんでした。さすがに悪魔の獄を打ち砕きて勝手に出てきたりはしません。

(ちょっと待て…悪魔の獄を打ち砕くのはえすさまじゃないのか?)

『悪魔の獄を打ち砕きて、虜を放つと、主は来ませり、主は来ませり、主は、主は来ませり』(諸人こぞりて・2番)

クリスマスのことを書いていたら

2006年12月25日 | グレ耶蘇生活
傍らのニュースでは、ある不幸な少年の死を報じていました。
なぜこの夜にこんなことが、と痛ましく、いたたまれなく思いました。
家庭に恵まれず、心とその身の行き場をなくす子どものことを思うと、胸が締め付けられるような思いがします。

いろいろ書いても証ししても、自分のところにえすさまを迎えて満足して終わってしまい、自分だけ幸せならいいと思っている自分を感じます。

あたかも賑わうベツレヘム

2006年12月25日 | グレ耶蘇生活
クリスマスイブの六本木ヒルズは、それはそれはたいそうな人混みでした。なるべく通らないように、けやき坂までしか近寄らなかったのですが、すごい人、人、人。時間つぶしにカフェに入りたくても入れませんでした。
クリスマス。クリスマスだから、これだけの人が繰り出してきて、遊んだり、飲んだり食ったり、お買い物したり、語らったり、音楽を聞いたり・・・・・・。5時になれば有名なLEDの電飾が点灯して、まさにここは東京一のクリスマスなのかもしれないなあと思いました。

クリスマス。これだけのたくさんの人、賑わい、かがやき、・・・の隅っこで、“CHRIST”masを祝う、あの方を、えすさまを、その灯りを心に覚えて胸に迎えようとしている私たちは、本当に小さな存在、浮かれる人々は誰も、えすさまのことも私たちのことも意識していなかったでしょう。東京一のクリスマスの中に、小さな、ミョ~なクリスマスがあると言ってもいいぐらいかもしれない。
でも。わたしはこの小ささを、ミョ~さを、幸せに思い誇りに思います。クリスマスにCHRISTを思い、迎えることができる、そのことを。その群れの中に加えられていることを。このクリスマスを知らずに生きることも通り過ぎることもあり得たのに、そうではないということを。

思えば、かの日のベツレヘムも、旅人でごった返していて、その街の隅っこの小さな家畜小屋で旅人が出産したことなど、一部の羊飼いと東方の博士とやらしか、知らなかった、心にも留めなかったのでしょう。何だか、似ています。
誰もが気づくような大きなことではない、でも、それは、たしかに起きたこと、起きること、そして、向こうからやってくること。

クリスマスは、何だか、賑やかで、いわゆる、形の上で幸せで潤沢でないといけないような、そんな風潮があります。恋人や家族に恵まれてないと寂しいクリスマス、お金があっていい物が買えて食べられないと侘しいクリスマス、仕事や勉強に追われていたら忙しくつまらないクリスマス。どこかに出かけて特別なことをしなければいけない、混んでるレストランに、デパートに、映画館に、ホテルに、こちらから出かけないといけないクリスマス。
でも、わたしが知った、知っている、毎年迎えるクリスマスは、どんな時でも迎えることができる、必ず向こうからわたしのところにやって来てくれるクリスマス、その方が、やって来るクリスマス、去年のように、新生児を抱えて昼も夜もなく、礼拝にも行かれないとしても、これから先どのように忙しくなったり、病気になったり、お婆さんになって動けなくなったりボケちゃったりしても、わたしが何かするんじゃなくて、灯りが、小さくてでも力を秘めた幸いが、向こうから来てくれます。

クリスチャンじゃない人たちの日本のクリスマスを、否定するのではありません。でも、こちらが何かしなければいけない、そうでなければ、幸せでなければならない、それはクリスマスの本質を外れているなあと思います。何より、不幸になることを恐れないといけない、ビクビクしないといけない。クリスマスはそういうものじゃなくて、その逆なんだということを、わたしは、桜泉は、ここで証ししたい、と思うのです。

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ところで。
Jくんは初めてのクリスマスイブ礼拝でした。ロウソクで火傷でもしたらいけないと心配しましたが大丈夫でした。意外とおとなしかったです。
でも、やっぱり多少はうわうわと暴れたので、最後はパイを咥えさせていました。いい気になってたくさん飲みました。
で、飲ませながら「きーよしー、こーのよーるー」と歌っていたら、寝ちゃいました。ぐっすりと。
礼拝が終わってもぐっすり。馬槽ならぬベビーカーですやすやと。
そうしたら誰かが
「あら、イエス様、寝ちゃったわね」
・・・・・・・・・。
Jくん、やっぱりお前・・・救いの御子だったのか・・・?
・・・いや、えすさま再臨したら、世の終末だよ。-_-;
Jくんは、えすさまじゃなくて、よはねくんです。(えすさまの親戚の、洗礼者ヨハネ。)

全ての窓が開いて

2006年12月24日 | グレ耶蘇生活
アドベントカレンダーの全ての窓が開きました。
最後の窓はやはり飼い葉桶のえすさまでした。

これを書いている今は麻布十番にいます。
クリスマスの思いや礼拝の感想は後でゆっくり…。

クリスマスは苦しみます、なんてよく言いますけどね。

2006年12月23日 | グレ耶蘇生活
クリスマスの頃になると何だかうつうつと悩みが尽きなくなる不思議な性格であり運命の桜泉です。
光は闇の中で輝くんだそうで、光だらけのところに光があるのがクリスマスじゃないと思いますが、それにしても・・・っていう気もします。

明後日、区役所に、保育園の申し込みに行って来る予定です。
しかし、そうするとふと思うのです。
「わたし、こうやって子ども預けてまで働く意味あるのかな・・・ていうか、そんな価値のある人間だろうか・・・」
「なんか、今の仕事に、実はもう興味がほとんど持てない気がするんだなあ・・・。業界雑誌を読んでも、だからどうなの?って気がして・・・これで御足頂く資格あるんだろうか」
「保育園にJくん預けて、子育てを正面から取り組むのを逃げてるだけだったりして・・・」

でも、夏の熱い日々も、汗を拭き拭き保育園を一つ一つ見て回って、秋の終わりには病時保育のことを一生懸命調べて、またその傍ら、うそでもいいから業界雑誌を取り寄せてみたりしたわたし、というものは何だったのだろう?とも思います。

こぼれ落ちそうな、足を踏み外しそうな現実の中で、そこに踏みとどまって、前を見続けることは、とても力が要るのだなあと思います。勇気も。言い訳にならないように省みる努力も。

あのクリスマスはわかりやすいクリスマスでした。例えば4年前、伴侶と共に新しい家庭を作り始めるクリスマスは。3年前、何があってもそれだけはわたしから消えない、あの洗礼の恵みに与ったクリスマスは。1年前、この腕にも『初めての男の子』を抱いたクリスマスは。
これから長く長く、なにもない、日常の中にクリスマスがやってくるけれど、そしてその日常は、いつもいつも綱渡りだったりするけれど、・・・・・・わたしにとってのクリスマスはピカピカのキラキラのほんわかのハッピーのクリスマスじゃなくて、それでいいのだと、だからこそクリスマスなんだと、思えたらそれでいいかなという気が毎年新たにされつつあります。
負け惜しみかもしれませんが・・・。

記念日続き。

2006年12月23日 | その他もろもろ
きょうは、○○○○日です。
毎年手帳を買うと、もともと☆●♪Ω日と書いてあるところに、畏れ多いながら上書きしています。
結婚記念日なんです。
この週は本当に記念日が続きます。
一年で一番おまつり~な日々、のはずなんですが、どうも年々その感覚が薄れています。忙しさでまさに心を亡くしているんでしょうか、としの所為でしょうか。
でも結婚記念日です。
変わったことはしませんが、そのかわり?昨日今日と、大掃除というか、大規模な模様替えなどしました。
パパガスパールおつかれさま、Jくんの面倒を見てくれた婆ありがとう。

飲めるぞの歌(Jくん)

2006年12月21日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
今日からは一歳だ、牛乳飲めるぞ、牛乳飲める飲めるぞ、牛乳飲めるぞ♪

今日からは一歳だ蜂蜜食えるぞ、蜂蜜食える食えるぞ、蜂蜜食えるぞ♪

今日からは一歳だ酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ♪

(-_-#
Jくん、三番は、違うぞ。
(それにうしちちより桜泉乳がいいくせに。) 

平均寿命を超えたぜ

2006年12月21日 | グレ耶蘇生活
桜泉がです。
…え?
信仰の平均寿命。
日本人、洗礼受けてからの平均信仰寿命が3年なんですって。
桜泉、今日、受洗記念日、3年経ちました。
これで大抵の神学校を受験したり、キリスト教関係の仕事に就く資格が一応できたことに…なるのかな?
もちろん今の桜泉にはあまりにも無縁ですが。
それに、いわゆるまじめな3年間ではありませんでした。こんなゆるくいいかげんで無茶苦茶なつながりを赦してくれた神と姉妹兄弟あらばこそ…。
桜泉がまだまだ赦されるのなら生きられるなら、何かの形でやはりみ言葉を学び、聴いたことをのべ伝えて、まわりの人々の役にたちたいです。桜泉がしたことと分からないくらいちいさなことや、誰もしないこと、それでいいしそれがいいので…。

ところでJくんから先日の誕生日のコメントが届いております。別記事に。

これがJくんの誕生日

2006年12月19日 | Jくん桜泉と共にいます(Jくん入園前)
Jくんのお誕生日でした。
午前中は本郷の教会でクリスマス会、Jくんは皆さんにHappyBirthdayを歌ってもらいました。楽しい日…のはずでした。
でも午後は悪いことがいろいろ重なりました。特に悪いことには、Jくんひどく泣いたり暴れたりしました。桜泉は、心底辛くて泣きました。Jくんの気持ちがわからない。回りの人の目も気になってしかたがなくて惨めで腹が立ちました。Jくんにたくさん怒ってひどいことも言ってしまいました。
Jくんの気持ちをわかるように努めれば、悪いことも辛さも半分になるだろうに…。それに、忍耐のない母として365日を生きてしまったことを思い知りました。
お祝いに作るはずだった赤飯粥もワインライスも果物煮もできなくなってしまって悲しくて、夜にケーキを買って、スポンジのところを二口ほどあげました。イチゴを洗って切って、甘目のヨーグルトをかけたら喜んで食べました。
Jくん成長してるから意思がはっきりして、ひどく泣いたりわがままを言ったり食べ物を捨てたりするんだな…と思ったりしました。
お祝いの日だからといって、いいことばかりではありません。でも確かに今日は一歳の誕生日なんですね。